手作りのお斎を囲み、和やかに故人を偲ぶ

先日、ある御門徒さんの三十三回忌のご法事にお参りさせて頂いた時のことです。お仏間に上がらせていただくと、奥の部屋からご家族の方々の慌てふためく物音や話声が聞こえてきます。
「時間を間違えたかな?」
心の中でそう思いながら不安な気持ちをどうにか落ち着かせようとしていた時です。奥様が、「お待たせして、申し訳ございません」と慌てて出てこられました。しかし、その姿はエプロンをしておられます。そして、仏間の下のお部屋に並べてある容器に、慌てながらお料理を詰め始めたのです。その直後にご当主が出てこられ、一言、次のようにお話されました。

「今日は、手作りでお斎をご用意させていただこうと思いまして、昨日の夜から準備を始めて、今までかかってしまいました。バタバタして申し訳ございません。」

その後、お勤めとご法話をさせていただき、心のこもった手作りのお斎を頂戴しながら、今日のご法事について色々とお話を聞かせていただきました。
ご当主に聞かせていただいたお話を簡単にまとめますと、おおよそ次のようなことでした。

「実は、三十三年前に亡くなった故人は、若い頃、あることが原因で当時の当主から当家との縁を切られたようです。私達も、一度もお会いしたことはありません。最後は、神戸の方で亡くなったのですが、最後まで天涯孤独の身だったようで、どこにも身寄りがなく、神戸の市役所の方からお骨を引き取ってもらえないかということで連絡があり、その時、はじめて故人のことを知った次第です。それから、節目節目の年回忌のご法事は、前住職にお参りしていただき、私達夫婦だけで、お斎も用意せずに勤めて参りました。しかし、この度、三十三回忌を迎えるにあたり、自分達の年齢を考えると、これが最後のご法事になるかも知れないと思い、故人と血縁関係にある親族をお招きして、故人を偲ばせていただこうと思ったのです。」

手作りのお斎については、「仕出し屋の料理には飽きたので」ということでしたが、このお話を聞かせていただくと、ただそれだけではないような気がいたしました。ただでさえ大変なご法事の準備、それを、夜通しかかってお斎を用意するというのは本当に大変なことです。しかし、大変な思いをしてお迎えしたご法事の場は、他のものには変えがたい、温かな心がこもった大変ありがたいご縁でした。
お斎というのは、本来、インドにおいて、八戒斎といわれる在家信者が守るべき戒律に由来する言葉ですが、一般的には、仏事に出す食事のことを言います。仏事・法事とは、「仏法の仕事」を略した言葉ですが、お斎も如来様が
働いてくださっている場として味わってこそのお斎です。ただ、久しぶりにお会いした親戚の方々と食事を楽しむだけで終わったら、それは、凡夫の働きです。故人を偲び、仏法を味わってこそお斎の意味があるのです。
この度のご法事で、お斎を囲んでいる方の中に、生前の故人を知っている方は一人もおられませんでした。しかし、そこには、手作りのお斎を囲み、実に和やかに故人を偲ぶ場が与えられていました。煩悩が渦巻く凡夫の心に和やかな心が訪れ、故人を偲ぼうとするそうとする心が起こる、それも、如来様の働きでしょう。ご法事という場は、如来様が故人という形をとって、私達を、お浄土へ導こうと働いてくださっている場であることを、よくよく味わせていただいたご縁でした。

2007年11月1日