【住職の日記】
先日、御門徒のご法事の折、次のようなお話を聞かせていただきました。
「昨年亡くなった私の母は、本当によくお寺様にお参りさせていただきました。御法座の日は、始まる一時間前にお寺から鐘の音が聞こえてきます。鐘の音が聞こえると、母は、いそいそとお寺参りの準備を始めていました。それは、母の母、私の祖母が、母に子どもの頃から教えていたことだったそうです。『お寺から聞こえる鐘の音は、お寺に参りなさいとの如来様からのお誘いですから、準備しなさい』と、祖母からいつも教えられていたことを、母から聞かされていました。母は、年老いても、祖母から教えられていたことを大切にしていたのです。」
お寺には、鐘と呼ばれるものが、二つあります。集会鐘(しゅうえしょう)と喚鐘(かんしょう)です。集会鐘というのが、除夜の鐘でもお馴染みの、大きな釣り鐘のことです。通称、梵鐘ともいいます。喚鐘というのは、本堂の外廊下に吊るされている小さな釣り鐘のことです。これらの鐘は、多くの人々に、これからお寺でお経が響き、仏様のみ教えが説かれることを知らせるためにあるのです。まず、法要の始まる一時間前に大きな集会鐘が、ゆっくりと十回打ち鳴らされます。大きな集会鐘は、余韻を残しながら大きく長く響きます。風向きにもよりますが、正法寺の集会鐘は、半径約二キロメートル四方にわたり、響いているのではないでしょうか。これは、一時間後にお寺で法要が勤まり、温かい仏様のお心が、これから一人一人のために説かれることを知らせているのです。そして、法要の始まる直前に、本堂の脇に吊るされている小さな喚鐘が、打ち上げ打ち下ろしを含む独特の間で、激しく打ち鳴らされます。この鐘の音は、遠くまでは響きませんが、山門付近や台所など、お寺の中にいて、本堂にまだ座っていない人々に対して、いよいよこれから法要が始まることと、急いで本堂に座るよう、知らせる意味もあるのです。
最近、よく耳にするようになった話の中に、都会では、お寺の鐘が撞けなくなっているというものがあります。お寺の周りに住む人々が、お寺の鐘の音を騒音として聞いている現実があるからです。近年、人の心を安らげる音の中に、「f分の1の揺らぎ」という独特の揺らぎが含まれていることが明らかにされています。小川のせせらぎや小鳥のさえずりと共に、お寺の鐘の音の響きの中にも、それが含まれていることが証明されているそうです。本来、お寺の鐘の音は、人々の心に安らぎをもたらすものであり、心にストレスを与える騒音とは異なる響きなのです。にもかかわらず、それを騒音と受け止めてしまうのは、その人が、非常に貧しい心根をもっている現実を表しています。
音の響きというのは、聞く人の心によって様々に意味が異なってくるものです。お念仏を生涯、大変喜ばれた妙好人の浅原才市さんが残された詩の中に、お寺の鐘に関するこんな詩があります。
「わたしゃしやわせ よい耳もろた
ごんとなったる鐘の音
親のきたれのごさいそく
浄土へやろをの 親のさいそく」
如来様のみ言葉を、ありがたく、たのしく聞かせていただける心の耳を開いてもらった私は、本当に幸せ者だというのです。そして、ゴーンと響き渡るお寺の鐘の音を、「御法座が勤まるぞ、お寺に参って来いよ、お前をお浄土へ連れて帰る真実の親がいることに気づいてくれよ」と、私に呼びかけ勧めてくださる如来様のみ言葉として聞き喜んでおられるのです。
同じ鐘の音の中に、騒音を聞く人もいれば、如来様のみ言葉を聞く人もいます。これは、音を受け止める心に大きな違いがあるからでしょう。浅原才市さんが、「よい耳もろた」と喜んでおられるように、鐘の音の中に如来様のみ言葉を聞いていくような豊かな心は、自分が努力して作り出していけるものではありません。やはり、如来様から頂いていくものだと思います。仏様が教えてくださる大切な事柄を、いつも、人ごとではなく私のこととして真剣に求め聞いていく中に、いつの間にか、心の耳が育てられていくものなのでしょう。
考えてみると、本来、騒音でないものを騒音として聞いてしまう耳があるというのは、痛ましいことです。都会において、痛ましい人々が増えている中にあって、ほんの一昔前、正法寺の鐘の音の中に、如来様の御心を聞いていた人々が確かにおられたことは、大変ありがたいことです。お寺から聞こえる鐘の音も、一日の中で大切にさせていただきましょう。
(令和元年10月1日)
【住職の日記】
先日、仏教壮年会の懇親会の席で、次のような思い出話を聞かせていただきました。
「昔、私がまだ二十歳代の頃、正法寺の仏教青年会に入って、色んなご縁をいただきました。忘れられないのが、何か大きな法要がご本山であったときに、山口教区の仏教青年会で親鸞キャンペーンという活動に参加したことです。前住職や友達とスピーカーのついた車に乗って、山口県内をずっと回りました。親鸞様のことを多くの人に知ってもらおうという活動だったんですが、私達の車がゆっくりと走っていると、沿道に多くのおじいちゃんやおばあちゃんが出てこられて、私達の車に向かって合掌し礼拝をして、見送ってくださるのです。あんなに多くの人達が、自分たちに向かって合掌して礼拝くださる姿は、今でも忘れられません。」
ご本山本願寺では、令和五年に親鸞聖人ご誕生八五〇年と立教開宗八〇〇年のお慶びの大法要が計画されています。立教開宗というのは、浄土真宗というみ教えが開かれたことをいいます。おそらく、仏教壮年会の会員の方がお話しくださったご本山での大きな法要というのは、約四十五年前の親鸞聖人ご誕生八〇〇年と立教開宗七五〇年の法要のことかと思います。お話を聞かせていただいて、約四十五年前の御門徒の方々の尊いお姿に、頭が下がる思いがしたことでした。
合掌し礼拝するというのは、本来、敬いの心が姿勢として表われたものです。しかし、この敬う心というのが、今の時代、非常に分りにくくなったように思います。少し乱暴な言い方かもしれませんが、敬うとか尊ぶというのは、その対象に心を奪われ支配されると言い換えてもいいでしょう。仏様を敬う人というのは、仏様に心を奪われ、仏様に人生を支配されているような人です。それは、仏様の一つ一つの言葉に感動し、仏様が教える価値観に支配され、仏様がみそなわす世界を真実と仰いでいくような生き方が恵まれていくことです。
この敬う心を持つ生き方というのは、大変難しいことだと思います。人というのは、自分がこれまで経験してきた中で培われてきた価値観に支配され、自分が思う世界を正しいものとして生きるのが普通だからです。敬う心というのも、その普通の生き方の中で理解されていることが多いのです。例えば、京都などの観光寺院に参りますと、家内安全や商売繁盛などのお札が売られていることがあります。形として、仏様に向かい合掌し礼拝していても、家庭の平和やお金儲けを目的として礼拝しているなら、それは、仏様を敬っているのではありません。自分の家族さえ幸せであればよいことに価値を認め、自分にお金がより多く入ってくることに価値を認め、その実現のために仏様を利用しようとしているだけのことです。仏様ではなく、自分の都合を大切にしているだけです。形は敬うような姿をとっていても、自分の価値観の中で生きているだけならば、それは、仏様に見向きもしない人と何も違いはありません。合掌し礼拝する姿が尊いのは、その人が、自分の都合を捨てて、仏様の教えの言葉を敬い、仏様の心をその身に響かせているからです。
親鸞聖人のことを多くの人に知ってもらおうと、一生懸命、活動しようとしている若者に対して、合掌し礼拝しながら、その行動を尊び讃えるという姿に、浄土真宗門徒の仏教徒としての次元の深さを感じます。人は、普通、自分の都合に利益をもたらさないような人を褒めることはしません。自分の都合を満たす者を褒め、邪魔する者を貶すのが、自分の価値観に支配されている人の姿です。そこには、自分というものの殻に閉じ込められた貧しい世界しかありません。本当に素晴らしいものは、自分の価値観を超えたところにあるのではないでしょうか。自分の殻に収まりきれないようなものに触れていくとき、人は、本当に心を揺さぶられ、本当の喜びを経験していくのだと思います。
仏様を敬う生き方が恵まれている人には、本当の喜びに満ちた清らかな香りが漂うものです。その香りは、周りに仏縁を広げていきます。蓮如上人が、「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ。」とお示しされている通りです。お寺が繁盛するというのは、人とお金が集まることではありません。人の価値観を超えた仏様の言葉に生かされている本物の仏教徒が一人でも生まれることなのです。仏様を敬う日々を大切にさせていただきましょう
(令和元年9月1日)
【住職の日記】
先日、第五十九回目となる山口南組子ども一泊研修会が、山口市陶の円覚寺様で開催されました。山口南組は、防府市台道から山口市秋穂、鋳銭司、陶、小郡、嘉川までの旧吉敷郡の地域にある浄土真宗本願寺派の十四ヶ寺のお寺で構成される組織です。十四ヶ寺のお寺が一つにまとまり、組織的に浄土真宗のみ教えを広める活動をしています。その活動の一つが、五十九年も続いている子ども一泊研修会です。小学三年生から小学六年生までを対象に、毎年、会場を十四ヶ寺で持ち回り、一泊二日の日程で、勉強もあり、お楽しみもありの充実した研修会を計画しています。山口南組のどの地域も、子どもが減少していますが、それでも二十名の子ども達が集まってくれました。ちなみに、二十名中九名が、正法寺日曜学校から参加してくれた子ども達でした。若手僧侶が中心となり、ご法話を考え、ゲームを考え、子ども達に少しでも、お寺のことや仏様のことが心に残っていくよう、僧侶みんなで頭を悩ませています。
そんな中で、今回、ある若手僧侶の方が、子ども達にお話しされたことが、とても印象的だったので、ご紹介したいと思います。そこのお寺でも、正法寺と同じように、月一回、日曜学校を開催しているそうです。その日曜学校に幼稚園の頃から、毎月欠かさずに日曜学校に通ってくれている五年生の男の子がいるそうです。その男の子が、ある時、ニコニコしながら、こんなことを言いに来たというのです。
「先生、僕、病気かもしれん。学校の授業中も遊んでるときも、気づいたら、『きみょーむりょうーじゅにょーらいー』って口から出てくるんよ。」
それに対して、若手僧侶は、こう答えたそうです。
「それは、いい病気だから大丈夫。」
今回、その男の子自身も研修会に参加してくれていましたが、先生の話に顔を真っ赤にしながら、みんなと一緒に大笑いしている姿が、何とも微笑ましく、ありがたいご縁をいただいたことでした。
男の子が言った「きみょーむりょうーじゅにょーらいー」という言葉は、親鸞聖人が作られた『正信念仏偈』の一句目の言葉です。漢字で書くと「帰命無量寿如来」です。この『正信念仏偈』、略して『正信偈』は、浄土真宗の御門徒にとって、最も大切なお勤めです。六〇行一二〇句のわずかな偈文の中に、親鸞聖人の深遠な思想の全てが込められています。本願寺を代表する仏教学者の先生が、かつて、『正信偈』の一句をきちんと講義しようと思えば、七言一句の説明に三日以上の日数が必要だと言われていました。それほど、一句一句にものすごく深い意味が込められているものなのです。しかし、この『正信偈』は、本来、『教行信証』という親鸞聖人の難解な主著の中に記されているもので、学識のある一部の僧侶が目にするだけのものでした。それが、今から五〇〇年前、本願寺第八代御門主の蓮如上人が、この『正信偈』に節とメロディーをつけ、僧侶も御門徒も一緒に朝夕、お勤めできるようにされたのです。蓮如上人の御教化によって、浄土真宗のみ教えを喜ぶ人々が溢れていくようになりますが、その起爆剤の一つになったのが、『正信偈』のお勤めだと言われています。
考えてみますと、歌もそうですが、何十人、何百人の人が一緒に同じ言葉、同じメロディーを声を合わせて響かせることができるのは、数ある動物の中でも人間だけです。それは、人間だけが、同じ思い、同じ心を共有し、それを確認しあえるということではないでしょうか。
妙好人として有名な源左さんに、こんなエピソードがあります。朝、畑仕事に向かう道中、同じ村に嫁いできた他家のお嫁さんが、お仏壇の前で『正信偈』のお勤めを一人でしている声が聞こえてきたそうです。その声を聞いた源左さんは、思わず家の中に入り、一言「ここにも兄弟がおらんしたかいなぁ」と言われたそうです。阿弥陀如来という同じ親をいただき、同じお浄土に向かって歩んでくれる本当の仲間がここにもいたのか、そんな源左さんの喜びが伝わってくるエピソードです。
本来、仏縁をいただくというのは、楽しいことだと思います。たくさんの本当に心のつながった仲間に出遇えるからです。子どもも大人も、どんな立場の人も、どんな悩みを抱えている人も、同じお念仏を申し、同じ如来様に抱かれる本当の兄弟であることが確認できる世界が、『正信偈』のお勤めにはあるのでしょう。一人でも、そんな心から大切に思い合える、本当の兄弟が増えていくことを、お互いに願っていきたいですね。
(令和元年8月1日)
【住職の日記】
先日、保育園関係のある研修会で、三年前の2016年に相模原市で起きた、障害者施設殺傷事件についてのお話を聞かせていただきました。
この事件は、まだ記憶にも新しいと思いますが、2016年7月26日に知的障害者施設である津久井やまゆり園に元施設職員の男が侵入し、所持していた刃物で入所者十九人を刺殺し、職員・入所者合わせ二十六人に重軽傷を負わせた大量殺人事件です。戦後の日本の殺人事件としては、最も被害者が多い、戦後最悪の殺人事件として日本中に衝撃を与えました。
この事件を起こした犯人は、植松聖という二十六歳の男です。事件から三年が経過した今、初公判が令和二年と決定しているだけで、まだ、事件の真相は何も明らかになっていません。この犯人と面会をし、実際に言葉を交わしたという方が、この度の研修会のご講師でした。東八幡キリスト教会の牧師さんである奥田知志先生です。奥田先生は、事件以来、植松被告と文通を続けてきた新聞記者の方から依頼をされ、その新聞記者の方と一緒に面会に立ち会ったということでした。
犯人の第一印象は、とても礼儀正しく、言葉遣いや所作などから、とても良い育ちをしているというものだったそうです。しかし、言葉を交わす中で、植松被告の命に対する非常に偏った主義主張が、重く響いてきたといいます。
植松被告の残虐な犯行は、いわゆる無差別殺人ではありませんでした。人を選んで殺害したのです。施設に押し入ったとき、会う人会う人に対して、名前と住所と年齢を尋ねていったそうです。そして、それに答えられなかった障害者の方々を、次々と刺殺していったといいます。植松被告は、その理由を「役に立たない人間だから」と平然と答え、自分の行いは、社会の役に立つ良い行いだと信じて疑わない様子だったといいます。奥田先生は、植松被告に尋ねます。「あなたは、事件を起こす前、役に立つ人間だったのですか?」この質問に、しばらく無言になった植松被告は、呟くように答えたそうです。「私は、役に立つ人間ではありませんでした。」この犯人の答えに、奥田先生は、胸が締め付けられるような思いを持ったといいます。奥田先生は、この犯人との対話を通し、キリスト教の立場から、命が大事という大前提が、失われていく時代の不気味さを語っておられました。それは、人は、生きているという一点において、平等に尊いという価値観が世界から失われていく不気味さです。
奥田先生は、キリスト教の立場から語られましたが、その内容は、仏教で説く真理と全く共通するものだと思います。仏教で説く煩悩の根源は、自分の都合を中心にして、あらゆるものを分け隔てて捉えていく無明というものです。無明というのは、明るさが無いという言葉通り、物の本当の本質が隠されて見ることが出来ない状態をいいます。
私たちは、命が尊いということを、本当に実感として味わえているでしょうか。実際に、私たちも、あらゆる命の中に、役に立つものと役に立たないものを平然と認めているのではないでしょうか。昔から日本人のお腹を満たしてきたウナギが、近年、激減しています。今、日本中でウナギの命を大切に保護する活動が活発に起こっています。しかし、一方で、農作物にとって害を及ぼすアブラムシが減ってきていることを聞いても、保護する活動など起こりません。むしろ、減ったことを喜んでいるのではないでしょうか。もし、ウナギが、人の食料にならない命なら、これだけ数が減っていることがニュースになるでしょうか。人同士でも、同じことがいえます。社会に貢献している人間が大切にされ、そうでない人間は、生きている意味が見いだせない状況があるのではないでしょうか。
役に立たない命も、同じように大切な意味を持っていることは、本当の宗教を持たない限り、味わうことの出来ない世界なのでしょう。阿弥陀如来の願いは、十方衆生にかけられた願いです。十方衆生とは、あらゆる全ての命です。ウナギもアブラムシも役に立たない人間も役に立つ人間も、老いも若きも男性も女性も、全てのあらゆる命は、如来様に慈しまれ愛されていない命はありません。どんな命も、生きていることが、そのまま愛されていることなのです。
無明の闇に飲み込まれ、命の本質を見失い、残虐な行いを正義の名の下に簡単になしてしまう、そんな不気味さを誰もが抱えていることを忘れてはなりません。そんな私だからこそ、如来様は、見捨てておけないとお念仏に成ってくださったのです。お念仏を申す中に、如来様のお心を、大切に頂いていきましょう。
(令和元年7月1日)
【住職の日記】
先日、ある御門徒のご法事でのことです。お斉を囲む席で、住職の隣に座られた方が、山口県内の浄土真宗本願寺派のあるお寺の世話人を務めておられる方でした。世話人を務める中で、普段、色々と疑問に思うことや、所属寺を護持することの難しさなど、実に様々な悩みや疑問を正直にお話くださいました。その中で、次のような会話がありました。
男性 |
御門徒方のお寺に対する意識も、これまでとは、ずいぶん変わってきています。お寺の御住職も、経営セミナーのような研修会があればいいと思いますが、いかがですか?」 |
住職 |
「そうですね、、、お寺というのは、組織や建物だけが立派になっても意味がないと思うんです。そこで仏様のみ教えが響き、その響きを聞いて喜ぶ人々が集う場所にならないとお寺とは言えません。お寺を護持する目的は、そこで仏様の教えを聞き、その教えを守るためなんですよ。」 |
男性 |
「なるほどねぇ。建物や組織は、後からついてくるものということでしょうか。」 |
住職 |
「私が住職を務めている正法寺も、昭和三十一年に本堂をはじめ、山門以外のすべてが火災で焼失しました。しかし、その後、わずか四年で本堂が再建されたんです。戦後十年しか経っていない時代です。火災保険もありませんし、御門徒方も貧しかったと思います。それでも、本堂が再び建てられたのは、仏様の教えを喜び求める人達がたくさんおられたからだと思います。」 |
その時、この会話を横で聞いておられた若い女性の方が、次のようなことをおっしゃいました。 |
女性 |
「昔のおじいちゃんやおばあちゃんにとっては、お寺が唯一の拠り所だったんじゃないですか?私の拠り所は、スマホですけど、、、」 |
若い世代の一般的な感覚を突きつけられた気がいたしました。それは、現代においては、お寺よりも、もっとはっきりとした拠り所になり得る新しいものが溢れているという感覚でしょうか。若い世代の方から、「拠り所」という言葉を聞かせていただいて、改めて仏教を聞くことの意義について、色々と考えさせられたことでした。
お悟りを開かれたお釈迦様によって、万人に向け、仏の真理が公開されてから、約二五〇〇年が経ちます。二五〇〇年という年月は、ものすごいものだと思います。一人の男性が、インドという国でお話された内容が、二五〇〇年間という果てしない年月の中で、一度も忘れられることなく、世界中に伝え残され続けてきたということです。はたして、現代において、世界中の多くの人々の必需品となっているスマートホンは、二五〇〇年後も、同じように残されているでしょうか?おそらく、さらに技術が進歩し、二五〇〇年後どころか、五〇年後には、別のものに取って代わられているような気がいたします。
仏教の伝道の歴史は、文字通り命がけのものでした。三蔵法師と尊称される中国の偉大な翻訳家達が、インドに渡り経典を中国まで持ち帰ることができたのは、ほんの一握りの人々だったと言われています。ほとんどの人が、タクラマカン砂漠で息絶えていったのです。日本の高僧方もそうです。木造の粗末な船に乗って、中国から日本へ経典を持ち帰るのも命がけです。ほとんどの船が途中で沈没し、帰ってこなかったそうですし、帰ってきた船でも、沈みそうになったとき、船を少しでも軽くするために、経典ではなく、人が海に飛び込み命を投げ出していったのです。その他にも、命がけで教えを聞き、守ってきたエピソードは、仏教の中に無数に伝えられています。
本当に命の拠り所になり得るものは、私の命をかけることのできるものだと思います。また、本当の拠り所は、無常の世の中にあっても、決して変わらないものでなければなりません。私と一緒に変質していくものは、所詮、気休め程度にしかならない偽物でしょう。スマホを守るために、誰が命をかけることができるでしょうか?壊れても無くしても、その人は、適当に生きて死んでいくのではないでしょうか。
「拠り所」とは、私の都合を満たすものではありません。私の都合を満たすものは、同時に、私を裏切るものでもあるのです。個人の都合を超え、生き死んでいく私の迷いを断ち切り、合掌せずにはおれない命の輝きに目覚めさせてくれるものが、本当の拠り所といえるものでしょう。本当の拠り所になり得るみ教えが、今ここにいる私に、不思議にも届けられてある尊さを大切にさせていただきましょう。
(令和元年6月1日)
【住職の日記】
今月から令和元年となり、新しい時代が幕を開けました。新しい時代を迎えることに明るい喜びを感じる反面、平成の時代が終わる寂しさも感じます。
これから、どんな時代になっていくのでしょうか。仏教の言葉の中に「心外無別法」というものがあります。「心の外に別の法はない」という意味です。法というのは、真理、本当の姿という意味でしょうか。心の働きが、あらゆる世界を作り出していく現実を教えている言葉です。
学生時代、大学の先生が、「人間は、頭が良いことよりも、心が豊かな方が人間としての価値があるのです」と何気なくおっしゃった光景が、今も記憶の中にはっきりと刻まれています。二十代前半の頃、受験勉強を終え、頭が良いことが、人として価値のあることと思い込んでいました。それだけに、その時の先生の言葉が、とても新鮮に感じられたのです。仏教というものを、時間をかけて学ばせてもらう中で、今では、そのことを、はっきりと頷ける自分に育てていただいたような気がしています。
仏様が、「心外無別法」と教えてくださっているように、一人ひとりの心の在り方、感受性が、一人ひとりの生きて死んでいく人生の風景を作り出していくように思います。それは、たとえ、元号が新しく変わっても、心が変わらない限り、本当の意味で、新しい世界は訪れないということを意味しているのです。
この心というものについて、親鸞聖人は、大変奥深い考察をされています。『歎異抄(たんにしょう)』という書物の中に、親鸞聖人と弟子の唯円房との次のようなやりとりが記録されています。現代語に意訳してご紹介します。
親鸞聖人
「唯円房は、私の言うことを信じるか?」
唯円房
「はい、信じております。」
親鸞聖人
「それでは、私の言うことなら、何でも背くことなく、言うとおりに行えるか?」
唯円房
「はい、何でもおっしゃるとおりにいたします。」
親鸞聖人
「まず、人を千人殺してくれないか。そうすれば、お前の往生は、確かなものになるだろう。」
唯円房
「聖人の仰せではありますが、私のような者には、千人どころか、一人の人間も殺すことなどできません。」
親鸞聖人
「それでは、どうして、この親鸞の言うことに背かないなどと言ったのか?」
唯円房
「・・・・・」
親鸞聖人
「これでわかるであろう。どんなことでも自分の思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せと私が言った時には、すぐに殺すことができるはずだ。けれども、思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心が善いから殺さないわけではない。また、殺すつもりがなくても、百人あるいは千人の人を殺すこともあるであろう。」
人は、生老病死の中で、自分の体を自分の思い通りにできないように、心も自分の思い通りにはできません。どれだけ、心を自分の力で磨いたとしても、鍛えた体も必ず老い病んでいくように、心もまた無常なのです。しかも、心は、ただ老いていくだけではありません。どんな姿に変わっていくか分からないのです。自分で制御しきれないところに、心の正体があることを知っておく必要があるでしょう。
親鸞聖人は、私達の心の正体を考察する中で、仏教においては、信心を頂くことが何よりも大切であることをお示しです。信心というのは、親鸞聖人においては、私の心ではありません。仏様の心のことです。信心を頂くというのは、仏様の心を頂くということです。私自身では制御仕切れず、苦しみや虚しさの溢れる世界を作り出していく私の心を、仏様が制御してくださるのです。仏様の心を頂いていくためには、人の心が紡ぎ出した言葉ではなく、仏様の心が紡ぎ出した言葉を聞いていかなければなりません。清らかな言葉が、私の心に清らかな変化をもたらしていくのです。
令和に至るまで、二四七の元号の時代が過ぎてきました。その間、人の心が、お浄土を作り出したことはありません。人の心の中に染み入る仏様の心を頂くとき、初めて人は、迷い惑う自分から解放されていくのでしょう。大切に仏様のお心を頂いていきましょう。
(令和元年5月1日)
【住職の日記】
先日、お寺の御法座が終わり、御門徒の方々と雑談をさせていただく中で、自然と宗教についてのお話になりました。おおよそ、次のような会話でした。
A「自分は、家が浄土真宗でしたから、自分も浄土真宗の門徒になるのが当たり前に思っていましたが、世の中には、色んな宗教に入る人がいるものですね。自分の親戚の中にも、別の宗教に入っている人がいるんですが、その人の話を聞いていても、なんか変だなと思ってしまうんですよね。」
住職「基本的には、自分にとって救いとなる教えを選べばいいと思います。でも、宗教と呼ばれているものの中には、危険なものもありますから、冷静な目を持つことも大切ですね。子どもの頃からの環境は、とても大事だと思います。宗教について、これはどこか変だなと感じる感覚が身についているかどうかですね。」
B「なるほど、それは、自分もよく分かるような気がします。自分のお婆ちゃんは、お寺が大好きな人で、よくお仏壇に手を合わせてお念仏することを教えられましたが、特別な感じではなく、いつも自然な感じの人でした。よく病気が治るとか、幸せになれるとか、そういった宗教の勧誘があると、『そんなものは、治りゃせん』とケロッとしていました。今も色んな宗教の話を聞きますが、なんかおかしいなという感覚が、自分にも身についているなと思います。」
宗教という言葉は、明治時代から使われ始めた比較的新しい日本語ですが、直訳すると「宗(むね)となる教え」という意味です。宗というのは、それによって生き、それによって死んでいけるような、自分にとって拠り所となるものという意味です。それは価値観の基準になるものです。
例えば、仏教では、「三宝」という言葉があります。三つの宝物です。三つとは、仏・法・僧のことです。あらゆる命の悲しみを我が悲しみとし、あらゆる命の幸せのために自らを犠牲にしていくような清らかな生き方をされる仏と、その仏が真心をもって生きとし生けるものに語りかけるみ教えである法、そして、その清らかな仏が語りかけるみ教えを聞いて喜び、共に大切に味わっていこうとする人達の集いである僧、この三つを宝物とするような価値観を教えるのが仏教です。そして、この価値観の中に生き死んでいく人を仏教徒というのです。仏・法・僧を宝物とするような価値観を持つ人は、自分の利益だけを貪っていくような生き方に嫌悪感を抱いていきます。逆に、人のために一生懸命になったり、他の命を愛でるような姿に共感していくようになります。争うことを嫌い、和やかな集いを好むようにもなっていきます。どんなものの中に価値を認めていくのかで、その人の前に開けてくる世界は、変わってきます。
危険な宗教というのは、危険なものの中に価値を認めていくような教えを説くものです。それは、他の命を傷つけ自らも傷つき、破滅に向かわせるような教えです。例えば、自分の欲望が満たされる状況を宝物とする価値観を教える宗教があるとします。その教えを宗とする人は、自分の欲望を満たしてくれるもの、お金や社会的な地位や名誉、健康な体などが宝物になっていきます。自分の欲望が満たされるためには、当然、邪魔になるものが出てきます。お金儲けを邪魔するもの、地位や名誉を脅かすもの、健康な体をむしばむもの、あらゆるものが敵になり、争いを好むようになるでしょう。自分の欲望が満たされることが最も大切な価値観の中では、感謝の心は芽生えてきません。食事をしても、いただく命を命とは見ません。自分に美味しい思いをさせてくれるかどうかです。美味しいものは価値のあるものであり、美味しくないものは、役に立たないものです。命が単なる自分の欲望を満たすための道具になります。道具は、壊れても代わりがききます。一つひとつ代わりのきかない命の掛け替えのなさを感受する心が喪失していきます。命を感受できなくなると、当然、自分自身の命も感受できなくなります。年老い病気がちになると、役に立たない道具として生きる意味を喪失していきます。虚しさと愚痴しか残りません。救いを説くような顔をして、破滅に向かわせるもの、これもまた宗教なのです。
人の姿の上に、宗教の姿は現れていきます。理屈は分からなくても、救いに向かわせるような教えとご縁をいただけているということは、本当にありがたいことなのです。恵まれたご縁を大切に、自らも仏法に耳を傾けていきましょう。
先日、ご縁が調い、ご本山本願寺に布教に関わる研修を、五日間にわたって受講させていただきました。スケジュールを五日間空けることが難しく、前々から受講したい思いはありましたが、なかなか実行に移すことが出来ないでいました。しかし、この度、たまたま様々なご縁が調い、有難くも受講をさせていただくことができました。住職、ご院家さん、先生と呼ばれる日常から離れ、久しぶりに一生徒として学ぶ場に身を置かせていただいた事は、大きな気づきを色々といただいたことでした。
全国から集まった受講生とともに、五日間学ばせていただく中で、他の受講生とも色んなお話をさせていただく機会がありました。年齢は、三十歳代から八十歳代まで様々な年代の方々がいらっしゃいました。それぞれに、色んな想いを持って学びに来られていましたが、その様々な尊い想いに出遇わせていただいたことが、とても有難く感じたことでした。
あるご住職は、お寺を護持していくことが御門徒だけでは難しく、平日は、会社に勤める日常を送られているということでした。課長職として日々世俗の価値観に追われる中で、僧侶としてみ教えときちんと向き合う時間をいただきたいとの思いで、休みをとって来られていました。また、ある方は、浄土真宗のお寺でもご門徒の家の出身でもないにも関わらず、肉親との死別をご縁に浄土真宗のみ教えに出遇われ、お得度をされ僧侶となり、さらにこのみ教えを多くの人々に伝えたいとの強い思いをもって、受講に臨まれている方もおられました。想いはみんなそれぞれでしたが、共通していたのは、それぞれの人生の悩みや苦しみを抱える中で、仏教のみ教えと素直に向き合っていこうとされるとても謙虚で純粋なものでした。この謙虚な想いを持つことが、とても大切なことだと思います。
実は、仏教の教えというのは、聞けば聞くほど分からないことがたくさん出てくるものなのです。なぜなら、仏様の世界は、私達には完全に理解することは不可能だからです。しかし、このように私には分からないものだからこそ有難いのです。私に簡単に分かってしまうものなら、それは、私程度でも理解が出来るつまらないものでしょう。私程度では理解の出来ない尊いものだからこそ、一生涯かけて学ばせていただく価値があるのです。
また仏教は、知識よりも智慧を尊ぶ教えです。知識は、仏教を知的興味の対象として学ぶ中に身についていくものです。それは、たくさんのことを覚え知っているというだけのことです。どれだけ知識を蓄えていても、それは、自らの血となり肉となることはありません。冷蔵庫にたくさんの食材を溜め込んでも、それを調理して頂かなければ、何の役にも立たず、ただ腐っていくのと同じことです。智慧は、私の人生の上に仏教の教えを頂く中において、身についていくものです。それぞれの人生において、謙虚にみ教えと向き合っていく時、喜びの中に響いてくる言葉、悲しみの中に響いてくる言葉があります。その積み重ねの中に、自然と仏様のものの見方、味わい方が身についてくるのです。その身についたものを智慧というのです。
仏教を聞く上において、分からないことがあるのは問題ではありません。それは、今の自分には、響かない事柄なのでしょう。仏様というのは、大勢を前にして、講義のように、同じことを教えているのではありません。その人その人に仏様は寄り添い、その人に応じた言葉を響かせてくださるのです。本当に喜びや悲しみの中に、素直に教えと向き合う時に、仏様のお心は必ず響いてくださいます。それを素直に喜んでいく、お念仏を申す日暮しというのは、その連続なのです。
しかし、私達は、自分勝手な思いを深め、傲慢になっていく性質を根本的に持っています。教えを聞かせていただく身でありながら、教える立場になったり、仏様の言葉よりも自分の言葉を正しいと思いこんだりする中に、迷いを深めていきます。
親鸞聖人が、「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」と常々おっしゃっていたことを、唯円という方が『歎異抄』の中に記しておられます。親鸞聖人は、自分を師匠と仰ぐ人々の前においても、教えるという立場をとっておられなかったことが分かります。それは、仏様のお言葉を一緒に聞かせていただく尊い仲間という立場です。八十歳、九十歳になられても、聞かせていただくという立場から決して離れることはなかったのです。これが、教えと真面目に向き合っている方の本当のお姿でしょう。親鸞聖人が、生涯大切に聞かれた同じみ教えを、私達も、それぞれの人生の上において、大切に向き合い聞かせていただきましょう。
私達、浄土真宗の流れをくむ者にとって最も大切な御正忌報恩講が、今年も多くの方々の御報謝によって無事お勤めさせていただくことができました。まことにありがとうございました。
御正忌報恩講は、一言で言うと親鸞聖人のご法事です。親鸞聖人の二十五回忌の時、親鸞聖人の曾孫に当たる本願寺第三代目門主の覚如上人という方が、この法事を報恩講と名付けられました。それは、親鸞聖人の御恩に報いる集まりという意味です。
この度、三重県から布教使の内田正祥先生をお招きし、三日間にわたって本当に有り難いお取次ぎをいただきました。その中で、二日目の夜座、大逮夜のご縁に、六道の中での人についてお話しをくださいました。六道というのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という仏教の世界観を説いたものです。迷いの存在は、この六世界を経めぐっていくというものです。善意を受け取る心を喪失し、あらゆるものが鬼となり、自らが苦しみの極まりに落ちていく地獄、足るを知らず貪り続ける餓鬼、恥ずかしさを忘れ欲望をむき出しにしていく畜生、他人を蹴落としていくことだけを求めて生きる修羅、有頂天になり物事の本質を見失う天、これらの世界は、誰もが落ちる可能性を秘めています。その中で、人という世界は、これら五つの世界に生きる在り方を省みて、自らの生き方を申し訳ないものとして自覚できる世界だといいます。そして、人の世界に住む者だけが、お寺にお参りし仏法に耳を傾けていくというのです。仏様の言葉に耳を傾けていくというのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・天の世界に住む者には決してできないことです。人の世界に住んでこそ、仏様の言葉は身に響くのです。
この度、そのことを目の前ではっきりと教えられたことがありました。それは、六道のお話を聞かせていただいた報恩講二日目の夜座が終わった後のことでした。参詣者も帰られ、後片付けが終わり、明日に備えて休もうとしていた午後十一時過ぎのことでした。お寺で飼っている猫が、鳴きながら帰ってきました。いつも、十一時前後に一度帰ってくるのですが、いつもと鳴き方が違いました。いつもは、二声ほどしか鳴かないのですが、その日は、何度も興奮したように鳴き続けます。何かあったのかと思い、慌てて部屋から廊下に出てみると、ものすごく大きなネズミが猫の足元に横たわっていたのです。猫は、飼い主に獲物を見てほしかったのでしょう。何度も嬉しそうに住職の足元にすり寄ってきました。その後、ネズミを口で咥えて、廊下の隅まで運び、そこでネズミの体を一心不乱に食いちぎって食べていました。猫の姿としては、自然なことです。しかし、報恩講の中日に、その姿を目の当たりにしたことで、色々と考えさせられたことでした。
私達人も、生き物を殺し、その肉を口にしていきます。他人が殺した生き物を口にすることも同じことです。生き物の肉を口にし、美味しいと微笑んでいく姿は、ネズミを食いちぎる猫の姿と何ら変わりはありません。しかし、違う点は、人の世界に住む者は、その姿を申し訳ないと慎んでいくことができるところだと思います。報恩講の三日間は、お寺では肉や魚は口にしません。それは、報恩講の三日間は、親鸞聖人の御遺徳を偲ぶ中で、普段の自らの生き方を省みて、慎んでいくからです。
数十年前までは、正法寺の報恩講は、朝・昼・晩と一日三食のお斎が用意されていたと聞かせていただきました。報恩講期間中は、子どもも大人も早朝からお寺に参詣をし、お精進のお斎を頂いて、学校や仕事場に向かっていたそうです。また、それぞれの御門徒のお家でのお食事も、三日間、お精進のお料理をいただかれていたとも聞かせていただきました。日常生活に追われる中にあっても、きちんと自らのあり方を省みて、慎み、教えに耳を傾けていく、そのような人間らしい生き方を大切にしておられたのでしょう。
報恩講期間中、お寺に住み、鐘の音を耳にしながらも、自らの姿を省みることなく、いつものように殺生をし喜んでいる猫の姿は、胸に痛みを覚えるものでした。なぜなら、私自身も、そんな畜生の世界に住む可能性を秘めていると改めて教えられたからです。仏法を聞くご縁をいただくことは、本当に難しいことだと思います。しかし、如来様は、決してあきらめず喚び続けてくださいます。自らを省みることのないものの姿を悲しんでおられます。
人としての心をいただきながら、獣のような一生を送ることは、自らの命に対する裏切りです。無常迅速の命を生きる私達です。お寺にお参りし、仏法に耳を傾けていくことを、努めて大切にさせていただきましょう。
明けまして、おめでとうございます。今年も、御門徒の皆様と共にお念仏に薫る温かい日々を大切に過ごさせていただきたいと思います。
さて、本年四月で平成の時代も終わりを迎えます。一抹の寂しさを感じますが、時代の変わり目に出会わせていただくというのも、ありがたいことのように思います。現在のように一天皇一元号になったのは、明治からだそうです。慶応までは、一天皇の間に、事あるごとに元号は変えられてきました。元号が変えられる理由の多くは、地震や台風などの災害だったそうです。不幸なことが起こると、新しい時代に期待を込め、切り替えていくという意味があったようです。親鸞聖人が生きられた西暦一一七二年から西暦一二六二年までの九十年間の元号を調べると、実に三十もの元号があります。それだけ、災害や飢饉等も多く、人々の心が荒んでいった時代でもあるのでしょう。
そんな中、親鸞聖人の最後のご法語として伝えられているお手紙が現在まで大切に遺されています。この手紙の最後には、「文応元年十一月十三日 善信八十八歳 乗信御房」と記されています。親鸞聖人がご往生されるちょうど二年前に書かれたものです。善信というのは、親鸞聖人の房号です。昔の僧侶は、房号という親しい人達の間で呼び合う時のお名前をお持ちでした。親鸞聖人の正式なお名前は、善信房親鸞です。乗信房というお弟子に宛てられたお手紙であることがわかります。
この手紙の書き出しは、次のような言葉で始まります。
「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。」
文応元年の前年は深刻な冷害で、食べ物が日本中から無くなる大飢饉が起こりました。『百練抄』という当時の記録には、京都壬生の少女が、死体を食べたという現実が記されています。道路には、死体や人骨が無数に横たわっているとも記されています。まさに地獄のような光景です。朝廷が、元号を新しく変えたのも頷けます。その地獄のような光景を、「あはれに候へ」と親鸞聖人も記されています。しかし、その後に次のように続けられます。
「ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。」
去年から今年にかけて、大人も子どもも、無数の人々が飢え死にしていった有様は、悲しいことですが、驚くことではありません。と記されているのです。それは、生まれたものが死んでいくことは、すでに如来様がお説きくださっていることであり、なにも特別なことではないからです。八十八年間、三十回近く元号が変わってきたような時代を生きてこられ、飢饉や災害で、無残に死んでいく人々を、これまでいやというほど目の当たりにしてこられたに違いありません。
そんな中で、最晩年の親鸞聖人が、最後に何を語っておられるのか、大切に耳を傾けていかなければなりません。続いて、次のように記されています。
「まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候なり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。」
少し難しい言葉ですが、親鸞においては、どのような死に方をしようとも構わないとはっきり申されています。もがきながら飢え死にしていくこともあるかもしれない、地震に襲われ、突然悲劇の最後を迎えるかもしれない、しかし、どんな終わり方をしようとも、阿弥陀如来によって仏に成ることが約束されている身であるから、死すべき時が来れば、それもまた有り難いご縁だというのです。
まさしく、死の縁は無量です。私達は、死に様をあげつらい、「あの人の最後は可哀そうだった」「あの人は早すぎた」と勝手な人生の評価をしていきます。しかし、人の人生の価値は、死に様やその長さで計るものではないと、親鸞聖人はおっしゃるのです。無残に多くの人々の命が奪われていく様は、悲しいことですが、災害や飢饉に襲われなくても、人は必ず死んでいかなければならないのです。必ず死んでいくものが、今生きていることの不思議に思いをいたし、生きている今、何に出遇い、何を聞き、何をするべきか、それが大切だとおっしゃるのです。
時代や社会がどのように変わったとしても、仏に成っていくような尊い歩みを、死すべき時まで大切にさせていただきたいものです。