先日、ある短編小説を読む機会がありました。主人公は、高校三年生の息子を持つ四十歳代の母親です。高校三年生の一人息子、真吾君は、県内随一の進学校に通っています。お母さんの希望は、有名大学に進学して、給料の安定した大きな企業に就職してくれることです。しかし、真吾君は、大学には進学する気がなく、今流行のユーチューバーになりたいと言います。お母さんは、悩みます。お母さんの思いをくみ取ってくれない真吾君が理解できません。学問の神様、菅原道真が奉られている有名な神社に連れて行けば、真吾君が勉強し始めるかも知れない、そんな淡い期待をもって、真吾君を無理矢理神社に連れて行ったりします。でも、真吾君はいっこうに変わらないどころか、どんどんお母さんから離れていってしまいます。可愛い息子が、なぜ、あんな風に変わってしまったのか、お母さんは、どんどん悩みを深めていきます。
そんな時、買い物に出かけたスーパーで、迷子になっている男の子に出会います。「お母さん・・・」と泣きべそをかいている男の子を見て、思わず抱きしめてしまいます。その時、ふと、真吾君が幼かった時の様々な記憶が、お母さんによみがえってきます。それは、純粋に親子が名前を呼び合う光景でした。その場面は、次のように描かれています。
「「おかあさん」、小さな真吾が私を呼んだ。私も呼ぶ。「真吾」。用事はない。ただ呼びたかっただけ。あなたがここにいることが、ただ嬉しくて幸せだって、そう思うから。」
お母さんは、真吾君に寄り添おうとしない親になってしまった自分に気づきます。変わってしまったのは、真吾君ではなく自分でした。お母さんは、悩みながらも、親としての姿を取り戻していきます。そして、物語は、最後、高校三年生の真吾君ともう一度、「真吾」「母さん」と照れながら名前を呼び合う光景で閉じられていきます。
悩める母親の姿を描いた、とても読み応えのある小説でした。この小説を読んでいて、ふとお念仏のことを思いました。この小説の中で描かれている純粋に親子が名前を呼び合う光景、これこそ、お念仏を称える光景と重なるものなのです。
親鸞聖人は、その主著『教行信証』の中で、南無阿弥陀仏の南無の心について、次のように説明されています。
「しかれば南無の言は帰命なり。・・・・ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。」
南無阿弥陀仏の南無という言葉は、帰命という意味であることを説明されます。そして、その帰命とは、本願召喚の勅命であることを明らかにされていきます。勅命とは、絶対に逆らうことの出来ない命令のことです。戦時中は、天皇陛下の勅命という表現が、よく用いられました。そして、本願召喚というのは、真心をもって喚んでくださるということです。南無阿弥陀仏というのは、阿弥陀仏が、真心をもって一人子に喚びかける母親のように、愛おしく私のことを喚んでくださる働きなのです。
また、本願寺第八代御門主の蓮如上人は、こんなことをおっしゃっています。
「御たすけのありがたさよとよろこぶこころあれば、そのうれしさに念仏申すばかりなり、すなはち仏恩報謝なり。」
阿弥陀仏の真心を聞いて、そのうれしさに申すのがお念仏であり、それは、仏様の御恩に感謝し、御恩に報いていく姿であるというのです。
阿弥陀如来様は、「あなたがここにいることが、ただ嬉しくて幸せ」という慈しみの塊となって、用事もないのに南無阿弥陀仏と私の声となり、私を抱きしめてくださいます。その真心を南無阿弥陀仏と聞かせていただいた私も、そのうれしさ、あたたかさのあまり、南無阿弥陀仏と阿弥陀如来様の名を呼び、阿弥陀如来様の慈しみに応えていくのです。
南無阿弥陀仏と称える人の姿は、母親に一心に愛されている子どもが、用事もないのに、「おかあさん」と母親の名を呼ぶ姿と重なります。母親にとって、愛する我が子から、用事もないのに、ただ「おかあさん」と呼ばれることは、なによりも幸せなことです。それは、我が子が、母親の愛情に気づき、母親を信じ、母親を慕ってくれている姿だからです。それは、阿弥陀如来様も同じなのです。だから、私がお念仏を申すことが、仏様の御恩に報いていく仏恩報謝になっていくのです。
用事もないのに純粋に仏様と名前を呼び合う、そんな慈しみに抱かれ、あたたかさに溢れていくのが、お念仏を申していく日暮らしなのでしょう。如来様に抱かれ、歩ませていただく人生を大切にさせていただきましょう。
先日、御門徒の方々が、お寺で次のような会話をしておられました。
「お寺にお参りして、お話を聞くと、分からなくても、なにかスッとした気になるんですよね。」
「私も、それ分かります。会社でいやなことがあっても、お寺にお参りすると、いやなことを忘れるんですよね。一度リセットできて、また、会社に行けることがありますよ。」
「そうですね。仏様のお話を聞いてると、悩んでいることが、なにかちっぽけな感じがしてくるんですよね。」
大学生の時、龍谷大学に入学し、生まれて初めて仏教に触れる友人に、「お寺って、何のためにあるん?」と尋ねられたことがあります。お寺で生まれ育った者にとっては、根本的すぎる質問に、大変戸惑った記憶があります。しかし、それと同時に、世間一般的に捉えられているお寺の印象を、初めて教えられて気がして、驚きを覚えたことでした。
お寺とは、何のためにあるのでしょうか。また、なぜ、何百年も現在まで残されてきたのでしょうか。それは、仏法を伝え、聞くためでしょう。お寺でなければ、表現の出来ない、聞くことの出来ない事柄があります。公民館やカルチャーセンターでも、仏法の話はできます。しかし、本当に仏法を表現し伝えることができるのは、お寺以外にはないのです。お寺は、阿弥陀如来様というご本尊を中心とした宗教的儀礼空間です。この阿弥陀如来様を中心とした空間の中で、私達は、仏法というものに本当に触れることができるのだと思います。
そもそも、誰もが、自分の人生の主人公は自分です。日々の暮らしの主人公は、自分以外にはありません。日々の暮らしの中で経験していく喜びや悲しみは、自分を主人公とした物語を紡いでいるといえるでしょう。その主人公は、いつも幸せな笑顔で過ごせるのが理想です。そのために人は、日々、格闘していかなければなりません。人の都合は、人の数だけあるからです。一人の都合が叶うということは、もう一人の都合は叶わないということでもあります。私の喜びの影には、必ず誰かの悲しみと我慢があることを忘れてはならないでしょう。生きるということは、常に自他共に傷を伴うものなのです。
そんな日常生活を送る私が、癒やされる場所があるとすれば、それは、主人公であることを一旦休める場所ではないでしょうか。実は、お寺という空間は、主人公であることを休める場所なのです。お寺の山門は、主人公が入れ替わるための結界のような意味をもっています。山門をくぐった先の空間は、阿弥陀如来様が主人公の世界です。
私の人生は、本来、私にしか味わうことのできないものです。しかし、もし、私以外の誰かが、私の人生を経験したとしたら、それは、私が受け止めたものとは全く異なる景色が、そこには現れてくるはずです。同じ出来事でも、受け止め方や感じ方は、人によって様々だからです。阿弥陀如来様という仏様は、私の人生を一緒に歩んでくださる仏様です。それは、誰にも理解してもらえないような深い悲しみも、大きな喜びも、如来様は、私と共に経験してくださるということです。そして、私とは全く異なる景色を見せてくださるのです。
如来様が教えてくださる人生の景色に触れると、悩んでいることもちっぽけに感じることもあるでしょう。また、喜びの中に、違う深さを味わうこともあるでしょう。仏様が味わい教えてくださる私の人生は、輝きに満ちています。
親鸞聖人は、自力という姿勢を否定され、他力に帰する姿勢を勧められました。しかし、それは、努力を否定され、人に甘えることを勧められたのではありません。自分の頑なな了見に固執することを否定され、清らかな仏様の了見に身と心をまかせていくことを勧められたのです。
誰もが、人生という戦場を必死に戦い生き抜いている戦士です。人生を生きるというのは、本当に厳しいものです。必死に我を張らないと、持ちこたえられないのが人生でしょう。しかし、お寺では我を張らなくてもよい世界が恵まれていくのです。私を慈しんでくださる阿弥陀如来様の前では、我を張らなくてもよいのです。「必ず仏にする」、如来様は、私にそう呼び続けてくださいます。仏になっていく私の人生を、如来様は、けっして見捨てず愛し、慈しみ続けてくださいます。
宗教的空間に身を置くという時間は、人間にとって、なくてはならない大切な時間だと思います。我を張って生きる日々の中に、山門をくぐり、お寺にお参りする時間を大切にさせていただきましょう。
先日の春季彼岸会でのことでした。夜の法座に、普段は見かけない二十歳代前半と思われる男性の方が、座っておられました。法座が始まる前、側に近づき、「失礼ですが、どなた様ですか?」とお尋ねをさせていただきました。すると、その方は、次のように答えてくださいました。
「自分の知り合いの知り合いに、ここの保育園関係の方がおられて、その知り合いから、ここのお寺で、お話が聞けるということを聞かせていただいて、来てみたんです。」
重ねてお尋ねをしました。
「保育園関係の知り合いというのは、誰ですか?」
「自分は、直接、その方とは知り合いではないので、名前も顔も知らないのです。ただ、人づてに、ここのお寺でお話が聞けると聞いただけなんです。」
「この近くにお住まいなんですか?」
「少し離れたところから来ました。」
「仏教に、興味があるんですか?」
「はい、、、、少しだけ。」
お念珠も聖典も、お持ちでなかったので、お寺のものをお貸ししました。お念珠の持ち方も、手の合わせ方もまったく分からないご様子でした。「お念珠は、左手に持つんですよ。」「手を合わせるのは、胸の前でこのようにして、お念珠は、両手にこのようにして掛けるんですよ。」などなど、基本的なことを一つ一つお教えいたしました。それを一つ一つ、とても素直に聞いてくださいました。その後の『讃仏偈』のお勤めも、分からないなりに、一緒にお勤めくださり、途中で帰ることなく、最後まで仏様のお話を聞いてくださいました。法座が終わった後、「またよかったら、お越しくださいね。」とお声をおかけすると、とても和やかな笑顔で「はい」とお答えくださいました。
御門徒の方であっても、初めてお寺にお参りするときは、緊張するものです。なかなか最初の一歩が踏み出しにくいものです。それを、まったく知らないお寺という異空間に、たった一人で飛び込んでこられるというのは、すごいことです。よっぽど不思議なご縁が働いたのでしょう。
浄土真宗のお寺は、本来、誰もがお参りしやすい場所ではありません。なぜなら、私達が当たり前に受け入れている世間の価値観が否定される場所だからです。一方で、同じお寺でも、お守りを売っていたり、仏様が願い事を叶えてくれることを謳うお寺は、たくさんの人がお参りしています。それは、世間の価値観がそのまま肯定される場所だからです。世間の価値観というのは、自分に役立つ都合のいいものを貪り愛し、反対に都合の悪いものを憎み拒絶する性分が基準となる価値観です。健康、富、地位、家庭円満、病気平癒など、自分に都合のいいものを与え、都合の悪いものから守ってくれる場所には、誰でもお参りしやすいのです。しかし、浄土真宗のお寺には、お守りもおみくじもありません。私のわがままを聞いてくれる仏様もいらっしゃいません。そのような場所に、少ないながらも、人がお参りするというのは、実に不思議なことです。
誰もが幸せを求めています。しかし、自分の願いのままに、あらゆる事が実現できるほど、人間は恵まれた存在ではありません。また、世の中が、そんな甘いものではないことは、誰もが思い知っているはずです。それでも、人間は、仏様の力を利用してでも、自分のわがままな願いを実現しようとします。そして、また傷つき、また自己中心の妄想を拡張し、それを繰り返していくのです。幸せを求めながら、不幸せな道に落ちていく、この切なく弱い存在を大悲されるのが、本当の仏様のお働きです。浄土真宗のお寺は、世間の価値観に振り回され、傷つき行き詰まった方が、お参りされる場所です。自分に役立つ都合のいいものばかりを求めにいく場所ではなく、そのような自分の姿を省み、人生の方向転換をしていく場所なのです。
親鸞聖人は、自分のわがままが満たされる天国とよばれるような自己中心の妄想によって作り出される世界ではなく、その醜い妄想やそれを生み出していく煩悩から私達を解放してくれる浄土という仏様の大悲が描きだしてく世界に向かう人生の大切さを教えてくださいました。お浄土は、自己中心の妄想である愛と憎しみを超えていく世界です。愛する者も憎たらしい者も、同じように慈しまれていく世界に、私達は、生まれていくのです。
人間境涯に命をいただきながら、仏様の境涯に生まれていくような人生が恵まれていくというのは、本当にまれで尊いことです。浄土真宗のお寺にお参りできている身の尊さを、お互いに喜ばせていただきましょう。
先日、二月十五日はお釈迦様の涅槃会でした。二五〇〇年前、お釈迦様が、そのご生涯を閉じていかれた日です。浄土真宗の寺院では、涅槃会をお勤めする寺院は少ないですが、宗派を問わず、世界の仏教徒にとって、お釈迦様が命終えていかれた姿は、とても大切な意味があります。
お釈迦様は、八〇才で、そのご生涯を閉じていかれました。今から二五〇〇年前、日本は、縄文時代中期に当たります。その頃の日本人男性の平均寿命は三十一才だそうです。文明の発達していたインドでは、もう少し寿命が永かったかも知れませんが、それでも大変なご長寿でしょう。息を引き取られたのは、クシナガラという町です。熱心な仏教徒であったチュンダという名の鍛冶職人が振る舞った「スーカラマッタヴァ」という料理による食中毒が原因で体調を崩されます。そして、サーラというツバキ科の二本の木の間に頭を北にして横たわり、そのまま息を引き取っていかれたと伝えられています。
仏様であったお釈迦様も、普通の人間のように、食中毒でお腹を壊され、亡くなっていかれたのです。しかし、お釈迦様の場合、命終えていかれたという事実を、側で看取られた誰もが「死んだ」や「亡くなった」という言葉で表現しませんでした。みんなが「涅槃に入られた」や「入滅された」という言葉で表現されたのです。それは、側で看取られた誰もが「死んだ」や「亡くなった」という言葉では、とても表現できないような命の終わり方を受け止めていかれたからでした。
涅槃(ねはん)というのは、インドの言葉でニルヴァーナを漢字に音訳したものです。ニルヴァーナというのは、一切の執われから開放された本当の安らぎの世界のことです。それは、あらゆる命を慈しみ、あらゆる命の悲しみを引き受けていく大慈悲と呼ばれる清らかな働きの実現を意味しています。入滅も煩悩が完全に滅せられた領域に入るという意味で同じことです。お釈迦様が食中毒で命終えていかれたとき、誰もが、そこに滅びや終わりを受け止めなかったということです。
命が終わるという現実は、仏様であったお釈迦様にも例外なく訪れました。命終わることだけではありません。病や老いも、誰もが経験していく現実を、お釈迦様も経験されたのです。仏様だから不老不死であったり、苦難を回避する超能力があったりするわけではないのです。仏様でも、病に襲われ、年老い、命終えていく現実は同じなのです。
それでは、仏様と私達とでは何が違うのでしょうか。それは、意味が違うのです。命終えるという厳しい現実の中に、私達とは違う意味を見ておられるということです。私達にとって、死は闇です。分からない不安な世界です。また、死は、私から大切なもの全てを奪っていきます。家族や財産だけでなく、一番大切な私の命そのものを無残に奪っていくのです。人間にとって、自分の死ほど恐ろしいものはないでしょう。これが、私達にとっての死の意味です。
しかし、お釈迦様は違ったのです。死は、闇ではなく光だったのです。側で看取られた人々に、死は光であることを思わせるような最後だったのです。現実は同じでも、意味が違えば世界は変わります。仏様の言葉を聞かせていただくというのは、仏様が受け止めておられる意味を聞かせていただくのです。素直に聞かせていただいた仏様の言葉が、私の住む世界を変えていくのです。
親鸞聖人の『唯信鈔文意』というお書物に次のようなお言葉があります。
「ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。」
どんな人間も、阿弥陀如来の深い願いとその願いが込められた南無阿弥陀仏の響きを素直に聞かせていただければ、煩悩を抱えたまま、お釈迦様と同じこの上ない安らぎの世界、あらゆる命を慈しみ、あらゆる命の悲しみを引き受けていく大涅槃が実現していくというのです。私達は、お釈迦様のように悟りを開き、死も光であるような智慧を持つことはできません。しかし、できないままで、お釈迦様と同じ世界が恵まれていくというのです。それは、私にとって闇のような不安な世界は、私を慈しんでくださる阿弥陀如来によって見守られている世界でもあるからです。命終えていく不安な現実の上にも、お慈悲が満たされているのです。大丈夫だよと温かく包んでくださる世界があるのです。人間が住む世界ではなく、仏様が住む世界に生まれていく、そのことを喜ばせていただく日々を大切にさせていただきましょう。
先日、大変お世話になった方が、御往生されたと聞き、ご自宅の方へお悔やみにお参りさせていただくことがありました。正法寺の御門徒ではありませんが、所属される寺院の仏教婦人会の会長などを務められるなど、大変お念仏を喜ばれた方でした。生前中、言葉の端々に仏様の温かさが溢れておられたことを懐かしく思います。
ご自宅の方へお伺いすると、お嫁さんが出迎えてくださいました。お仏壇にお礼をさせていただき、故人のご遺骨と遺影のお写真を前に、お嫁さんから、故人の最期の日々について、大変ありがたいお話をたくさん聞かせていただきました。
故人は、三年ほど前に癌が見つかり、通院しながらの治療が続いていたそうですが、先月の末に病状が悪化し、自宅での療養が難しくなったそうです。コロナ禍で家族の面会も難しい中、幸せなことに、お嫁さんが、入院先の病院の看護師で、看護師として故人の最期のお世話をしっかりさせていただけたそうです。癌の末期になってくると、痛み止めの強い薬を投与する状況になっていきます。この時点で、意識が混濁する患者さんも多いそうですが、故人は、意識がはっきりとされていたそうです。このような死に臨む状況の中でも、普段と変わらない穏やかな様子を目の当たりにして、お嫁さんは、故人に尋ねずにはおれなかったそうです。
「死ぬの怖くないの?」
故人は、次のように答えたそうです。
「怖くないわよ。お浄土に参らせてもらうんだから。お浄土は、ちっとも怖くないすばらしい世界だと聞かせてもらっているの。でも、私は、みんなと離れた遠いところに行くのとは違うの。仏様にさせていただいて、いつでもどこでも、みんなのそばにいるのよ。」
お嫁さんは、仏教のことは、よく分からないと言われます。でも、お義母さんの最期を看取らせていただいて、素直に、自分もお義母さんみたいになりたいと思われたそうです。死してもなお、周りへの思いやりが消えず、自分の死をすっと受け入れ、どこまでも穏やかで安らぎに包まれているようなお義母さんの姿に、胸を打たれたと言います。
死後の世界はどうなっているのか、また、何もないのか、これは、誰にも分かりません。自分自身の死を経験した人は、生きている人の中には、一人もいないからです。「浄土はある、いやそんなものはない」と分からない者同士が言い合ったところで、結論はでません。ではなぜ、浄土という世界を聞いて、受け入れることのできる方がいるのでしょうか。それは、人ではない仏様の言葉に触れ、それを受け入れているからです。本当のことは、人には分からないと言いました。しかし、本当のことに触れると、人は、安らぎを感じるのです。逆に、本当でないものに触れると、人の心は乱れていきます。仏様であるお釈迦様の言葉は、決して二五〇〇年もの間、人の心を乱してきたわけではありません。人々の上に大きな安らぎと安定をもたらしてきたことは間違いありません。どんな命も、混乱した不安定なものではなく、安らぎに包まれた安定したものを求めているのです。
死を前にして激しく怯え、または、絶望したようにあきらめ、後悔や執着、恨みを抱えながら、しょうがないといって仕方なく虚しく死んでいく。それが、本当のことに触れている姿だといえるでしょうか。人が考えることは、全て偽物だと親鸞聖人は教えておられます。人の「浄土なんかない」という言葉も偽物なら、人の「浄土はある」という言葉も偽物なのです。命の根本的な問題、生まれること、生きること、死ぬことについて、人は無力です。無力なら素直に聞かせていただくことです。仏様の「お前は如来の子なんだよ。如来の子なんだから、如来の世界に還ってくるんだよ」という言葉をそのまんま聞かせていただき、如来の子としての人生と死をいただいていくのです。素直に受け入れた仏様の言葉が、私に安定した安らぎと満足をもたらしていきます。これが、自分の力をたのみとせず、仏様の働きによって迷いが破られていく他力本願の救いの世界なのです。
親鸞聖人は、死に様をあれこれ問うことを否定しておられます。今、如来の真実の言葉を素直に受け入れているかどうかを問題にされています。臨終もまた、死に臨む今なのです。仏様の本当の心に触れている人の今は、それが臨終であったとしても安らぎに包まれているということです。
恵まれた人生です。偽物ばかりに心を乱されるのではなく、仏様の本物に触れ、安らぎと大きな満足をいただいていく、そんな尊い今を生き抜いていきたいものです。
明けましておめでとうございます。今年も、お念仏に包まれる中に、一日一日を丁寧にいただいて参りましょう。
先日、『基礎からはじめる真宗講座』にお参りくださった方から、こんな感想を聞かせて頂きました。
「ご近所の方に誘われて、初めてお参りさせてもらいました。お寺の法座にお参りしたのは、子どもの時以来、何十年ぶりかです。子どもの時は、母に連れてこられて、よく一緒にお参りしていました。あの頃は、まだ火事になる前の本堂で、大きな柱が四本、本堂の中にあったのを覚えています。でも、法座の雰囲気は、あの頃と変わっていませんねぇ。すごく懐かしくて、温かい気持ちにさせてもらいました。」
法座の雰囲気が、あの頃と変わっていないという感想の中に、お寺が続いてきたことの大切な意味を改めて聞かせていただいたことでした。
法座というのは、有識者の講演を聞かせていただく講座とは、本来、まったく異なるものです。浄土真宗のお寺は、この法座が開かれるために建立されています。建立されてから、そこに集い仏法を聞く人々も、仏法を取り次ぐ人々も、年月が過ぎると共に、当然変わっていきます。五十年前の法座と現在の法座では、集う人々の面々もお話くださる御講師の面々も違います。しかも、本堂自体も火災で焼失し、現在の本堂は昔のものとは違っているのです。それでも、法座の雰囲気は変わらないのです。
お寺という場所は、一つには、変わらないものに出遇う場所だと言えると思います。この世界に変わらないものはありません。あらゆるものは移り変わるという諸行無常の教説は、仏教の根幹を成すものです。その諸行無常という理の中にあって、変わらないものを真実というのです。たとえば、このあらゆるものは移り変わるという諸行無常の理は、時間の経過と共に変わったりしません。それは、本当のことだからです。どれほど時代が変わり、人々の価値観が変わっても、あらゆるものが移り変わるという諸行無常の理は、変わることなく真実でありつづけるでしょう。
一方で、私達人間境涯に生きる者から紡ぎ出される言葉や価値観は、移り変わり消えていくものばかりです。この人間境涯で、最も清らかな言葉は、愛の言葉だと言われます。しかし、変わらずに愛し続けることは、至難の業です。人間境涯で最も純粋な愛の代表は、子どもを愛する親の愛情でしょう。本当に愛情深い親は、自らの身を削って、子どもの幸せを純粋に願うものです。しかし、それでも、ふとしたとき、たとえば、子どもに反抗されたときなど、図らずも愛する我が子に腹を立ててしまうものです。また、人の親は、諸行無常の中で年老い、命終えていきます。年老い、脳が老化すると、愛する我が子の顔さえ忘れてしまうこともあります。人間境涯は、まさしく諸行無常です。どれほど純粋な愛情であっても、移り変わり消えていってしまうのです。
移り変わり消えていくものの中に、本当の拠り所と言えるものはありません。お釈迦様が2500年前に説かれた内容が、今も変わらず響き続けているのは、それが変わらない真実だからです。お寺で聞かせていただくのは、移り変わってゆく人の言葉ではありません。けっして変わることのない真実、私の本当の拠り所となるものを聞かせていただくのです。
お寺の法座は、どれほど年月が過ぎ、そこに集う人々の面々が変わっても、そこで語られる真実とその真実に出遇い喜ばせていただく温もりは変わりません。過去も現在も、同じものを聞き、同じものを喜ばせていただいているのです。仏教というのは、やはり人が伝えるものです。経典やそれを伝える解説書があれば伝わるものではありません。それを聞き喜び、人生の糧として生き抜かれた多くの人々の変わらない姿が、今に至るまで、脈々と仏教を遺してくださったのです。
いつまでも変わらないものが語られ、変わらない人々の雰囲気があり、変わらない空気に包まれている、そんな空間がお寺の法座です。突然、世界中を襲った未曾有のコロナ禍の中で、人々の価値観やものの考え方が大きく変わろうとしています。人の世は、善が悪に変わり、愛が憎しみに変わります。その中にあって、変わることのない清らかな真実が響き続けるお寺の法座は、ある意味、この世の安全地帯なのかもしれません。
今年も、激動の時代が続くことでしょう。新年を迎え、改めて、お寺の法座の空間に座らせていただくことの大切さを味わってまいりましょう。
今年もあと一ヶ月を残すところとなりました。昨年の今頃は、一年後にコロナウイルスによって、世界中が混乱していることなど、想像もできなかったことです。人の世は、生滅変化していく不安定なものであることを、改めて教えられるところです。
先日、ある人から、こんなお話を聞かせて頂きました。ある日の夜、真っ暗な田んぼのあぜ道を、一人、懐中電灯を持って歩いていた時のことだそうです。真っ暗な中、道の前方を懐中電灯で照らして歩いていると、足下に土の塊が落ちていたそうです。道の両脇の田んぼの土が、塊になって道に落ちているのかと思い、そのまま、踏みつけて進もうとしたそうです。しかし、その時、何か違和感を感じたといいます。何気なく、前方を照らしていた懐中電灯を足下に向けると、懐中電灯の明かりの中に、大きなウシガエルが現れたといいます。声を上げて驚き、その場に立ち止まってしまったそうです。そのままウシガエルを踏みつけていたかと思うと、ぞっとして、しばらくドキドキが止まらなかったそうです。
真っ暗な闇の中で、土の塊だと信じ切っていたものが、本当は、生きたウシガエルだったというお話です。よく聞くようなお話だとはいえ、とても興味深く聞かせていただきました。
それは、親鸞聖人が、お書物のいたるところで、阿弥陀如来様のことを、光という言葉で説明されておられるからです。たとえば、『弥陀如来名号徳』というお書物には、「阿弥陀仏は智慧のひかりにておはしますなり」と、阿弥陀仏のことを、智慧の光だと説明しておられます。また、『尊号真像銘文』というお書物にも「光如来と申すは阿弥陀仏なり、この如来はすなはち不可思議光仏と申す。この如来は智慧のかたちなり、十方微塵刹土にみちたまへるなり・・・」と、阿弥陀仏は、光如来ともいい、それは、思いはかることのできない不可思議な光の仏様であり、その光の仏様は、智慧のかたちであり、世界中にその光は満ちていると説明されています。
阿弥陀如来が、光の仏様だというのは、どういう意味でしょうか。仏教では、私達が抱える根本的な苦しみの原因を無明という言葉で表現しています。この無明は、自らにとって都合のよいものは、どこまでも欲しがり、逆に自らにとって都合の悪いものはなかったことにしたがる、どうしようもない盲目的な身勝手さのことをいいます。これは、明るさが無い闇の中にいるようなもので、無明と表現されるのです。
闇の中では、生きたウシガエルも命のない土の塊に見えます。闇の中というのは、物の本質、本当の姿が見えないのです。また、本質、本当の姿でないにも関わらず、自分が見えている物を、本当の姿だと思い込んでいる状況でもあります。どうしようもない盲目的な身勝手さを抱える人間が受け止めていく世界は、まるで闇の中で生きているようなものだというのです。
私達は、本物を見ていません。たとえば、『仏説阿弥陀経』に「八功徳水」という言葉が説かれています。これは、仏様が受け止めておられる水の有様のことです。八という数字は、無量とか無限という意味を表しています。一滴の水の中に、無量の功徳、限りない輝きを仏様は見ておられるということです。それが、本当の水の姿だというのです。私達は、一滴の水どころか、大量に出る蛇口の水でさえ、当たり前のものとして見ています。無量の功徳など微塵も見えず、感動もありません。また、空から雨が降ってこようものなら、悪い天気だと言って愚痴をこぼし、腹を立てることさえあります。そこに見えているのは、ただの液体であり、時には、自分の都合を邪魔する厄介なものです。本物が見えない闇の中にいるというのは、実に不幸なことです。
阿弥陀如来が、光の仏様だというのは、盲目的な身勝手さによって暗い闇の中に生きる私に、本当のことに気づかせ、物の本質を受け止めることのできる智慧を恵んでくださるからです。仏様の光は、言葉です。本物の輝きを受け止めている清らかな言葉が、盲目的な闇の中にいる私の心を、感受性を、豊かに育ててくださるのです。仏様のお言葉を聞かせていただく、御法座でのお聴聞が、何よりも大切だと言われるのは、このためです。
仏様が受け止め見ておられる本物の世界には、苦しみがありません。全てが清らかに輝き、愛と慈しみで満たされています。その世界を、お浄土というのです。そして、私は、そのお浄土に、必ず生まれていくことが願われてあるのです。生まれていくのは、この命終えてからです。しかし、その光に遇うのは、今なのです。無明を抱える闇の中にも、仏様の光をいただき、感動と喜びを味わえる日々を送りたいものです。
「墓じまい」という言葉が、テレビや新聞でよく聞かれるようになって、久しくなりました。正法寺の御門徒の方々の中でも、この十年の間、毎年のように墓じまいをされる方がおられます。代々、同じ場所に定住しなくなったり、何々家を継いでいくという意識が、希薄になったことが大きいでしょう。それは、お墓だけに留まりません。代々の家とその中心に安置されてきたお仏壇も、処分の対象として考えられるようになりました。
先日も、お墓と一緒にお仏壇も処分したいというご相談がありました。お墓は、代々のお骨を正法寺の納骨堂に納めることになりました。お仏壇は、誰も住まなくなった代々の家のものを処分し、息子さん家族の新しい住居に、新しいお仏壇を迎えることになりました。お墓は、お勤めの後、業者の方がお骨を取り出し、墓石を処分してくださいます。お仏壇は、お勤めの後、ご本尊の阿弥陀如来様と両脇掛けの親鸞聖人と蓮如上人を住職がお預かりをし、礼拝の対象がなくなった空のお仏壇を業者の方が処分されます。お仏壇が処分される日、お勤めの場には、コロナ禍の中、嫁がれたご兄姉や従兄弟に当たる方々など、子どもの頃から、そのお仏壇に手を合わせてこられた方々が、たくさん集まっておられました。お勤めの合間に、所々から「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と聞こえてくるお念仏の声は、大変有り難いものでした。このお仏壇を、代々の家の方々が、本当に大切にしてこられたことが伝わるものでした。
ご本尊の阿弥陀如来様が、絵像のお軸の場合、裏地にご本山本願寺の御門主のお名前が記され、印鑑が押されています。これは、このご本尊が、正しいみ教えに基づいたものであり、礼拝の対象として間違いないことを、本願寺の御門主が証明してくださったことを表しています。この裏書きのないものは、礼拝の対象として認められていない偽物ということになります。たまに仏壇店などの業者により適当に作られた絵像が、安置されてあることがありますので、注意が必要です。このたび、お預かりした当家のご本尊の裏書きには、明治時代にご活躍された御門主のお名前と印鑑が確認できました。およそ百年以上、当家のご本尊として御安置され、家庭生活の拠り所として礼拝されてきたことになります。
そのことを当家の方々にお伝えすると、大変感慨深いお声と大変寂しいお声が混じり合っていました。数十年前には火事に遇われたことがあったそうですが、その時も、ご本尊は、当家の方々によって持ち出されて無事だったそうです。お仏壇を大切にしてこられたご先祖の思いを、改めて大切に受け止めてくださったようでした。
「本尊」という言葉は、「最も大切にすべき根本的に尊いもの」という意味です。それによって生まれたことの意味、日常の様々な価値観、死んでいくことの意味を確認していくものです。浄土真宗であれば、阿弥陀如来様が、そのご本尊です。自分に関係する人や命だけでなく、自分に関係のない人や命、また、自分にとって憎しみや怒りの対象となっていく人や命まで、あらゆる命を深く慈しみ、あらゆる命が抱える一つ一つの悲しみを深く悲しんでいく大慈悲と呼ばれる清らかな心を、この世界で最も尊いものとして仰いでいく姿が、阿弥陀如来様をご本尊とする姿です。
人間というのは、例外なく阿弥陀如来様と真反対の在り方をしています。自分の都合を満たす者は愛すべき者です。しかし、夫婦、親子の関係であっても、その人々が自分の都合を邪魔する者になれば、たちまち憎むべき者に変わります。また、自分に関係してこないその他大勢の命に対しては、無感情です。その他大勢の命が、喜ぼうが悲しもうが関係ありません。非常に冷淡です。本当の愛とは、決して変わらないものであるはずです。たとえ愛する者が、自分を苦しめるような者になっても、愛おしく慈しみ続けるのが、本当の愛でしょう。しかし、私達は、自分の愛おしい子どもであっても、反抗されると、思わず腹を立ててしまうのです。「小慈小悲もなき身にて」とは、親鸞聖人のお言葉です。大慈悲どころか身内すら本当に愛することのできない浅ましい自分だという告白です。
その浅ましい自分の姿にブレーキをかけ、何が本当に尊いものであるのかを、代々にわたって忘れず仰ぎ続けていくために御安置されたのが、各家々のお仏壇なのです。
誰も住まなくなった家にお仏壇は必要ありませんが、人が生活する場がある限り、そこにはお仏壇は必要でしょう。大慈悲を尊いものとして仰ぎ生きる中に、本当の人生の喜びが恵まれていくのです。
今年も、残すところ三ヶ月となりました。ここのところ、どこの御門徒宅にお参りさせていただいても、共通した話題ばかりが上がります。それは、コロナと水害と農作物の不作です。今年の三月頃から始まったコロナウイルス感染症の流行は、未だに終息の目途が立っていません。また、毎年のように起こる豪雨や台風による大規模な水害が、今年も、日本各地を襲いました。それに加え、今年は、葉物等の野菜が収穫できず、お米も害虫や塩害による被害が凄まじいといいます。江戸時代までの日本なら、疫病、自然災害、飢饉という三重苦により、何百万人の死者が町に溢れかえる乱世となっていたことでしょう。
親鸞聖人が八十八歳の時、乗信房というお弟子に宛てられたお手紙には、次のようなお言葉が記されてあります。
「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。」
去年から今年にかけて、老人も若者も男性も女性も多くの人々が死んでいったことは、悲しいことだと言われています。このお手紙には、親鸞聖人の直筆で文応元年十一月十三日という日付が記されています。この文応元年および前年の正元元年は、後に「正嘉の飢饉」と呼ばれる歴史的な大飢饉が起こった年でした。死者は、全国で溢れかえったといいます。『百練抄』という当時の歴史書には、正嘉の飢饉について、飢餓に耐えかねた京都壬生の少女が、死体を食べたことが記されています。また、この年に書かれた日蓮宗の開祖、日蓮聖人の『立正安国論』にも「天変・地夭・飢饉・疫病あまねく天下に満ちて、広く地上にはびこる。牛馬ちまたにたおれ、骸骨路に充てり。死をまねくやからすでに大半を超える」と記されています。飢饉が起こった原因は、冷害と台風による凶作です。これに疫病の流行が加わり、町中に死者が溢れかえったのです。まさに、時代が時代なら、令和二年も、歴史に刻まれるような凄まじい惨状が、日本中に広がっていたかも知れません。
世が乱れる乱世という言葉は、天変地異のような環境が乱れるだけでなく、人の心も乱れることを意味しています。人々の心が乱れ荒んでいく、そのような状況を生み出していく世の中を乱世というのです。その意味では、鎌倉時代ほどの地獄絵図でないにしても、まさしく令和二年も乱世と呼ばれるに相応しいかもしれません。コロナウイルス感染症の流行による人々の心の乱れは、誰もが認めるところでしょう。
ここで親鸞聖人のお手紙のお言葉を、もう一度よく味わってみますと、飢饉の惨状に触れたのに続いて、「生きている者が死んでいくという現実は、すでに仏様が説かれていることであるから、驚くべきことではありません」と述べられています。「おどろきおぼしめすべからず候ふ」という一言は、地獄のような乱世の中にあったとしても、心まで乱れる必要はないことが教えられています。
疫病、自然災害、飢饉、どれもが、人の願いを無残に踏みにじっていきます。願いを踏みにじられた人の心は、苦しみ、怒り、悲しみ、妬み、様々に乱れていきます。しかし、親鸞聖人が教えてくださるように、願いが無残に踏みにじられていくのは、何も特別なことではないのです。疫病、自然災害、飢饉という状況に関わらず、人間は、若くありたいという願いを踏みにじられ、健康でありたいという願いを踏みにじられ、死にたくないという願いを踏みにじられて、思いのままにならない人生に振り回されていくのです。人の願いに関わらず、本来、現実は厳しいのです。この厳しい現実の中に、どんな意味を味わっていくのかが大切なことです。事実を変えることはできません。しかし、意味を変えることはできるのです。仏様の教えの言葉というのは、私達に、思いのままにならない現実に、新しい意味を与えてくださるのです。
今年、私を取り巻く厳しい現実に、仏様は、どんな意味を与えてくれるでしょうか。それは、一人ひとりが、仏様に向き合い聞いていく他に道はありません。老い病み死んでいく私を、私自身は見捨てようとしますが、阿弥陀如来様だけは、見捨てられないのです。それは、仏様から見て、とても見捨てることのできない大切な意味が、私そのものの上にはあるからなのです。
引き続き、大変困難な状況が続いていく世の中ですが、心乱れそうになる中にも、お念仏申し、仏様の温かい眼差しの中で、自らを決して見失うことのない毎日を大切にさせていただきましょう。
今年もお盆の季節が過ぎました。今年は、コロナ禍の中でのお盆のご縁となり、様々なことを考えさせられたことでした。特に、県外にいるご家族の方々がお盆に帰省できず、亡き方を温かく偲びながら、多くの家族で仏縁を頂くという姿が見られなかったことは、とても寂しいことでした。
浄土真宗のお盆は、単に先祖供養を目的としてお勤めするのではありません。そもそも、供養という悟りへと続く清らかな行いを徹底できない私達です。お仏壇に向かい、お経を聞かせていただいている間でさえも、雑念が消えることがありません。私は、人を救う者ではなく、仏様から救われねばならない者です。浄土真宗の仏事は、どんな場合でも、私が故人の救いのために勤めていくものではなく、逆に、救われがたい私自身が、故人から恵まれていく尊い仏縁なのです。今年のお盆のお勤めの中でも、そのような尊いご縁に出会わせていただいたことでした。
ある御門徒の初盆のご縁でした。こちらのお宅も、コロナ禍の中で、ごく限られた少人数でのお勤めです。昨年、御往生された故人は、生前中、いつもお寺の御法座にお参りをされ、お念仏を大変喜ばれていた方でした。その故人が、ご家族の方々の上に温かく働いてくださっている様子が、ありありと味わえるご縁だったのです。それは、阿弥陀経のお勤めと御法話が終わり、一人ひとりお焼香していただく時のことです。ご家族全員が、「なもあみだぶつ・・・」とお念仏を声に出して称えられるのです。それは、二十歳代のお孫さん方も例外ではありませんでした。若いお孫さんのお念仏の声は、故人から尊いお取り次ぎを頂いているようで、思わず頭を垂れ、一緒にお念仏をさせていただいたことでした。
親鸞聖人のみ教えは、お念仏を声に出して称える称名念仏が、その中心です。仏教は、本来、行(ぎょう)というものを大切にします。自らの行いが、その人を育てるからです。仏という究極の目標に向かい、仏に近づいていくような清らかな行いを教えるのが、仏教の特徴です。行というものを説かない仏教はあり得ません。仏様のみ教えに従い、正しく生き正しく死んでいこうとする仏教徒には、必ずなさねばならない行いがあります。私達、浄土真宗のみ教えをいただく者にとって、その必ずなさねばならない行いが、称名念仏なのです。「なもあみだぶつ・・・」と声に出して称える日常を歩むことが、私にとって、唯一の仏道なのです。
しかし、このお念仏を声に出して称えるという誰にでもできそうな行いが、大変難しいのです。お念仏を称えるという姿は、お念仏を称えなさいという仏様のみ教えを素直に受け入れている姿でもあります。この仏様が教えてくださることを素直に受け入れるというのが、我の強い人間にとっては、とても難しいのです。実際、お仏壇の前に座り、合掌と礼拝をされる方は、ほとんどですが、お念仏を声に出して称える方は少数です。これは、寂しいことですが、仏様のみ教えが届いていないか、聞いていても、それを受け入れていない姿と言わざるをえません。
ところが、親鸞聖人は、それが普通の一般的な姿だと言われます。人というのは、そもそも、仏様のみ教えを素直に聞き、お念仏を申すということが、できないものだと言われるのです。私がもし、お念仏を声に出して称える身であるなら、それは、他ならない仏様の働きによるものだと言われます。その働きの根本は、阿弥陀如来の清らかな願いです。私を救いたいという深い慈しみからくる一途な願いが、清らかな働きとなって、私を育ててくださるのです。
また、親鸞聖人は、お念仏そのものが、仏様だとも言われます。本当の願いは、願うだけに留まりません。私を愛し慈しむ願いは、慈愛に満ちる言葉となって、私を包んでいきます。仏様の願いが、言葉となって現れたのが、お念仏なのです。お念仏を声に出して称えるというのは、仏様の愛と慈しみに温かく包まれていくことを意味します。お念仏を称えなさいと教えられているのは、清らかな仏様に出遇い、抱かれ導かれる人生を歩みなさいということです。仏様とは、私が勝手に想像していくような空想ではありません。目の当たり出遇せていただかないと意味がないのです。死んでから遇うのではありません。仏様には、今、遇わせていただくのです。
お念仏の声が響く仏事は、そこにいる誰もが、清らかな仏様の願いに抱かれていきます。それは、お浄土へ先立たれた故人が、私達に、仏様の願いを聞かせてくださっていることに他なりません。故人のご恩を大切に味わい、お念仏の声が響く、温かい仏事を大切にさせていただきましょう。