仏法を聞ける身であることを喜ばせていただきましょう

先月、一月二十九日・三十日の一泊二日の日程で、山口南組の僧侶研修旅行が行われました。行き先は、鹿児島県です。鹿児島県は、江戸時代から明治九年までの約三百年の間、島津藩によって浄土真宗が禁制されていました。日本史上における宗教弾圧の中で、江戸幕府によるキリシタンへの弾圧は一般的に広く知られていますが、薩摩藩島津による浄土真宗門徒への弾圧は、知らない方も多いのではないでしょうか。明治九年まで鹿児島県では、お念仏を口にする者、阿弥陀如来に手を合わす者は、役人に見つかれば、厳しい拷問を加えられた上、死刑に処せられていたのです。しかし、薩摩の浄土真宗門徒は、決してお念仏をやめることはありませんでした。山の奥深くに「ガマ」と呼ばれる洞穴を自ら掘り、その中で隠れてお念仏を相続されていたのです。その薩摩の浄土真宗門徒の姿を「かくれ念仏」と呼んでいます。

この度の一泊二日の旅行では、現在残っている小林市の「ガマ」にもお参りをさせていただきました。御門徒が、岩をノミで少しずつ削って掘った洞穴です。入口は、人ひとりがやっと身をかがめて入れるほどの狭さです。その後、三メートルほど身をかがまなければ通れない道が続きます。しかし、奥までいくと、詰めれば二十人程度は入れるかと思われる広い空間が広がっています。一番奥には、南無阿弥陀仏と刻まれた小さな石が、安置されていました。その中で、山口南組のご住職方と『讃仏偈』のお勤めをさせていただきました。岩に囲まれた洞穴の中でのお念仏は、小さな声でもよく響きます。洞穴の外には川が流れていますので、その川の流れの音がお念仏の声をカモフラージュしてくれたことでしょう。

明治九年まで、この洞穴の中では、隣の宮崎県から薬売りに姿を変えて薩摩に潜入した布教使が、深夜にお取次ぎをしてくださっていたそうです。見つかれば、即刻死罪です。まさしく、命がけの御教化をされていたのです。この暗い洞穴の中で、身を寄せ合い怯えながら、しかし、ご法義を喜びお念仏を口にされていた御門徒方の姿を想像すると、讃仏偈のお勤めをさせていただきながら、胸が熱くなる想いがいたしました。

鹿児島県に伝わる『かくれ念仏音頭』の一節を紹介します。

「薩摩島津の この村は
血吹き涙の 三百年
死罪・拷問 繰り返す
嵐の中の  お念仏」

これは八番まである内の二番の歌詞です。短い歌詞ですが、御門徒に対する弾圧の凄まじさが伝わってきます。島津による拷問は、石抱きの拷問や足の親指をくくって逆さづりにする拷問、滝壺に投げ込んで竹竿でつついて沈めて溺死させる拷問など、その所業は残虐を極めています。島津は、三百年間に亘って、浄土真宗門徒を根絶やしにしようとしたのです。しかし、御門徒方は、決してお念仏を捨てようとも、武装蜂起をして暴力で対抗しようともされませんでした。
そのお心の一端は、次の親鸞聖人のお手紙から味わうことができます。

「ただひがふたる世の人々をいのり、弥陀の御ちかひにいれと思し召しあれば、仏の御恩を報じまいらせたまふになり候ふべし。・・・よくよく念仏そしらん人をたすかれと思召して、念仏しあはせたまふべく候」

 お念仏する者を弾圧する人々は、憎むべき相手ではなく、むしろ、如来様のお慈悲に恵まれない深い苦しみを抱える人々であるから、その人々も必ずお慈悲のご縁に恵まれ救われていくように願いながらお念仏させていただきなさいとのお言葉です。親鸞聖人の時代にも、同じように念仏者に迫害を加える人々がいました。しかし、親鸞聖人のお言葉からは、如来様のお慈悲の前では、敵と呼べる相手は、もういないことがうかがわれます。たとえ、残虐な弾圧を加える人であっても、如来様の眼からみれば、掛け替えのない仏の子です。むしろ仏の子でありながら、地獄の所業を重ねていかなければならない憐れむべき者として慈しんでいらっしゃるのです。血吹き涙の三百年、御法義を護り続けてこられた薩摩の御門徒の方々も、このようなお心の中、お念仏を味わっておられたのでしょう。

仏法を聞く者の上に開ける如来の眼差しが、御門徒の方々を苦難から護りぬいたのです。仏法を聞ける身であることを喜ばせていただきましょう。

2012年3月1日

「ていねいに生きる」

今年も報恩講の季節が過ぎてゆきました。今年は、特に、親鸞聖人の七五〇回大遠忌にあたる特別な年でもありました。正法寺でも長年に亘って、一月十六日の親鸞聖人の御正忌を御満座とする三日間の法要が勤められてきました。近年では、時代状況も鑑みて、一月十六日に近い週末に勤めています。今年も、忙しい中に報恩講だけはと時間を作って御参詣してくださったり、主人を引っ張ってきましたと御夫婦で御参詣くださったりと、報恩講を大切に思われる多くの御門徒の姿に触れさせていただきました。中には、正法寺門徒ではありませんが、正法寺の噂を聞きつけて、遠く広島県から御参詣くださった方もいらっしゃいました。

正法寺の報恩講の翌日、一月十六日は、正しく御正忌と呼ぶべき、親鸞聖人の七五〇回忌にあたる御命日でした。ご本山では、毎年の御正忌報恩講とあわせて、昨年四月から勤められてきた七五〇回大遠忌法要の御正当が勤められました。住職も五十年に一度のご縁に遇わせていただくべく、日帰りの忙しいスケジュールでしたが、ご本山に参詣をさせていただきました。午前十時から始まる御満座に間に合うべく、朝一番の新幹線で参りましたが、ご本山に到着した時には、御影堂に三千脚用意された椅子が、全て埋まっておりました。法要が始まるころには、御影堂後ろの空きスペースが、参詣者で埋め尽くされていました。おそらく四千人近い方々が、御参詣されていたのではないでしょうか。お内陣のお荘厳も、五十年に一度しかお飾りされない九具足という形でなされ、修復仕立ての御影堂を、より一層美しく輝かせていました。御門主が御導師をお勤めになり、数多くの出勤僧侶による声明は、大変感動的なものでした。

しかし、親鸞聖人の尊さは、このように数多くの人々を集めているところにあるわけではありません。確かに、多くの人々が御参詣されることは喜ばしいことではありますが、多くの人が集まっているからといって、その教えが本当に人を救えるものであるかどうかは、それだけで判断することはできません。いくら人が多く集まっていても、集まっている人々が、煩悩に振り回されるつまらない人々ばかりであるなら、その教えは宗教としての意味をなしていません。数は少なくとも、その教えによって本物の人間が育てられているのであれば、その教えは、魅力のある意味のあるものと言えるのではないでしょうか。親鸞聖人の尊さは、その教えが、本物の仏教者を多く、しかも、僧侶ではない一般の御門徒の中に輩出してきたところにあると思います。

この度のご縁で、残念だったのは、四千人もの人々が集まりながら、お念仏の声が、堂内において閑散としていたことです。お念仏を申されない方も多く見受けられたように思います。

しかし、その中で有難かったのは、平成二十年の春彼岸会に正法寺にもお越しくださった大阪の天岸浄圓先生の「ていねいに生きる」というお取次ぎでした。日々の日暮しの中で、お念仏を申させていただくことは、「ていねいに生きる」ことに他ならないと思います。私達は、果たして日々をていねいに生きることができているでしょうか。誰もが勉強をし、仕事をし、それぞれに努力をして、苦労の中で自分の人生を精いっぱい生きていることには違いはありません。しかし、努力をして自分の中で満足している日々が、そのままていねいに生きていることには、つながりません。なぜなら、努力をして自分の中で満足している日々が、欲を貪り、怒りに身をまかせ、真実を省みようとしないものであるなら、いくら自分の中で満足していても、ていねいに生きていることにはならないからです。そもそも、「ていねいに生きる」というのは、「正しい生き方」というものを知らないものには、その考えすら浮かばないものでしょう。何が正しくて、何が間違っているのかを知らしめていくのが、如来の救いの働きでもあるのです。お念仏というのは、如来様のお慈悲が、私にそのまま届けられているものです。お念仏申す中に、自分の今の姿が、如来様のお慈悲に適った生き方をさせていただいているかどうかを常に確認させていただくのです。一つ一つの行いを、如来様のお慈悲に尋ねていくところにていねいな生き方が恵まれてくるのでしょう。

親鸞聖人の生きられた日々は、まさしく、そのようなていねいな生き方でした。浄土真宗門徒として、親鸞聖人の七五〇回忌にあたり、お念仏を口にかけ、一日一日をていねいに豊かに生き抜くことを心がけさせていただきたいものです。

2012年2月1日

罪を罪として認める

先日、ある御門徒の三十三回忌のご法事でのことでした。お斎をいただく時、近くに座っておられた男性の方が、次のようなお話をしてくださいました。

 「先ほど、本願の御文を拝読してくださいましたが、如来様が除くと言われたのは、私のことです。私の父は、晩年、肺を患いました。いつも、年老いた父を私が後ろから抱きかかえて、病院で胸に注射を打ってもらっていました。その時、父は、いつも涙を流して泣いておりました。気丈な父でしたから、自分の情けなさに涙をこぼしているのかとずっと思っておりました。ある時、父に、なぜそんなに泣くのかと、聞いたことがあります。すると父は、『お前が私と同じ歳になったとき、お前も私と同じようにこんなつらい目に遭わなければならないのかと思うと、涙が止まらないんだ』と泣きながら話してくれました。そんな父の命を、息子の私は、苦労を掛けて縮めてしまいました。如来様が、除くと言われたのは、私のことです。しかし、除くと言われた私を離してくださらないとは、本当にありがたいことです。」

『仏説無量寿経』には、阿弥陀仏の四十八の願いが説かれています。古来、様々な解釈がある中で、四十八の願いの中、第十八番目に説かれている願いが、阿弥陀仏が根本的に願われているものだと証明していかれたのが、親鸞聖人に至る浄土真宗の歴史なのです。浄土真宗では、本願といえば、阿弥陀仏の四十八願の中、第十八番目に説かれている願いのことをいいます。その第十八番目に説かれている願い、本願の御文とは、次のものです。

『たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。』

 慣れない方には、少し難しい御文かもしれませんが、浄土真宗の御教えを聞かせていただくというのも、実は、この本願のお心を聞かせていただく他はないのです。一生かけて聞かせていただく内容が、ここに籠められています。初めに「十方の衆生」とあります。「十方の衆生」とは、人からアメーバのような生き物まで、この世界の生きとし生けるすべてのものを意味しています。しかし、最後に注意書きのように「ただ五逆と誹謗正法とをば除く」とあります。「十方の衆生」といいながら「除く」と言われているのは矛盾します。これに関して、親鸞聖人は、次のように味わっていらっしゃいます。

『唯除といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。この二つの罪の重きことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。』

『唯除といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。この二つの罪の重きことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。』

阿弥陀仏が、五逆罪と正法を誹謗する者を除くといわれたのは、それらの罪の重さを知らしめるためのものであって、本当に除くためではないというのです。五逆罪というのは、「母を殺す」「父を殺す」「聖者を殺す」「仏身より血を出す」「和合僧を破る」という五つの罪のことをいいます。正法を誹謗するというのは、仏法を謗るという罪です。重罪を犯すというのは、何らかの形で、必ず自分自身がその報いを受けていかなければなりません。そのことを見抜いておられる如来様が、私が悪に陥らないように、それを厳しく誡め、護ろうとされているのです。五逆罪と正法を誹謗するものを除くと言われたのも、如来様のお慈悲なのです。

私達は、気づかない内に如来様の誡めに背いて罪業を重ねていきます。しかし、そんな私達を決して見捨てることなく導き続け、喚び覚まし続けてくださるのが阿弥陀如来の本願による働きです。自分が父母や仏陀に背いた罪人であることに気づいた人というのは、自分に本当の安らぎと幸せを与えようとされていた父母や仏陀の慈愛に気づいた人であり、その慈愛に反逆し続けてきたことへの申し訳なさを深く感ずる人へと育てられていたのです。

罪を罪として認めることができるのは、それを悪とする真実のお心に出遇っているからです。申し訳なさの中にも、深い安心をいただいてゆけるのが、浄土真宗の念仏者のお姿なのでしょう。

2012年1月1日

「如来様に拝まれるからありがたい」

先日、入院されているある御門徒の方のお見舞いに参らせていただいた時のことです。ご高齢ということもあり、すっかりお元気になられたという状況ではありませんでしたが、それでも、お話をしっかりさせていただけたのが、何よりも喜ばしいことでした。

住職 「〇〇さん、お念仏は申されていますか?」

御門徒 「はい」

住職 「如来様とご一緒でしたら、何があってもご安心ですね」

御門徒 「如来様が、いつもおがんでくださるので、ありがたいことです。」

 仏法を聞き続けてこられた方特有のお慈悲が薫る柔和さに触れ、大変ありがたいご縁に遇わせていただけたことでした。

私達は、普段、如来様を前にしたとき、「如来様をおがむ」という姿勢が一般的でしょう。如来様は、私達の礼拝の対象です。阿弥陀如来様に手を合わせ、阿弥陀如来様に礼拝することが、正しい念仏者の在り方ともいえます。しかし、この方は、「如来様を拝むからありがたい」とはおっしゃられずに、「如来様に拝まれるからありがたい」と申されたのです。一般的には、聞きなれない表現ですが、ここにこそ、浄土真宗のご法義を正しく味わっておられる姿があります。「如来様に拝まれる」とは、いったいどういう心持を表しているのでしょうか。

「如来様に礼拝する」ことを、「如来様をおがむ」と表現することも間違いではありませんが、昔の浄土真宗の御門徒の方々は、「如来様にお礼をする」と表現されることが多かったようです。お礼をするというのは、先に向こうからの働きがあってさせていただくことです。何も関わりのない対象にお礼をすることはありえないことです。浄土真宗において、「如来様をおがむ」ことは、見えない相手に祈りや願いをかけている姿ではなく、如来様の働きに遇わせていただいた方が、その如来様に頭を下げずにはおれない感謝の想いが、姿となって表れているものなのです。日々の礼拝は、如来様のお慈悲のあたたかさに包まれ続けている姿です。その意味では、如来様を拝ませていただくこともありがたいことでしょう。

しかし、その如来様のお慈悲は、この私に、如来様に拝まれるという世界も同時に開いてくださいます。時より、お体が不自由になられたお年寄りの方から、「こんな私は、みんなに迷惑かけるばかりで、生きていてもしょうがない」というような趣旨の言葉を聞かせていただくことがあります。こういった言葉を聞かせていただくと、何とも寂しい思いがいたします。周りに迷惑をかけなければならない、もっと言えば、周りの方々にとって役に立たなくなれば、生きている意味はないのでしょうか?命の意味は、役に立つか立たないかで決められるものではありません。役に立つか立たないかで判断していくところには、決して命は見えません。そこに見えているのは、命ではなく道具です。道具は、使い物にならなくなれば、ゴミになります。『人間死ねばゴミになる』という本を書かれた方が、以前いらっしゃいましたが、これも、人の命を道具として見ている証拠でしょう。道具には、代わりが利きます。使い物にならなくなれば、同じ別の道具を使えば問題はありません。しかし、命に代わりは利かないのです。今、ここに頂いている命は、過去、現在、未来に亘って、けっして同じ命は生まれないのです。あらゆる深い因縁が無限に重なりあって、命というのは、はじめて成立するのです。同じ因縁が重なりあうことは、二度とありません。この掛け替えのなさこそが、命の尊さなのです。如来様は、この掛け替えのない命の輝きを拝んでくださるのです。たとえ、病になろうが、老いぼれていこうが、掛け替えのない命の輝きは、失せることはありません。如来様に拝まれ、如来様に認められた命を私は、生きていくのです。その尊い命に対する責任を、果たせているかどうかが問題です。案外、無駄にしてしまっているのではないでしょうか。

老いや病の中でも、如来様に拝まれていることを喜べる方は、自分の命の輝きに本当に出会えている方なのでしょう。自分の人生に合掌のできる歩みを、着実に歩ませていただきたいものです。

2011年12月1日

お念仏のご縁

先日、あるご法事でのことです。御当主が、御挨拶の中で、次のようなことを話されました。

「親族の皆様におかれましては、本日は、祖母をご縁として、お念仏のご縁に恵まれましたこと、大変喜ばしいことでございます。」

 ご法事となると、当家の準備等も大変ですが、招待する親族の方々に対する気遣いも何かと大変です。特に、忙しい現代において、日程を開けてもらうことや、遠方からお越しいただくときなどは、特に気を使わなければなりません。最近は、そんな事情を反映してか、少人数で勤めるご法事が、多くなった気がいたします。

また、招待される側の方々の意識も、時代と共に変化してきているようです。東京や大阪などの都市部では、葬儀を勤めず、直接火葬場に運ぶ直葬という形が増えてきているようですが、それに伴いご法事も、一周忌以後は勤めない方が増えているようです。仏事を勤めることの意味が、時代と共に認識されなくなってきています。それゆえに、ご法事に招待される側も、中には無意味な儀式に付き合うという意識でお越しになる場合もあるのではないでしょうか?そこには、死を無価値にしてしまう現代人の貧しい心根があるような気がいたします。

死に臨んでの宗教的な儀式というのは、人であることの一つの特徴であると思います。以前、ある新聞に二十万年前のネアンデルタール人の旧跡からお墓や屈葬の跡が見つかったことが記されていました。人は、原始の時代から、死をそれぞれの形で受け止めてきたのでしょう。人と同じような姿をした猿であっても、人以外の動物は、死を認識することができません。テレビなどで、猿が亡くなった我が子をいつまでも抱き続ける光景を見たことはないでしょうか。あの猿は、我が子が腐り始めて、やっと亡くなった我が子を手放すことができるのです。死を認識するというのは、具体的に表現すれば、自分自身も死んでいくんだと受け止めることができるということです。死が認識できないというのは、同時に生も認識できないということでしょう。

先日、ある御法座で、アメリカの研究者が、死刑囚の刑務所と無期懲役囚の刑務所とを何か所が訪れた時に、死刑囚が活気に満ちていたのに対して、無期懲役囚は、生きた屍のようであったことを発表した論文があることを聞かせていただきました。死刑囚は、毎日、午前七時から午前八時までの一時間の間に死刑執行される人が発表されるそうです。その一時間は、静まり返るそうですが、その発表の時間が終わると、実に活気に満ちていくといいます。それは、与えられた一日が、輝いていくのだそうです。それに比べて、無期懲役囚は、明日、死ぬかもしれないという心配がありません。刑務所の中で、与えられたことをこなしていくだけです。どの人の眼も死んでいたといいます。ご講師の先生が、「死を遠ざける現代人も、塀の外にいる無期懲役囚のようなものかも知れません」と話されたことが印象的でした。もちろん、死を忌み嫌うだけの姿勢からは、本当の生の喜びは生まれてはきませんが、このお話は、死を受け止めることの大切さを教えてくれています。

浄土真宗では、お念仏の中で死を受け止め、生を味わっていくことを教えています。お念仏とは、如来様のお慈悲の働きそのものです。私を深く慈しみ深く悲しんでくださるそのお心の中で、死を受け止め、生を味わっていくのです。親しい方の死をご縁として、仏事を勤めることの意味は、世間で思われているような死者の魂を鎮めることではありません。死者の魂を鎮める儀式でしたら、死者の魂に恐れない人にとっては、まったく無意味なものになるでしょう。しかし、死は、誰の上にも例外なく訪れていきます。その死を我がごととして、真正面から受け止め、如来様のお心の中に、その尊い意味を尋ねていく儀式が、葬儀や法事であるといえるでしょう。その意味で、ご法事に招待され、お念仏のご縁に恵まれることは、大変喜ばしいことであるのです。それは、死んでいくことにも生きていくことにも同じように尊い意味があり、生死そのままに如来様に抱かれている自分に出会っていくことでもあるからです。

仏事が持つ尊い意味に改めて気づかせていただいたご縁でした。

2011年11月1日

突然の電話より、『仏説無量寿経』の阿弥陀仏の誓

先日、ある男性の方から突然、次のような電話がありました。

 「初めて電話するものですが、会ってお話を聞いていただくことはできますか?私、どうすることもできないんです。」

非常に切羽詰まった様子の声でした。どういう方か分からないという不安もありましたが、お寺に何か救いを求めてのお電話でしたから、すぐにお会いすることにいたしました。電話から一時間ほどしてから、その方は来られました。年齢は、四十歳過ぎぐらいでしょうか。本堂に案内すると、まず、御本尊に向かって合掌され、深々と礼拝されました。その方との本堂でのやりとりは、次のようなものでした。

男性 「先生(住職)は、腹が立った時、どうやってその気持ちを抑えるんですか?自分は、もうどうしようもないんです。また、人を殺しそうです。」

住職 私も腹が立つ時はありますが、その前に、何があったんですか?どうして正法寺に電話をかけてきたんですか?」

男性 「電話をかけたのは、ここだけではありません。朝から何十件とお寺に電話をかけ続けました。でも、どこのお寺も軽蔑するような感じで、相手にしてくれません。それで余計に腹が立って、もうどうでもよくなって、自分を断ったお寺に火をつけて回って、自分を馬鹿にした連中をめちゃくちゃに傷つけて、自分で警察に電話して、それで終わりにしようと考えていました。」

住職 よく我慢してここまで来られましたね。他に相談できる方はいらっしゃらないんですか?」

男性 「自分には、親や親戚はいません。孤児院で育ちました。一人ぼっちです。昔は、暴力団に身を置いていたこともありました。その時に、拳銃で人を撃って殺したこともあります。もちろん、刑務所にも長い間いました。山口に来たのは、二年前です。九歳の時に死んだ父親が山口の人だったからです。父親のような人に会えたらと思って、山口での再出発を志したのですが、人間社会は、やはりどこでも同じでした。仕事も辞めました。生きているのが馬鹿らしくなり、また、昔のように自分が抑えられなくなり、人を殺しそうになりました。昔、自分が警察の世話になるたびに、迎えに来てくれていた先生が、浄土真宗のお寺の住職でした。その先生は、いつも阿弥陀様の話を聞かせてくれました。今のどうしようもない自分の気持ちが、お寺に行けばなんとかなるかもしれないと思ったんです。」

住職 「阿弥陀様に導かれて、ここまで来られたんですね。あなたが、人を傷つけたり、自分を傷つけたりすれば、阿弥陀様が悲しまれますよ。あなたには、いつも阿弥陀様が一緒にいてくださるんですよ。ここまで来られたのが、その証拠ですよ。もう少し生きて、阿弥陀様のお心を聞いてみられたらいかがですか?」

 その後もやりとりは続きましたが、長くなりますので、省略させていただきます。最初、お話を始めた時は、本当に恐ろしい眼をしておられました。いつ暴れだしてもおかしくないような雰囲気がありました。「人を殺したことがある」と打ち明けられた時に、なるほどと素直に納得したほどです。普段の住職でしたら、怖くなって、適当にあしらおうとしたかもしれません。しかし、この方とじっくりお話できたのは、この方が、自らお寺に来られたことに、深いありがたさと尊さを感じたからでした。

この方とのお話の中で印象に残った言葉がいくつかあります。その一つは、「何よりも孤独が怖い」と申されたことです。自分も人を殺したけれども、自分が人に殺されそうになったこともたくさんあったそうです。そんな修羅場を経験してきたにも関わらず、孤独が一番怖いと申されるのです。よく御法話の中で「阿弥陀様は、決して私を一人にしない誓いをたてられたのです」ということを聞かせていただきます。人を孤独にさせるということは、実は、その人を殺すことよりも残酷なことなのではないでしょうか?考えてみれば、「地獄に堕ちる」と仏教で表現される事態も、たった一人、拠り所もなく寂しく絶望の中、滅びとしての死を死んでいくことに他ならない気がします。人は、普段、いくら威勢を張っていても、一人であることを突き付けられた時、真っ暗な絶望の中に堕ちていくのでしょう。そんな真っ暗な絶望の中に堕ちた者にしか言えない重みが、その一言には籠っていました。

しかし、この方は、それと同時に「自分で作ろうと思ったことは一度もないが、なぜか昔から阿弥陀様とご縁があるんです」とも申されたのです。この言葉も非常に印象深いものでした。阿弥陀様の働きは、生きとし生ける者の上に届いています。それは、言葉通り分け隔てなく届いているのです。阿弥陀様の働きに気づいた人にとって、その事態は、ただ不思議としか言いようのないものでしょう。阿弥陀様の救いの働きというのは、単に「死ねばお浄土に連れて行く」というようなものではありません。その人の命の方向がお浄土に向かうことなのです。それは、生きている今の事態です。不思議にも、阿弥陀様の方に足が向かう、手が合わさる、このことが、少しずつ自分が育てられている証拠なのでしょう。人は、変われるのです。真剣に仏法を聞く者は、阿弥陀様が、お浄土に生まれるにふさわしい身に、必ず育ててくださるのです。『仏説無量寿経』の阿弥陀仏の誓が、その動かぬ証拠です。

どんな人の上にも、阿弥陀様のお慈悲が注がれていることを、改めて味わせていただけたご縁でした。

2011年10月1日

猫の死に思う

先日、正法寺で十一年間過ごした猫が亡くなりました。原因は、老衰というよりは、何かの病気だったのでしょう。動物病院でも詳しい病名は分かりませんでしたが、次第に食事をしなくなり、痩せ細っていき、最後は、全身を痙攣させて眼も閉じずに亡くなりました。ペットというのは、正しく家族の一員です。特に、子どもにとっては、生まれてからずっと当たり前のように家族と同様に過ごしていたのですから、そのショックも相当なものだったようです。子どもが保育園から帰ってきてから、本堂でお正信偈のお勤めをさせていただき、猫の死をご縁にお念仏を聞かせていただきました。命というのは、亡くなってから、その掛け替えのなさに気づかされるものです。端から見れば、どの猫も同じように見えますが、その猫の命と深く関わった者には、掛け替えの利かない尊さ故の悲しみがあります。

浄土真宗の御法座等でよく用いられる御文に『三帰依文』というものがあります。これは、江戸時代末期の仏教学者が、『法句経』や『華厳経』などの経典の言葉を組み合わせて作られたものですが、そのはじめに「人身受け難し今すでに受く。仏法聞き難し今すでに聞く。」という言葉があります。これは、仏教の生命観を非常によく表しています。私たちは、人間として生まれて生きていることに、さして不思議を感じませんが、お釈迦様は、人間として生を受けることは、非常に難しく稀なことであると教えられています。悲しいことに、お寺で生まれ十一年間お寺で育ち過ごした猫は、とうとう最後まで仏法を聞くことはありませんでした。どんな命の上にも、如来様のお心は注がれています。しかし、それを受け取る器がなければ、如来様には出会えません。猫も如来様から一心に願われている掛け替えのない仏の子です。しかし、猫自身は、そのことを知ることができないのです。

ここに私達は、人として生まれたことの尊さを味わわなければなりません。人間というのは、他の生物に比べて、様々に優れた能力を持っています。しかし、やはり、人は心だと思います。他の生物が持ちえない深い感受性を持っているのが、人である所以ではないでしょうか。人間らしさというのは、頭が良いとか指先が器用とかではなく、やはり、豊かな心を持っているところにあると思います。親鸞聖人は、『教行信証』の中で『涅槃経』の次の文を引かれています。

 「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」

少し難しいかもしれませんが、「慚愧(ざんぎ)」というのは、つまり「はずかしい」という思いです。この「はずかしい」という思いがあるのが人であり、なければ人ではなく、それは畜生であるというのです。自分を省みて、恥ずかしいという思いがないのであれば、それは人としての生をいただきながら、畜生の生を生きていることになります。生まれがたい人に生まれながら、自分自身を省みることなく、欲望のままに人を傷つけ自分自身も傷つけていくことは、本当にもったいないことではないでしょうか?

『三帰依文』は、「仏法聞き難し今すでに聞く」と続けられます。人としての命をいただいたことも稀なことですが、さらに、その中で仏法を聞かせていただくご縁に恵まれたことは、重ねて稀なことなのです。如来様のお心をいただける感受性は、自分で作れるものではありません。不思議としか言いようのない大きな働きの中で、今の私は、このようにあらしめられているのでしょう。

親鸞聖人は、如来様というのは、様々な姿や形をとって、私を守りお浄土へと教え導くものであることを教えられています。私を、仏法のご縁に少しでも導くものは、如来様が形をとったものかもしれません。仏法を聞く素振りを見せなかった猫も、実は、如来様が猫の姿をとり、命の掛け替えのなさ、そして、人としての生をいただき仏法に遇わせていただいている尊さを教えてくださったのかもしれません。悲しい中にも、如来様の働きの中に育てられている私であることを、改めて味わせていただいたご縁でした。

2011年9月1日

凡夫が凡夫のまま阿弥陀如来という命の親様に願われ抱かれているという真実

先日、ある御門徒のご法事において、当家の奥様から次のようなお話を聞かせていただきました。

「私は、最近まで膠原病と癌に苦しめられていました。癌の手術は、六時間に及ぶもので、その頃は、本当に大変でした。今は、手術も成功し、その後、不思議と膠原病の方も落ち着いてきて、元気にさせていただいています。病気で苦しんでいた時に思ったんですが、浄土真宗で本当によかったなと思います。普段、お寺の御法座で聞かせていただいていた時には、正直、それほど胸に響くものではありませんでした。右から左へ話が素通りしていたように思います。しかし、病気になり、いろんな不安な思いがめぐるようになると、本堂で聞かせていただいたお話が、不思議にも胸に響いてくるんです。手術の前も、『如来様に全部任せてしまおう』と思えたら、不思議と安心することができました。それからは、病室でも、『どうしてそんなに明るく居れるの?』と尋ねられるほど、普段通り明るく過ごせていたようです。」

お釈迦様は、「人生は、苦である」と教えられました。その中でも、根本的なものとして「生・老・病・死」の四苦を挙げられています。人生というのは、普段、万事上手くいっている時には、このお釈迦様の言葉が嘘のように、平和に過ぎていきます。しかし、一つ歯車が狂いだすと、何が出てくるのか分からない恐ろしさを抱えているのが人生です。特に、生・老・病・死の根本苦は、人間であるならば、誰もが避けることのできない苦しみです。この四苦は、必ず誰の上にも訪れていきます。その点、私達は、覚悟を決めておかなければなりません。

しかし、お釈迦様は、この根本苦を、人生における超えるべき課題として教えられています。「人生は、苦であるから、苦しみが襲ってきても当たり前と諦めて生きていきましょう」というような否定的な見方が仏教ではありません。人生は苦であると知り、その苦しみを超えていく道を教えているのが仏教なのです。浄土真宗も例外ではありません。阿弥陀如来のお慈悲の結晶であるお念仏も、苦しみを超える道として、如来様自身が選び抜かれたものなのです。故に、普段、平和に事が過ぎているときは、別段、如来様のお心は響かないのかも知れません。如来様のお心は、誰にも理解してもらえないような逃げることのできない悲しみや苦しみに遭遇したときに、その悲しみの底から厳然と響いてくるものなのでしょう。

仏教は、本来、お釈迦様がそうであったように、聖人が歩む道が主に説かれてきました。人生における苦しみを超えていくには、聖なる人に成らなければならなかったのです。聖なる人とは、他人に左右されず、自分にも左右されず、どのような縁に遇おうとも動じず、悠然と生き、悠然と死んでいけるような方です。過去を悔やみ、未だ来ぬ未来に不安を抱き、人の眼を気にする、また、病や死の縁に遇えば絶望を抱く、これら思い当るところがあれば、それは立派な凡夫です。浮いたり沈んだりしながら、ふらふらと様々なものに流されていく、こんなどうしようもない凡夫が、苦しみを超えてゆける道を仏教の中に発見してくださったのが親鸞聖人という方なのです。それは、凡夫が凡夫のまま阿弥陀如来という命の親様に願われ抱かれているという真実でした。

凡夫というのは、今ここが娑婆であり、苦しみを抱えた存在であることすら普段は気づけないのです。呑気にふらふらと生きているだけです。本来、苦しみに出会ったときには、手遅れなのです。ただ沈んでいくだけです。ここに重い病の中で初めて「浄土真宗でよかった」と思われた深い理由があるように思います。私達は、凡夫のまま、すでに間に合っているのです。浮いたり沈んだり、ふらふらとどこに流されていくか分からない、そんな私を放っておけない如来様が、すでに届いてくださっているのです。如来様に出逢った者にとって、ここは、娑婆であるのと同時に、安心して生き、安心し死んでゆける場所でもあるのです。

普段から聞かせていただくことの大切さを、改めて知らされたご縁でした。

2011年8月1日

自死をした人は、お浄土へは参らせていただけないのでしょうか?

先日、ある御門徒の方から、次のようなご質問をいただきました。

「御院家さん、自死をした人は、お浄土へは参らせていただけないのでしょうか?以前、お寺の御法座の折に、御念仏に出会っていない人は、お浄土へ生まれることはできないとのお話を聞かせていただいたことがあります。そうしますと、御教えに遇えないまま、自死などで亡くなっていった人は、お浄土へは参らせていただけないということでしょうか?」

 以前にも、自死で亡くなっていった方の味わいについては、ご質問をいただいたことがあり、この紙面においてもご紹介させていただいたことがあります。しかしながら、この度のご質問は、ご法義にさらに踏み込んだ問いでもあり、住職自身、改めて、考えさせられました。もう一度、この自死の問題について、改めて如来様のお心に尋ねていきたいと思います。

浄土真宗も仏教である以上、因果の道理から逸脱することはありません。お浄土へ生まれるという結果がもたらされるには、その原因となるものがなければなりません。親鸞聖人は、その原因となるものを、如来様から与えられる他力の信心とお示しされています。信心という原因がなければ、お浄土へ生まれるという結果は、もたらされないということになります。それでは、阿弥陀如来が、御本願において「十方衆生」つまり「すべての命を救う」と誓われていることをどのように考えれば良いのでしょうか?信心を得た者だけが、お浄土へ参れるとしたならば、「すべての命」とは言えないことになります。

そもそも、親鸞聖人が示された信心とは、どのような心をいうのでしょうか?親鸞聖人は、信心については、様々なところで詳しく解釈されておられますが、その中で、重要なのが「聞即信」という解釈です。「聞」というのは、如来様の願いをそのまま疑いなく聞き受けることを意味します。如来様の「必ず助ける」との願いをそのまま素直に聞き受ける時、素直に聞き受けた人の中で如来様の願いは響き、「必ず助かる」という安心に変わります。これが「聞即信」、つまり、「聞くことがそのまま信ずることである」ということの意味です。これは、「聞いて信じる」という意味ではありません。「聞こえていることが、そのまま信じている」ということなのです。そうしますと、「信心」というのは、如来様のお心が、私の中でそのまま響いている状態ということになります。この素直に受け入れた如来様のお心が、私の上に浄土という浄らかな領域を開いていくのです。如来様のお心を受け入れない限り、どこまでも凡夫の心が苦しみの世界を作り出していきます。

しかし、如来様のお心を聞き受けないということが、如来様のお慈悲から漏れるということを意味するのではありません。本来、凡夫というのは、如来様のお心を聞いて、素直に頷くことなど出来ないのです。それを、素直に頷けるような、浄土に生まれるにふさわしい身に必ず育てようと誓われているのが、阿弥陀如来という命の親なのです。お浄土に参れることが当たり前ではないのです。本来、私達は、浄土になど生まれるはずのない凡夫なのです。そのどうしようもない凡夫にこそ、如来様のお慈悲は、注がれていくのです。それが、「悪人正機」ということの意味です。苦しみを抱え、自ら命を絶つしかなかった者を見捨てていくような親様ではありません。そのような者にこそ、阿弥陀如来のお慈悲は、強く働いていきます。この度、お浄土へ生まれていったのかどうかは、人の計らいでは知ることはできません。しかし、如来様のお慈悲を私自身、深く味わせていただく時、人間の愛の手の届かないところにこそ、如来様の大悲の手は、確実にさしのべられていることを知ることができます。

そして、何よりも、この度、自死した人に対してどうすることもできなかった私が、お浄土に参らせていただき、悟りの命をこの身にいただいたならば、今度は、阿弥陀如来と同じように思うがままに救うことができる身にさせていただけるのです。そのことを親鸞聖人は、次のように喜んでおられます。

「ただ自力をすてて、いそぎさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもって、まづ有縁を度すべきなり」(『歎異抄』第五条)

「まづ有縁を度す」というのは、家族や友人といった今生で大切なご縁をいただいた方を先に救うという意味です。親鸞聖人自身もまた、親でありながら、我が子の苦しみをどうすることもしてやれなかった経験をお持ちの方でした。このお言葉からは、「親でありながら、どうすることもできなかった、しかし、今度は、必ず思うがままに救ってやることができる」といった、喜びと決意が感じられます。人の愛には、悲しくも限界があります。しかし、人の愛がはるか届かない如来様の大きなお慈悲に私も有縁の方々もしっかりと抱かれていることを喜べる身でありたいと思います。

2011年7月1日

「浄土宗の人は愚者になりて往生す」法然聖人からお聞かせいただいた言葉

先日、ある浄土真宗のお寺のご住職から、次のようなお話をきかせていただきました

「私のところの前住職も、最近は、本当に歳をとってしまって、老人性の痴呆がみられるようになってきました。今は、必ず家族の者が誰か家にいないと心配な状況です。でも、お念仏に育てられるということは、ありがたいことだなと思います。私のところは、昔から、夕食の前に必ず寺族がそろって、本堂でお勤めをし、如来様にお礼をさせていただいています。今も、痴呆になった前住職を連れて、夕食の前に必ず本堂にお参りしています。本堂でのお勤めを終え、夕食をいただく時になって、席についた前住職が、『如来様にお礼させていただくのを忘れとった』と言いながら必ず席を立とうとするのです。さっき本堂でお礼をしたことは忘れても、お礼をさせていただかなければ、もったいないという心は忘れていないんですね。如来様の働きは、ありがたいですね」

以前、ある御法座の折に、ご講師の先生が、参詣者の方々に、「癌になるのと痴呆になるのとでは、どちらがいいですか?」と尋ねられたことがあります。その時、多くの方は、癌よりも痴呆になりたくないと答えられていたことを覚えています。おそらく、癌よりも、痴呆の方が、自分自身が壊れていく印象が強いからではないでしょうか。癌というのも、非常に恐ろしい病気ではありますが、割合、最後まで自分自身の意識をしっかりと保てる場合が多いように聞きます。しかし、それに比べて痴呆というのは、重症化すると、自分の大切な家族の顔まで分からなくなると聞きます。それは、まるで、今まで積み上げてきた自分というものが、本当に壊れていくような恐ろしさを伴っています。

人は、突き詰めていくと、どんな人であっても、一番大切にし、一番頼みとしているのは自分自身であることが、よく分かります。なぜなら、人は、今まで生きてきた「自分」というものを根本的な基準として、物事を判断し行動しているからです。それ故に、あの人と私とは意見が合わないということは、度々起こります。それは、それぞれに違う「自分」を持ち、違う価値基準を持っているからです。それでも、人は、「自分」にしがみついて生きていこうとします。この「自分」を絶対的な価値基準として生きていく生き方を戒め、正すことを教えているのが仏教なのです。浄土真宗も例外ではありません。如来様のお慈悲を聞かせていただき、お念仏を申す人生を歩んでいくというのも、自分を絶対的な価値基準とすることをやめ、如来様を絶対的な価値基準とし、如来様がみそなわす世界に育てられながら人生を歩んでいくことに他ならないのです。

「自分」を頼みにしている限り、人に救いはありません。なぜなら、その「自分」は、自分が思っているより、ずっと儚く、そして、間違いを起こしやすいからです。いくら頭が良く的確な判断ができる人であっても、痴呆という病にかかれば、良い頭も経験も頼みとはなりません。また、どんなに優れた人物であっても、必ず最後はつぶれていくのです。例え、ノーベル賞を受賞した人であっても、死ぬときは、生まれてきた時と同じように、何も訳が分からなくなり愚か者になって死んでいくのではないでしょうか。

親鸞聖人が、師匠であった法然聖人からお聞かせいただいた言葉として「浄土宗の人は愚者になりて往生す」というものがあります。阿弥陀如来の救いに抱かれた人は、愚か者のままお浄土へ往き生まれていくというのです。それは、如来様の方が私のことを決して忘れないからです。痴呆になっても、如来様のことを忘れない姿というのは、私が、如来様のことを忘れていないのではなく、如来様が私のことを見捨ててくださらないということなのでしょう。親鸞聖人は、平生に如来様のお心を素直に受け入れた人には、如来様から摂取不捨の利益が与えられることをお説きくださっています。浄土真宗の御利益は、私がどんな風に転ぼうとも、如来様がどこまでも摂め取って見捨ててくださらない、どこまでも抱き続けてくださるというところにあります。

この度のお話は、如来様の摂取不捨の働きを、改めて、深く味わせていただけたことでした。

2011年6月1日