六月六日の日曜日の朝、住職の恩師である浅井成海先生が、御往生されました。昨年、五月に厳修された正法寺の継職法要には、お元気なお姿で御講師としてお越しくださったので、御門徒の中には、まだ記憶に新しい方も多くおられることと思います。住職と坊守は、龍谷大学で、共に浅井成海先生のゼミに所属していたことが、結婚のご縁となりました。結婚の際には、浅井先生が司婚者を務めてくださり、また、奥様と共に媒酌人も務めてくださいました。
浅井先生は、龍谷大学では、法然聖人とその門弟の方々の思想を中心に、長年に亘って熱心に研究され、龍谷大学退官前には、文学博士号を取得されました。先生の研究成果は、浄土真宗の各教団のみならず、浄土宗の各教団においても多く注目されています。龍谷大学退官後は、龍谷大学名誉教授に就任され、昨年からは、本願寺の教学伝道研究センターのセンター長として、現役でご活躍でした。仏教学者としての先生のご功績は、大変なものですが、それよりも、先生が、多くの方々に慕われておられたのは、その温かいお人柄にありました。いつも柔和なお顔で、学生達の様々な悩みに、丁寧に答えておられたことが思い出されます。昨年五月の継職法要にお招きしたときも、「君達にお会いできるだけで、ありがたいことだから、僕には何も気を使わないでください。」と、最後まで、住職夫婦を気遣い、継職法要が厳修されたことを心から喜んでくださいました。
葬儀は、六月八日の火曜日に先生が住職を勤めておられた福井県敦賀の浄光寺で営まれました。全国から多くの門下生を初め、各方面の要職者の方々が多く参列されたとのことでした。葬儀に参列できなかった住職は、後日、日を改めて、坊守と子どもと一緒に福井県敦賀の浄光寺にお参りさせていただきました。そこで、先生の奥様から、先生の人生最後のご様子を、詳しくお聞かせいただくことが出来ました。
五月五日のゴールデンウィーク最終日に先生は、福井県敦賀の自坊において、体調の不調を奥様に訴えられ、奥様と共に近くの病院に赴かれました。そこですぐに、検査入院となり、詳しい検査がなされたそうです。検査結果は、末期の胆嚢癌とのことでした。お医者様から、癌が進行しすぎて手術はもう出来ないこと、抗がん剤の治療をしても長くは生きることが出来ないことなどが、先生とご家族に淡々と告げられたそうです。それを、先生は、表情を変えずに、一つ一つ静かにうなずいて聞かれ、「本願寺の仕事が途中だから、職員に迷惑がかからないよう、本願寺に近い京都の病院で治療をさせてほしい」と希望されたそうです。しかし、薬が体に合わなかったのか、京都の病院で治療をはじめ、わずか一ヶ月足らずの後に、先生は御往生されたのでした。
五月の中旬頃、先生は、三人の娘さんが、病室を訪れた折、次のようにお話されたそうです。
「父さんの人生は、仏法に遇わせていただいたお陰で、何の悔いもないんだよ。お前達も仏法に遇わせていただきなさい。如来様が、ここに満ち満ちてくださっているから、父さんは、何の心配もしていないよ。」
深い安心の中での御往生だったことが、うかがわれます。
先生のこのお言葉からは、先生自身が、阿弥陀如来の働きを実感しておられたことが、よく伝わってきます。世の中には、阿弥陀如来の働きを空想や絵物語かのようにしか考えられない方も多くおられます。むしろ、そういう方の方が多いでしょう。しかし、阿弥陀如来の働きを身の上に実感し、その働きに命が支えられている方の言葉には、本物の響きがあります。この本物の響きを通して、仏法は、何百年と様々な人々の上に伝わってきたのではないでしょうか。
仏法とは、お釈迦様が示された生・老・病・死の人間が持つ根本的な苦しみを超えていく道に他なりません。お念仏申す中に、如来様に出遇っていく人は、様々な苦しみを超え、深い安心の中に生き続けていくことを、浅井先生は、身をもって最後に教えてくださいました。先生の突然の御往生は、寂しい中にも、大変な温かさと柔らかさを心にもたらしてくださったものでした。お念仏申す中に、先生の御遺徳を偲ばせていただきたいと思います。
先日、ある御門徒のご法事の折に、故人の娘さんから、次のようなお話を聞かせていただきました。
「私が、お嫁に行くとき、父には、《つらいことがあっても、辛抱しなさい。絶対に戻ってきちゃいけんぞ》と厳しく諭されましたが、母は、逆に《つらくなったら、いつでも戻っておいで》という言葉をかけてくれました。当時は、父のように、嫁に出す娘に対して《辛抱しなさい》と諭すのが普通でした。でも、《戻っておいで》といわれて、本当に戻る人はいません。今では、あの母の言葉が、私を支えてくれたように思います。」
何気ない故人の思い出話として、お話してくださいましたが、ご法義と重ね合わせて、大変ありがたく聞かせていただいたことでした。
親鸞聖人のお言葉の中に、「釈迦弥陀は、慈悲の父母」というものがあります。お釈迦様も阿弥陀様も同じお悟りを開かれた仏様であり、お慈悲のお心を備えておられます。しかし、そこをあえて、父と母とに当てはめて違いを出されているところに、深い思し召しがあるように思います。
「慈悲」という言葉は、「慈しむ」と「悲しむ」という言葉から成っています。「慈しむ」というのは、純粋にその人の幸せを願っていく心をいいます。それは、その人の幸せのためであるなら、自分自身の身を投げ打っていくような純粋なものです。しかし、その人の幸せを純粋に願っていくとき、必ずしも、その人に対して優しいばかりでは通らないことがあるのではないでしょうか。なんでもかんでも、その人に手を差し伸べることは、その人自身を破壊してしまうことにつながります。子どもにとっては、厳しくつらいことであっても、それに耐えていくことが、本当の幸せにつながっていくことであるなら、毅然としてその道を勧めていくのが、父親の優しさなのでしょう。それは、まるで、厳しい成仏道をお勧めくださっているお釈迦様のお心のようです。
一方、「悲しむ」という心は、自分のために涙を流すのではなく、人のために涙を流していく、悲しみを共感する心を表しています。それは、厳しい道を歩み、それに耐えていくことが、幸せにつながっていくことを知りつつも、それに伴う悲しみや苦しみを、どうしても放っておけないような心です。これから、厳しい道に入って行こうとする子どもに向かって、その悲しみや苦しみを共に感じながら、「いつでも戻っておいで」とやさしく語りかけていくのが、母親の優しさでしょう。まるで、私の悲しみや苦しみを、そのまま受け止めてくださる阿弥陀様のお心のようです。
しかし、慈の心も悲の心も別々のものではありません。慈しむ心は悲しむ心であり、悲しむ心は、慈しむ心でもあります。浄土真宗という仏道は、まさしく、この厳しさと優しさの中で、仏に導かれながら歩ませていただく道といえるでしょう。浄土真宗というと、在家のままで戒律もなく、ただお念仏さえ称えればよい仏道だということで、厳しさは、あまり感じられないかもしれません。しかし、真剣に仏様の教えどおりに生きようとすれば、そこには、必然的に厳しさが伴います。親鸞聖人の九十年の生涯を窺わせていただくと、まさしく、その人生に厳しさが滲み出ています。しかし、その厳しさの中には、必ず温かみがあるのです。それは、厳しい私の人生そのものを一緒に背負ってくださる阿弥陀如来様の働きです。
そして、その働きは、この私に、お浄土という本当に安心のできる落ち着き場所があることを教えてくださるのです。人は、普段、威張ったり強気でいても、つまるところ、誰もが弱く小さな存在です。そのままの私を受け入れてくれる大きな心と、帰るべき落ち着き場所があることが、人生における何よりもの大きな支えとなっていくのでしょう。
この道を行きなさいとお勧めくださるお釈迦様、そして、その道を一緒に歩みお浄土まで導いてくださる阿弥陀様、まさしく、父と母の心のようです。父と母の心を知らずに育ち、死んでいくことほど不幸なことはありません。いのちあるうちに、必ず仏法に遇わせていただきましょう。
人の死というのは、有縁の方々に、何かしらの大きなものを遺していくものです。以前、ある先生から「人類の精神文化は、偉大な死によって創られてきた」という言葉を聞かせていただいたことがあります。例えば、ソクラテスの死は、弟子のプラトンに大きな影響を与え、その後のギリシャ哲学の発展をもたらします。また、キリスト教でも、十字架に磔にされたイエスの死が、キリスト教の真髄を多くの人々に伝える根本的な出来事になっていきます。そして、仏教においても、お釈迦様の死は、涅槃(ねはん)という、仏教における本当の安らぎの境地を人々に伝える出来事でもあります。浄土教というのは、遡れば、お釈迦様の死から始まったといっても過言ではないでしょう。このように、人類は、人の死から多くのことを学び、多くの大切な事柄に気づかされてきました。そんなことを思う時、現代においても、葬儀のご縁というのは、本当に大切にしなければならないものだと思うのです。
先日も、ある御門徒の葬儀のご縁をいただきました。三十代前半の息子さんの葬儀でした。老少不定という言葉が仏教にはありますが、若くしてお子様を亡くされることの悲しみは、親御さんにとって本当に深いものがあります。それに加えて、この度は、自ら命を絶たれたことが、直接の死因になったとのことでした。毎年、一度か二度は、必ず、この度と同じご縁をいただきます。日本の自殺者の数は、年間三千万人を超え、一日六十人、約十六分に一人の方が自ら命を絶たれています。
苦しみという言葉で片付けてしまえば簡単なことですが、自ら命を絶たれる人にとっては、言葉では言い表すことができないような深く重い闇が、その心を占領していくのでしょう。
この度、故人のお母様から次のようなお尋ねを受けました。
「このような亡くなり方をした息子は、地獄に堕ちているのでしょうか?」
悲痛な表情から吐き出された言葉に、一瞬胸が詰まりそうになりましたが、一言、「大丈夫ですよ」と返しました。
仏教では、自殺というのは、確かに罪を作ることであり戒められています。それは、殺生をすることだからです。本来、仏法では、命というのは、自分のもの、他人のものと分けて捉えることはしません。自分の命も、自分で創り出せるものではないからです。数限りない無数のご縁によって、私は、ここに掛け替えのない命をいただいているのです。他殺も自殺も、命そのものを粗末にし、縁起の道理に背くものとして、仏法では戒められているのです。
それでは、苦しみ悩んだ末に、自ら命を絶つしかなかった人々は、地獄に堕ちるしかないのでしょうか。地獄というのは、仏法では、苦しみが極まった世界をいいます。正しく自殺という在り方は、地獄の真っ只中にあるといっていいでしょう。親鸞聖人の有名なお言葉に「いづれの行もおよびがたき身なれば、地獄は一定すみかぞかし」というものがあります。私は地獄を住処とするしかないという意味の言葉ですが、これは大変な言葉です。「自分は地獄の真っ只中にいる」と告白しているのです。詳しくここで述べることはできませんが、親鸞聖人の人生というのは、絶望の連続でした。この言葉は、親鸞聖人が、現代において自ら命を絶つしかなかった人々と、同じ深く重い闇を背負った方だったことを表しています。
しかし、親鸞聖人は、その深く重い闇の中で、阿弥陀如来に出遇っていかれたのでした。悪人正機という専門用語で表されたりもしますが、阿弥陀如来のお慈悲の働きというのは、より苦しみが深い者の上に働いていきます。三人の子どもを持つ母親がいたとします。母親は、三人ともに愛情をかけるに違いありませんが、その中で、一人の子が病にかかり苦しむようになれば、他の二人をさしおいて、まずその苦しむ一人の子どもに寄り添おうとするはずです。人生において、様々な縁に翻弄され、苦しみぬいて、自分ではどうしようもなく命を絶つしかなかった人を、如来様が放っておくはずがありません。苦しみが深ければ深いほど、如来様のお慈悲の心は、大きく響いてくださるのです。どれほど膨大な時間がかかろうとも、如来様は、地獄の真っ只中で、一緒にその深い苦しみを背負われながら、本当の安らかなる境地へと、その者を育ててくださるはずです。お経の中には、それが誓われてあるのです。
しかし、それを本当に実感していくには、私自身が、如来様に出遇わせていただかなければなりません。私自身が、如来様の働きに遇わせていただいてこそ、亡くなった方に寄り添う如来様がましますことを、本当に味わえることができるのです。どのような方の死も決して無駄にしてはなりません。葬儀は、人の死から、命の一大事を聞かせていただく、そのような尊いご縁にさせていただきましょう。
昨年、あるご法事のお斎の席でのことでした。当家の奥様から、故人について、次のようなお話を聞かせていただきました。
「今日、ご法事を勤めていただきましたお婆ちゃんは、ことあるごとにお念仏をしている人でした。お嫁にきた最初の頃は、それが大変不自然に感じたものです。若い頃の私は、『お婆ちゃん、人が死んだわけでもないのに念仏するなんて、そんな縁起の悪いことやめてください。』などと言って、お念仏しているお婆ちゃんを、よく咎めたものです。あれから私自身もお寺の御法座でお聴聞させていただくようになり、お寺でお話を聞くたびに、『お婆ちゃんになんてひどいことを言っていたんだろう』といつも後悔するようになりました。」
お念仏の人生を歩まれた方というのは、何年経過しても、そこにお念仏の薫りをきちんと遺してくださいます。この度も、大変ありがたいご法事のご縁に遇わせていただいたことでした。
最近、保育園の仕事で、山口県下の私立保育園の園長先生方とご一緒することが増えてきました。その中で、住職として大変勉強になるのは、僧侶の方が大変多いということです。まず、そこで驚かされたのは、浄土真宗の御住職と思っていた方が、全く別の御宗旨であることが大変多いことでした。髪の毛を伸ばし、結婚をして家庭をもっておられるところからして、浄土真宗の御住職だろうと思い込み、お話していると、「いえ、私のところは日蓮宗です」「いえ、私のところは天台宗です」という言葉が返ってきて、大変恥ずかしい思いをすることが度々ありました。
本願寺第三代門主の覚如上人のご長男に存覚上人(ぞんかくしょうにん)という方がいらっしゃいます。この方は、仏教学者として、対外的にも大変活躍された方です。この存覚上人が、他宗旨の学者に対して浄土真宗の真実性を論じるときに、他宗旨の学者が、その教えの真実、不真実を問題にするのに対し、存覚上人は、必ず「時機相応」という論拠をもって浄土真宗の真実性を論じておられます。「時機相応」というのは、今の時代と今の時代に生きる人々に即しているという意味です。真実という意味からすれば、他宗旨の教えも経典を拠り所としている限り、それは仏説であり、どの教えも真実といえます。しかし、その教えが、今の時代に生きる人々の拠り所となりえなければ、それは、絵に描いた餅のようなものです。
浄土真宗という教えが、なぜ時機相応であるのかというと、それは、世俗の中で生きる普通の人を目当てとした教えだからです。普通、仏教の教えというのは、世俗的な在り方を否定し、聖者であることを求めます。しかし、現代において、世俗的な普通の生活を捨て、出家をして仏道に邁進できる人というのは、ほんの限られた人ではないでしょうか。ほとんどの人は、世俗の中でしか生きていけません。世俗を捨てて出家せよと説かなければならない天台宗や日蓮宗の僧侶自身でさえ、現在は、世俗の中でしか生きていけないのが実状としてあるのです。
もちろん、浄土真宗も仏教である以上、世俗的な生き方を肯定しているわけではありません。しかし、否定をしながらも、捨てよとは教えないのです。それは、この教えが、世俗の生活の中に世俗的な生き方を超えていく道があることを教えるものだからです。世俗の生活というのは、人里離れた出家の生活よりも、人としての悩み苦しみが一層深まる場所でもあります。しかし、そこにこそ、阿弥陀如来の大悲は、強く働いていくのです。
お念仏を申す日暮しというのは、言い換えれば、阿弥陀如来に抱かれ、育てられながら過ごすということです。渋柿が、太陽の光によって少しずつ熟され、甘い干し柿になっていくように、お念仏を慶ぶ日暮しを送る人は、世俗の中にあっても、阿弥陀如来の光によって、少しずつ渋みが取れ、お浄土に生まれるにふさわしい姿に熟されていくのでしょう。
姑さんのお念仏を咎めた若いお嫁さんが、世俗の中で時を重ね、自分自身もお念仏を慶ぶようになった姿は、まさしく浄土真宗という仏道を歩んでこられた尊い証です。日常の生活が、仏道であるような尊い日暮しをさせていただきたいものです。
昨年末のことでした。夕方頃、ある御門徒の方から一本の電話がありました。
「少しお時間をいただいてご相談したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?今日、息子が家に帰ってきて、気持ちの悪いことを言うのです。昨年、亡くなった祖父が、最近よく現れて、自分のことを見つめているというのですが、今から連れて行きますから、一度、息子とお話してもらえないでしょうか?」
それは、切羽詰ったようなお声での電話でした。「いいですよ。お待ちしています。」軽く返事を返したものの、いったいどんな話をされるのか、また、それに対してどんな話をすればいいのか、お寺に到着されるまでの数十分間、不安が徐々に募っていきました。
お寺には、お婆ちゃん、お母さん、息子さんと三人で来られました。まだ、十代後半の純朴そうな息子さんは、住職と二人きりで話しをさせてほしいということでしたので、仏間で二人きりで一時間ほどお話をさせていただきました。
亡くなった人が、目の前に現れるという、いわゆる幽霊に関する相談は、これまで何度かありました。実際に幽霊という現象が、何であるのかは、私には分かりません。しかし、相談に来られる方々は、どの方も真剣な悩みをもって来られます。この度の十代の男の子も、真剣に悩んでいることが、ひしひしと伝わってきました。
詳しい話の内容は、ここでは控えますが、男の子の悩みは、単に幽霊ということに留まらず、「人が死ぬとは、いったい何であるのか?」「死ねば、人はどうなるのか?」といったような、人としての根本的な問題が、深い悩みとなって襲ってきたような形のものでした。男の子の悩みをじっと聞きながら、どのように答えようかと頭をひねりましたが、結局、「その悩みに本当に答えていけるのは、如来様しかおられない」という答えしかできませんでした。来月に勤まる御正忌報恩講の日時をメモした紙を手渡して、「如来様なら、あなたの悩みにはっきりと答えてくださるから、何十年かかっても、納得のいくまで聞き続けてください」と最後に言葉を添えました。
そして、御正忌報恩講の最終日、その男の子は、ご家族の方と一緒に参詣しお聴聞をしてくださったのです。この度の御正忌報恩講は、延べ三五〇人以上の方々がご参詣くださった、大変参詣者の多いうれしいご縁でしたが、その男の子が、お参りしてくださったことが、住職にとっては、なによりもうれしく思ったことでした。
仏教では、阿弥陀如来のお心とその働きを蓮の花によく例えます。蓮というのは、泥の中から見事にきれいな花を咲かせます。泥というのは、汚いものです。泥に触れれば、あらゆるものは汚れていきます。しかし、蓮の花は、その汚い泥がなければ、きれいな花を咲かすことができないのです。仏教では、あらゆるものを汚していくこの汚い泥を、私達の悩みや迷いに例えています。悩み苦しんでいる状況は、人間にとって好ましくない状況です。また、苦しんでいる時は、泥が、あらゆるものを汚していくように、自分の心を傷つけ、周りの人の心も傷つけていきます。しかし、この悩み苦しみが、やがて見事な悟りの花を咲かせていく、なくてはならない糧となっていくのです。
浄土真宗というみ教えは、今、ここで、阿弥陀如来に出遇っていくみ教えです。決して死んでから仏様に会うのではありません。仏教の中には、死に際に阿弥陀如来のお迎えを期待する思想もありますが、死に際に現れるものは、所詮、幻ではないでしょうか。人は、悩み苦しむ中で、本当の阿弥陀如来に出遇っていくのです。阿弥陀如来は、お寺の鐘のようなものです。力いっぱい打つと、鐘は、それに応じて大きく響きます。それと同じように、大きな悩み苦しみをもって、真剣に聞き続ける人には、必ず阿弥陀如来のお慈悲が、大きく響いてくるのです。
念仏者にとって、人生に無駄なものは一つとしてありません。自分にとっては、思い出したくない経験も、その人の徳に転じていくのが、阿弥陀如来の救いの働きなのでしょう。死ぬまで、聞き続ける人生でありたいものです。
あけまして、南無阿弥陀仏。今年も、阿弥陀様のお慈悲の中で、お浄土への歩みを御門徒の皆様と一緒に味わって参りたいと思います。今年も、宜しくお導きいただきますよう、お願い申し上げます。
先日、住職にとって大変うれしいことがありましたので、ご紹介いたします。それは、ある御門徒さんからの次のようなご依頼からのことでした。
「先日お約束したお取り越し報恩講の日に、新発意さんもご一緒にお参りいただけないでしょうか?最後まで座っておれなくても結構です。とにかくお越しいただくだけで結構ですから、よろしくお願いいたします。」
新発意(しんぼち)は、先日、四歳を迎えたばかりのやんちゃ盛りです。法務に連れて行けば、ご迷惑をおかけするだけではないだろうか?そんな不安がよぎりましたが、新発意にとっては、ありがたいご縁を頂戴できるめったとない機会だと思い、御門徒さんのご好意に甘えさせていただくことになりました。
この度のお取り越し報恩講は、従来のように、一軒一軒お勤めをして回るというものではなく、地区の方々が、一同に一軒の御家に集まられて、お勤めとご法話のご縁に遇うというものでした。五月の継職法要の折にしつらえた子ども用の法衣に久しぶりに袖を通し、ワクワクしながら御門徒宅へ父と向かった新発意でしたが、いざ、御門徒宅に到着すると、意外な人の多さに少々たじろいだ様子でした。しかし、いざ、お正信偈のお勤めが始まると、ほぼ間違わずに最後までじっと正座をしてお勤めすることができました。そして、最後に「聖人一流のご勧化のおもむきは・・・」ではじまる『御文章』を、御門徒の方々に向かって、一人で最後まで間違わずに拝読できました。それは、思わず何人かの御門徒さんが拍手をしてしまうほど立派なものでした。浄土真宗の御門徒と寺族との温かい関係を改めて味わせていただいたことでした。
おそらく四歳になったばかりの新発意は、お勤めの意味も『御文章』の意味も全く分かっていないでしょう。しかし、分からないままのその姿も有り難いのです。時々、ご法事などで、お酒が入った席において、「仏教が納得できたら、お寺に参ります」や「訳が分からんものを聞く気にはなれません」という方がおられます。確かにもっともなご意見です。分からないものを聞き続けるほど苦痛なものはありませんし、納得ができなければ行動に移せないというのも良く分かります。
しかし、仏法に関しては、私達は、いつまでたっても分からないのではないでしょうか。仏様が分からない、お浄土が分からないから、私達は、今、迷いの存在としてここにいるのです。分かっていたら、こんなところで迷ってなんかいません。仏法など聞く気すら起こらず、傲慢な思いの中で我欲に振り回されながら人生を過ごしていくのが、私達の姿です。そのどうしようもない私達を、少しずつ少しずつ仏法に向かうように育ててくださるのが阿弥陀如来の願いの働きなのです。仏法を聞く気すら起こらない方も、すでに仏法を聞くご縁に遇っておられる方も、同じ阿弥陀如来のお育ての中にある尊い仏の子です。
この度、新発意をお招きくださった御門徒さん、温かい目で新発意のお勤めを味わい、喜んでくださったたくさんの御門徒の方々、それらはみんな阿弥陀如来の働きです。小さな体で法衣に袖を通し、お念珠をかけてお念仏を称えている新発意は、その意味を全く理解していないでしょう。しかし、私は、その姿の上に如来様の働きを味わせていただきました。この子の上にも私と同じ如来様の願いが働いていると思うと、親子以上の深いつながりを感じます。
法然聖人が、難しい理屈を言われずに「ただ念仏申せ」とお勧めくださった意味を、新発意の姿を通して味わせていただいたことでした。如来様は、様々な形をとって、私共を育ててくださいます。分からなければ分からないままお念仏申すところに、お浄土への近道があるのでしょう。
仏法というのは、分かろうとして分かるものではありません。法然聖人や親鸞聖人のお勧めどおりに、素直にお念仏を申し、如来様に手を合わせる中で、少しずつ育てられていくものなのでしょう。様々な仏縁を慶べる身にさせていただきたいものです。
先日、ある御門徒の方の五十回忌のご法事が、お寺において営まれました。
挨拶を交わし、如来様へのお供え物、法名、故人の遺影などをお預かりした時でした。ご当主が、思いがけないことを申されたのでした。
「今日は、私の父の法事ですが、父は、建築士をしておりました。実は、この本堂も父が設計・管理をさせていただいたのです。」
前住職から、また、前々坊守、あるいは、ご年配の御門徒の方々から、昭和三十一年の正法寺の火災については、常々、聞かせていただいておりましたが、御門徒のお一人が、設計をされたというのは、はじめて聞かせていただいたことでしたので、正直、おどろきました。
そのときは、「そうでしたか」と言うに留まりましたが、後のお斎の席において、ご当主から、当時のことを詳しくお聞かせいただいたことでした。それは、おおよそ次のようなことでした。
「私の父は、当時、岩国の方に住んでおりましたが、お寺が焼けたということを聞くと、慌てて嘉川まで飛んでいったことを覚えています。そこで前々住職とどんな会話が交わされたのかは知りませんが、おそらく、前々住職からお願いがあったのでしょう。当時は、今の設計技術とは異なり、細かい計算などなく、経験と勘を頼りに大きな紙を広げて、そこに墨で設計図を書いておりました。父は、岩国市からの要請を受けて、昔の錦帯橋を設計したりしておりましたが、おそらくお寺の本堂は、はじめてのことだったでしょう。岩国との往復はできませんので、本堂が完成するまで何ヶ月間もお寺に泊まらせていただき、前々住職と寝食を共にさせていただきました。安心したのか、本堂が完成して間もなく、急な病により父は亡くなりました。この本堂が父の最後の仕事となりました。当時の御門徒さん方のお寺復興にかける情熱は、すごいものがありました。御門徒さん方の熱い情熱に支えられて、父は、本当に大きな仕事をさせていただいたことと思います。」
改めて、お寺を建立することの大変さを深く味わいながら、聞かせていただいたことでした。
お寺というのは、同じ仏教寺院であっても、その存在意味は、宗派によって異なります。多くの仏教寺院は、仏道修行をする場と考えてよいでしょう。京都にたくさんある観光寺院も、本来は、僧侶が修行する場です。しかし、浄土真宗のお寺は、僧侶が修行をする場ではなく、私自身が、阿弥陀如来のお心を聞かせていただく場なのです。阿弥陀如来は、他でもない、この私のために願いを起こされたのです。その仏様の願いを、私自身が聞かせていただくのが浄土真宗のお寺です。
京都や奈良にある各宗派の本山などの大寺院のほとんどは、天皇や将軍などの時の権力者の財力を借りて、建てられたものですが、唯一、本願寺だけはそうではありません。柱の一本一本、瓦の一枚一枚に至るまで、すべてが全国の御門徒により寄進されたものです。当時の全国の御門徒の中には、農民、商人、武士と様々な立場の方達がおられたでしょうが、それぞれの立場を超えて、私自身の命の拠り所としての本願寺を、自分たちだけの念仏の城を築くように建立したのでしょう。壮大な本願寺のすばらしさは、その大きさにあるのではありません。その底に流れ続ける深く尊い心にこそあるのです。いくら壮大な建物であっても、マッチ一本で、それは、たちまち灰燼と化します。しかし、先人達が、命がけで護り伝えたお念仏のお心は、どんな大火が起こっても、決して灰になることはありません。
五十数年前に全焼した正法寺が、現在のような姿を現しているということの意味は、非常に深いものがあります。浄土真宗のお寺は、お念仏を命の拠り所として生き抜いた先人達の尊い心が、具現化した姿なのです。ご先祖の心を粗末にしないこと、それは、なによりも私自身がお寺において、お念仏のご縁に遇わせていただくことでしょう。
建物の立派さだけに目を奪われるのではなく、お念仏を慶ぶ心が溢れ、ご法義が繁昌していくお寺でありたいものです。
先日、葬儀のお礼参りの折に、故人のご家族から、次のようなお話を聞かせていただきました。
「母は、入院する直前まで朝のお勤めを欠かしたことがありませんでした。毎朝、七時ちょうどにお仏壇の前に座り、お正信偈を必ずお勤めしておりました。父も同じようにそうでしたが、晩年、施設で過ごすことの多かった父に比べて、母は、亡くなる直前まで、そのような日暮しを送らせていただけて、ありがたかったと思います。」
浄土真宗の御門徒が、脈々と受け継いでこられた尊いお姿というのは、このようなところに現れているように思います。
浄土真宗の大きな特徴の一つに、「在家仏教」ということが挙げられます。仏教というのは、本来、「出家」という生活スタイルをとります。「出家」というのは、簡単に言えば、一生涯、家族も財産も持たないということです。家族を持つということは、そこには大きな責任を伴います。家族を持てば、それに伴う責任を果たすことに一生を費やすことになり、仏道を行ずることが出来なくなってしまいます。仏教において「出家」をするというのは、一生涯、仏道修行に専念できる環境に身を置くことを意味しているのです。インド、中国、日本の名だたる高僧の方々は、皆、出家をしています。親鸞聖人の師匠である法然聖人でさえ、一生涯、出家を貫かれています。また、現代においても、比叡山の天台座主や永平寺の住職になられるような高僧の方々は、一生涯、出家のスタイルを貫いておられます。
その中で唯一、親鸞聖人だけが、「出家」ではなく「在家」に身をおかれたのでした。親鸞聖人には、恵信尼様という奥様と七人のお子様がおられました。現代に残っている世界のあらゆる仏教教団の中で、開祖の子孫が公に存在しているのは、浄土真宗だけです。それだけ仏教において、「在家」という生活スタイルは、例外的なものといえるでしょう。
しかしながら、親鸞聖人が、その九十年の生涯をもってお示しくださった「在家仏教」というものは、決して仏教が世俗化したものではありません。世俗化した仏教は、単なる堕落です。本来、出家すべき僧侶が、俗世間に塗れて在家に身を置いているのとは、全く違うということです。浄土真宗は、仏道が世俗化したのではなく、逆に、在家生活を仏道として高めていくみ教えなのです。それは、出家した僧侶だけが仏道を歩むことが出来るというのではなく、百姓も商人も漁師も主婦も、それぞれが、そのままの姿で仏道としての人生が与えられていくという、仏教の大転換ともいうべきものなのです。
浄土真宗の御門徒の方々は、普通の在家生活を送りながら、出家した僧侶にも劣らない、見事な仏道の花を咲かせてきました。それを象徴する一つの光景が、家族そろっての朝夕の勤行だったのではないでしょうか。
在家に身を置いておりますと、様々なことに巻き込まれていきます。嫁と姑、夫と妻、兄弟、親子、様々な絆で結ばれた人々ではありますが、やはりお浄土のようにはいきません。言いたいことが遠慮なく言える分、案外、あかの他人よりも深い絆で結ばれた身内同士のほうが、深く傷つけあっている場合があるのではないでしょうか。放っておけば、身内同士、地獄の世界を造りだしていくのが、私共凡夫の性でしょう。
家庭生活の中心が、家族それぞれの我であるかぎり、家庭の中に争いは絶えないでしょう。それは、社会生活でも同じことです。それぞれが、それぞれの都合で動く社会は、必然的に混沌としていきます。一日の始まりと一日の終わりにお仏壇の前に座らせていただくことは、一日一日の生活を、阿弥陀如来のお心の中で、深く味わせていただくためです。
悩み、苦しみが絶えないのが在家生活です。しかし、私、そして、私とご縁のある様々な人々が、如来様の願いが宿された尊い仏の子であることを、日々の日暮しの中で味わう大切な時間を持ちたいものです。
以前、ある御門徒のご法事の折に次のようなお話を聞かせていただいたことがありました。
「私は、仕事の関係で地元を離れて十数年経ちます。お寺さんには、ご無礼ばかりで申し訳なく思っていますが、仕事を辞めて、こちらに戻ってきたときには、お寺のご法座にもお参りしたいと思います。私の子どもの頃は、みんな自分のところのお婆ちゃんに手をひかれて、お寺にお参りさせられたものです。子どもながらによく覚えているのは、大人達に混じって、本堂の中に座っていると、飴玉やキャラメル、時には十円玉などを、周りの方からたくさんもらったことです。喜んで周りを見ると、どこかのお婆ちゃんが、とてもにこやかな笑顔で、私を見つめていました。子ども心に、とても良いことをしている気持ちがして、とてもうれしかったことを覚えています。」
昔のお寺の様子が、目の前に浮かんでくるようなあたたかいお話でした。
蓮如上人の言葉に「当流の真実の宝は、南無阿弥陀仏」というものがあります。人は、何かしら自分の宝物を持っているのではないでしょうか。一般に宝と聞いて思い浮かべるものといえば、家族、健康、社会的な地位や名誉、または、即物的に金銀財宝を思い浮かべる方もおられるでしょう。宝物というのは、その人を支え、また、その人の生きる上での拠り所となるものをいいます。
最近、テレビのある番組で、ある進学塾にスポットをあてたものがありました。たくさんの小学生たちが、ハチマキを頭にまいて、有名私立中学の受験に挑むというものです。勉強することは、決して悪いことではありませんが、テレビに映っていた子ども達の姿には、何か異様なものを感じました。一般的に、現代社会に生きる人々は、本当に大切にすべき宝物を、見失っているのではないでしょうか。蓮如上人は、次のような言葉も残されています。
「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず」
人生において、頼みとしていた妻子も財宝も、自分自身が死んでいくときは、何一つこの身に添って、支えとなってくれるものはないということです。私達は、死すべきときがくれば、この世で宝物としていたものを、すべて置いていかなければなりません。それらは、必ず壊れていくものなのです。
本当の宝物というのは、いつでもどこでも壊れないものでなければなりません。南無阿弥陀仏は、いつでもどこでも壊れることはありません。それは、生きても死んでも、この身にどこまでも寄り添う命の親の喚び声だからです。そして、その喚び声は、私を常に喚び覚ます声でもあります。これまで、凡夫の世界しか知りえなかった私が、南無阿弥陀仏の働きの中で、その恥ずかしさを知らされ、如来の眼で見る有り難い世界を味わえる身に育てられていくのです。人として生まれた私が、如来に育てられ、仏と成り浄土に生まれていくのです。当流の真実の宝は、私を導き、育て、本当の命の安らぎを与えていきます。
お寺というのは、本来、サンガともいいますが、仏の教えを味わい慶ぶ者の純粋な集まりでなければなりません。そこでは、如来の心を宝とする者が、お互いに敬いあい、頭を下げあいながら、豊かな命を見る眼を育む場が開かれていきます。何を大切にすべきであるのか、それを、言葉ではなく、温かい雰囲気の中で無言で知らせていく、そんな尊い場所が、本来のお寺の姿なのでしょう。
子ども心に知らされた、あの温かく尊い雰囲気は、その人の一生を温かく包み込んでいくことでしょう。正法寺の本堂に入れば、いつまでも温かいお念仏の香りがする、そんな尊いお寺であり続けたいものです。
先日、ある仏教壮年会の会員の方から、次のようなお話を聞かせていただきました。
「私は、最近、母が《真実は、すえとおる》と言っていたことをよく思い出すんです。若い頃、私は、仏法に熱心な母によく反発して《真実というのは、地球が四十六億年前に誕生したとか、人間が約二百万年前に誕生したとかを言うんじゃないのか!》とか言っていたものです。それに対して母は、一言《真実は、すえとおる》と言っていました。若い頃は、事実と真実の違いが全く分かっていませんでしたが、最近は、事実と真実は、やっぱり全然違うなと頷けるようになってきました。」
お寺に生まれ育った私自身も、昔、同じ反発の思いをもったことがあります。「法蔵菩薩という方が、十劫という計り知れない遠い昔に、四十八の願いを起こし、その願いの実現のために、計り知れない長い間、修行をし、阿弥陀仏という仏に成った。そして、その仏は、今、南無阿弥陀仏という言葉になって私に働きかけている。」このような経典の説明は、実際に時間と空間の中で起こった事実ではありません。事実というのは、時間と空間の中で実際に起こった事柄をいいます。日常生活の上でいいますと、テレビや新聞などで報道されている事柄です。テレビや新聞は事実を告げるものですが、そこで常に問題にされるのは、それが正確に事実を告げているかどうかということでしょう。
真実に触れることなく生きてきた人においては、正確な事実を告げるものでなければ信用ができないというところがあって当然です。経典の言葉に反発を持つというのは、その言葉でもって説明する事柄が事実ではないからです。事実でないということは、誰かが作った作り話であり、嘘が書いてあるものだということになります。
しかし、経典をテレビや新聞と同じように正確な事実を告げるものとしてみてはいけません。経典は、事実ではなく真実を告げるものだからです。それによって生き、それによって死ねるというような私共の生と死を貫くいのちの真実を告げようとするのが経典の言葉なのです。経典の中で繰り広げられる阿弥陀仏の物語は、事実ではありませんが、単なる嘘と片付けてしまえるような他愛もない作り話では決してありません。
そこで告げられているのは、生きる意味も死んでいく意味も見定めることが出来ず、愛憎の心に身を焼かれ続けるしかない私を、必ず救っていく力がすでに完成されているということです。私は、ただ一人生まれ死んでいくような意味のないものではありません。私には、深い如来の願いが宿されています。そして、それは、私一人ではありません。いのちあるものは皆、如来の願いが宿された尊い仏の子です。如来は、あらゆるいのちの上に常に働き続けます。私は、どんな時でも、私の思いに関わりなく如来に抱かれ続けているのです。そのことが告げられていくとき、私を含めたあらゆるいのちの輝きが知らされていくのです。テレビや新聞が告げる事実は、人によってその事実が告げる意味は異なります。また、時間が過ぎると共に意味を為さなくなります。しかし、経典が告げようとするこの真実は、いのちである限り、人であれ、動物であれ、植物であれ、そこに深い意味をもたらし、どれだけ時間が経過しようとも、永遠に響き続けるのです。まさしく、「真実はすえとおる」です。二五〇〇年前に起こった事実は、今の私共には、意味をもたらしませんが、二五〇〇年前にお釈迦様がその口でお説きくださった真実は、今の私共の上にも二五〇〇年前と全く変わらない深い意味をもたらすのです。
「真実は、すえとおる」と仏法を疑う息子さんに言い切っていかれるそのお姿は、すえとおる真実に実に豊かに生かされている尊さがあります。また、その息子さんが、時を隔てて、すえとおる真実に出遇っていかれたということも、また、すえとおる真実の働きなのでしょう。いつまでも、あらゆるいのちの上に響き続ける、これが仏法が真実であるといわれる所以なのでしょう。