浄土真宗は、お念仏を称えることを生活の根本として教えるものです。

先日、ある御門徒の方から、大変、ありがたいお話を聞かせていただきました。

住職
「〇〇さんのお家は、昔から、お寺の世話をよくしてくださったそうですね。先代の御当主は、長い間、総代も務めてくださっていたと聞いていますが、、、」
御門徒
「お爺ちゃんは、何十年もお寺のお世話をさせていただきました。でも、お爺ちゃんは、お寺のお世話を喜びにしていました。毎日、お仏壇の前に座って、お念仏を称えていたことが思い出されます。最後、亡くなる直前も、意識がないのに、お念仏を称えていました。病院の看護婦さん達が、それを見てびっくりして、『まだですよ』というようなことを言っていました。お爺ちゃんは、そんなつもりで称えていたのではないと思いますけどね。」

 浄土真宗は、お念仏を称えることを生活の根本として教えるものです。いくら教えを聞いたとしても、念仏を称えるということがなければ、教えを聞いたことになりません。念仏を称えるというのは、「南無阿弥陀仏」と口で称えることです。音にすると「なもあみだぶつ」「なまんだぶつ」「なまんだぶ」と様々ですが、発音に細かくこだわる必要はありません。よく、御門徒の方からのご質問で、お念仏の正しい発音について尋ねられることがあります。正しい発音で称えなければ、お念仏の効果がないように思われているのでしょうか?一説によると、お弟子の方々が書き残されたものから、親鸞聖人のお念仏の発音は、「なまんだ…」と最後の「ぶつ」は、ほとんど声に出していなかったとされています。

お念仏というのは、私の称え方で、その功徳に変化があるものではありません。誰が、どこで、どのような姿で、どんな風に称えようとも、お念仏の功徳には変わり目がないというのが、法然聖人や親鸞聖人の教えの最大の特徴なのです。どうしてかというと、お念仏は、称えるところに意味があるのではなく、聞くところに意味があるからです。人に聞かせるのではありません。私自身が聞かせていただくのです。何を聞かせていただくのかというと、私一人に届いている阿弥陀如来のお心を聞かせていただくのです。それが、聞こえていれば、どんな称え方でも構わないのです。大切なのは、その言葉に、どんなメッセージが込められているかを受け止めていくことです。ここが、ただの呪文とは違うところです。

お念仏というのは、呪文のように、意味の分からない言葉を、ただ称えればよいというものでは決してありません。お念仏は、その人の人生を支え、その人の死を根本から包み込んでいく仏様の導きの言葉なのです。

蓮如上人が、主計(かずえ)という男性の御門徒に「お念仏申しておるか?」と尋ねられたことがあります。ありがたい念仏者だった主計は、「はい、いつも仕事をしながらお念仏申しております。」と答えられました。それに対して蓮如上人は、「仕事をしながらお念仏申すのではないぞ、お念仏を申しながら仕事をするのだぞ。」と主計の心得違いを正されたことが伝えられています。私達は、どこまでも自分のことが中心で、お念仏のお話を聞かせていただいても、「自分の人生に役立つなら、、」という程度で聞いているのではないでしょうか?

自分の都合に役立つか、そうでないかという視点に立つ限り、お念仏のお心は響かないでしょう。親鸞聖人が、称えておられたお念仏は、私が救われるために称えるお念仏ではなかったのです。称える一声一声に、阿弥陀如来が私の悲しみを背負い、私の命を慈しんでいる仏の心を聞いておられたお念仏だったのです。口から零れるお念仏の一声一声に無上の感動と安らぎを味わい、決して揺らぐことのない仏様のお心に包まれながら、力の限り生き抜かせていただくのが、浄土真宗の念仏者の姿なのです。

意識のない私も、悲しんでいる私も、怒っている私も、喜んでいる私も、驕っている私も、如来様の方は決して変わることなく「なまんだぶ、なまんだぶ」と、その時その時の私を慈しみ愛してくださっているのです。お寺でのお聴聞を大切にして、お念仏申さずにはおれない、深い喜びの毎日を命ある限り送らせていただきましょう。

2015年8月1日

お墓は、その方を大切に偲び、その方から頂いたご恩を大切に胸に刻んでいく、そんな場所。

先日、小学校の保護者の方々とお話している時、「自分は、死んだらお墓なんか作ってもらわずに、海か山に骨を撒いてもらったらいいと思っているんです」というお話をされた方がいらっしゃいました。最近、若い方だけでなく、六〇代、七〇代の方々の中にも、このように自分のお墓はいらないとおっしゃる方は、増えているように感じます。親鸞聖人のお言葉の中にも、「某[親鸞]閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」というものがあります。親鸞聖人自身、命終わった後の亡骸は、京都の鴨川に流して、魚の餌にでもしてほしいとおっしゃっているのです。

これは、親鸞聖人ご自身が、自分のお墓はいらないと、はっきり名言されているということです。また、妙好人として有名な讃岐の庄松同行も、晩年、一人身の庄松同行の身を案じ、死後に立派なお墓を建ててやると進言してくれた友人に対して、「おらぁ、石の下にはおらんでな」と言って、その親切心を拒否した逸話が伝わっています。浄土真宗のみ教えに生かされる者は、私自身の命の行方は、阿弥陀如来のお浄土だと聞き開かせていただきます。自分の亡骸の行方に執着しないのが、本当のところでしょう。

しかし、これは、あくまでも自分自身について語る場合のことです。自分の父や母が先立った時、その遺骨をいとも簡単に捨ててしまうというのは、よほど冷徹な人間でないとできないでしょう。「賀茂河にいれて魚にあたふべし」とおっしゃった親鸞聖人のお墓は、後に遺された家族と門弟達によって立派に建立され、そのお墓は、後に本願寺となっていきます。本願寺という寺院は、全国の御門徒が、そこで親鸞聖人のお徳を偲び、親鸞聖人にお出遇いさせていただく場所なのです。阿弥陀如来を御安置している阿弥陀堂よりも、親鸞聖人を御安置している御影堂の方が大きな造りになっているのは、そのためです。お墓というのは、自分自身の問題ではなく、後に遺された遺族にとって、必要かどうかが問題にされるべきものでしょう。

これに関して、以前、大変温かいご法事のご縁をいただいたことがありました。大変お念仏を喜ばれた、ある御門徒の七回忌のご縁でした。最近は、参詣者が少ないご法事も増えてきましたが、その御法事には、三十代、四十代の若い男性の方々が、たくさんお参りされていました。皆さん、故人のお孫さんということでした。そのお孫さん方を囲んで、当家の御当主が、こんなお話を聞かせてくださいました。

「今日は、忙しい中、父の孫達が、みんな時間を作って、お参りしてくれました。この孫達が子どもの頃は、お盆になると、この家にみんな集まって、父と母を囲んで食事をしていたんですが、その時、父の恒例行事となっていたのが、五分間の仏様のお話でした。父は、お盆にお墓参りをするよりも、お仏壇に手を合わせることを大切にしていました。御馳走を前にして、じっと我慢して、お爺ちゃんの仏様のお話を聞くのは、孫達にとっては、苦痛だったと思います。でも、仏様を大切にしたお爺ちゃんのことを思って、忙しい中、こうしてみんなが時間を作って、お爺ちゃんのご法事にお参りしてくれるのは、本当にうれしいことです。」

 大変、温かいご法事のご縁でした。お孫さん方は、ご法事にお参りすることで、改めてお爺ちゃんにお出遇いされているのだと思いました。やはり、人は、ただの骨になって終わるのではないと思います。命というのは、どこまでも繋がって生き続けていくのではないでしょうか。その大きな命の流れの中に、私の命も生かされているのだと思います。

阿弥陀如来の大きな願いに出遇った者にとっては、自分の亡骸がどうなろうと心配することではありません。しかし、私のことを一途に想い愛し、支えてくださった、そんな大切な方が先立った時、その方を大切に偲び、その方から頂いたご恩を大切に胸に刻んでいく、そんな場所を持つことは、人にとって大切なことではないでしょうか。お墓というのは、遺族の方々が、そんな思いをもって建立してきたものなのでしょう。

先立った方の死が、有縁の方々の掛け替えのない仏縁になっていくならば、これほど尊い死はないでしょう。温かいお弔いをさせていただきましょう。

2015年7月1日

『仏説阿弥陀経』に何度も出てくる「舎利弗(しゃりほつ)」という言葉について

先日、ある御門徒のご法事で、『仏説阿弥陀経』に何度も出てくる「舎利弗(しゃりほつ)」という言葉について、お尋ねがありました。これまでも、多くの方がお尋ねになられた質問です。

答えは簡単です。舎利弗というのは、人の名前です。お経には、人の名前がたくさん登場します。『仏説阿弥陀経』にも、舎利弗の他に「摩訶目?連」や「摩訶迦葉」、「摩訶迦旃延」や「羅?羅」などの人の名前が、たくさん登場しています。お経に登場するこれらの方々は、全員、お釈迦様のお弟子の方々です。難しい漢字で書かれていますが、全員がインド人です。舎利弗は、本来、パーリ語でサーリプッタ、サンスクリット語でシャーリプトラという名前です。お経を中国語に翻訳する時に、似た音の漢字を充てて表記したのです。

これらのお経に登場する多くの方々は、皆、その場でお釈迦様のお説教を聞かれていた方々なのです。どういう方々が、このお経を聞いておられたのか、また、お釈迦様は、どんな風にこのお経を説かれたのか、こんなことを、直接お釈迦さまからお説教を聞かれた多くの方々が、後に集まって、確認しながら書き残されたのです。『仏説阿弥陀経』に何度も「舎利弗(しゃりほつ)」の名前が登場するのは、お釈迦様が、何度も「舎利弗よ…」「舎利弗よ…」と舎利弗に呼びかけながら、このお経を説かれたからです。

『仏説阿弥陀経』には、阿弥陀如来と、そのお浄土のこと、また、十方世界のあらゆる仏様方が、口をそろえて阿弥陀如来のお徳を讃えていることが説かれています。なぜ、多くのお弟子が聞かれている中で、舎利弗だったのでしょうか。仏様のお心を推し量ることなどできませんが、舎利弗は、多くの仏弟子の中でも智慧第一と讃えられる方です。お釈迦様の教えられることを、何でも理解されたといいます。最も頭脳明晰で優等生タイプのお弟子が、舎利弗という方です。

『仏説阿弥陀経』は、読誦する時、前半と後半に分けて読誦しますが、後半の初めは、「舎利弗よ」とお釈迦様が、舎利弗に呼びかけ、お尋ねになられるところから始まります。

「舎利弗、なんぢが意においていかん、かの仏をなんのゆゑぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障碍するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民〔の寿命〕も、無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づく。」

 お釈迦様が、智慧第一の舎利弗にお尋ねになります。「舎利弗よ、かの仏を、どうして阿弥陀と申し上げるのか、あなたは、どう思いますか?」と。その後に続くのは、舎利弗の答えではありません。お釈迦様のお答えなのです。これは、智慧第一の舎利弗でも、仏様の領域のことは、お答え出来なかったことを示しています。名だたる仏弟子の中でも智慧第一と讃えられる舎利弗をもってしても分からなかったことが、お経には記されてあるのです。時折、「お経も現代語訳してもらったら分かりやすいのに…」とおっしゃる方がいますが、そんな単純なことではないのです。お経の言葉というのは、紛れもない仏語ですから、一言一言に底知れない深みを含んでいるのです。そうでなければ、二千年以上も読まれ続けたりはしないでしょう。

阿弥陀如来の阿弥陀如来たる所以は、光明と寿命が無量であるところにあると、お釈迦様は、お答えになられています。光明に限りがないというのは、阿弥陀如来のあらゆる命を慈しみ愛する心の働きが、あらゆる世界に行き渡ることを意味しています。どんな場所、領域、姿形でも、阿弥陀如来に愛されない命はないのです。また、寿命に限りがないというのは、どんな時代、どんな時間に生きる命も、阿弥陀如来の慈愛に包まれていることを意味しています。人が起こす愛は、自分に関わりのある空間と時間に限られています。阿弥陀如来の阿弥陀如来たる所以は、その空間と時間からはみ出て、どこまでも、いつまでも広がり続ける底なしの慈愛の働きそのものであるところにあるのです。

お経というのは、人の領域では推し量ることのできない清浄無垢な仏様の領域から紡ぎだされた珠玉の言葉なのです。ただ、頭を下げて聞かせていただく他ありません。はからいを交えず、素直に聞かせていただきましょう。

2015年6月1日

お寺様は、いつも玄関からではなくて、縁側から入ってこられるのはどうしてですか?

以前から、ご法事等でよく聞かれる質問があります。先日も、ある御門徒のご法事でご質問をいただきました。

「前から不思議に思っていたのですが、お寺様は、いつも玄関からではなくて、縁側から入ってこられるのはどうしてですか?」

 今まで、ご質問いただいた中で、一番多かったのは、これかも知れません。現在では、縁側から家に上がるのは僧侶だけになってしまいましたが、昔は、様々な場面で縁側から家に上がることがあったようです。時代と共に、その習慣がなくなっていき、僧侶が縁側から家に上がることが、特別なことになってしまったのでしょう。

例えば、昔は、結婚式も、その家の仏間で行われたことが多かったようです。昔の結婚というのは、現在よりも、その家の家族になるという意味合いが強かったように思います。お嫁に入る女性は、結婚式の時、玄関からではなく、縁側からその家に入ったといいます。なぜ、お嫁さんは、縁側から家に上がっていたのでしょうか?それは、その家のお仏壇に最も近い入口が、縁側だったからでしょう。お仏壇というのは、家庭生活の中心になるものです。元は他人同士が、一つ屋根の下で暮らすのです。育ってきた環境が違うのであれば、様々な価値観が違うのは当たり前のことです。家庭生活というのは、安らかな日々を淡々と送れるわけではありません。それぞれが、自分の都合を貪り合い、相手を傷つけていくこともしばしば起こります。そんな危うい家庭生活の中で、自分の都合を貪る姿の恥ずかしさを教え、お互いに思い合っていく安らかな心を育んでいくのは、如来様の大悲を置いて他にありません。昔の方々は、当家の家族に挨拶することよりも、これから始まる新しい家庭生活を、如来様の大悲に頭を下げるところからスタートさせようとされたのでしょう。

また、これは、結婚の時だけではありません。お嫁さんがお里で出産され、赤ちゃんを連れて当家に戻られる時にも、縁側から家にあがられたようです。これも、まず、授かった子どもと一緒にお仏壇の前に座らせていただくためです。子どもは、如来様から授かった命です。如来様にお礼を申すのと同時に、これから、同じ如来様に抱かれた者同士、阿弥陀如来のお慈悲の中で、決して離れることのない本当の親子にならせていただくのです。

そして、今生の縁が尽きて、その家を出ていく時も、やはり、玄関からではなく縁側から出ていきます。これは、現在でも残っている習慣です。今でも、自宅で葬儀や通夜を勤め、出棺する時、お仏壇に最後にお礼を申して、縁側から外に出ていくはずです。縁側というのは、文字通り、家の中でもご縁が恵まれる側なのでしょう。

以前、ある布教使の先生が、おもしろいことを教えてくださったことがありました。あるお寺の御門徒が、「私のところの住職は、ご法事に来られても、挨拶を無視するんです」とお怒りのご様子だったそうです。しかし、よくよくお話を聞かせていただくと、その御住職は、無視しているのではなくて、お仏壇に手を合わせていたのです。当家の家族よりも先に、当家のお仏壇に手を合わせ頭を下げるのは、仏教徒としてのマナーです。御住職が、当家に御挨拶されるのは、お仏壇に手を合わせた次のことです。しかし、御住職が、お仏壇に手を合わせて振り返った時には、当家の方は、御住職に無視されたと思って、御住職の方を向いておられなかったのでしょう。こうしたお話をして差し上げると、お怒りだったその方も「そうだったんですか。はじめて、そんな話聞きました。」と驚いておられたそうです。

私達は、人と人との間だけで日々を過ごしていると、大切なことに気づかずに虚しくなっていきます。人の目ではなく、仏様の目の中で過ごさせていただくのが、仏教徒の生き方です。あらゆる命を慈しんでいらっしゃる如来様の大悲を、目に見える形にして伝えてくださるお仏壇を横目に、人に先に頭を下げるのは、仏教徒として恥ずかしいことです。

縁側から家に上るというのは、人と人との間で出来上がった常識の上からすると、おかしなものに映るかもしれません。しかし、そこにも、阿弥陀如来を敬う人々の尊い姿があったのです。仏教徒として、仏様中心の日々を大切にさせていただきましょう。

2015年5月1日

仏法という宝物

先日、ある御門徒の百回忌のご法事にお招き預かった時、当家の奥様が、次のような悩みをお話くださいました。

「御院家さん、今日は、お忙しい中、ありがとうございました。ご覧のとおり、今日は、百回忌ということもあって、私と娘の二人だけでご縁に遇わせていただきました。親戚も歳をとりまして、お招きするのも難しくなりました。孫たちも、県外に出て仕事をしております。あの子たちにも、ご法話のご縁に遇わせたいのですが、何分、忙しいみたいで、それも叶いませんでした。普段、仏様とご縁のない生活をしているようですから、こういうご法事のご縁には、帰ってきてほしいのですが、難しいですね・・・」

 最近は、正法寺の御門徒の方々の中にも、若い世代の方と同居されている方は、本当に少なくなりました。江戸時代から続いてきた家制度も崩れつつあるように思います。全国的に、浄土真宗の寺院は、近年、過疎化が問題視されている農村や漁村に多いのが現状です。全国の多くの浄土真宗のお寺から、家の中でお念仏のみ教えが伝わらなくなったとの悲嘆の声をよく聞きます。寺院や僧侶も、時代の変化に応じて、み教えを伝えていく努力が必要とされています。

以前、仏教を教えてくださったある先生が、「キリスト教の宣教師などは、『教えを伝える』というところに重きを置くが、仏教は、『伝える』というところよりも『伝わる』というところに重きを置いてきたんですよ」とお話くださったことがありました。確かに、日本でも、キリスト教が伝わったのは、フランシスコ・ザビエルという宣教師が、日本にまで伝道に来られたことに始まりますが、仏教を初めに日本に伝えた方というのは、はっきりしていません。これは、日本だけではなく、中国でも東南アジアでも、最初に仏教を伝えた方というのは、はっきりしません。仏教というのは、本来、教えそのものの上に、必然的に伝わる働きをみていくものなのでしょう。

お釈迦様に関する故事に、実子ラーフラとの次のようなやりとりがあります。お釈迦様には、出家前に恵まれたラーフラという実子がいました。お悟りを開かれ、カピラ城に戻られたお釈迦様に息子のラーフラが、「宝物をください」とお願いをします。これは、母親のヤショダラが、釈迦族の王位継承権を正式に保証させるために仕向けたことでした。しかし、お釈迦様は、ラーフラに「壊れる宝がよいか、壊れない宝がよいか」と聞き返します。すると、子どものラーフラは、「壊れない宝がいい」と無邪気に答えました。それを聞いたお釈迦様は、「それなら、み教えを聴く身になりなさい」と言って、ラーフラをそのまま出家させたと伝えられています。

この故事は、仏教が、今日のように二五〇〇年もの間、伝わり続けてきた原点を教えてくださっているように思います。親が子や孫に願うのは、幸せになってほしいということでしょう。しかし、その幸せの求め方を、私達は、間違ってしまうのです。欲望が満たされることを幸せと感じ、欲を貪り、それを邪魔するものに腹を立て、それらに振り回されている間に、虚しく終わっていくのが、凡夫と呼ばれるものの悲しい性です。お釈迦様は、私が幸せになるための本当の宝物とは何であるのかを教えてくださっているのです。仏法という本当の宝物に出遇っていった人々は、自分が大切だと想う人々にも、その宝物を遺そうとされたのではないでしょうか。

私達が、このように仏様のご縁に遇えているのも、この私を想ってくださった多くの有縁の方々の尊い願いが働いたからに他なりません。仏様の教えの言葉は、たとえ貧しい中にあっても、苦難の多い人生であろうとも、胸を張って、生まれてきてよかったと自分の人生を豊かに喜んでいけるような世界を私の上に必ず開いてくださるのです。

お子さんやお孫さんに仏法を遺していきたいという願いは、真の仏弟子だけが起こすことのできる尊い願いです。

仏法という宝物を、その身に備えた方が放つ香りは、必ず有縁の方々を仏法へと導く、大きな力となっていくはずです。本当の幸せを子や孫に遺せる毎日を、大切に送らせていただきましょう。

2015年4月1日

お念仏は、私の人生を支えるバックボーン(背骨)です。

先日、前々坊守と親しかった、ある御門徒の方から次のような思い出話を聞かせていただきました。

「昔、文子坊守と地域の旅行にご一緒させていただいたことがありました。色々なところを観光で巡る旅行でしたが、訪れた中に有名な神社がありました。私は、神社でお参りする作法通り、柏手を打ってお参りしたのですが、文子坊守は、手を合わせて南無阿弥陀仏とお念仏されていました。それを見て、私は驚いて、文子坊守に『こんなところでお念仏してもいいんですか?』と思わず尋ねたのです。そうすると、文子坊守が、にっこりされて『いいんですよ』とおっしゃいました。その時、はっとさせられたことが、今でも忘れられないんです。」

 宗教と言うのは、「宗となる教え」ということですから、その宗教を信じるものは、その教えられるものを、日常生活の中核に据え、物事の価値判断をしていくことになります。ですから、信じる宗教によって、物事の価値も変わってきますし、生活の様子も随分違ってきます。仏教徒とイスラム教徒とでは、物事の考え方や生活の様子がかなり違うのは、当然のことでしょう。こうしなさい、ああしなさい、これをしてはいけません、あれをしてはいけません、と教えていくのが、仏教に限らず、あらゆる宗教の姿でしょう。

その中で、浄土真宗のみ教えは、「ただ念仏しなさい」とだけ教えるものなのです。親鸞聖人は、詳しくみ教えを聞きに来られたお弟子の方々に対して「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(源空)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」と語られたと『歎異抄』が伝えています。ただ念仏して、阿弥陀如来様に助けていただきなさい、と教えられた法然聖人のお言葉を信じて、お念仏させていただいているだけで、他に特別なことはありません、とおっしゃるのです。他に、こうでなければならない、ああしなければならない、ということはなく、ただお念仏のできる日暮しを送りなさいと教えられたのが親鸞聖人なのです。

では、「お念仏する」とは、どういうことなのでしょうか。言葉というのは、必ず出所となった心があります。心のないところに言葉はありません。悪意から紡ぎだされた言葉は、人を傷つけていきます。優しい心から紡ぎだされた言葉は、人を癒していきます。そんな中で、いつまでも消えずに、人の命を支え続けるような言葉があるのです。それが、仏様の心から紡ぎだされた言葉です。お経というのも、仏様の心から紡ぎだされた言葉ですが、二五〇〇年もの間、消えることなく人々を支え続けています。同じように、お念仏も、阿弥陀如来が、私のために紡ぎだした言葉なのです。阿弥陀如来が、私のために紡ぎだした言葉は、たった一言です。その一言によって、私は救われていくのです。南無阿弥陀仏とは、阿弥陀如来の私を慈しみ願う純粋な親心が言葉となって零れ落ちたものなのです。

お念仏というのは、その時その時の私を包み込み、呼び覚ましていく阿弥陀如来の働きです。どんな時の私をも阿弥陀如来は、決して見捨てることなく愛し慈しみ続けます。いつ、どこで、どんな風に称えても、阿弥陀如来のお慈悲は、お念仏となって響き続けるのです。親鸞聖人が、「ただ念仏して」と教えてくださったのは、こんな心持ちで、こんな場所で、こんな時に、といった条件がないことをお示しくださっています。お念仏は、いつでも、どこでも、どんな風にでも称えていいものです。いつでも、どこでも、称えるまんま、阿弥陀如来に抱かれている私が知らされていきます。

神社や教会でも、また、他宗派の葬儀やご法事でも、お念仏を称えてはいけない場所などありません。周りの人が気になるのであれば、自分の耳に聞こえるほどに称えさせていただければよいのです。普段、如来様のことなど忘れて、自己中心の日暮しを送りがちな私が、お念仏させていただけるのなら、他の宗教もまた、私を導いてくださる尊い仏縁となることでしょう。

お念仏は、私の人生を支えるバックボーン(背骨)です。背骨は、二本以上いりません。様々な価値観の中にも、お念仏に導かれる人生の日暮しをさせていただきましょう。

2015年3月1日

「報恩講」とは

今年も、御正忌報恩講が無事勤まりました。多くの方々の御報謝の中で、本当に有難いご法要をお勤めさせていただきました。報恩講というのは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のご法事のことです。いわゆる、他宗では「開山忌」と呼ばれているものです。しかし、他宗のお寺では、必ずしも「開山忌」が年間通じて、最も盛大に営まれる法要とはなっていません。浄土宗のお寺の御住職に、お寺の様々な行事についてお尋ねしたことがあります。そうすると、そのお寺では、法然聖人のご法事よりも、お盆の法要の方が盛大に営まれると教えてくださいました。
「報恩講」は、浄土真宗というみ教えの大きな特徴を表しています。

「報恩」というのは、恩に報いるという意味です。親鸞聖人のご恩に応えていくという意味です。「講」というのは、集まりという意味です。「報恩講」というのは、直訳すると「親鸞聖人のご恩に報いる集まり」ということになります。最近は、恩という言葉をあまり聞かなくなりました。それだけ、人々の中で、恩という心の働きが鈍くなってしまったということでしょう。

先日、ある御門徒の葬儀の後、次のようなお話を聞かせていただきました。

 「母は、最期、お寺様にもあまりお参りできなくなりましたが、病院で、何かできることはないかと思い、母と一緒にいつも『恩徳讃』を歌わせていただいていました。『恩徳讃』を歌ってあげると、本当にうれしそうな顔をして、一緒に歌ってくれました。これまで、あまり仏法にご縁のなかった妹も、母と一緒に歌ってくれていました。妹にとっても、母と一緒に歌う『恩徳讃』は、ありがたいご縁になってくれたものと思います。」

『恩徳讃』というのは、親鸞聖人が八十五歳~八十八歳頃に創られた和文で書かれた詩の一つです。それは、次のものです。

 「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし」

親鸞聖人は、このような七五調で書かれた和讃と呼ばれる詩を五百首余り創られています。その中でも、この「恩徳讃」と呼ばれるものは、現代において洋楽のメロディーがつけられ、浄土真宗の行事の様々な場面で口ずさまれている、御門徒の方々にとっても、大変親しみのあるものです。正法寺においても、ご法座の度に歌っています。

この「恩徳讃」は、親鸞聖人が、その最晩年に、ご自身の身に溢れる喜びを吐露されたものなのです。

親鸞聖人は、阿弥陀如来と祖師方の為なら、身が粉々になっても、骨が砕かれても構わないと言えるほどの恩を、本気で感じておられました。私達は、身の回りのことでも、恩というものをほとんど感じることが亡くなっているように思います。例えば、毎日三度頂く食事もそうです。私達は、自分の体だけで命をつなぐことはできません。水一滴でさえも、自分で作り出すことはできないのです。生きるというのは、多くの恵みの中で生かされているということでしょう。それらの恵みに対して、深い恩を感じることができているでしょうか。それらの恩に報いるような生き方ができているでしょうか。

親鸞聖人は、自分一人の為に、どれほどの心が砕かれてきたのかを、経典の中の言葉から受け止めていかれました。私達は、如来から「あなたの為なら身が粉々になっても、骨が砕かれても構わない」と慈しまれ、愛されている存在なのです。その仏様の純粋な想い、また、その想いを命がけで伝えようとしてくださった先人の方々の想いに一生懸命に応えようとされた生き様が、親鸞聖人の尊い生涯だったといえるでしょう。

私の命の問題は、如来様が心を砕いてくださったのです。私がさせていただくのは、そのご恩に報いていくことです。浄土真宗は、私の幸せを実現するための生き方を教えているのではありません。こうでなければならない、こうしないといけないと教えているものではありません。ただ、私を想う如来の慈愛の真実なる世界を教えてくださっているのです。

如来様や親鸞聖人のご恩を受け止め、深い喜びの中に感謝する集いの場が、浄土真宗のお寺なのです。今年も、多くのお参りをお待ちしております。

2015年2月1日

お寺は、本当の仲間に出遇う場でもあるのです。

明けまして、おめでとうございます。今年も、御門徒の皆様と共にお念仏に薫る温かい日々を大切に過ごさせていただきたいと思います。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

さて、今年も正法寺では、様々なご法座のご縁が用意されています。浄土真宗は、ご法話を聞かせていただく「お聴聞(ちょうもん)」が何より大切です。お聴聞することを通して、仏様とお出遇いさせていただくからです。仏様というのは、頭の中で想像するものではありません。また、いるか、いないかを詮索するものでもありません。この掛け替えのない人生の中で、はっきりとお出遇いさせていただくものなのです。仏様というと、仏像のようなお姿を想像しますが、お出遇いするといっても、そのような姿に出遇うということではありません。単なる姿に出遇っても意味はありません。仏様とは、心であり、言葉であり、働きです。人には起こすことのできない純粋な心というものが存在するのです。人には決して紡ぎだすことのできない純粋な言葉というものが存在するのです。仏様にお出遇いするというのは、頭を下げずにはおれない尊い心や言葉に出遇っていくということです。この仏様とお出遇いすることを、親鸞聖人は「信心」とおっしゃったのです。そして、この信心こそ、私自身の救いが確立される最も要になるものであることを教えておられます。この人生において、頭を下げずにはおれないほどの尊さに出遇わなければ、本当の安心は得られないということでしょう。人生は、虚しく過ぎてゆくだけです。

その信心をいただく、仏様の働きに出遇っていくには、ただただお聴聞していくしかありません。この娑婆世界の中にあって、お聴聞し、仏様にお出遇いしていく唯一の場が、お寺なのです。浄土真宗のお寺の存在意義は、ここにこそあるのです。

正法寺の御門徒の中には、御夫婦そろって、ご法座にお参りされる方も何組かいらっしゃいます。大変、幸せなことです。その御夫婦でよくお参りくださる方の中で、以前、次のような感想をお話下さった方がおられました。

 「御院家さん、お聴聞というのは、難しいものですね。私のところは、よく家内と二人でお参りさせていただくのですが、ご法座が終わって家に帰った後、家内と今日聞いたご法話の話によくなるのです。すると、同じ話を聞いてきたはずなのに、夫婦で感じ方も聞き方も全く違うんです。私が、今日の御法座での感想を家内に話すと、家内から、思いもしなかった感想が返ってくることがあります。夫婦二人で話していると、お互いの感じ方に感心させられることがよくあって、おもしろいものだなと思います。」

本願寺第八代の御門主で、浄土真宗中興の祖とも讃えられる蓮如上人は、お聴聞した後、黙っているのはよくないと教えておられます。お聴聞し、自分自身受け止めた気持ちを、口に出して話すことを、とても大事にされました。蓮如上人の伝道活動で特徴的だったのは、地域の中に講(こう)とよばれる集会を作らせて、そこで、自分の仏教に対する感じ方、受け止め方を自由に語り合えるようにしたことでした。当時の人々は、自分がお聴聞し感じたことを、講という場で、自由に告白し、それを人に聞いてもらい、時に受け止め方の過ち等を指摘されることで、自分自身の味わいを深めていったのです。また、正直な気持ちをお互いに語り合うことで、同じ阿弥陀如来のお心を頂くお念仏者としての絆も深められたことでしょう。

お聴聞させていただくことが、自分の独りよがりに終わっていくことは、本当にもったいないことです。阿弥陀如来の働きに出遇っていくということは、人生における掛け替えのない喜びに出遇っていくということでもあるはずです。うれしいことは、黙っていられないはずです。喜びを語り合う場には、明るさが満ちていくものです。浄土真宗のお寺は、本来、とても明るさが満ちている場所なのです。

お念仏の道は、一人で寂しく歩む難しい道ではありません。みんなで一緒に、明るさに包まれながらお浄土への道を歩ませていただくのです。お寺は、本当の仲間に出遇う場でもあるのです。

今年も、たくさんのお参りをお待ちしております。

2015年1月1日

温かいお慈悲に身を浸し、御恩報謝の日々を送らせていただきましょう。

先日、ある御門徒のご法事のお斎の席で、お酒も程よく入った頃、御親戚の男性の方々と、次のような会話がありました。

男性A
「御住職、南無阿弥陀仏を称えると、本当にお浄土というところに往けるのですか?」
住職
「お念仏申せば、お浄土に往けるのは、間違いありません。」
男性B
「本当にそんな所に往けるのですかね。」
男性C
「死んだら、お浄土に往けるのは間違いないんだから、安心しておけばいいんですよ。」
男性D
「お浄土というのは、きれいなお花畑があるような所なのですか?本当に死んだ人と会えるのですか?」
住職
「お浄土は、大切な方と、また会える世界ですよ。でも、私達が、この頭で想像する世界は、どれもお浄土
とはいえません。お浄土は、この私が仏様としての命を賜っていく世界なのですよ。」

 仏事の際に供されるお食事のことをお斎(おとき)といいますが、お斎の席というのは、本来、世間話をする場ではなく、仏様のみ教えについて、自由に語り合う場なのです。普段、まともには聞けない事柄も、仏事の後のお斎の席では、案外、素直に聞けるものです。また、お酒が入っていれば、なおさらのことです。

親しい方との死別をご縁として勤められるご法事は、否応なく私自身に死というものについて考えさせます。この私も、そう遠くない先に、必ず命終えていくのです。しかし、私に想像できるのは、遺体が焼かれて骨だけが残るだろうという、他人の死から経験した目に見える体の現象だけです。死とは何であるのか、生とは何であるのか、これらに対する安心のできる答えを、私達は持ち合わせていません。仏様から見た私達は、不安をいっぱいに抱えて生き死んでいく悲しむべき凡夫なのです。

お浄土というのは、本来、「清らかな領域」という意味です。場所を表すものではありません。仏様と呼ばれる悟りを開いた方のみに開かれる清らかな領域をいうのです。清らかな領域というのは、あらゆる命、あらゆる事柄をありがたいものとして受け止めることのできる世界です。仏道修行というのは、この清らかな領域を目指して修行をします。若き日の親鸞聖人も九歳から二十九歳までの二十年間に亘り、仏道修行の日々を送られました。『歎異抄』には、親鸞聖人が弟子の唯円房に対して「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」とおっしゃったことが伝えられています。二十年に亘る命がけの修行の末に、親鸞聖人の目の前に開かれたのは、地獄一定の我が身だったのです。親鸞聖人にとって、「死んだらお浄土」というのは、けっして当たり前のことではありません。むしろ、ありえないことなのです。地獄一定の我が身を、お浄土に迎え取っていく背後に、どれほどの慈しみと悲しみが重ねられてきたのかに、心震わされたのが、親鸞聖人の信心でしょう。有名な親鸞聖人が唄われた「恩徳讃」に、その感動が綴られています。

「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし」

 阿弥陀如来が、このどうしようもない私に重ねてくださったご苦労を思えば、身を粉にしてその御恩に報いても報い足らない、また、そのお慈悲があったことを、普通なら気づくことのない私に気づかせてくれた先達の方々のご苦労を思えば、骨が砕かれても感謝せねばならないと吐露しておられます。法然聖人にお出会いになってからの親鸞聖人の人生は、一宗の開祖と仰がれるまでになる尊い人生でした。それは、この阿弥陀如来のお慈悲に平伏し、その御恩に身を粉にして、骨を砕きても報じていこうとする喜びに満ちた人生だったのです。

私が、お浄土に生まれるかどうかは、実は、私自身が問題にする話ではなかったのです。それは、阿弥陀如来が問題にしてくださった内容なのです。私が問題にすべきは、その阿弥陀如来の深い慈しみと悲しみを、私自身、正しくいただけているかどうかです。温かいお慈悲に身を浸し、御恩報謝の日々を送らせていただきましょう。

2014年12月1日

『無量寿』という言葉の意味

先日、ある御門徒のご法事の折、次のようなご質問をいただきました。

「近くの真言宗のお寺に『無量寿』と書かれた額があるのですが、あれは、どういう意味なんでしょうか?そこのお寺の総代さんや寺族の方も、よく分からないと言われるのです。帰って聖典を開くと、浄土真宗の聖典にも、たくさん『無量寿』という言葉がありますね。どういう意味なんでしょう?」

 「無量」という言葉は、直訳すると「量ることができない」という意味になりますが、これは、「限りがない」という意味です。「寿」という言葉は、「寿命」という言葉があるように、「いのち」という意味です。ですから、「無量寿」というのは、直訳すると「限りない命」ということになります。

浄土真宗の聖典の中に、この言葉がよく出てくるのは、阿弥陀如来の別名が無量寿如来だからです。浄土真宗門徒が最もよくお勤めするのが、親鸞聖人が『教行信証』の中でお作りになられ、蓮如上人が、日常的にお勤めできるように制定された「正信念仏偈」、略して「正信偈」です。この「正信偈」の一句目に「帰命無量寿如来」とあるのも阿弥陀如来のことを意味しています。浄土真宗では、阿弥陀如来は、御本尊です。私達が、最も尊ぶべき姿が阿弥陀如来のお姿であり、この阿弥陀如来一仏の働きによって、往生浄土の道が恵まれていくのです。一方、真言宗の御本尊は大日如来ですが、阿弥陀如来も尊ぶべき五大如来の一つとされ、大日如来を中心として、五つの悟りの領域を表すものとして位置づけられています。

阿弥陀如来に別名があるというのは、「阿弥陀如来」という言葉が、サンスクリット語の音写だからです。音写というのは、発音をそのまま写したということです。中国に元からないものは、それを表す中国語も元からありません。例えば、アメリカで作られたコカコーラという飲み物は、中国には元からなかったものです。ですから、コカコーラとしか表すことができません。しかし、中国には、平仮名もカタカナもありませんから、コカコーラという発音を漢字に写すしかないのです。中国では、コカコーラを「可口可楽」と書くそうです。「可口」は「美味」、「可楽」は「楽しめる」という意味もあるそうですが、中国人の工夫が感じられます。サンスクリット語やパーリー語の経典をインドから持ち帰り、中国語に訳すときにも、様々な工夫がなされたのです。コカコーラ程度のものでしたら、おおよその意味が分かれば問題はありませんが、仏語が記された経典の言葉は、そういうわけにはいきません。仏様が、その言葉によって開こうとされる悟りの領域を、別の言葉で表し直すというのは、私達が考えている以上に大変なことなのです。

阿弥陀如来という言葉は、お釈迦様の言葉の響きをそのまま残したものです。漢字そのものに意味は込められていません。それに対して、阿弥陀如来という言葉の響きが持つ意味を、漢字が持つ意味で表そうとされた一つが、「無量寿如来」なのです。

法然聖人は、阿弥陀如来が「限りない命の仏様」であるのは、大慈悲の現れであることを教えておられます。「限りない命」と聞くと、死なない命が単独であり続けているように想像しますが、そうではありません。「限りない命の仏様」というのは、その仏様にとって見捨てることのできない、慈しみ悲しむべき命が限りなくあるからなのです。阿弥陀如来が願う生きとし生けるものの安らぎは、過去・現在・未来という時間を超越しています。阿弥陀如来のお慈悲の働きに終わりはありません。あらゆる命の悲しみや苦しみを限りなく背負い続けていくのです。

私達は、自分一人の悲しみでさえ背負いきれなくなる時があります。また、それによって、自分の人生でさえ見捨てようとすることもあります。仏様というのは、そんな自分ですら抱えきれない苦悩を背負った数限りない迷いの命を、限りなく慈しみ愛し続けていく働きをいうのです。自らが、他人のために地獄の底に沈んでいき、他人の幸せの為に限りなく働き続ける純粋な命の姿が、「無量寿」という言葉で表されています。

仏教の永い伝統の中で大切にされてきた言葉には、私達を導く深い意味が込められています。大切に味わわせていただきましょう。

2014年11月1日