「拠り所」

【住職の日記】

先日、ある御門徒のご法事でのことです。お斉を囲む席で、住職の隣に座られた方が、山口県内の浄土真宗本願寺派のあるお寺の世話人を務めておられる方でした。世話人を務める中で、普段、色々と疑問に思うことや、所属寺を護持することの難しさなど、実に様々な悩みや疑問を正直にお話くださいました。その中で、次のような会話がありました。

男性 御門徒方のお寺に対する意識も、これまでとは、ずいぶん変わってきています。お寺の御住職も、経営セミナーのような研修会があればいいと思いますが、いかがですか?」
住職 「そうですね、、、お寺というのは、組織や建物だけが立派になっても意味がないと思うんです。そこで仏様のみ教えが響き、その響きを聞いて喜ぶ人々が集う場所にならないとお寺とは言えません。お寺を護持する目的は、そこで仏様の教えを聞き、その教えを守るためなんですよ。」
男性 「なるほどねぇ。建物や組織は、後からついてくるものということでしょうか。」
住職 「私が住職を務めている正法寺も、昭和三十一年に本堂をはじめ、山門以外のすべてが火災で焼失しました。しかし、その後、わずか四年で本堂が再建されたんです。戦後十年しか経っていない時代です。火災保険もありませんし、御門徒方も貧しかったと思います。それでも、本堂が再び建てられたのは、仏様の教えを喜び求める人達がたくさんおられたからだと思います。」
その時、この会話を横で聞いておられた若い女性の方が、次のようなことをおっしゃいました。
女性 「昔のおじいちゃんやおばあちゃんにとっては、お寺が唯一の拠り所だったんじゃないですか?私の拠り所は、スマホですけど、、、」

若い世代の一般的な感覚を突きつけられた気がいたしました。それは、現代においては、お寺よりも、もっとはっきりとした拠り所になり得る新しいものが溢れているという感覚でしょうか。若い世代の方から、「拠り所」という言葉を聞かせていただいて、改めて仏教を聞くことの意義について、色々と考えさせられたことでした。
お悟りを開かれたお釈迦様によって、万人に向け、仏の真理が公開されてから、約二五〇〇年が経ちます。二五〇〇年という年月は、ものすごいものだと思います。一人の男性が、インドという国でお話された内容が、二五〇〇年間という果てしない年月の中で、一度も忘れられることなく、世界中に伝え残され続けてきたということです。はたして、現代において、世界中の多くの人々の必需品となっているスマートホンは、二五〇〇年後も、同じように残されているでしょうか?おそらく、さらに技術が進歩し、二五〇〇年後どころか、五〇年後には、別のものに取って代わられているような気がいたします。
仏教の伝道の歴史は、文字通り命がけのものでした。三蔵法師と尊称される中国の偉大な翻訳家達が、インドに渡り経典を中国まで持ち帰ることができたのは、ほんの一握りの人々だったと言われています。ほとんどの人が、タクラマカン砂漠で息絶えていったのです。日本の高僧方もそうです。木造の粗末な船に乗って、中国から日本へ経典を持ち帰るのも命がけです。ほとんどの船が途中で沈没し、帰ってこなかったそうですし、帰ってきた船でも、沈みそうになったとき、船を少しでも軽くするために、経典ではなく、人が海に飛び込み命を投げ出していったのです。その他にも、命がけで教えを聞き、守ってきたエピソードは、仏教の中に無数に伝えられています。
本当に命の拠り所になり得るものは、私の命をかけることのできるものだと思います。また、本当の拠り所は、無常の世の中にあっても、決して変わらないものでなければなりません。私と一緒に変質していくものは、所詮、気休め程度にしかならない偽物でしょう。スマホを守るために、誰が命をかけることができるでしょうか?壊れても無くしても、その人は、適当に生きて死んでいくのではないでしょうか。
「拠り所」とは、私の都合を満たすものではありません。私の都合を満たすものは、同時に、私を裏切るものでもあるのです。個人の都合を超え、生き死んでいく私の迷いを断ち切り、合掌せずにはおれない命の輝きに目覚めさせてくれるものが、本当の拠り所といえるものでしょう。本当の拠り所になり得るみ教えが、今ここにいる私に、不思議にも届けられてある尊さを大切にさせていただきましょう。

(令和元年6月1日)

2019年6月1日