5月7日に、正法寺の親鸞聖人750回大遠忌法要で御講師をお勤めくださった本願寺派勧学の梯實圓(かけはし じつえん)和上が、御往生されました。勧学(かんがく)というのは、浄土真宗の学問を極められた方に与えられる最高位の称号で、勧学の先生から組織される勧学寮は、教団内で思想的な問題が起こった時の、御門主の諮問機関とされています。勧学の称号を与えられた先生は、和上(わじょう)という敬称をつけてお呼びします。勧学和上は、教団内に十人前後いらっしゃいますが、その中でも、梯實圓和上は、他に類を見ない博学さもさることながら、その上に尊い徳も兼ね備えた、まさしく学徳兼備の高僧として、全国の僧侶と御門徒の方々から、特に慕われ、尊敬を集めておられた方でした。
住職自身も、大学院生の頃から梯和上のお導きを賜り、本当に多くの大切な事柄を教えて頂きました。五年前、正法寺の大遠忌法要に、お忙しい中、無理を言ってお越しいただき、本当に尊いご法話を賜ったことは、正法寺にとって歴史に残る掛け替えのないご縁だったと思います。その大遠忌法要の一ヶ月ほど後のことだったと思います。大阪にある梯和上のお寺で勉強会があり、参加させていただいた時のことでした。休憩時間になった時、梯和上が控室に戻られる前に、一言、先日のお礼をさせて頂こうと思い、急いで、筆記用具などをカバンに詰めて立ち上がろうとした時でした。顔を上げると、目の前に梯和上が立っておられたのです。驚いて、慌てて立ち上がると、梯和上は、まだ三十歳を少し過ぎたばかりだった住職に、にこやかに頭を下げられ、「先生、先日は、大変お世話になりました」とおっしゃったのです。それは、住職が、言おうとしていたセリフでした。勧学和上として、全国の多くの僧侶と門徒を導く立場にある方が、五十歳も年下の新米住職を先生と呼び、頭を下げ、にこやかに接してくださる姿に、改めて和上のお徳の深さを知らされたことでした。
お通夜と葬儀は、北御堂として有名な大阪の本願寺津村別院で営まれました。葬儀には、お参りすることは叶いませんでしたが、前日のお通夜のご縁に遇わせていただくことができました。広大な境内は、何百人という人々で溢れかえっていました。三月に正法寺の春季彼岸会に御講師としておいで下さった天岸浄圓先生が、涙を流されながらご法話をしてくださいました。天岸先生は、高校一年生の時から足掛け五十年もの長きにわたって、梯和上のお導きをいただいたそうです。梯和上から賜った様々な御恩をお取次ぎくださいましたが、その中で、和上の臨終後にかけつけた時、和上の奥様からお聞きになったお話もしてくださいました。
和上は、昨年末より体調を崩され、入院しておられましたが、いよいよ臨終が近いことを御家族も覚悟された時のことだったそうです。奥様が、和上に「お父ちゃん、五十六年間、ほんまにありがとう。ほんまに楽しかったね。」とお声をかけると、和上は、にこやかに一言だけ、「今も」とお返ししてくださったそうです。生老病死は、誰にでも平等に訪れます。しかし、どんな状況にあっても、一瞬一瞬の今を、充実した命の中で生きることが出来ているでしょうか。生も老も病も死も、お念仏をいただく者にとっては、ありがたい充実した一時であることを、和上は、身をもって教えてくださいました。
以前、和上は、「お浄土に参らせていただいたら、親鸞聖人にお聞きしたいことが、いっぱいあるんです」と、本当に楽しそうにお話されておられました。死んで終わっていく命ではないことを、微塵も疑っておられませんでした。次の日の葬儀でも天岸先生が、お取次ぎくださったそうですが、その冒頭、天岸先生は、和上の遺影に向かって「和上、御往生おめでとうございます」と深々と頭を下げられたそうです。この世に誕生してきた時に「おめでとう」と迎えられたように、人の縁尽き命終わっていく時も「おめでとう」と見送られるような人生があるのです。
私にとって、本当に充実した実りある人生とは、お念仏が申せる人生であることを、親鸞聖人は、教えてくださいました。そして、そのことを身をもって教えてくださる方が、いつの時代にもいらっしゃるのです。
改めて、梯和上を偲ばせていただく中で、お念仏に生かされる身の幸せを感じたことでした。