先日、ある短編小説を読む機会がありました。主人公は、高校三年生の息子を持つ四十歳代の母親です。高校三年生の一人息子、真吾君は、県内随一の進学校に通っています。お母さんの希望は、有名大学に進学して、給料の安定した大きな企業に就職してくれることです。しかし、真吾君は、大学には進学する気がなく、今流行のユーチューバーになりたいと言います。お母さんは、悩みます。お母さんの思いをくみ取ってくれない真吾君が理解できません。学問の神様、菅原道真が奉られている有名な神社に連れて行けば、真吾君が勉強し始めるかも知れない、そんな淡い期待をもって、真吾君を無理矢理神社に連れて行ったりします。でも、真吾君はいっこうに変わらないどころか、どんどんお母さんから離れていってしまいます。可愛い息子が、なぜ、あんな風に変わってしまったのか、お母さんは、どんどん悩みを深めていきます。
そんな時、買い物に出かけたスーパーで、迷子になっている男の子に出会います。「お母さん・・・」と泣きべそをかいている男の子を見て、思わず抱きしめてしまいます。その時、ふと、真吾君が幼かった時の様々な記憶が、お母さんによみがえってきます。それは、純粋に親子が名前を呼び合う光景でした。その場面は、次のように描かれています。
「「おかあさん」、小さな真吾が私を呼んだ。私も呼ぶ。「真吾」。用事はない。ただ呼びたかっただけ。あなたがここにいることが、ただ嬉しくて幸せだって、そう思うから。」
お母さんは、真吾君に寄り添おうとしない親になってしまった自分に気づきます。変わってしまったのは、真吾君ではなく自分でした。お母さんは、悩みながらも、親としての姿を取り戻していきます。そして、物語は、最後、高校三年生の真吾君ともう一度、「真吾」「母さん」と照れながら名前を呼び合う光景で閉じられていきます。
悩める母親の姿を描いた、とても読み応えのある小説でした。この小説を読んでいて、ふとお念仏のことを思いました。この小説の中で描かれている純粋に親子が名前を呼び合う光景、これこそ、お念仏を称える光景と重なるものなのです。
親鸞聖人は、その主著『教行信証』の中で、南無阿弥陀仏の南無の心について、次のように説明されています。
「しかれば南無の言は帰命なり。・・・・ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。」
南無阿弥陀仏の南無という言葉は、帰命という意味であることを説明されます。そして、その帰命とは、本願召喚の勅命であることを明らかにされていきます。勅命とは、絶対に逆らうことの出来ない命令のことです。戦時中は、天皇陛下の勅命という表現が、よく用いられました。そして、本願召喚というのは、真心をもって喚んでくださるということです。南無阿弥陀仏というのは、阿弥陀仏が、真心をもって一人子に喚びかける母親のように、愛おしく私のことを喚んでくださる働きなのです。
また、本願寺第八代御門主の蓮如上人は、こんなことをおっしゃっています。
「御たすけのありがたさよとよろこぶこころあれば、そのうれしさに念仏申すばかりなり、すなはち仏恩報謝なり。」
阿弥陀仏の真心を聞いて、そのうれしさに申すのがお念仏であり、それは、仏様の御恩に感謝し、御恩に報いていく姿であるというのです。
阿弥陀如来様は、「あなたがここにいることが、ただ嬉しくて幸せ」という慈しみの塊となって、用事もないのに南無阿弥陀仏と私の声となり、私を抱きしめてくださいます。その真心を南無阿弥陀仏と聞かせていただいた私も、そのうれしさ、あたたかさのあまり、南無阿弥陀仏と阿弥陀如来様の名を呼び、阿弥陀如来様の慈しみに応えていくのです。
南無阿弥陀仏と称える人の姿は、母親に一心に愛されている子どもが、用事もないのに、「おかあさん」と母親の名を呼ぶ姿と重なります。母親にとって、愛する我が子から、用事もないのに、ただ「おかあさん」と呼ばれることは、なによりも幸せなことです。それは、我が子が、母親の愛情に気づき、母親を信じ、母親を慕ってくれている姿だからです。それは、阿弥陀如来様も同じなのです。だから、私がお念仏を申すことが、仏様の御恩に報いていく仏恩報謝になっていくのです。
用事もないのに純粋に仏様と名前を呼び合う、そんな慈しみに抱かれ、あたたかさに溢れていくのが、お念仏を申していく日暮らしなのでしょう。如来様に抱かれ、歩ませていただく人生を大切にさせていただきましょう。