「縁起」、周りに感謝の心を持ち、周りの者に優しい心を向けていく

以前、ある御門徒のご法事でのことです。四十歳代の男性の方が、次のようなことをお話しくださったことがありました。

 「父が亡くなるまで、こんなこと、あまり思ったことがないんですが、生かされているという感覚って、とても大事ですね。私も、仏教のことが、それほど分かってないですが、煩悩だけで生きるというのは、つまらない感じがするんです。周りのものに感謝できる心って、とても大切だなと、父が亡くなってから、特に、そんなことを思うようになりました。」

お話しを聞かせていただきながら、仏教的な素晴らしい感性をお持ちの方だなと感心させていただいたことでした。

仏教の根本的な思想に縁起(えんぎ)というものがあります。日常会話では、「縁起が悪い」とか「縁起でもない」など、悪い意味で使われることも多い言葉ですが、実は、この言葉が、仏教の最も大切な内容を表しているのです。というのも、お釈迦様の悟りの内容そのものを表すものだからです。仏様というのは、何が私達と違うのかというと、それは、この縁起というものの道理を悟っているかどうかにあるのです。

仏様の悟りの内容ですから、悟っていない私達には、実際のところは分かりません。しかし、仏様の教えの言葉は、悟っていない者の迷いを破っていくために紡ぎだされたものです。私たちは、仏様のように自ら悟ることは出来ませんが、仏様の教えの言葉を素直に聞いていくと、自分の誤った見方に気づかされたり、今まで気づかなかった尊い事柄に感動させられたりする中で、少しずつ、仏様の世界に近づいていけるのだと思います。

「縁起」というのは、「縁って起こる」という意味ですが、あらゆるものは、あらゆる関係性の中で成り立っていることを教えているものです。これは、「支えあって生きていきましょう」と支えあうことの大切さを教えるものではありません。「現実に今、あなたは、あらゆるものと支えあって生きているのですよ」と、現実の私の有り方を教えるものなのです。

現代は、個人の権利をとても大切にするようになりました。あらゆる人の人権が保障されるようになったことは、人を大切にできる良き時代になったともいえます。しかし、その反面、あまりに個人の権利をお互いに主張し過ぎるがために、人と人との繋がりが、だんだん希薄になってきているようにも思います。何百万人という人口がある大都会で生活しながら、孤独感を深める人が多くいるというのも、そのことを顕著に表している現実です。

仏教で苦しみの原因とされる煩悩というのは、自分の都合を最優先にして生きようとする心です。自分の我欲を満たすことに必死になっていくと、自分以外のものが、敵になっていきます。自分の都合を邪魔する可能性のあるものは、みんな敵です。実は、それが地獄の鬼の正体なのです。自分の都合を最優先にして、我欲を貪るような生き方をする人は、周りに鬼を増やしていき、孤独感を深め、苦しみの中に沈んでいくのです。その苦しみの深さと、我欲を貪ることの恐ろしさを教え、戒めるために、仏教では、地獄というものが説かれているのです。煩悩だけで生きる者の前には、厳然と地獄の世界が広がっていきます。

それに対して、縁起の道理を悟っていく世界は、自分がどれほどの人や命あるものに支えられ、生かされてあるのかを実感していく世界です。あらゆるものとの繋がりの中で、自分の存在を確認していきます。「あなたのおかげで、私がある」と感動していく世界です。そこには、「ありがとう」という言葉が溢れていきます。周りに仏様や菩薩様の化身が増えていき、自分もまた、周りのもののために尽くそうという心が芽生えてきます。今の自分が、どれほどの善意によって支えられてあるのか、どれほど幸せ者であるのか、そのことを実感して生きていくことを、正しい生き方と教えていくのが、本来の仏教なのです。

この仏教の根本思想は、「おかげさま」という言葉にも表れているように、日本人の精神文化の中に溶け込んでいるものです。周りに感謝の心を持ち、周りの者に優しい心を向けていく、そんな昔から当たり前のように大切にしてきたことを、改めて、大切にしていきたいですね。

2016年6月1日