お念仏は「最上の宝」(「和」を保つための一番の根源)

あけまして南無阿弥陀仏。
昨年は、多くの御門徒の皆様方にお育てをいただきましたこと、厚く御礼申し上げます。今年も、娑婆に縁ある限り、御門徒の皆様方と一緒にお念仏に導かれ、お育てをいただく日々を送らせていただきたいと存じます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

先日、ある御門徒の一周忌のご法事にお参りさせていただいた時のことです。お斎の場において、隣に座られたご親戚の方が、静かに私に語りかけてこられました。

「ご院家さん、私は、五十年以上もの間、日本で戦争がなかったことが不思議でなりません。平和を保つことは、戦争を始めることよりも随分難しいことです。誰の言葉かは知りませんが、私は、《汝の敵を愛せ》というあの言葉が一番好きです。」

八十歳は超えておられるであろう男性の方でしたが、穏やかな空気を身にまとった実に落ち着いた話し方をされる方でした。
戦後生まれの私にとって、戦争というものは、テレビの中の出来事でしかありません。それ故に、この方の言葉には、胸を打つものがありました。「汝の敵を愛せ」という言葉は、キリスト教の表現だと思いますが、仏教にも同じ意味を表す言葉がいくつかあります。その中でも有名なのが、聖徳太子の『十七条憲法』でしょう。
聖徳太子は、親鸞聖人が観音菩薩の化身と仰ぎ、人生の節目節目で、そのお導きを仰いでおられる日本で初めての本格的な仏教者といえるお方です。その『十七条憲法』の第一条は、「和をもって貴しとなす。忤う(さからう)ことなきをもって宗となせ」というものです。そして、次の第二条に、「和」を保つための一番の根源が何であるかが示されています。その第二条には、次のようにあります。

「篤く(あつく)三宝を敬え(うやまえ)。三宝とは、仏・法・僧これなり」

「和」が成立するその根源は、仏・法・僧の三つの宝を心の拠り所とすることであると示されています。

仏とは、真理に目覚め、また、私達を真理に目覚めさせてくださるお方を意味します。法とは、その仏が、私達を真理に目覚めさせるためにお説きくださったみ教えを意味します。そして、僧とは、僧侶のことではなく、この仏のみ教えによって生きていく人々の和やかな集いを意味します。この三つが、人の世にあって、「和」を成立させる最も尊い宝であることを聖徳太子はお示しくださっているのです。
聖徳太子は、用明天皇の第一皇子でありましたが、王位は継承されずに、推古天皇の摂政としてご活躍されました。事実上は、天皇と同じ立場で仕事をされたわけです。千四百年も昔に、日本の国を治めていた方が、仏・法・僧の三つを最も尊い宝として示していることは、日本人として忘れてはならないことだと思います。

昨年も、日本ではたくさんの痛ましい事件が起こりました。国自体が戦争をしなくても、国の中のあちらこちらで、怒り、腹立ち、嫉みなどの心から、親しい方々の命を奪う事件が起こっています。しかし、これは、決して人事ではありません。私自身の中にも、怒り、腹立ち、嫉む心は必ずあるのです。ただ、人を殺すだけの縁に触れずに過ごしてきただけのことです。凡夫というものは、恐ろしい存在なのです。「戦争が起こらなかったことが不思議でなりません」と言われたあの言葉通り、私自身においても、深い罪を犯さずに生きてこれたことが、不思議でならないことだといえます。

その凡夫同士が、相手のことを思いあいながら、互いに傷つけることなく、心豊かに生きてゆける道は、財産や名誉を宝とする生き方からは、決して生まれてきません。浄土真宗においては、お念仏が最上の宝です。今年も、お念仏に導かれ、お互いに心豊かに生きてゆける年にしたいものです。

2008年1月1日