先日、あるご法事の折、当家の奥様より次のようなお話をいただきました。
「私は、毎朝、お仏壇の前に座って、お正信偈をお勤めして、その後、礼讃文を拝読しています。時間のない朝は、お正信偈が、讃仏偈に代わったりもしますが、礼讃文は、毎朝、拝読しております。でも、長年、拝読してきましたが、この礼讃文の意味がよく分かりません。御院家さんが、来られた時に聞こうと思っていたんです。」
朝、一日の始まりと、夜、一日の終わりにお仏壇の前に座らせていただくことは、とても大切なことです。浄土真宗のお仏壇は、家庭生活の中心でなければなりません。色んな思いを持った家族が、同じ阿弥陀如来のお慈悲の中で一つになって、同じ方向を向いて生き抜いていける場が、お仏壇なのです。日ごろ、如来様のことなど、どこかに忘れて、浅ましい姿を垂れ流しにしている私達です。朝晩、お仏壇の前に家族で座り、如来様のお心を味わい、一日を大切に過ごしてみたいものです。
さて、礼讃文ですが、これは、三帰依文ともいい、御門徒の方々が拝読する聖典の初めの方に掲載されています。全文は、次のものです。
人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの 身を度せん。
大衆もろともに、至心に三宝に帰依したてまつるぺし。
自ら仏に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、 大道を体解して、無上意を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、 大衆を統理して、一切無碍ならん。
無上甚深徴妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。
我いま見聞し 受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を解したてまつらん。
このように、言葉が非常に難しいので、意味がよく分からなくても無理はありません。しかし、ここには、浄土真宗のみならず、仏教徒としての基本的な味わいが語られています。生まれがたい人としての命を賜ったこと、聞きがたく遇いがたい仏法に遇い得たことを喜び、その上で、仏・法・僧の三つの宝に帰依していくことが、ここには語られています。
宝物に関して、お釈迦様と実子ラーフラとの有名なエピソードがあります。お釈迦様には、出家前に授かった長男がいらっしゃいました。愛する我が子は、出家の決意を揺るがします。それで、お釈迦様は、その子にラーフラ(障害をなすもの)と名づけたのです。お悟りを開かれ仏と成った後、お釈迦様は、カピラ城で実子ラーフラと対面します。その時、ラーフラは、お釈迦様に「私に宝物をください」といいます。これは、釈迦族の王位継承権を保証してほしいという意味だったのですが、お釈迦様は、ラーフラに「壊れる宝がよいか、壊れない宝がよいか」と聞きます。子どものラーフラは、当然、「壊れない宝がいい」と答えます。お釈迦様は、「それなら、み教えを聞く身になりなさい」といって、ラーフラをそのまま出家させたと言われています。
私達が、普段、宝物にしている財産や地位や名誉や健康、家族でさえも壊れるものです。無常の風にすべて吹き飛ばされていきます。壊れていくものは、私自身の人生を命を、本当の意味で支えることはできないのです。真実に目覚め、私どもを目覚めさせてくださる仏と、そのみ教え(法)と、その教えに従って生きる人々の和やかな集い(僧)こそ、生きとし生けるすべてのものにとって、何よりも尊い、かけがえのない宝物と成り得るのです。
仏教徒とは、この三種の宝物を賜り、そして、その宝物に守られ、導かれる者のことをいうのです。大切にすべき宝物は、私の欲望を満たすものではありません。私を惑わし、迷わすものを宝物だと錯覚して過ごす私達です。日々の日暮しの中で、仏教徒として、この礼讃文を大切に拝読させていただき、大切にすべきものを見失わないようにしたいものです。
以前、ある御門徒の葬儀の折、当家の奥様から、次のようなお話を聞かせていただいたことがありました。
「お婆ちゃんは、若い頃、お寺の本堂の仏具を寄付したそうです。その当時、仏教婦人会の会長さんから『お内陣の中のお仏具を寄付させていただいたら、前に座ってお聴聞するようになるから、寄付させてもらいなさい』とお勧め頂いたことを、いつも嬉しそうに話してくれていました。若い頃は、あまりよく分からずに寄付したそうですが、自分が寄付した仏具があると、本当に気になって、お寺に足が向くようになったようです。晩年は、御法座の度に、本堂の一番前に座って、お聴聞させていただいておりましたが、本人は、本当に会長さんの言う通りになったと、そのことが、とてもうれしい様子でした。」
正法寺が、大火災に見舞われたのは、昭和三十一年十二月二十日のことでした。本堂再建のための仏教婦人会の身を粉にした活動は、御存じの方も多い事かと思います。このお話を聞かせていただいて、改めて、私達の正法寺が、何の為に建てられてあるのかを大切に受け止めさせていただいたことでした。
全国にあるお寺の数は、約七万ヶ寺を超えるそうです。これは、全国にあるコンビニの数を大きく上回る数です。しかし、コンビニの方がよく目につくのはなぜでしょう。それは、多くのお寺は、人里離れたところに建てられていることが多いからでしょう。本来、お寺というのは、心を落ち着かせて仏に礼拝する場であり、悟りを目指す僧侶が、修行する場でもあるのです。お寺の敷居が高いと思われている方は多いと思いますが、本来、お寺の敷居というのは高いのです。それは、世俗とは一線を引き、悟りを求める場として建てられてあるからです。
しかし、浄土真宗の寺院は、これら、本来のお寺の姿とは、かなり違いがあります。浄土真宗のお寺が、今日のように多く建てられ始めたのは、今から、約500年前、本願寺第八代御門主の蓮如上人の情熱的な布教活動があってからのことです。蓮如上人の生涯かけての悲願は、さびれた本願寺の再興にありました。蓮如上人が生まれ育った大谷本願寺は、比叡山の僧侶によって破却されますが、やがて、蓮如上人の情熱的な布教活動によって、本願寺は、京都山科の地に再興されていきます。再興された山科本願寺は、その広さ、二十四万坪。破却された大谷本願寺の800倍もの面積を誇るものでした。この再興された山科本願寺は、それまでの寺院の常識を覆す今までにない姿を現したのです。それは、「寺内町」とよばれる寺院の中に町が形成される姿でした。蓮如上人が再興した山科本願寺は、お念仏に生かされる人々が集う広大な宗教都市だったのです。浄土真宗の寺院は、人里離れた所どころか、寺院を中心にして町が形成されるような性格をもっているのです。
浄土真宗のみ教えは、世俗を離れることを教えるものではありません。離れることのできない世俗を、仏道としてお荘厳してくださるのが、お念仏の働きなのです。世俗の日常は、決して平穏には過ぎてはいきません。自己中心の妄念に苦しみ、条件次第で善と悪とが翻りながら、愛憎の中で押し流されるように生きねばならないのが、隠しようのない凡夫の姿です。生きることの意味も死ぬことの意味も考えることなく、ただ流れに任せて、愛憎の中を通り過ぎてゆく人生というのは、虚しいだけではないでしょうか。命の現実から目をそむけ、楽しみだけを求め貪る姿は、人の姿はしていても、人としての命を生きたことにはならないでしょう。
阿弥陀如来は、世俗の中で生きていかざるをえない私を、愛憎の濁流から守り、地に足をつけて歩んでいくことのできる道をもたらしてくださいます。お寺とは、その道を共々に聞き開かせていただく場なのです。自分自身の人生と死は、自分自身にしか歩み受け入れることができない道です。誰かがどうにかしてくれるものではありません。一人ひとりが、聞き開かせていただかなければならないのです。先人の方々は、自分自身の命の問題を解決する場として、お寺を大切にされてきたのでしょう。その思いを、無駄にすることのない日々を送っていきたいものです。
7月30日から31日にかけて、山口南組児童念仏奉仕団が組織され、山口南組十四ヶ寺に所属する四年生から六年生までの小学生十四名が、ご本山本願寺にお参りをいたしました。その内、正法寺からは、八名の子ども達が参加してくれました。ご本山の児童念仏奉仕団は、毎年、夏休み前半の7月20日頃から8月上旬の二週間程度の間に行われます。山口南組が参加した二日間は、400名以上の子ども達が、全国から集まっていました。御影堂の畳や広縁の拭き掃除、境内の草引きなどの奉仕作業に加えて、レクリエーションやゲームなどの楽しい内容も目白押しです。もちろん、阿弥陀堂、御影堂での朝のお勤めや御法話をお聴聞するご縁も用意されています。ご本山を中心とした京都での二日間は、子ども達にとって、忘れることのできない思い出になったことと思います。
以前、ある御門徒のご法事にお参りさせていただいた時、お斎の席で御親戚の方から、「お経には、何が書いてあるのですか?これが分かったら仏教が信じられるのですが、分からないものは信じようがありません。」といったお話をいただいたことがありました。これは、もっともなお話だと思います。意味の分からないものを信じるというのは、通常、無理なことでしょう。
親鸞聖人が、初めて明らかにされた仏教の教説の一つに、この「信じる」ということがあります。浄土真宗とその他の仏教宗派との明確な違いの一つは、この「信心」にあります。親鸞聖人は、「信心」とは、お悟りを開かれた仏様だけが起こす真実の心と解釈されました。純粋に仏に帰依し、教えに帰依していく清らかな心は、仏様のみが起こすことのできる真実心と見抜いていかれたのです。そして、私のような凡夫には、到底起こすことのできない心として、信心というものを味わっていかれました。これは、本来、私には、仏教を信じる能力がないということを意味します。自己中心の妄念の中、損か得、好きか嫌いかの世界に振り回される凡夫には、仏様の清らかな世界を信じることができないというのです。お浄土や仏様が分からない、信じられないというのは、親鸞聖人にとっては、悲しい凡夫の現実として捉えられています。
それでは、そのままでいいのかというと、私をそのままでは終わらせない働きがあるというのです。それが、阿弥陀如来の根本の願いの力、本願力だと親鸞聖人はお示しくださいます。本来、信じることが出来ないどころか、仏様の世界に見向きもしない者が、仏様の尊前に座り、手を合わせている、また、「南無阿弥陀仏」と如来の御名を口にするようになるというのは、不思議なことです。本来、不可能なものが、可能になる。それは、不可能を可能にした働きがあるのだと、親鸞聖人は、味わっていかれたのです。この私を決して捨てておかない阿弥陀如来のお慈悲の深い働きが、仏様やお浄土がましますことを知らせ、信じさせていくのです。それを、親鸞聖人は、「如来より賜りたる信心」とおっしゃっています。
仏法を何度聞いても、ザルで水をすくうように、頭の中に何も残らないことを悩んでおられた御門徒に対して、蓮如上人は、「その篭を水につけよ、わが身をば法にひてておくべき」とおっしゃっています。「そのザルごと水の中にひたしてしまいなさい」とのお示しです。我がはからいを捨てて、素直にどっぷりと如来様のお心に身をひたしていると、いつの間にか、如来様のおっしゃる世界がまことであり、お浄土がましますことが頷けるような身に育てられていくのでしょう。
この度、14名の子ども達を引率し、ご本山にお参りさせていただいた時、その如来様の働きを、改めて味わせていただいた気がいたしました。子どもの素晴らしいところは、その純粋さにあると思います。何も分からなくても、言われるままに手を合わせ、言われるままに「南無阿弥陀仏」と口にできるのです。この素直さは、必ず尊い仏縁になっていくものと思います。仏教というのは、納得してからスタートするものではありません。仏様のお心は、掴もうとすればするほど、私から離れていってしまいます。分からないまま手を合わせるところに、如来様の願いは働いていてくださるのです。何も分からなくても、素直にどっぷりとお法に身をひたしていける、子どものような心を大切にしていきたいです。
先日、近隣の浄土真宗の寺院十四ヶ寺から組織されている山口南組の総代研修会が、陶の西円寺様において開かれました。この研修会では、御法話をお聴聞した後、四グループに分かれて、意見交換をする場が設けられています。様々なお寺の総代の方々が集まって、お寺の取り組みや悩み等について、様々な意見が交換されました。後継者不在や本堂の修復、過疎化の問題など、様々な意見が交換されましたが、どこのお寺にも共通していたのが、法座にお参りする方々の減少と高齢化の悩みでした。浄土真宗の寺院において、その中心となるのは、法座活動です。浄土真宗のお寺の本堂は、御本尊を御安置するお堂というだけでなく、御門徒が、阿弥陀如来のお心をお聴聞するための道場でもあるのです。ここが、他の宗派のお寺とは、大きく異なるところです。総代さん方が、法座にお参りする方々の減少について悩まれるというのも、浄土真宗門徒の特徴といえましょう。お寺に多くの方々にお参りしていただくために取り組んでいる様々な事例についても、意見交換がありました。それぞれのお寺で、御住職と総代の方々が、工夫され、み教えを伝えようとされているお姿には、本当に頭が下がる思いがします。
さて、昨年、正法寺の公開講演会に東京大学名誉教授の養老孟司先生がお越しくださいました。多方面でご活躍の有名な先生ということもあって、お迎えする住職も大変緊張したことを覚えています。しかし、住職の緊張をほぐしてくださるかのように、控室では、大変気さくに様々なお話をしてくださいました。その養老先生が、帰り際、次のようなお話をしてくださったのです。
「お寺は、人々に求められる時代が、まもなくやってくると思います。明治時代に面白いデータがあって、二十代の若者にお寺に関する調査をすると、ほとんどの若者が、お寺には興味がないと答えているんです。その明治時代の若者が、昭和の初め、歳を重ねると、みんな仏様のお話を聞きに、お寺にお参りしたのです。今も昔も、若者が、お寺に興味がないのは変わっていません。でも、これから、たくさんの人が、お寺にお参りする時代が、またやってくると思いますよ。みんな仏教を求めるようになると思います。がんばってください。」
タクシーに乗り込まれる間際、急いで、こんなお話をしてくださいました。若い住職に対する温かいエールを送るおつもりでお話しくださったように思いますが、講演の中で、養老先生は、人の理屈の世界が、どれほどあてにならない不確かなものであるのかをお話しくださいました。それは、人の理屈の最前線で仕事をしてきた自分自身の実感だとも申されました。再び、多くの人々が、仏教を求めるようになるというのは、養老先生の実体験を通した上での実感でもあるように思います。
なぜ、お寺にお参りしなければならないのか、それは、人の理屈の世界では、どこまでいっても決して解決できない問題が、厳然としてあるからではないでしょうか。そして、その解決できない問題は、人である限り、誰もが抱えなければならないのです。お釈迦様が悟られた真理は、その問題を乗り越えていく道でもあったのです。その問題とは、一言でいえば、思い通りにならない苦しみということでしょう。人は、誰もが、自分の思い通りになることを求めます。歴史を形作ってきた権力争いも、それが原因となって起こります。科学技術も、より思い通りに便利になることを目指して発達してきたといってもよいでしょう。そして、それによって、人は必ず傷つくのです。損か得か、勝つか負けるかに振り回される世界に、それとはまったく異なる価値観でもって、人々に深い安らぎの道を教えてくださるのが、仏様のみ教えです。お寺というのは、人の理屈とは異なる仏様のお心を聞かせていただくところなのです。
お釈迦様は、人々が、本当に求めるべき世界を教えてくださっています。それは、2500年以上もの間、大切にされ、多くの人々を救ってきた真理です。今一度、お寺にお参りし、仏様のお心を聞かせていただくことの大切さを考えさせていただきましょう。
先日、保育園で巣を作っていたツバメのヒナが、蛇に食べられるという出来事がありました。壁を這い上がった蛇が、巣の中で泣くヒナに容赦なく食らいつく残酷な現場は、そこに居合わせた子ども達にとって、大変な衝撃を与えるものでした。蛇を悪者に、ツバメをかわいそうな被害者にして片付けてしまうのは、分かりやすくて簡単ですが、それだけで終わらせてはならない問題がここにはあります。朝のお勤めの時、如来様のお心の中で、子ども達と一緒に、この出来事を大切に受け止めさせていただいたことでした。
他の命を奪うという行為は、私達も毎日、行っています。奪わなければ、自分が生きるということはできません。個の命は、多の命によって成り立っているのです。しかし、お釈迦様は、他の命を奪うという行為を厳しく戒められました。仏教で説かれる殺生戒がそれです。お釈迦様のお食事は、朝の一食だけでした。しかも、たくさんは、いただかれません。その日、一日だけしのげる物を、托鉢によって口にされていたのです。次の日の分までは、決して口にはされませんでした。一日、一日が、命の完結であるような生き方をされたのが、お釈迦様でした。また、自分の命を粗末にすることも厳しく戒められています。その日、他の命から頂いた命は、決して無駄にすることなく、仏道を歩む糧とさせていただくのです。仏道の完成は、一切の命の悲しみ、苦しみを引き受け、一切の命を目覚めさせ、一切の命を悟りの境地へ落ち着かせるところにあります。他から頂いた命は、一切の命の幸せの糧へとなっていくのです。
しかし、これは、誰もが成しうるものではありませんでした。仏教では、実際に行動に移さなくても、心の中で思ったこと自体が、罪と見なされます。例えば、空腹時に、あるお家から、夕食のおいしそうな香りがしてくる時、ふと心の中に、食べたいという欲求が起こっただけでも、戒律を破ったことになるのです。仏教の戒律というのは、それを純粋に守っていこうとする真面目な人ほど、守ることが出来ない自分の浅はかな罪深い姿に絶望していくものなのです。
親鸞聖人もそのお一人でした。親鸞聖人は、ご自身を「無戒の者」と位置付けていらっしゃいます。破戒というのは、戒律を保てる者が、それを破ることですが、無戒というのは、本来、どんな簡単な戒律も保つことのできない最低の罪人のことをいいます。親鸞聖人は、二十年の比叡山での御修行の中、「無戒の者」という絶望的な自覚を深めていかれたのでした。しかし、無戒の者だからだと言って、好きなように振る舞ったわけではありません。地獄にしか落ちようのない無戒の者まで、決して見捨ててくださらない阿弥陀如来のお慈悲を、絶望の中仰がれ、そのお心に育てられ続ける日々を大切に歩まれたのでした。
親鸞聖人は、その主著『教行信証』の中で、善導大師の次のお言葉を大切に引用されていらっしゃいます。
「内に虚仮を懐いて、貪瞋邪偽、奸詐百端にして悪性侵めがたし、事、蛇蝎に同じ」
私達は、善人のように振る舞っていても、心の内には偽りを抱き、貪り・怒り・よこしま・欺きの心が絶えず起こって、それは、まるで蛇やサソリのようであるというのです。もし、貪りや怒りの心を起こし、他の命を傷つけながら、それを何とも感じずに繰り返すばかりであるなら、それは、まさしく蛇やサソリと何ら変わる所はありません。親鸞聖人は、『教行信証』の中で、「無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす」という『涅槃経』のお言葉も大切に引用されていらっしゃいます。欲望のままに振る舞い、それを恥ずかしいとも感じないものは、人ではないというのです。同じく他の命を奪わなければ生きてゆけない人と蛇ですが、大きな違いはここにあります。蛇は、まさしく欲望のままに振る舞うだけで、ツバメの悲しみも絶望も感じることは決してないでしょう。しかし、蛇のような人間も案外多いのではないでしょうか。奪わなくてもよいものまで奪い、味を楽しみ、欲求を満たすだけの食事をする人は、人としての生涯は送っていないということでしょう。
他の命を頂くことの重みを知り、その命を無駄にしない生き方とは何であるのかを、如来様のお心の中に大切に聞かせていただきましょう。
先日、ある御門徒のご法事の折、御当家の奥様が、次のようなお話をしてくださいました。
「御院家さん、私は、最近、つくづくこう思うんです。子どもの頃は、元気いっぱいに友達と色んな遊びを経験することが、命の栄養になると思うのです。そして、若い時は、趣味などの自分の好きな楽しみが命の栄養になっていました。でも、今、歳をとってみて思うのは、自分の好きな趣味も遊びも栄養にはなりません。歳をとってからの命の栄養は、やっぱり南無阿弥陀仏のみ仏様だと思います。私は、耳が悪くて、お寺でのご法話が、よく聞き取れません。でも、毎日、自宅のお仏壇の前に座って、「ナマンダブツ、ナマンダブツ・・・」とお念仏させていただいています。」
ありがたいことだなと思って、頷きながら聞かせていただきました。
蓮如上人のお言葉の中に、次のようなものがあります。
「陽気・陰気とてあり。されば陽気をうる花ははやく開くなり、陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。かやうに宿善も遅速あり。されば已・今・当の往生あり。弥陀の光明にあひて、はやく開くる人もあり、遅く開くる人もあり。とにかくに、信・不信ともに仏法を心に入れて聴聞申すべきなりと云々」
花でも太陽の光の当たり具合によって、早く開くものもあれば、遅く開くものもあるように、仏法でも、その真実に目が覚め、お念仏の花が開くのには、その人その人で時期が異なるというのです。如来様のお慈悲の働きは、あらゆる命の上に働き続けます。そこから漏れる命はありません。今、仏法を聞く気のない人々も、批判的な人々も、必ずいつかその花が開く日がくるというのです。そうはいっても、仏法を喜べないまま命終わっていく人々は、たくさんいるではないかと疑問に思われるかもしれません。それは、その通りですが、私というのは、今生の何十年かが全てではありません。今生は、命の世界全体からすると、ほんの一部に過ぎないと如来様は、教えてくださいます。今、仏法を聞いて喜べる身にさせていただいている方々も、生まれ変わり死に変わりする中、果てしない時間をかけて如来様のお慈悲に育てられてきたのでしょう。
お慈悲というのは、慈しみ悲しむと漢字で表すように、それは、簡単に言うと他の命と共感していく心のことです。人であれば、誰もが抱えなくてはならないのが、苦悩です。これは、苦労とはまた異なるものです。苦労というのは、人に語ることが出来ます。それは、既に解決し乗り越えることが出来たものです。苦労は、笑顔で語ることが出来るのです。しかし、苦悩というのは、人に語ることはできません。本当に苦しみ悩んでいる時は、それを言葉にして、人に語ることはできません。自分一人が抱え、背負っていかなければならないのです。長く生きるということは、この苦悩を多く背負っていくということでもあるのでしょう。ですから、長生きするということは、決して楽なことではありません。
しかし、この自分ではどうすることもできない苦悩を抱えるからこそ、人は、如来様のお慈悲に出遇っていくことができるのです。誰にも語ることが出来ない、そんな苦悩に共感していく働きが、阿弥陀如来のお慈悲です。お念仏申す者にとって、苦悩は、もはや自分一人が抱え背負っていくものではありません。それを一緒に抱え背負ってくださる如来様がいらっしゃるのです。そして、汚い泥を吸い上げ、見事な美しい花を咲かせる蓮のように、如来様のお慈悲は、その苦悩の上にお悟りの花を咲かせていきます。
お歳を重ねる中で、如来様のお慈悲が響いてこられた姿は、まさしく、そのことを如実に表しています。私の口からこぼれる「ナマンダブツ・・・」は、私の苦悩の中に響く、温かなお慈悲そのものです。お念仏申し、お慈悲を味わう中に、苦悩が徳に転ぜられていく世界があります。何とも思わなかったお慈悲が、ありがたく響き、お念仏申そうという心が起こったならば、それは、如来様の果てしなく長いお育てが、やっとここに実を結んだということです。そのことを、喜ばせて頂きたいものです。
先日、近隣の浄土真宗本願寺派の寺院からなる山口南組のある集まりの折、ある寺院の仏教壮年会の会員の方から、次のようなお話を聞かせていただきました。
「私が、お寺の仏教壮年会に参加させてもらうようになったのは、三十五歳の時です。父が亡くなった時に、御院家さんから誘われて参加したのが初めです。私の地域には、浄土真宗門徒が少なくて、お寺にお参りしても知らない人ばかりでした。でも、私は、お酒が好きで、仏教壮年会で飲み会がある度に、仲のいい友達が増えていきました。初めは、ただ、お酒を飲みにお寺にお参りしていたようなものですが、今になって思うと、お寺とご縁が持てたことは、本当にありがたいことだと思います。お寺にお参りしていなかったら、結局、隣人とけんかしたり、ねたんだり、ねたまれたり、そんなつまらない日々しか残らなかったと思います。」
御年齢を尋ねることは出来ませんでしたが、おそらく六十五歳前後のお歳を重ねていらっしゃるのではないでしょうか。三十年近くに亘って、仏法を聞き続けてこられた方の、芯の通った有難い空気が、言葉に籠っていました。如来様の働きに出遇っておられる方の言葉には、響きがあります。その響きに頭が下がる思いを持たせていただきました。
人は、何を目的として生きるのでしょうか。その意味を深く考えることができるのは人だけです。『仏説無量寿経』には、人の生きる姿について、次のように説かれています。
「しかるに世の人、薄俗にしてともに不急の事を諍ふ。この劇悪極苦のなかにして、身の営務を勤めてもつてみづから給済す。尊となく卑となく、貧となく富となく、少長・男女ともに銭財を憂ふ。有無同然にして憂思まさに等し。屏営として愁苦し、念を累ね、慮りを積みて、〔欲〕心のために走り使はれて、安きときあることなし。」
人は、身分の高い者も低い者も、貧しい者も富める者も、老若男女を問わず、みな金銭のことで悩んでいるというのです。そして、それがあろうがなかろうが、憂え悩むことには変わりがなく、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかな時がないと指摘されています。確かに、私たちは、お金や家がなければ、ないで悩みますが、しかし、あれば、あることでまた悩んでいきます。それによって、そねみ、嫉む心も起こしていきます。あの人のように立派なお家に住みたいとか、あの人のように立派な会社に勤めたいなど、例を挙げればきりがありません。しかし、立派な家に住んでいる人に悩みがないかというと、決してそうではないのです。やはり、同じように憂い悩みは尽きません。「薄俗にしてともに不急の事を諍ふ」とあるように、急がなくてもよいことを、一生懸命急ぎ争い合い、激しい悪と苦の中に埋没していくのが、私達の隠しようのない浅ましい生き様なのでしょう。
しかし、自分の浅ましさというのは、自分では気づくことはできません。まして、同じような生き様をさらしている他人に指摘されて納得できるものでもありません。お経というのは、自分では気づけない、他人からも教えてもらえない、そんな大切な事柄が説かれてあるのです。だから、一言一言、大切に頂いていかなければなりません。『仏説無量寿経』には、その後、このような生き方を改め、阿弥陀仏のお浄土を目指すような生き方をすべきことが説かれていきます。そんな生き方からは何も残らない、本当の幸せとは何であるのかをよく考えるべき旨が、厳しく諭されています。
人生をつまらなく虚しいものにするのは、他人や周りの環境ではありません。他ならない私自身なのです。そして、虚しいものを虚しいものと気づかず、どこまでもそれを争い追い求めていくことが人生の目的となっているのが、私の姿なのではないでしょうか。
やはり、仏法を聞いていかない限りは、つまらないものしか残っていかないのだろうと思います。仏法を聞かせていただくこと、それは、私が追い求めても決して得ることができない、本当の安らぎを頂いていくことです。仏法に耳を傾けさせていただきましょう。
春のお彼岸会も無事勤まり、いよいよ本格的な春が訪れました。お彼岸というと、お墓参りの印象が非常に強いものです。関西では、お彼岸の時期になると、本願寺の大谷本廟の映像が、夕方のニュースで必ず流れています。それだけ、日本人にとって、お彼岸とは、今でもご先祖を偲ぶ日として大切にされているということでしょう。
しかし、ただお墓にお参りすることが、本当にご先祖を大切にしていることになるのかどうかは、浄土真宗門徒の立場から、よくよく考えていかなければなりません。
先日、ある御門徒の納骨に立ち会わせていただいたことがありました。その昔、毛利家からいただいたという墓地は、代々のご先祖の墓石が数多く並ぶ、個人の墓地とは思えない広大なものでした。この墓地を管理維持される御苦労は、想像に難くありません。この度の納骨に関しても、御当主と奥様が、二日間に亘ってお掃除されたということでした。先祖代々の数多くのお墓を、御夫婦二人で、一生懸命守っておられるお姿には、本当に頭が下がる思いがいたしました。
さて、浄土真宗において、お墓とは、どのように味わうべきなのでしょうか。親鸞聖人が、晩年、お弟子の方に語ったとされるお言葉に「某[親鸞]閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」というものが、伝えられています。「私が命終わったならば、京都の鴨川に遺体を流して、魚の餌にしてください」ということです。つまり、親鸞聖人ご自身は、自分のお墓はいらないと考えておられたということです。この親鸞聖人のお言葉を伝えられた本願寺第三代門主の覚如上人は、このお言葉の真意を次のように解説していらっしゃいます。
「これすなはちこの肉身を軽んじて仏法の信心を本とすべきよしをあらはしましますゆゑなり。これをもつておもふに、いよいよ喪葬を一大事とすべきにあらず、もつとも停止すべし。」(『改邪鈔』第十六条)
親鸞聖人のこのお言葉は、煩悩具足の肉体に執着する心ではなく、必ずお浄土に生まれさせると誓ってくださった阿弥陀如来のお心を根本とすべきことをお示しくださっているというのです。滅びゆく肉体は、私の命の拠り所とはなりません。拠り所とすべきは、如来の真実のお心なのです。
しかし、親鸞聖人の御往生の後、親鸞聖人のお子様方とお弟子の方々によって親鸞聖人のお墓が建てられていきます。このお墓を管理する役目は、留守職(るすしき)と名づけられ、初代は、親鸞聖人の末娘でいらっしゃる覚信尼(かくしんに)様という方が当たられました。その後、覚信尼様の御長男で、親鸞聖人のお孫様でいらっしゃる覚恵(かくえ)様が、このお役目をお継ぎになり、その後、覚恵様の御長男である覚如上人へとこのお役目は、受け継がれていきます。そして、覚如上人は、この親鸞聖人のお墓を、寺院化されます。そして、その寺院化されたお墓を「本願寺」と名づけ、親鸞聖人を開祖と仰ぐ浄土真宗門徒のご本山と位置付けたのです。私どものご本山、本願寺は、元は、親鸞聖人のお墓が出発点だったのです。現在でも、本願寺の御影堂に安置されている親鸞聖人の御木像の中には、親鸞聖人の歯のお骨が埋められているそうです。
親鸞聖人のお墓が、寺院化されたのは、覚如上人の英断も、もちろんあったでしょうが、親鸞聖人のみ教えの上からも必然的なことだったのではないでしょうか。浄土真宗のお寺というのは、一言でいえば、阿弥陀如来のお心に出遇っていく場です。親鸞聖人の御往生の後、親鸞聖人のお墓に全国からお参りされた御門徒の方々は、親鸞聖人を偲ばせていただく中で、阿弥陀如来のお心に触れていったのではないでしょうか。親鸞聖人のお墓は、阿弥陀如来に出遇っていく場でもあったはずです。
単なるお墓に留まらず、本願寺という大寺院に変化していった中に、浄土真宗の上で味わうお墓の大切な意味が込められているように思います。お墓というのは、故人を偲ばせていただく中で、阿弥陀如来のお心を聞かせていただく場でなければなりません。故人は、石の下にいらっしゃるのではありません。お浄土から私に働いてくださっているのです。手を合わせていくものを見失わないよう、如来様中心の日暮しを心がけて参りましょう。
先日、ある御門徒の方が、大変貴重なものをお貸しくださいました。それは、五十年以上前の葬儀の様子を収めたビデオ映像でした。今年、前々住職の五十回忌を迎えることをお話ししたことがあり、前々住職の元気な姿が収められた貴重な映像をお貸しくださったのです。写真でしか前々住職の姿を見たことのない寺族にとって、その映像は、大変貴重で新鮮なものでした。
しかし、それにも増して、ありがたかったのは、話にしか聞いたことのなかった昔の葬儀の様子を実際に目にすることができたことです。そこには、地区の方々が行列を作って野辺送りをし、薪を組んで野辺で火葬にする様子まで収められていました。特に、当時の方々の凛とした表情が印象的でした。現在は、火葬場の炉の中で火葬にしますので、遺体に火をつけるところまでは、目にすることはありません。燃えている間は、火葬場の控室で談笑することもできます。しかし、当時は、つい最近まで息遣いを身近で感じていた方に火がつけられ、火に包まれていく様子を誰もが目にしていたのです。そこには、必然と厳粛な空気が流れていきます。人が死を迎えるということが、どういうことであるのか、言葉ではなく身をもって伝えられていたように思うのです。
人は、生まれながらにして大きく生・老・病・死の四つの苦しみを抱えているとお釈迦様は教えてくださいました。人は、誰もが、この苦しみを経験していかなければなりません。生の苦しみには、二つの意味があると考えられています。一つは、生きるが故に経験しなければならないあらゆる苦しみを総称する場合です。二つは、生まれてくる時の苦しみをいう場合です。生まれてきた時の苦しみは忘れていますが、出産する母親がそうであるように、生まれてくる子も生きるか死ぬかの壮絶な苦しみを経て生まれてきたのでしょう。人は、誕生の最初の時に、大変な危機を乗り越えなければならないのです。このように、初めに生の苦しみを味わい、最後に死の苦しみを味わわなければなりません。そして、その生と死の間に老と病の苦しみがあるのです。
年老いてゆけば身も心も共に衰えていきます。慢性的な病いのような状態になり、長生きすれば孤独が募っていきます。病気というのも、どれほど医学が進歩しても拭いきれない苦しみがあります。むしろ、現在は、医学が進歩したが故に、より苦しまなければならない状況も出てきています。そして、この老と病の苦しみは共に、自己の消滅である死を否応なく目の前に突き付けてきます。死は、自己と自己が描いていくすべての世界の消失を意味しています。すべて奪われるのです。老と病の苦悩と不安は、詰まる所、この死の予感がもたらすものと言えるでしょう。
お釈迦様は、苦しみを単なる悲観的なものとして捉えられたのではありません。人生を克服すべき課題として捉え、その苦しみを超えていく道を教えてくださったのです。しかし、最近は、人生を克服すべき課題として捉えることが非常に難しくなったように思います。それは、他人の死をできるだけ目に触れないところで処理するようになったからです。他人の死は、決して他人ごとではありません。特に親しい方の死は、私にとって、受け止めるべき大切な意味を含むものなのです。自分の一部であるような大切な方の老・病・死を通して、その苦しみが私にとって大切な意味をもたらすものとならなければなりません。
人生における苦しみを克服すべき道は、すでに開かれています。お釈迦様がお悟りを開かれて、約二五〇〇年の間、人生の苦しみを克服してきた尊い方々が、歴史の中にたくさん出てこられました。親鸞聖人も、そのお一人です。しかし、その苦しみから逃げるだけでは、そのような尊い方々の言葉も虚しく響いていくだけです。生・老・病・死の逃れようのない苦しみを真正面から受け止めていく中に、厳粛な正しい生き方を求める姿勢が生まれてくるのでしょう。本堂でお聴聞させていただくのも、苦しみを受け止め、正しく人生を歩ませていただく為です。まやかしではなく、地に足をつけて正しく人生を歩ませていただくのが、お念仏の日暮しです。お互い、限りある命を正しく歩み、正しく往生させていただきましょう。
今年も、御正忌報恩講には、延べ250名を超えるたくさんの方々が、御参詣くださいました。その中には、三日間、全てのご縁に遇ってくださった方もいらっしゃいますし、この度、初めて、お寺の御法座に御参詣くださった方も、何人かいらっしゃいました。仏縁に恵まれるということは、本当に難しいことです。人は、仏法を聞かせていただこうという心を、本来、自分では起こせないのだろうと思います。自分に都合のいい話は、いくらでも聞く気が起こりますが、自分の都合を超えた話というのは、凡夫の耳には響いてこないものなのでしょう。そんな中で、仏法を聞かせていただこうという心が起こっているのは、やはり、そこに私の力を超えた如来様の不思議な働きがあるということなのでしょう。
この度、初めて、お寺の御法座に足を運ばれた方のお一人をご紹介したいと思います。その方にとって、仏法に近づくご縁となられたのは、奥様の御往生でした。大阪で御往生されましたので、葬儀は、大阪のご近所のお寺のご住職に勤めていただいたということでした。山口には、奥様の満中陰が過ぎて、しばらくしてからお戻りになられたのです。関西には、月忌参りという習慣があります。例えば1月16日に、家族の誰かが往生すると、毎月16日に、お寺の住職がお勤めに下がるのです。その方も、大阪にいらっしゃった時は、毎月、葬儀を勤めてくださったご住職が、お勤めに下がってくださっていたということでした。それで、山口でも毎月、奥様の月命日にお参りいただきたいとのご依頼があり、毎月、正法寺の住職も、その方のご自宅にお参りさせていただくこととなったのです。奥様を亡くされた悲しみをご縁として、毎月、住職と一緒に『仏説阿弥陀経』をいただくことは、お経の意味は分からなくとも、大変ありがたい仏縁となっていきます。奥様の三回忌が過ぎ、しばらく経った頃、本願寺山口別院において、『帰敬式』が執行されました。その『帰敬式』にご自分からお申し出され、受式してくださったのです。『帰敬式』とは、煩悩にまみれた私の心を拠り所として生きていた者が、如来様の御慈悲のお心を拠り所として生きる新しい人生を仏前で誓う儀式です。その時に、法名という新しい人生を歩む新しい名前をいただきます。法名とは、決して死後の名前ではありません。
『帰敬式』を受式された後の月忌参りの時、その方から、次のようなお言葉をいただくことができたのです。
「『帰敬式』を受けさせていただいた時、(これからは、ご自分のお寺に月一度はお参りさせていただきましょう。)というお話をいただきました。これからは、ご住職にお参りいただくだけでなく、私も、月一度、正法寺様にお参りさせていただきたいと思います。毎月、何日にお参りさせていただいたらよろしいでしょうか。」
即座に住職は、答えました。
「それなら、御法座にぜひ、お参りください。ただお寺に足を運べば良いというものではありません。月に一度、お寺にお参りするというのは、月に一度は、仏法をお聴聞させていただきなさいということです。み教えを聞かせていただいてこそ、お寺にお参りする価値があるのですよ。」
そんな話があって、この度、御正忌報恩講のご縁に、初めて、仏法をお聴聞する席にお座りくださったのです。大変、ありがたいことでした。これまで、正法寺から少し遠方でもあり、お車も運転されないということから、住職も、御法座にお誘いするのを遠慮していたところもありました。しかし、住職が、誘わなくとも、仏縁は整えられていたのです。かけがえのない奥様との死別が、大きな仏縁として花開く様は、どんな悲しみの人生であっても決して無駄にせず、必ずお浄土の実現を誓ってくださっている如来様が、私の上にも働いていることを教えてくれています。
決して、私が賢いから仏法を聞けているのではありません。また、聞いて賢くなるのでもありません。ただ、この私を放っておけないという如来様のどうしようもないお慈悲の中、不思議にも、本来、聞くことのできないものを聞かせていただいているのです。仏縁に恵まれていることを、大切にさせていただきましょう。