如来様にお礼を申せる人生でありたいものです

先日、ある御門徒の二十五回忌のご法事でのことでした。この度、二十五回忌を迎える御当主のお母さんが、生前、大変ありがたい念仏者であったことは、以前からお聞かせいただいておりましたが、改めて、そのことをお尋ねさせていただきました。すると、御当主から、次のようなお話を聞かせていただくことができました。

「母は、島根県の大変ご法義に厚い土地の出身です。今でも、母の実家の法事にお参りさせていただきますと、多くの方々のお念仏が響く、大変ありがたいご縁に遇わせていただけます。母も生涯、如来様を本当に大切にした人でした。晩年は、体が不自由になり、お寺様には、あまりお参りできませんでしたが、朝夕、お仏壇の前に必ず座っておりました。母が、お浄土へ参らせていただく少し前に、母から呼び寄せられて言われたことがあります。

『〇〇や(御当主のお名前)、わしがおらんようになっても、お仏壇に灯明をあげて、毎日、如来様にお礼申せや』
これが、母と交わした最後の会話でした。私が、仏法を聞き始めたのも、この母の最後の言葉があったからです。」

 二十五回忌を迎える故人とは、当然のことながら、お会いしたことはありませんが、この方のご法義に溢れる温かい薫りが、直に伝わってくるようなお話でありました。特に、「如来様にお礼申せや」との言葉に、浄土真宗の御法義を、正確に味わっておられたことがうかがわれ、大変ありがたく聞かせていただいたことでした。

仏様に手を合わせることを「お礼を申す」といただいていくことは、浄土真宗独特のものだといってよいかと思います。一般的に、仏様に手を合わせることは、「仏様にお願いをする」「仏様に祈りをささげる」などの意味があるように思います。実際に、この度の東日本大震災において、他の御宗旨の対応等を拝見させていただきますと、鎮魂や祈祷といった言葉が目立ちます。鎮魂というのは、亡くなっていった方の魂を鎮めるということですが、これは、亡くなった方の死後の幸せを、仏様に一心に願うことで実現していこうとするものです。また、祈祷というのも、被災された方々の平安を一心に仏様に対して祈ることによって実現していこうとするものです。どちらも、こちらの強い思いを仏様に届けて、仏様に動いてもらおうとするものと言えるでしょう。多くの方々の救いを願って、仏様に心を捧げていく姿は、一面では、尊い姿です。なぜなら、それは、自分ではなく、自分以外の多くの方々の幸せを純粋に願っている姿だからです。

しかし、その一方で、この姿は、大きな不安を抱えている姿でもあります。なぜなら、この姿は、仏様に出会っていない姿だからです。仏様に抱かれている実感があれば、仏様に祈る必要はありません。仏様の活動が実際に感じられないからこそ、一心に祈りを捧げていかなければならないのです。

浄土真宗で「如来様にお礼を申す」といただいていくのは、今ここで、如来様に出遇っていく御法義だからです。親鸞聖人が慶ばれたお念仏は、如来様そのものです。心の働きが具現化した最たるものは言葉です。言葉を聞くと、その人が、どんな心を持っているのか一目瞭然です。また、言葉は、一言で人をズタズタに傷つけることがある一方、一言で、その人の人生を救うこともあります。人は、心が具現化した言葉によって、深く傷つきもし、深く安らいでいくこともするのです。如来様というのは、言葉となって働き、その言葉でもって、自らの大慈悲の心を知らしめ、私を守り育て、導こうとされているのです。私たちにとって如来様というのは、お念仏以外にはありえません。この南無阿弥陀仏の六字の言葉に込められた如来様のお心を聞かせていただくとき、私たちは、今ここでお念仏となって私に届いている如来様に出遇っていくのです。如来様に願っていくのではなく、如来様に願われている私に出遇わせていただくのです。

「如来様にお礼申せや」というお勧めは、如来様に実際に出遇っていかれた方だからこそ申せるものです。そこには、深い安心が伴っていたはずです。どんなことが襲いかかろうとも、如来様にお礼を申せる人生でありたいものです。

2011年5月1日

「臨終の善悪をば申さず」

先日、ある御門徒の満中陰法要でのことでした。故人のご主人と次のようなお話をさせていただきました。大変、ありがたいご縁をいただきました。

ご主人 「家内の病は、大変珍しい病気で、いわゆる難病でした。家内も色々と苦しい思いをしましたが、最後は、苦しみを和らげる薬を注射することに同意をしました。医者からは、おおよそ五日間かけて楽にしていきましょうと言われました。医者が言った通りに、薬を注射して、ちょうど五日後に、家内は亡くなりました。注射を打つときは、私だけが病室に残りました。若い看護婦が注射をしましたが、上手く注射ができず、ベテランの看護婦が代わって注射をしてくれました。注射を打つ看護婦にも相当な動揺があったように思います。腕を差し出す家内の気持ちを考えると、不思議です。自分だったらあんな風に冷静に注射を受け入れられないと思います。でも、家内の最後をみていると、人間というのは、こんなに変われるものかと思いました。」

住職 「どんな風に変わられたのですか?」

ご主人 「注射を打ってからの五日間は、全く不足を言わなくなりました。本当に穏やかに五日間を過ごしておりました。どうしてあんな風に、穏やかに死を受けいれることができたのか、不思議でなりません。」

住職 「本当に死と直面すると、普段、気づかなかったことに気づけたりするのではないでしょうか。それと、なによりも、奥様は、死を前にしても安心できるものをお持ちだったのではないですか?」

ご主人 「詳しいことは、私には分かりませんが、注射を打ってからの五日間、仏法について話すことはありませんでしたが、ただ、ベッドの上でお念仏はよく称えていました。人間、宗教的なものを持たないと本当に生きることも死ぬこともできないなと思いました。いくらお金があっても、家内のようになれば、役には立ちません。私と家内とは、幼馴染です。子どもの頃、よく一緒にお寺の日曜学校で遊んだものです。二人とも、あの頃は、お正信偈を全部覚えていました。その後、戦争があったり、いろんなことがあって、仏法のことを忘れていましたが、この歳になると、やっぱりあの頃のことが蘇ってくるんです。ありがたい環境で自分達は、育ててもらったなと思います。」

住職 「如来様のお手回しがあったんですね。」

 おおよそ、このような会話でした。人の臨終の様は、千差万別です。親鸞聖人自身、「この親鸞においては、臨終の善悪をば申さず」と臨終の良し悪しを問題にするべきではないことをお示しくださっています。いつ、どこで、どのような死を迎えようとも、それが、その人の人生の価値を決めるものとはなりません。平生、如来様のお慈悲に抱かれた人は、その時に、命の価値と方向性が与えられていくのです。

しかし、良い死に方、悪い死に方というのは、問題にするべきではありませんが、その人の死の味わい方の良し悪しは問題にするべきでしょう。多くの人々は、死は虚無だと味わっているのではないでしょうか。虚無というのは、何もないということです。生きていることが素晴らしいと感じている人は、何もなくなる死は、恐ろしいものです。しかし、生きていることが苦しいと感じる人は、何もなくなる死に逃げようとします。いわゆる自殺願望です。しかし、本当に、死ぬことで苦しみがなくなるのでしょうか?死が、虚無だという、誰もが分かりきったように持っているこの味わいを、一度、立ち止まって、よく考えてみる必要があるのではないでしょうか。

死ぬことを嫌うのは、人間としての本能でもあります。それ故に、死ぬまで本能的に死に抗い欲望を燃やし続けるのが、隠すことができない私達の姿でもあります。しかし、如来様の願いに出遇った方にとって、死は、決して不気味な虚無ではないのです。死を受け入れるということは、虚無を受け入れるということではありません。虚無でない死が、その人の上に開かれてくる世界が、仏法にはあるのです。お念仏は、その世界を私に呼び覚ます如来様の働きです。

この度のご縁は、改めて、そんな如来様の温かい働きに出遇わせていただけた本当にありがたいものでした。

2011年4月1日

「白骨の章」の教え

先日、ある御門徒の葬儀の後、初七日のご法事でのことでした。故人のご主人が、次のようなことを住職にお話されました。

「今日は、ご丁寧にお勤めいただいてありがとうございました。今日ほど御文章が身に染みた日はありませんでした。今まで何度と知人の葬儀に参列し、何度と御文章を聞かせていただいていましたが、やっぱり今までは他人事だったんですね。今日は、御文章を聞かせていただいて、本当に胸が詰まりました。」

『御文章』は、本願寺第八代宗主であった蓮如上人が、御門徒へ浄土真宗の味わいを平易に分かりやすく説くために書かれたものです。親鸞聖人の200回大遠忌法要をご縁に御門徒の方々へ向けて書かれ始め、その数は、五百年経った現在、蓮如上人直筆と認められるものだけでも250通以上になります。その内容は、一貫して信心を獲ることの大切さが説かれていきますが、当時の時代状況に即しながら、文字が読めない人でも、その言葉を耳に聞くだけで理解できるように、当時の話し言葉などを駆使して、難解な親鸞聖人の教義を噛み砕いて書かれています。手紙が唯一の情報手段だった時代、この『御文章』が、無数に書かれたことによって、蓮如上人のご法話が、日本全国津々浦々にまで届けられていき、浄土真宗の御法が、多くの人の上で花開いていったのでした。

その中でも、特に名文として知られているのが、浄土真宗の葬儀の時に必ず拝読される「白骨の章」といわれるものです。「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに・・・」という言葉で始まるこの『御文章』は、蓮如上人の血と涙の結晶のような『御文章』です。おそらく、蓮如上人ほど、人の命の儚さ、そして、肉親との死別の悲しみを味わった方はいないのではないでしょうか。生涯に四人の奥様とご長男、それに加えて、六人の娘さんとの死別を経験されておられますが、特に、教団が大きく発展していった文明二年~文明四年にかけて、蓮如上人を襲った悲しみは想像を絶するものがあります。

まず、文明二年十二月五日に奥様の蓮祐尼様が御往生されます。そして、年が明けて文明三年二月一日には、十二歳になった五女の妙意尼様が、さらに、妙意尼様の初七日もまだ迎えていない二月六日にご長女の如慶尼様が二十八歳で御往生されます。また、明くる年の文明四年の八月一日には、六歳になられる六女の了忍尼様が御往生され、その約二週間後に、二十五歳になられる次女の見玉尼様が御往生されています。僅か一年半ほどの間に、これだけの肉親に先立たれる悲しみは、いかほどのものでしょうか。しかし、その立ち上がれないほどの悲しみを背負っておられた蓮如上人だからこそ、あの「白骨の章」が生まれたのです。

五百年経過した現在でも、肉親を亡くした人の胸に響いてくる、そんな文章というのは、ただ文章を作ることが上手いだけでは書けるものではありません。「白骨の章」は、蓮如上人を襲った深い悲しみが、時を越えて、人々の胸に響いてくるものなのです。

人の無常なる有様が名文に乗せて語られる「白骨の章」の最後は、次のように締めくくられています。
「されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。」

人の無常の有様は、決して他人事ではありません。年齢に関係なく、誰にでも必ず訪れていくのです。亡くなっていった肉親の人生が儚かったように、ここに生きている私の人生もまた儚いのです。死者を通して、それに気づかされ、その儚い人生の中に真実の尊い意味を見出していったならば、死者の儚い命は、決して無駄にはなりません。それこそが、死者に対する本当の正しい態度であり、悲しみを乗り越えていく道でもあるのです。死者に対して「ご冥福を祈る」「安らかにお眠り下さい」と言う世界からは、誤魔化ししか生まれてはきません。

深い悲しみの中にこそ阿弥陀仏のお心は響いてくださいます。悲しみの中に迷っていくのではなく、悲しみの中だからこそ知らされる真実があります。そのことを「白骨の章」は教えています。仏法の言葉一つ一つを大切にできる日常でありたいものです。

2011年3月1日

ユキちゃんの疑問

小さな子どもと一緒に過ごしていると、大人では感じることの出来ない、不思議な驚きを共有することがあります。先日も、間もなく三歳になる娘が、次のようなことを尋ねてきたことがありました。

「ユキちゃんは(娘は、自分のことをユキちゃんと呼びます)、兄ちゃんが、タンポポさんのとき(保育園のタンポポ組のことです。二歳の時という意味です)は、お母さんのお腹の中におったんよね。でも、お母さんのお腹の中におる前は、ユキちゃんは、どこにおったん?」

  どのような答えが、正しいのでしょうか?とりあえず、常識的な答えを返すしかありませんでした。

「お母さんのお腹の中におる前は、どこにもおらんかったんやろ。」

このような父の返答を聞いて、娘は、納得の出来ない不思議そうな顔をしていました。娘を襲ったこの不思議な問いは、非常に宗教的な問いです。大人になってしまってからは、このような問いは、なかなか持つことはありません。なぜなら、大人は、住職が答えたように、「母親のお腹の中に宿る前の自分は、存在しない」という常識の中で、片付けてしまっているからです。しかし、大人が考えるこの常識が、真理に叶っているかどうかは、よく考えなければなりません。確固たる自我を持った大人よりも、自我をもたないより小さな子どもの方が、自分を超えた大きな働きの中に抱かれている感覚は、鋭いといえるのではないでしょうか。

先日の報恩講にお越しくださった御講師が、東京大学の遺伝子工学の教授の講演の中で、「遺伝子や細胞がどのように変化し生成されていくかは、我々によって明らかに出来るが、私そのものの問題は、科学ではどうしようもなく、それを明らかにしていくのは、宗教の仕事でしょう」と言われたお話を紹介してくださいました。仏教というのも、人間の分析力では明らかに出来ない、この私そのものを問題にしたものなのです。科学では、今の私は、母親のお腹の中に宿った時に誕生し、死と共に消えていくと説明されます。しかし、それは、私そのものの問題を明らかにしたことにはなりません。なぜなら、その答えでは、私そのものが、落ち着かないからです。不安な状態のままです。真理ならば、必ず安心をもたらすはずです。絶対的な安定こそ、あるべき健全な姿だからです。

中国の唐の時代に活躍された浄土真宗の七高僧の一人に数えられる善導大師が残された言葉の中に、次のものがあります。

「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。」

 私そのものの正体を、仏教の立場から、ズバリ説明されたものです。善導大師によれば、この私そのものの問題は、「曠劫よりこのかた」から続いているものだというのです。「曠劫よりこのかた」というのは、初めも分からない程のはるか昔という意味です。数十年前、母親のお腹に宿ったその時から、私そのものの問題が始まったわけではなく、その前から、この問題は続いてきたんだというのです。そして、その問題は、「つねに没しつねに流転して、出離の縁あることなし」というところにあるというのです。生まれ変わり、死に変わりを永遠に亘って続けてきた、それは、言い換えれば、罪を作り続けながら、苦しみの中に沈み、出口の見えない迷いの中をただ流れ転がってきたということだというのです。

これが真理ならば、今の世において、私の身の上にどんなことが襲い掛かってきても、少しも不思議でないということでしょう。どんな報いを受けてもおかしくない深い罪を、私達は、背負っているのではないでしょうか。「なぜ私だけがこんな目に?」と思ってしまうことも、私の上に起こるべくして起こっているというべきなのでしょう。しかし、このどうしようもない苦しみの悪循環から、この私を救い出そうとする一筋の光が、すでに届いているというのです。その光こそが、お念仏だというのが、善導大師の明らかにしようとされたことです。

どんなに時代が変わろうとも、人が抱える問題は、人である限り変わることはありません。社会の常識にとらわれず、子どものような柔らかい心で、仏法を聞かせていただける身でありたいものです。

2011年2月1日

法の喜び/如来様のお慈悲に照らされる姿

明けましておめでとうございます。今年も、御門徒の皆様と共にお念仏薫る中で、お浄土への歩みを運ばせていただきたく思っています。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年は、住職にとって、恩師の浅井先生を初め、多くのお世話になった方々と今生のお別れをさせていただいた年でもありました。凡夫の私共にとって、死による今生の別れは、やはり寂しいものです。如来様から、死が、お浄土へ生まれさせていただくご縁だと聞かされても、やはり、寂しさを拭うことは出来ません。しかし、私共のこの寂しさや悲しみこそが、如来様の働きどころでもあるのです。明治時代を代表する浄土真宗の学僧であった原口針水和上は、或る時、お同行に次のようにお話されたと伝えられています。

「お慈悲は、浅ましい煩悩の上にいただいて味わうものじゃ。ゆえにこの度の往生については、わが身をながめて、仏くさかったら往生不定じゃと思え。凡夫くさかったら、いよいよ往生一定、大丈夫と安心させてもらえよ。」  怒りや嫉み、悲しみや喜び、それら凡夫くさい心の中で、人は、如来様のお慈悲に出遇っていくのでしょう。

 一人、一人と、お世話になった方々が、先立たれていくことは、本当に寂しいものです。歳を重ねていくということは、この寂しさを重ねていくことでもあるのです。しかし、ご往生によって、寂しさと共に、如来様のお心を響かせてくださる方は、やはり、お浄土に参られたんだなと思います。

昨年の暮れに、突然ご往生された門徒総代の田中省信さんも、深い寂しさと共に、温かい如来様のお心を響かせてくださった方でありました。死因は、突然の事故でした。最初、知らせをいただいたときは、足に力が入らないようなショックを受けたものです。つい一週間前には、ご法座にいつものようにお参りされ、ご法座が終わると、五歳になる新発意を自宅近くの作業場に遊びに連れてくださったばかりでした。新発意に「田中さんがお浄土へ参られたよ」と伝えたとき、「もう?」と言った驚いた顔が忘れられません。本当に、いつも温かいお心で、若い住職と坊守、そして、新発意や娘をお育て下さった菩薩のような方でありました。

阿弥陀仏の四十八願の中、第三十三願には、心身柔軟の願が誓われています。阿弥陀様のお慈悲に照らされた方は、真理に素直に頷いていく柔らかな心身がもたらされていくというのです。田中さんが、生前中、よくお話されていたのが、この心身柔軟のことでした。ご自分が、お寺に足が向きだした時のことを、よく次のようにお話されていました。

「私は、当初、総代を引き受けるつもりはありませんでした。前住職が、突然、仕事場に衣のまま来られて、来月から総代をやってくれと頼まれました。すぐに断りましたが、半ば強引に押し付けられるように帰られました。最初の会議にも出席はしませんでした。しかし、いつまでもそういうわけにもいかず、三回目の会議の時に、しぶしぶ出席したんです。その時に、他の総代さんの顔の表情に心を打たれました。何とも言えないいい顔をされてたんです。いつか、ご法座に来られた御講師の先生が言われていました。お聴聞されている方のお顔は、如来様の光が反射して、一番美しい顔をされてるって。私も本当にそう思うんです。お寺でお聴聞されてるときのお婆ちゃん達の顔ほどいいものはありません。あの何ともいえない穏やかで柔らかいお顔に惹かれて、私もだんだんとお寺が好きになっていったんです。」

いつも、楽しそうにこんなお話をされていました。そして、ご自身も、ご法座の時、何とも言えない温かな柔らかいお顔で、お聴聞されていたことが思い出されます。ある方が、住職に「私は、田中さんがいらっしゃらなかったらお寺には来ませんでした。田中さんのお顔は、本当に幸せな人のお顔ですね。」と言われたことがあります。いつの間にか、ご自身もまた、如来様に心身共に柔らかく育てられておられたのです。そのお姿からは、法の喜びが滲み出ておられました。

温かく柔らかい薫りと共に、お浄土へと参られた方を偲ばせていただくとき、如来様の四十八の誓いは、決して空言ではなく、事実として働いてくださっていることに頷かせていただけます。住職にとって、このようなお同行と出遇せていただくことは、何よりもの幸せです。今年も、ご法座に、たくさんの方がお参りされ、如来様のお慈悲に照らされる姿を楽しみにお待ちしています。この身に、にじみ出るような本当の喜びをいただける身にさせていただきたいものですね。

2011年1月1日

仏法には明日と申すことあるまじく候ふ

今年も一ヶ月を残すところとなりました。蓮如上人のお言葉の中に、「仏法には明日と申すことあるまじく候ふ」というものがあります。浄土真宗においては、一日一日が臨終です。いつ終わっても不思議でない命であることを知らされながら、お念仏申す中に、生きても死んでも尊い意味を味わえる日々を過ごしてゆきたいものです。

昨年から、正法寺の御門徒の中に、家庭法座を営まれる方々が出てこられました。自宅において、ご近所の方やご友人を招いてご法座を開かれるのです。二ヶ月に一度程度の割合で開かれ、その都度、住職がお参りし、お取次ぎをさせていただいています。

先日も、昨年から続いているある一軒の御門徒宅から家庭法座のご依頼がありました。いつものご法座のつもりでお参りさせていただきますと、何かいつもと様子が違います。いつも集まっておられる方々が、一人もおられません。集まっておられる方々は、はじめてお会いする方々ばかりです。しかし、集まっておられる方々は、住職のことを良く知っておられるようなご様子でもありました。その不思議な雰囲気の正体は、次のようなことでした。

「ご院家さん、実は、今日は、私の還暦の誕生日なんです。今日、集まってもらったのは、私の親と兄妹です。還暦の誕生日にみんなに集まってもらって、ご法座のご縁に遇ってもらいたかったのです。」

 住職自身、この奥様のご法義に対する真っ直ぐな姿勢に、ただただ頭の下がる想いがいたしました。

誕生日というのは、通常、人からお祝いしてもらうものです。自分で自分の誕生日をお祝いするというのは、通常の意識の上では、あまりないといっていいでしょう。しかし、よくよく考えてみると、誕生日を迎えるということは、自分自身にとって、とても大きな意味を持つものではないでしょうか。多くの人々は、人としての生を受けたことを、ごく当たり前のように思っていますが、人としての生を受けたことは、大きな不思議です。命には、無数の形があります。仏教では、命の発生の仕方を湿生・卵生・胎生・化生の四種類に分類します。湿気の中から湧き出るように発生するものから、地獄から天上界までの六道に自らの業力によって発生するものまで様々です。その中で、人として生を受けたことは、無数の縁が私の上に整い、たまたま得がたい生を受けたとしか言いようがありません。

如来様の願いは、十方の衆生を対象とされています。生きとし生けるものが、仏の子であり、救いの対象です。しかし、その中で、如来様の深い願いに気づき、それを受け止めることができるのは、人間だけではないでしょうか。如来様の願いに気づいていくということは、生の意味、死の意味を知らされていくことです。生まれたから、ただ生き、死んでいくのであれば、人として生まれた価値はありません。

しかし、その人の中にあっても如来様の願いを受け止めていくことは、非常に稀なことです。人として生まれ、仏法を聞く身にさせていただいていることは、私という力をはるかに超えたところで起きている不思議なのです。その不思議のことを親鸞聖人は、如来の本願力と味わっておられます。如来様の深い願いの働きが、私をここまで導き育ててくださったのです。

蓮如上人の晩年のお言葉に、次のようなものが残されています。

「わが妻子ほど不便なることなし、それを勧化せぬはあさましきことなり。宿善なくはちからなし。わが身をひとつ勧化せぬものがあるべきか。」

 妻と子に如来様の願いを伝えることができないのは、あさましいことであるというのです。それは、仏法を聞かずに死なせていくことは、人として不幸なことだからです。逆に、人として、仏法を聞かせていただくことは、何よりも幸せなことなのです。

還暦の誕生日に、有縁の方々を集めて仏法のご縁を与えていくことは、お世話になった方々への何よりもの恩返しです。今生での別れは、必ず訪れます。しかし、その時、同じ如来様の願いを受け止めた者同士であったなら、またお浄土で会うことができるのです。

一人ではなく、大切な方々と共に仏法を聞ける身でありたいものです。

2010年12月1日

後生の一大事を心にかけて

先日、あるお寺の秋季彼岸会の御講師として、初めてお招きに預かることがありました。正法寺以外のお寺でお取次ぎをさせていただくことは、初めてのご縁でしたので、非常に緊張いたしましたが、それ以上に、大変ありがたいご縁でもありました。

本堂いっぱいの参詣者の方々が、熱心にお聴聞してくださいましたが、最前列に殊更熱心にお聴聞される三十代と思わしき若い男性の方に目が留まりました。お寺にお参りに来られる方は、どこでもそうだと思いますが、まず、お年寄りが多く、その中でも女性が多いというのが普通です。正法寺でも、そういう方がおられるとうれしいですが、三十代の若い男性の方がお参りされることは、非常に難しいのが現状です。ご法座が終わった時、御住職に、その男性について尋ねずにはおれませんでした。どういういきさつで、その男性がお参りされるようになったのか、それは、次のようなことでした。

 「あの男性は、まだ若いですが、萩焼の職人さんです。御門徒ではありませんが、私(御住職)の友人の一人なんです。前から、お参りに誘っていたんですが、きっかけは、彼の子どもでした。彼の子どもが、四歳か五歳になったとき、子どもが、彼に『お父さん、僕は、死んだらどうなるの?』って真剣に聞いてきたそうなんです。その時、彼は、答えられなかったそうです。そして、その時、自分自身の生と死について、この命がどうなっていくのかについて、本当のことが知りたい、そして、子どもに本当のことをきちんと教えられる父親になりたいと思ったそうです。それが、お聴聞をはじめるきっかけになったみたいです。」

父親に、自分の命について尋ねた子どもも有り難いと思いますが、それ以上に、その子どもの素直な問いを誤魔化さず受け止めていった父親の姿にも頭の下がる思いがします。

私達も、以前は子どもでした。まだ、この世に生を受けて間もないとき、私達は、どんなことを感じていたでしょうか?記憶からは消えてしまっているかも知れませんが、おそらく、同じような問いを一度は持ったのではないでしょうか?体と同じように、心も歳を取ります。年齢を重ねるうちに、不思議に感じていたことが当たり前のようになり、疑問に思っていたことが、うやむやのままに片付けられていくということが往々にしてあるのではないでしょうか?柔らかな若い心を失った多くの大人は、先ほどの子どもの問いに「火に焼かれて骨になり、お墓に入るのだよ」と平然と答えるかもしれません。しかし、子どもは、それに納得はしないはずです。なぜなら、それでは安心ができないからです。子どもを襲った問いは、大きな不安を抱えたものです。その大きな不安を安心に変えていくような答えを、私達は、持ち合わせていません。私達大人もまた、その不安を抱えているからです。

蓮如上人の『御文章』には、「後生の一大事を心にかけて・・・」というご教示が、度々示されています。「後生の一大事」というのは、「僕は、死んだらどうなるの?」という不安に他なりません。この大きな不安を誤魔化さず、向き合って心にかけていくことがなければ、如来様には出会えないということなのでしょう。

本当の宗教というのは、この命の根本不安に答えていくものなのです。この根本不安に答えようとせず、この世での幸せ、つまり、人の欲望だけを叶えようとするのは、本当の宗教ではありません。そして、この根本不安を持つのは、人だけなのです。多くの形ある命が存在する中で、ただ人だけが、この命に対する強烈な不安を感じることができるのです。人間の中だけに宗教心があるのもこの故です。

浄土真宗の救いというのも、親鸞聖人という方が、ご自身の中に強烈な不安を抱え、そして、想像を絶する苦しみの中で出会っていかれた大きな安心に他なりません。大きな不安をもって向き合えば、それに対して、如来様は、大きく響いてくださいます。しかし、如来様に向き合う不安を抱えていなければ、如来様も響きようがありません。子どものような素直な心で、今一度、自分の命を見つめてみたいものです。

2010年11月1日

無限の心配を抱えた親心

先日、ある御門徒のご法事の折に、奥様と他愛もないお話をさせていただいておりました。

住職 今日は、たくさんのご親戚の方が、お参りになられて、にぎやかでよろしいですね。息子さんも、お忙しいのに、東京からよくお帰りになられましたね。」
奥様 「最近、息子を東京の方に就職させたことに悩んでいます。地元に就職させておけばよかったのかなと思ったりします。」
住職 「でも、立派に大学を卒業されて、立派な企業に勤めておられるのですから、悩まなくていいじゃないですか。」
奥様 「ご院家様も、これから実感されていかれるでしょうけど、子どものことは、無限に心配です。学校に入っても、就職しても、結婚しても、本当に無限に心配なのです。」

他愛もない会話でしたが、親心について、改めて深く感じさせられたことでした。「無限に心配」と言われた言葉の中に、親としての必然的な温かい姿を感じます。

阿弥陀如来のことを、別名、無量寿如来とも言います。お正信偈の一句目は、「帰命無量寿如来・・・」で始まりますが、これも、阿弥陀如来のことを、あえて無量寿如来と別名で表しているものです。「無量」というのは、量ることが出来ない、つまり、限りがない、無限と同じ意味です。「寿」というのは、「いのち」という意味です。「如来」というのは、「真如から来るもの」という意味で、悟りの境地から迷えるものを導くために娑婆まで来てくださった仏様を表しています。

なぜ、阿弥陀如来が、限りないいのちの如来であるのかを、法然聖人が、次のように説明されています。

  「そのゆへは、もし百歳・千歳、もしは一劫・二劫にてもましまさましかば、いまのときの衆生はことごとくその願にもれなまし。かの佛成就してのち、十劫をすぎたるがゆへなり。これをもてこれをおもへば、済度利生の方便は寿命の長遠なるにすぎたるはなく、大慈大悲の誓願も寿命の無量なるにあらわるるものなり。」(『西方指南抄』)

 少し難しい言葉で表現されていますが、要は、阿弥陀如来が、無量のいのちを備えているのは、大慈大悲の誓願の現われであることが述べられています。阿弥陀如来は、その誓いの中で、十方の衆生を救い取るとされていますが、「十方の衆生」というのは、過去・現在・未来に亘る、全ての空間と時間の中で迷い続ける生きとし生けるものということです。いのちが、無量であるのは、それらすべての生きとし生けるものの悲しみや苦しみが、無量にあるからに他なりません。
「無量のいのち」というと、不老不死のような単に死ぬことのない存在を想像します。不老不死というのは、人間が持つ根本的な願望ですが、阿弥陀如来の「無量のいのち」は、人間が持つような不老不死のような願いが実現したものではありません。それは、あらゆるいのちの悲しみや苦しみを無限に亘って背負っていく、そして、自分の幸せを無限に亘って他のいのちの為に投げ打っていくような願いの実現です。阿弥陀如来も、無限な心配を抱え、悟りを成就されたのです。

阿弥陀如来のことを、浄土真宗門徒の方々は、「親様」と呼んできました。それは、人間の親は、ある意味、仮の親だからです。無限に心配を抱えたとしても、人間の親は、子どもの根本的な不安や苦しみを救うことはできません。なぜなら、その親もまた、自分自身の不安や苦しみを抱え、生と死の問題に惑う存在だからです。しかし、如来様は、違います。阿弥陀如来の上では、すでに無限の心配は解決されています。私達は、これまで生まれ変わり死に変わりしながら、無限の迷いを繰り返してきました。迷い続けてきた無限の時間は、同時に、如来様という親が、私から離れず、如来様のお心を聞ける身に育ててくださった時間でもあるのです。子どもは、無限の心配を抱えた親心に、いつの間にか育てられ、救われていくのでしょう。親の恩に報いる身にさせていただきたいものです。

2010年10月1日

死んだ方は、本当はどこにいるのでしょうか?

今年も早いもので、お盆が過ぎました。毎年、お盆勤めでお参りさせていただく中で、感じることがあります。それは、お盆を迎えるに当たり、誰もが、少なからず、心に先祖供養の思いを抱いておられるということです。そんな中、今年は、お一人の御門徒の方から、次のようなお尋ねがありました。

  「昔、お盆になると、おばあちゃんから、《お盆には、ご先祖がお墓からお帰りになるから、窓を開けておきなさい》と言われていました。それ以来、毎年、お盆には、窓を開けてご先祖をお迎えするようにしているのですが、実際のところ、浄土真宗では、このようなお盆のお迎えの仕方でよろしいのでしょうか?死んだ方は、本当はどこにいるのでしょうか?帰省してくる娘に本当のことを教えておきたいので・・・」

 日本では、お盆の迎え方として、故人が自宅に戻ると考えるのは、特別なことではありません。一般化しているというべきでしょう。しかし、これは、本来、仏教が教えたものではありません。亡くなった方を強く思う人々の中から、自然に出てきたものだと考えられます。

私達の人生における経験の中で、最も辛く悲しい経験は、親しい方との死別でしょう。死は、永遠に、その人との関係を断ち切ってしまいます。どれほどその人を想い続けても、死の壁は、その想いを虚しくさせます。生前にああもしてやりたかった、こうもしてやりたかったと、自分の行き届かなかったことを悔やむ思いが、心をしめつけます。このような、どうしようもない悲嘆と後悔を癒すものとして、先祖供養の儀式は、仏教の中で定着していったのです。

供養という言葉は、本来、サンスクリット語で「プージャナ」といい、「尊敬すること」「礼拝すること」というような意味をもっていました。ところが、仏教が民衆の信仰として定着していくにつれ、こうした供養の本来の意味が変化し、いつしか死者儀礼として一般に定着していったのです。親鸞聖人の時代においても、仏教といえば、先祖供養の儀礼を教えるものだとみなされていました。現代においても、仏教を見る目は、あまり変わらないかもしれません。

そんな中、親鸞聖人は、「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」といわれています。孝養というのは、供養のことです。両親の供養のために、念仏したことは一度もないと言われるのです。長い仏教の常識に浸かってきた人々にとっては、衝撃的な言葉ではないでしょうか。人々が仏教に求めてきた先祖供養という癒しを、きっぱりと拒絶されたということは、それ以上の確実な救いに出遇っていかれたからでした。

それが、十方衆生を包み込む阿弥陀如来の大きな願いなのです。十方衆生というのは、命あるものは、すべて、そこから漏れるものはないということです。今生において、阿弥陀如来の願いに出遇えなかった者も、阿弥陀如来は、決して漏らしはしません。どれほど阿弥陀如来に背中を向け、どれほど永い時間がかかろうが、阿弥陀如来は、地獄の底まで、その命に寄り添い、喚び覚まし続け、必ず、仏にさせていくのです。

亡くなった命が、どこへ行ったのか、凡夫である私共には、どこまでも知る術はありません。お墓にいるのか、自宅に戻っているのか、それらは、不安定な凡夫が勝手に描いている妄想に過ぎません。決して命の実相ではないのです。その中、ただ一つ確実なのは、如来様の喚び声です。それは、「必ずお前を仏にするぞ」の一言です。他人のことは分かりませんが、私のことは分かります。如来様が、念仏となって私の中で響いているのですから。その響きだけが、真実なのです。今生が終わり、仏の命を賜れば、立ちはだかる死の壁は、もう壁ではありません。私もまた、生と死を超え、十方衆生に働きかける身とさせていただけるのです。その時、親しい方々が、もし迷いの命であり続けていたならば、真っ先に私自身が、その命を導くことをさせてもらえるのです。

一時的な供養に癒しを求めることよりも、深く慈しみ悲しんでくださる阿弥陀如来に出遇っていくことが、何よりも大切なことなのです。

2010年9月1日

宗教とは、電車の中にある吊り革のようなもの

先日、ある御門徒のご婦人の方から、次のようなお話を聞かせていただきました。

  「若い頃、ご法話を聞かせていただいても、人は、必ず病気になるとか、必ず死ぬとか、どうしてこんな暗い話ばかりするのだろうと思っていました。しかし、歳を重ねてくると、最近は、その通りだなぁと、ご法話に頷けるようになってきました。」

 お寺といえば、「お年寄りが集まる場所」というイメージが、非常に強いかと思います。全国の様々な浄土真宗寺院でも、若い世代の方々に集まってもらうために、それぞれに工夫を凝らした教化活動が展開されていますが、若い方が、たくさんお参りするようになったという声は、あまり聞かれません。

蓮如上人は、「わかきとき仏法はたしなめと候ふ。としよれば行歩もかなはず、ねぶたくもあるなり、ただわかきときたしなめと候ふ。」と言われています。歳を重ねれば、体の自由も利かなくなり、頭も弱っていきます。それ故に、元気なうちから仏法のご縁に遇いなさいということですが、これを言わなければならなかったということは、五百年前も、やはり、若い時から仏法に遇う人は少なかったということでしょう。

仏法というものは、元来、私達が素直に頷けるものではありません。お浄土に生まれるといいましても、私達には、それは、死ぬとしか思えません。また、お念仏が、阿弥陀如来の働きの現れであることを聞きましても、実感としてそれを味わうことは、非常に難しいことです。初めて仏法のご縁に遇う方にとっては、お寺で聞く話は、どれも現実離れしていて、実感がもちにくいものばかりでしょう。特に、まだ、気力も体力もある若い方にとっては、仏法を聞く気になれないのも無理はありません。

以前、ある本の中に、宗教についての面白い喩えが、紹介されていました。それは、宗教とは、電車の中にある吊り革のようなものであるというのです。あの吊り革は、電車が平穏に走っているときは、特に必要とはしません。しかし、電車は、必ず大きく揺れる時があります。その時、とっさに掴むのが、あの吊り革です。しかし、その吊り革が、簡単に切れるようなものでは、逆に大きな危険をもたらします。大きく揺れて倒れようとする人の全体重を支え、安定をもたらすのが、吊り革の本来の働きです。宗教というのも、これに似ています。人生は、平穏な時は、本当に平穏です。しかし、人生にも必ず急カーブが訪れます。その時、とっさに掴もうとする目の前の吊り革が、宗教です。宗教も吊り革と同じように、その人を支えきれないものは、非常に危ないものです。とっさに掴むときのために、自分の近くには、自分の全体をしっかりと支えきることの出来る吊り革を、平穏なときから用意しておくことが大切だということです。

蓮如上人は、そのことを次のように述べられています。

 「時節到来といふこと、用心をもしてそのうへに事の出でき候ふを、時節到来とはいふべし、無用心にて出でき候ふを時節到来とはいはぬことなり。聴聞を心がけてのうへの宿善・無宿善ともいふことなり。ただ信心はきくにきはまることなるよし仰せのよし候ふ。」

 普段から仏法を聞いていなければ、時節到来ということはありえないといわれています。ここでいう時節到来とは、如来様に出遇わせていただくということでしょう。分からなければ、分からないままで近くに置いておくことが大切なことなのです。

これは、言い換えれば、家庭の中にお念仏の薫りを残しておくということに他なりません。若い方は、今は、お念仏を必要としていないかも知れません。しかし、その人にも、必ず人生の上において、何かに縋り、掴もうとするときが、必ず訪れます。その時に、とっさに掴んだ吊り革が、お念仏であったなら安心です。大切な子や孫の近くに、お念仏を残していくことは、先逝くものができる、大きな優しさでしょう。

共々に、お念仏に薫る家庭生活を心がけてゆきたいものです。

2010年8月1日