お寺は、お念仏を命の拠り所として生き抜いた先人達の尊い心が、具現化した姿

先日、ある御門徒の方の五十回忌のご法事が、お寺において営まれました。

挨拶を交わし、如来様へのお供え物、法名、故人の遺影などをお預かりした時でした。ご当主が、思いがけないことを申されたのでした。

 「今日は、私の父の法事ですが、父は、建築士をしておりました。実は、この本堂も父が設計・管理をさせていただいたのです。」

 前住職から、また、前々坊守、あるいは、ご年配の御門徒の方々から、昭和三十一年の正法寺の火災については、常々、聞かせていただいておりましたが、御門徒のお一人が、設計をされたというのは、はじめて聞かせていただいたことでしたので、正直、おどろきました。

そのときは、「そうでしたか」と言うに留まりましたが、後のお斎の席において、ご当主から、当時のことを詳しくお聞かせいただいたことでした。それは、おおよそ次のようなことでした。

 「私の父は、当時、岩国の方に住んでおりましたが、お寺が焼けたということを聞くと、慌てて嘉川まで飛んでいったことを覚えています。そこで前々住職とどんな会話が交わされたのかは知りませんが、おそらく、前々住職からお願いがあったのでしょう。当時は、今の設計技術とは異なり、細かい計算などなく、経験と勘を頼りに大きな紙を広げて、そこに墨で設計図を書いておりました。父は、岩国市からの要請を受けて、昔の錦帯橋を設計したりしておりましたが、おそらくお寺の本堂は、はじめてのことだったでしょう。岩国との往復はできませんので、本堂が完成するまで何ヶ月間もお寺に泊まらせていただき、前々住職と寝食を共にさせていただきました。安心したのか、本堂が完成して間もなく、急な病により父は亡くなりました。この本堂が父の最後の仕事となりました。当時の御門徒さん方のお寺復興にかける情熱は、すごいものがありました。御門徒さん方の熱い情熱に支えられて、父は、本当に大きな仕事をさせていただいたことと思います。」

 改めて、お寺を建立することの大変さを深く味わいながら、聞かせていただいたことでした。

お寺というのは、同じ仏教寺院であっても、その存在意味は、宗派によって異なります。多くの仏教寺院は、仏道修行をする場と考えてよいでしょう。京都にたくさんある観光寺院も、本来は、僧侶が修行する場です。しかし、浄土真宗のお寺は、僧侶が修行をする場ではなく、私自身が、阿弥陀如来のお心を聞かせていただく場なのです。阿弥陀如来は、他でもない、この私のために願いを起こされたのです。その仏様の願いを、私自身が聞かせていただくのが浄土真宗のお寺です。

京都や奈良にある各宗派の本山などの大寺院のほとんどは、天皇や将軍などの時の権力者の財力を借りて、建てられたものですが、唯一、本願寺だけはそうではありません。柱の一本一本、瓦の一枚一枚に至るまで、すべてが全国の御門徒により寄進されたものです。当時の全国の御門徒の中には、農民、商人、武士と様々な立場の方達がおられたでしょうが、それぞれの立場を超えて、私自身の命の拠り所としての本願寺を、自分たちだけの念仏の城を築くように建立したのでしょう。壮大な本願寺のすばらしさは、その大きさにあるのではありません。その底に流れ続ける深く尊い心にこそあるのです。いくら壮大な建物であっても、マッチ一本で、それは、たちまち灰燼と化します。しかし、先人達が、命がけで護り伝えたお念仏のお心は、どんな大火が起こっても、決して灰になることはありません。

五十数年前に全焼した正法寺が、現在のような姿を現しているということの意味は、非常に深いものがあります。浄土真宗のお寺は、お念仏を命の拠り所として生き抜いた先人達の尊い心が、具現化した姿なのです。ご先祖の心を粗末にしないこと、それは、なによりも私自身がお寺において、お念仏のご縁に遇わせていただくことでしょう。

建物の立派さだけに目を奪われるのではなく、お念仏を慶ぶ心が溢れ、ご法義が繁昌していくお寺でありたいものです。

2009年12月1日