人生は苦である

先日、寺族の年回忌法要を親戚寺院の方々を中心に正法寺本堂でお勤めさせていただきました。今年、年回忌のご縁を迎えた寺族は三人です。お一人は、第十六世坊守です。五十回忌のご縁を迎えました。前住職の祖母にあたります。そして、お二方が、百回忌を迎えられました。お一人は、第十六世坊守の御主人です。この方は、住職に就任されることなく新発意のまま三十六歳でご往生されています。そして、もうお一人が、第十六世坊守のご長男です。この方も、七歳の時、病気に罹り急逝しておられます。御夫婦とそのご長男の年回忌が同時に巡ってきたのです。

「人に歴史あり」とはよく言うものですが、ご法事というのは、故人の歴史を振り返り、今の自分が、その歴史の上に成り立つものであることを確認する意味もあると思います。百回忌を迎えられたお二人は、命日が、わずか四十日しか違いません。大正八年七月二十五日に七歳のご長男が、そして、大正八年九月三日に三十六歳の新発意が往生しています。後に残されたのは、第十六世坊守と当時二歳だった後の第十七世坊守(前住職の母)、そして、当時の住職の三人だけです。しかし、その住職も、二年後に往生しています。その後、正法寺は、昭和十年に前々住職を迎えるまで、住職不在のまま約十五年間に亘り、第十六世坊守とその長女(第十七世坊守)の二人だけで支えていくことになります。わずか四十日の間に、かわいい七歳の息子と頼りにしていた夫を次々に亡くした第十六世坊守の心境を想像すると、いたたまれない気持ちになります。二歳の娘を抱いたまま、茫然とするしかなかったのではないでしょうか。

「人生は苦である」とお釈迦様は教えておられます。そして、その苦しみを乗り越えていく道を、仏道として教えていかれました。その仏道には、大きく二つの道があります。その二つの道とは、出家の道と在家の道です。出家というのは、世間との繋がりを断ち切り、山にこもり、一人、厳しい修行と学問に打ち込んでいく道です。在家というのは、世間の中に身を置き、仏様の教えに導かれる生活に勤しむ道です。どちらも厳しい道です。一般的には、世間との繋がりを断ち切り、一人厳しい修行と学問に打ち込んでいく出家の道が、厳しい道だと思われているでしょう。しかし、どうでしょうか。確かに出家の道は、厳しいものですが、一方で、世間との繋がりを断ち切る生き方の上には、愛する我が子との死別の悲しみや社会的な責任を一身に背負っていく重圧はありません。出家の道と同じように、在家の道もけっして甘い道ではないということです。どちらの道を歩まれるかは、人それぞれの選択にゆだねられています。しかし、私達、浄土真宗の伝統の中にご縁をいただいた者は、周りに実に豊かに在家の道を生き抜かれた本物の仏教徒が溢れていることに目を向けるべきでしょう。浄土真宗は、インドの国から始まった仏教の歴史の中で、在家の道を代表するような仏教なのです。

七歳の息子と主人を見送り、さらに住職を見送って、母一人子一人になってから三年後、大正十三年に住職不在の中、正法寺仏教婦人会が結成されています。人生苦に直面する中で、お念仏を申し、仏様のみ教えに順い、正法寺の法灯を護り、前向きに正しく生き抜こうとする、そんな在家の仏道を歩む真面目な仏教徒の姿が、多くの御門徒の方々の心を揺さぶったのではないでしょうか。その約三十年後、昭和三十一年に正法寺は、未曽有の大火災に遭い、本堂をはじめ、山門以外の建物がすべて焼かれ、無くなってしまいます。そのわずか五年後の昭和三十六年に現在の本堂が再興されますが、その復興の原動力となっていくのが、当時の正法寺仏教婦人会の方々でした。住職不在の中、結成された仏教婦人会が、お寺を護っていく大きな力となっていったのです。寺族の苦悩と、その苦悩を他人事ではなく共にしようとする、そんな御門徒の方々の思いがなければ、お寺は相続されていなかったかもしれません。まさに、泥の中から咲いた蓮の花のように、泥のような重い苦悩が、見事な仏法の花を咲かせていったのです。これこそ、在家仏教の本領というべきでしょう。

人生苦を遠ざけるのではなく、人生苦の真っただ中を歩んでいく浄土真宗の仏道は、世間の中で多くの方々と一緒に悲しみ一緒に喜んでいく道です。人々の苦悩や喜びの上にこそ、本物の仏道があることを、親鸞聖人は教えてくださったのです。浄土真宗のご法事は、故人の歴史を味わい、その上に咲いた仏法の花を、後の人々が受け継いでいく、尊い仏法相続の場であるべきでしょう。

2018年7月10日