伝灯奉告法要の団体参拝に参加して

先日、山口南組主催の伝灯奉告法要の団体参拝に参加してまいりました。山口南組は、防府の台道から小郡、嘉川、秋穂地域にある浄土真宗本願寺派の寺院、十四ヶ寺で組織されています。山口南組十四ケ寺全体で、一四六名のご参加でした。正法寺からは、二十八名がご参加くださいました。伝灯奉告法要というのは、西本願寺の住職が交代されることを仏前に奉告し、み教えの灯が次代に引き継がれ伝えられていくことを大切に味わう法要です。西本願寺の住職は、全国に約一万一千ヶ寺ある浄土真宗本願寺派の寺院と一千万人とも言われる御門徒の方々を束ねる御門主でもあります。この度、引き継がれた専如門主は、親鸞聖人から数えて二十五代目になります。本願寺の住職は、親鸞聖人の血脈を引く、親鸞聖人の直系の子孫が就任してきました。

この度の、伝灯奉告法要では、新しく就任される専如門主のご家族も、ご一緒にお出ましになられ、お言葉を述べられました。今年、三十九歳になられた専如門主は、一つ年上の奥様(お裏方様)と五歳になるご長男、敬(たかし)様、一歳になるご長女の顕子(あきこ)様の四人家族です。御門主とお裏方様に抱かれた幼いお二人のお子様が、参拝者の方々に対して、笑顔を振りまかれたり、可愛いお声でご挨拶をされたりする姿は、とても微笑ましいものでした。全国から参拝された御門徒の方々も、その微笑ましいご家族の姿に、思わず笑みがこぼれ、お御堂の中は、大変温かい雰囲気に包まれていました。

ところで、このように仏教教団のトップが、仏前で家族とともに公然と振る舞うことは、浄土真宗だけのことです。他の仏教教団では、有り得ない光景といってよいでしょう。例えば、日本を代表する仏教教団である天台宗や曹洞宗、また、同じお念仏を称える浄土宗であっても、その教団を代表する門主に当たる方が、公然と家族で仏前に出ることは、考えられないことです。

今から十数年前、NHKで当時の曹洞宗のトップ、宮崎奕保(みやざきえきほ)貫主を特集した「永平寺 一〇四歳の禅師」と題したドキュメンタリー番組が放映されたことがありました。曹洞宗は、福井県にある永平寺を本山とする教団で、開祖は、道元禅師です。一般的には、禅宗とも呼ばれますが、教えの内容は、ひたすら座禅をすることを通して悟りを開くことを目指すもので、非常に厳しい生き方が求められます。その教団のトップである貫主に就任されていたのが、宮崎奕保という現代に生きる高僧のお一人でした。当時、一〇四歳です。一〇四歳という高齢でありながら、永平寺から出ることなく、若い僧侶の方々と一緒に、一日中、厳しい修行に打ち込んでおられる様子が、NHKで特集されたのです。宮崎貫主は、生涯独身を貫かれておられます。また、僧侶になられてからは、一口もお肉類を口にされていないとのことでした。インタビューに答えられる一言一言が、仏様のように柔らかく深みをもっておられました。これが、曹洞宗という仏教教団を代表する人の姿です。浄土真宗の門主の姿とは、かなり異なります。

しかし、ご家族と一緒に阿弥陀如来の前で笑顔で振る舞われる、あの若い御門主のお姿の上に、親鸞聖人が開かれた浄土真宗という仏教の力強さを味わうことができるのです。曹洞宗の宮崎貫主は、誰からも敬われる本物の高僧です。聖なる道を地で行くことのできる類まれな精神力と体力をお持ちです。しかし、私たちは、宮崎貫主を敬うことはできますが、同じ道を同じように歩みなさいと言われても、それは難しいのではないでしょうか。どれほど尊い教えであっても、それを実践し、自分自身の生き方にできなければ、絵に描いた餅と一緒です。生死を超える道に、「しょうがない」は通じません。出来なければ、悟りも開けないのです。

親鸞聖人が歩まれた道は、世俗の中で家族を持ち、仕事を持ち、煩悩にまみれた人間関係の中に開かれていく仏道なのです。家族をもち、世俗の中で生きる限り、悲しいこともあり、悩みは尽きず、やがてそんな中で死を迎えていきます。それでも、生まれてきて良かったと、悲しみも死んでいくことも受け入れていける道が浄土真宗のお念仏の仏道です。普通の人にも、厳しい修行者と同じ尊い悟りの世界が恵まれていく道があるのです。深いご縁で結ばれた人々と共に、大切にお念仏を申す毎日を送らせていただきましょう。

2016年11月1日