「三時思想」―お釈迦様のお隠れを基点として、正法・像法・末法という三つの時代の流れ―

先日、ある御門徒の満中陰のご法事でのことです。私の隣に座られたご親戚の方が、次のようなお話を聞かせてくださいました。

 「私は、今年、七十五歳を迎えますが、今、大阪に住んでいます。しかし、私の実家は、嘉川の方で正法寺門徒です。私の母は、よく正法寺の御法座にお参りしていました。あの当時は、私の母だけでなく、近所のおばちゃん達が、みんな正法寺にお参りしていました。母達の井戸端会議は、いつもお寺の話だったことを思い出します。(この間の御法座のお話、あれはありがたかったねぇ。)などと、しきりに母達、近所のおばちゃん連中が、話しているのを聞いて、子ども心に(お寺というところは、どれほどいい話が、聞けるところなのだろう。)などと、思ったものです。」

 五、六十年前のあたたかい田舎の風景が、目の前に浮かんでくるような、ありがたいお話でした。一昔前は、このような光景が、あちらこちらで見られていたのでしょう。人々の中に、自然と仏法が溶け込んでいたような良き時代が、ついこの前まであったことを、ありがたく味わわせていただきました。

現代において、道端での世間話に、仏法が出てくるというのは、まず、ないといってよいのではないでしょうか。現代は、六十年前と異なり、情報が、溢れる時代になりました。テレビ、新聞、雑誌、インターネットなど、あちらこちらから、様々な情報が流れ出ています。しかしながら、当然のことですが、巷に溢れている情報の中に、仏法に関するものは、ほとんどありません。これは、末法という時代を顕著に表しているように思います。

仏教には、「三時思想」というおもしろい考え方があります。お釈迦様のお隠れを基点として、正法・像法・末法という三つの時代の流れを考察したものです。正法というのは、お釈迦様がお隠れになって、五百年後までの時代です。この時代は、仏の教え、その教えに従って行ずる者、そして、行じた先に仏法の真理を悟る者が存在します。像法というのは、お釈迦様がお隠れになって一千年が経過した時代です。この時代は、仏の教え、その教えに従って行ずる者はいますが、仏法の真理を悟るものは、もはや存在しません。そして、末法というのは、お釈迦様がお隠れになって千五百年以上経過した時代です。この時代は、仏の教えだけが残り、それを行ずる者も悟る者も、全く存在しなくなる時代です。

現代は、もちろん末法の時代に当たるわけですが、親鸞聖人がご在世の時も、すでに末法の時代に入っていました。法然聖人や親鸞聖人が、数ある仏教の教えの中で、阿弥陀仏のお念仏のみ教えに心を開いていかれたのは、一つには、この三時思想が大きな根拠になっているのです。つまり、浄土三部経の中で説き示されているお念仏のみ教えは、本当の意味で仏法を行ずることも悟ることもできない、そんな末法の時代に喘ぎながら生きる者のために説かれたものだと味わっていかれたのです。

現代は、親鸞聖人の時代から、さらに八百年が経過しています。末法の様相は、いよいよその陰を濃くしてきているというべきでしょう。それを表すものの一つが、非常に仏法のご縁に遇い難い時代状況になっているということがあげられるのではないでしょうか。

蓮如上人は、「数珠は、くれ、くれ」と申されています。数珠というのは、本来、念仏の回数を数えるための法具です。念仏を一回称えるごとに、数珠の珠を一つ繰って、念仏の数を数えていくのが、本来の使い方です。しかし、浄土真宗では、お念仏を口に称えることは大切にしますが、その回数は問題にしません。一回であろうが、百回であろうが、お念仏は、阿弥陀如来の喚び声であり、私の上に働く姿に違いはないからです。にも関わらず、数珠を繰れと申されたのは、仏法のご縁を大切にしなさいということなのでしょう。 私達は、普段、ほうっておいたらお念仏など絶対にしません。また、仏法を聞こうとする心も起こりません。末法だからしょうがないのではなく、自らも仏法のご縁を求めるように努めなさいということなのでしょう。

しかしながら、ほんの六十年ほど前に、末法とは思えないような有り難い光景が、正法寺門徒の中に広がっていたことを聞かせていただいたことは、大変有り難いことでした。一つ一つの仏法のご縁を、本当に大切にしていきたいものです。

2009年8月1日

仏様と、コップ一杯の水

先日、ある御門徒の方の臨終勤行にお参りさせていただいた時のことです。生前の故人が、大変お念仏を慶ばれた有り難い方だということは、様々な方からよくお聞かせ頂いておりましたが、その時、ご家族の方が、次のようなお話をしてくださいました。

「故人は、生前、本当にお寺様にお参りするのが大好きでした。体が不自由になってからも、なんとかお寺にお参りしようと努めておりました。亡くなる少し前にも、私が、(おじいちゃん、最後にどこか行きたいところがある?)と尋ねると、少し考えて、(お寺・・・)と答えてくれました」

命のある限り、お寺を慕ってくださった故人のお姿に、深い感動を覚えたことでした。

浄土真宗のお寺というところは、時には、葬儀や法事を勤める場所になったりもしますが、本来は、生きている者が、仏法を聞かせていただくために存在しています。もし、一人も仏法を聞く者がいなくなれば、いくら、葬儀の場所として機能しようとも、お寺の存在価値はなくなると考えてよいでしょう。

先日、ある全国版のテレビ番組に、真言宗の僧侶の方が、コメンテーターとして出演されておられました。現代、特に都心部における葬儀の現状を特集した内容でしたが、その中で、その僧侶の方が、「現代の葬儀は、お寺を維持するためにあると考えてよいでしょう。」とコメントされていました。確かに、現代において、葬儀がお寺を支える経済的基盤になっていることは否定できません。しかし、葬儀を行うことが仏教の真の目的ではありませんし、まして、経済的基盤を確保することが、お寺の目的となることは、外道を歩む姿というべきです。

そもそも、仏教というのは、正しい生き方とは何か、また、正しい死に方とは何かを教えるものです。死者儀礼や先祖供養は、仏教の本来の目的ではありません。浄土真宗の上で申せば、葬儀も法事も、故人を尊い仏縁として、残された者が、その場で、如来様のお心に遇わせて頂いてこそ、本当の仏事の意味がもたらされるのだろうと思います。

はたして、私共は、正しい生き方が出来ているでしょうか。ほとんどは、そのことを問うこと自体、出来ていないのではないでしょうか。しかし、私の上に恵まれているこの命の不思議さと尊さに思いをいたすとき、たまたま頂いたこの不思議な命に対して、責任をもって生きることが出来ているかどうかは、大きな問題です。

例えば、『仏説阿弥陀経』には、「八功徳水」や「黄金為地」という言葉が出てきます。「八功徳水」は、水に八つの功徳が具わっていることを表したものであり、「黄金為地」は、大地が黄金に輝いていることを表したものです。いずれも、阿弥陀如来の世界を説き表したものですが、はたして、私共は、コップ一杯の水に対して、その素晴らしさを八つ以上考えられるでしょうか。また、普段、何気なく踏みしめている大地に、黄金の輝きを見出せるでしょうか。とてつもなく尊いものを恵まれていながら、それを有り難いとも尊いとも感じないのが、迷っている凡夫といわれる由縁であり、正しい在り方、正しい生き方が出来ていない証拠でもあるのです。仏様というのは、コップ一杯の水に無限の徳を感じ、踏みしめている大地に黄金の輝きを見出していくような、とてつもなく豊かな感性を開いている心の持ち主のことをいうのです。仏様の生きる世界というのは、「浄土」と説かれるように、すべてが浄らかで透き通った世界です。そして、そんな世界を生きていくことが、真に正しい生き方であることを教えているのが仏教なのです。

そうしますと、私共には、正しい生き方など到底出来ないということになるかもしれません。しかし、真に正しい生き方を知り、自分が間違った生き方をしていることに気づくこと自体が、大変尊いことだと思います。なぜならば、そう気づいた人は、すでに正しい生き方、つまり、仏様の領域に向かって歩み始めている人だからです。今は、鈍感で鈍っている心でも、阿弥陀如来のお慈悲に包まれて浄土に向かって歩む人は、必ず浄土に生きる心が恵まれていくのです。

命のある限り、お寺を慕う姿というのは、命のある限り、正しく生きようとされた尊い姿です。このような方のみ跡を慕わせていただく大切さを、改めて感じさせていただいたご縁でした。

2009年7月1日

お寺にお参りするようになったきっかけ

五月三日と四日の二日間に亘って、本当に多くの御門徒の皆様のお力添えを賜り、盛大に大法要が厳修されました。改めまして深くお礼申し上げます。両日とも、満堂の本堂で厳かに修行された法要は、本当にありがたいものでした。如来様の働きの中で、今の自分が生かさせていただいていることを、改めて味わせていただきました。

法要に遠方から参詣くださった実家の本善寺の総代のお一人から、後日、一通のお礼状をいただきました。そこにご自身の味わいを次のように記されておられました。

 「私事ですが、小生は六十歳の定年を間近にひかえ、行く末の有限なる生命の気づきからお寺へ参らせていただくようになりました。最初の頃は、手を合わせ南無阿弥陀仏と称えることさえ恥ずかしくて出来ませんでしたが、十有余年を経て、合掌もお念仏も自然にできるようになりました。」

 お寺にお参りされる方は、それぞれに、お寺にお参りするようになったきっかけをお持ちのことと思います。正法寺の御門徒の中でも、「子どもとの死別がご縁になって」と申される方もおられますし、「母が熱心な念仏者で」と申される方もおられ、本当にそのきっかけは様々です。

しかし、きっかけは様々であれ、お寺にお参りに来られる方々は、一様に解決しようのない悩みを抱えてお寺に足を運ぶようになったのではないでしょうか。それは、はっきりと言葉に出来るものもあるでしょうし、また、言葉には出来ない深い悩み、あるいは、言葉では表現しづらい漠然として重くのしかかるものまで様々でしょう。

人生を歩む上において、悩みはつきものです。生まれて死ぬまで人は悩み続けなければなりません。悩みの中には、時間が経過したり、その状況が好転すれば解決するものも多くあります。しかし、私達には、解決しようのないどうしようもない苦しみもまたあるのです。ここに紹介させていただいた「行く末の有限なる生命の気づき」というのもその一つでしょう。自分が死んでいくという悩みは、いくら時が過ぎようと状況がどんなに変化しようとも、決して解決のできないものです。

一般的に仏教というのは、ある種の人生哲学のように受け取られている側面があります。噛み砕いて言い直せば、それは、より良い人生を生きるために説かれたものであり、人生を生きる上において、聞いておけば役に立つものということでしょうか。
しかし、仏教というのは、決してただ聞いておけばよいというものではありません。もし、単なる知識的な欲求を満たす興味本位な姿勢で仏教を学んだならば、仏教というのは、それほど魅力的な姿を発揮しないでしょう。しかし、どうしようもない人生における苦しみを抱き、その苦しみを仏教にぶつけたとき、仏教は、今までにない尊い響きでもって、私共の前にその真の姿を現すのです。

親鸞聖人自身も、どうしようもない深い苦しみを抱き、その答えを生涯かけて、仏教の中に聞き開いていかれたお一人でした。偉大な宗教者ほど、人よりも深い悩みを抱えているものです。悩みが深い故に、それに対して返ってくる答えも、また深いのです。親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗というみ教えは、親鸞聖人という偉大な宗教者が抱かれた深い苦しみに対する如来様の深い答えともいえるのでしょう。

七五〇年も前にお隠れになられた方の言葉が、今もなお、多くの人々の上に生き生きと躍動しているということは、考えてみると本当にすごいことです。それは、どんなに時代が変わっても、深い悩みをもって尋ねれば、親鸞聖人の言葉は、燦然たる輝きを放って、私の中に響き渡ってくださるからこそでしょう。

しかし、人生におけるどうしようもない深い悩みというものは、一瞬で解決できるような単純なものではありません。人が育っていくには、それなりの時間が必要です。一歩進んで二歩下がるということも、人生には多々あります。しかし、それでも、少しずつ育てられ、時間が経って振り返ってみると、自分の育ちをありがたく味わえるというのが、実際の姿なのでしょう。悩みを持たれた方は、ぜひお寺にお参り下さい。解決の道は、すでに用意されています。

2009年6月1日

定額給付金の話から

先日、坊守から次のような話を聞きました。それは、仏教婦人会の役員の方々との何気ない世間話でのことです。今、何かと世間を騒がせている定額給付金の話が、仏教婦人会の中でも話題に上っていました。この定額給付金を、何に使うかということが話題になったときに、ある役員の方が、「私のところは、定額給付金を孫のご本山参りに使います」と申されたとのことでした。お金が何よりも大切かのように平気で振舞う人々が増えている中で、このような言葉を聞かせていただくと、やはりお寺という場所は、ありがたいところだなぁという気がいたします。

テレビで「お金を儲けて何が悪いのですか」と啖呵を切った社長さんが逮捕されたことは記憶に新しいですが、お金というのは、人の欲望が直に反映されるものです。「お金を儲けて何が悪いのですか」と啖呵を切る姿に違和感を覚えるのは、その姿が、まさしく欲望をむさぼる餓鬼の姿そのものだからでしょう。

日本人というのは、元々は、お金に関する感性には素晴らしいものを持っていたと思います。例えば、日本語の「はたらく」という言葉も、元々は、「傍(はた)を樂にする」というのが語源だと聞いたことがあります。「傍(はた)」というのは、自分の周りの者ということでしょう。働いて収入を得るということは、自分の為ではなく、自分の周りのものを楽にさせるという観念が昔の日本人にはあったのでしょう。まさしく仏法に通ずる観念です。

親鸞聖人が関東のお弟子の方に宛てられたお手紙の中に、お金に関する興味深い記述が残っています。

 「御こころざしの銭三百文、たしかにたしかにかしこまりてたまはりて候。」

これは、親鸞聖人が八十四歳の時に、覚信というお弟子に宛てられたお手紙の一番最後に記されているお礼の言葉です。三百文というのは、現在の貨幣価値に換算しますと、約六十万円ほどになるそうです。覚信というお弟子の方から、こころざしを頂かれて丁寧にお礼を申されていることがうかがえます。また、次のようなものもあります。

 「銭二十貫文、たしかにたしかに給はり候。」

これは、真仏というお弟子の方に宛てられたお手紙の中の一節です。二十貫文というのは、現在の貨幣価値に換算しますと、約四千万円にもなる大金だそうですが、親鸞聖人の態度は、三百文の時と全く変わりません。こころざしが多かろうが少なかろうが、感謝の一言以上のものはないということでしょう。これは、簡単なようで実際には案外難しいことではないでしょうか。

四千万円もの大金を前にしても、全く同じ態度でいられることの答えは、蓮如上人の次の言葉にあるように思います。

「堺の日向屋は三拾万貫を持ちたれども、死にたるが仏には成り候ふまじ。大和の了妙は帷一つをも着かね候へども、このたび仏に成るべきよと、仰せられ候ふよしに候ふ。」

三拾万貫という金額は、現在の貨幣価値に換算しますと、約六千億円にもなるそうですが、それほどの大金を手にしていても、命終わったとき、仏には成れないというのです。一方、普段の着るものにさえ苦労しておられる大和の了妙は、このたび命終わって仏に成るといわれています。

生と死の問題だけは、お金をどれだけ積んでも解決できるものではありません。どうしようもない凡夫である私が、阿弥陀仏と同じ悟りをこの身にいただき、仏に成っていくには、阿弥陀仏の深いお慈悲のお心を聞いていく他ありません。生死の問題を前にしたとき、六千億円もの大金も、ただの紙くずにならざるをえないのです。

人間に本当の安心と幸せをもたらすのは、この私を念じ続けてくださる深い如来様のお慈悲のお心だけです。たまたまいただいた、このかけがえのない人生において、如来様に遇わせていただくことが、何よりも大切なことであり、それが本当の幸せなのです。そして、その為にお金を使うことは、何よりも有意義な使い方といえるでしょう。何事も仏法中心、如来様中心で物事を考え、行動していく姿こそ、本当の念仏者の姿なのでしょう。

2009年5月1日

仏様に、「ショウネ」を入れる?

先日、ある御門徒の方から、次のようなお尋ねがありました。

  「一つお尋ねしたいことがあります。ある人から言われたのですが、仏様というのは、ショウネを入れていただかないといけないのでしょうか?私のところの仏様は、まだショウネを入れていただいていません。やはりショウネを入れないと意味がないのでしょうか?」

 このようなお尋ねは、これまで多くの御門徒の方々からも何度となくありました。「ショウネ」というのは、仏教用語ではありません。私自身、あまり耳にしたことのない言葉ですが、伝えようとされる意味はおおよそ理解できます。漢字で表せば「性根」になるのでしょうか。つまり、絵像であったり木像であったりする御本尊に魂を吹き込み、生きたものにするといった意味でしょう。

妙好人として有名な讃岐の庄松(しょうま)さんに、これに関わるおもしろいエピソードが残っています。

庄松さんが、あるお寺にお参りしたとき、そこのお寺の住職が、からかい半分に庄松さんに次のように尋ねたそうです。

  「うちの御堂のご本尊は生きてござろうか」
それに対して庄松さん
「生きておられるとも、生きておられるとも」
それを聞いた住職
「生きてあらっしゃるにしては、物をいわれぬではないか」
それに対して庄松さん
「ご本尊さまが、物をおおせられたら、お前らは、ひとときもここに生きておられぬぞ!」
それを聞いた住職は、ふるえあがったと伝えられています。
庄松さんの言葉からは、二つの事柄を味わうことができるかと思います。

 一つは、如来様というのは、全てを見通す智慧の眼を開かれた方です。人間は、必ず心のうちに陰を持っています。人には見せることができない、また、自分でも直視することができない、そんな恥ずかしい面を必ず誰しもが持っているものです。人間は、何もかもを顕わにされれば、一時もここで生きてはいけないほどの罪深さを抱えていながら、普段、それに気づかずになんとなく過ごしています。そのことをズバッと指摘されて、この住職も震え上がったというわけです。

そして、もう一つは、如来様というのは、確かに生きておられる、しかし、凡夫と同じような姿で生きておるのではないということです。ご本尊様が、私と同じように物を言えば、それは、凡夫の姿とかわりません。「ショウネ」を入れなければならないと考える問題も、ここにあるように思います。ご本尊である阿弥陀如来でさえも、自分の手に合うように捉えようとするところに問題があるのです。

お寺の本堂にお参りされると、ご本尊が御安置されているお内陣と、御門徒がお座りになる外陣との間に、御簾(みす)がかかっているのをご存知でしょうか。普段は気づきにくいあの御簾一つにも深い意味があります。御簾というのは、外からの光が強いほど内が見えにくくなる特徴を持っています。見えにくいからといって、外から光をあてればあてるほど、内が見えなくなってしまいます。しかし、内を見えやすくする方法があります。それは、自分がいる外の光を暗くして、内から放つ光を強くしてあげることです。こちらを暗くすればするほど、内側がよく見えてくるのも御簾の大きな特徴です。阿弥陀如来とお浄土の世界は、私の方を明るくし、一生懸命見ようとすればするほど見えなくなるのです。私をできるだけ暗く虚しくし、ただ向こう側の光を受け続けようとするところに、自ずと開かれていく世界が、阿弥陀如来とお浄土の世界であることを、あの御簾は表しています。

ご本尊様に対して、私側の余計なはからいは禁物です。「ショウネ」を入れないといけない、こんな余計なはからいをした途端に、如来様は、私の前からお隠れになってしまわれます。お仏壇の前に座らせていただいたとき、けっして、私の方から凡夫の光をご本尊に当ててはいけません。お立ちになっているあのお姿は、私のところに既に念仏の声となって届いてくださっている証です。よくよく如来様の呼び声を聞かせていただかなければなりません。

私は、如来様に導かれ、お育ていただかなければ、どうにもならない凡夫であることを、改めて味わせていただきましょう。

2009年4月1日

「皆さん、お念仏申してください」 この一言の響き

先日、ある御門徒の一周忌のご法事にお参りさせて頂いた時のことです。その御門徒の奥様は、大変、ご法義に厚い方です。しかし、ご主人をお浄土に見送られてからの一年は、体調を崩され、ご法座にお参りすることが叶わない時期もありました。「奥様の体調は、大丈夫かなぁ」そんな心配を抱きながら、この度もお参りさせていただきました。

お勤めとご法話が済み、順次、お焼香をしていただく時になりました。まず、奥様がお焼香をされました。娘さんに付き添われて、おぼつかない足取りではありましたが、お仏壇の前に座り、合掌しお念仏申されるお姿は、ご法義にあふれた柔和な薫りが満ちておりました。その後、また娘さんに付き添われてご自分の場所までお帰りになり、椅子に両手をつき、何とか椅子に腰を下ろされました。「やはり、昨年に比べると、お体は弱られているなぁ」そんな感想を持ちました。

しかし、順次、ご親戚の方々が、お焼香をされていくのを、椅子に腰をかけられ、表情を変えずに見つめておられた時です。そのままの姿勢、そのままの表情で、突然、一言、次のように言葉を発せられたのです。

「皆さん、お念仏を申してください」

 何気ないたった一言の言葉でしたが、その言葉を聞いた瞬間に、私の胸が熱くなっていくのを感じました。それと同時に、「この方は、何があっても大丈夫だな」という安心も訪れたのです。

「お念仏を申してください」この一言は、簡単なようで、いざ口にしようとすると、なかなか言えないものです。特に、ハナからお念仏など申す気のない方には、刺々しく聞こえるかもしれません。俗っぽく言い換えますと、この一言は、念仏という、一つの宗教を他者に押し売りしているようにも聞こえてしまうものです。しかし、奥様の一言には、自己主張のような我執が一切混じっていない澄み切った響きがありました。ただ口にお念仏申しなさい」と言われた法然聖人や親鸞聖人も、このような響きをもって、人々に語りかけていたのではないかと思うのです。

おそらく、ご主人のご法事にお参りしてくださった多くの方々が、お仏壇の前に正座し合掌しながら、黙ってその場を離れていく光景は、なんとも寂しい想いがされたのではないでしょうか。蓮如上人の有名なエピソードの一つに次のものがあります。

「前々住上人(蓮如上人)、御口のうち御煩ひ候ふに、をりふし御目をふさがれ、ああ、と仰せられ候ふ。人の信なきことを思ふことは、身をきりさくやうにかなしきよと仰せられ候ふよしに候ふ。」

 蓮如上人が、或る時、目をふさがれて「ああ・・」とうめくように声を漏らされたことがあった。その時に、お側におられた方が、心配してお尋ねすると、「人が信心をいただいていないことを思うと、身が切り裂かれるように悲しい」と仰せられたというのです。

時に、浄土真宗が誤解されるものの一つに、「浄土真宗は戒律もない、修行もない、念仏さえ称えていれば何をしていてもいい」といった具合のものがあります。しかし、これは、本当にとんでもない誤解です。浄土真宗は、仏教で否定している煩悩を肯定し、人間の欲望を許していくような毒にまみれた宗教では、決してありません。煩悩の海の中でしか生きていけず、しかも、それが毒であることも知ることができずに苦しみもがいている。そんな人間に煩悩や欲望の浅ましさや恐ろしさをまざまざと知らせ、それと同時に、煩悩や欲望が微塵も混じらない澄み切った心でその人を包み込み安心させていく。そんな働きが、親鸞聖人が浄土真宗と名付けられた阿弥陀如来の救いの姿なのです。

自分だけよければそれでいい、というのは、煩悩が形をとった典型的な姿です。阿弥陀様の親心に遇わせていただき、この身に本当の安心をいただいて、命の幸せを本当に知った人は、阿弥陀様の親心に気づかずに地獄に堕ちていく人を放っておけないのではないでしょうか。阿弥陀様のお慈悲の薫りをその身にまとい、お願いだから阿弥陀様の親心に気づいてほしいと人を慈しみ悲しんでいく姿が、本当の念仏者の姿なのでしょう。

「皆さん、お念仏申してください」

この一言の響きの中には、蓮如上人の「ああ・・」と漏らされた悲しみと、ご自身の味わいの上からもたらされる、阿弥陀様に対する親しみ敬う心とが一緒になって、私の胸に染み入ってきました。住職自身、大変ありがたいお取次ぎをいただいたご法事でした。

2009年3月1日

「御報謝」という言葉

今年も御正忌報恩講が無事お勤めされました。報恩講というのは、「恩に報いる集まり」という意味で、親鸞聖人の御命日に聖人のご苦労を偲ばせていただき、聖人九十年のご生涯をかけて、深く味わいお示しくださったお念仏の道をこの身に頂き、親鸞聖人、そして、如来様に御報謝させていただく、浄土真宗において、最も大切にすべきご縁です。平成二十四年の一月十六日が親鸞聖人の七五〇回忌にあたりますが、浄土真宗の御門徒の方々は、約七五〇年の間、どのような時代状況の中にあっても、報恩講だけは、欠けることなく必ずお勤めしてきました。私達が、今、浄土真宗の御法をお聞かせいただけるのも、多くの方々のご苦労が、その背景にあることを忘れてはなりません。

正法寺の報恩講においても、毎年、多くの方々の心温まる御報謝によって、お勤めされています。その中で、毎年、多くの大根を御報謝くださっている方から、次のようなお話をお聞かせいただいたことがあります。

   「私は、お嫁に来て、若い頃から報恩講にはお参りさせていただいておりました。若い頃、報恩講にお参りさせて頂いた時、腰が二つに折れ曲がっているようなお婆ちゃんが、荷車にいっぱいの大根を積み込んで、お寺まで歩いて運んでいる姿を何度か見かけました。その姿を見て、報恩講をお勤めするというのは、ありがたいことだなと思いました。自分も、年老いたら、あんなお婆ちゃんになりたいなと思っていたんです。」

 なんとも、心温まるお話でした。改めて、浄土真宗のお寺というものが、多くの方々の志によって支えられてきたものであることを味わせていただきました。

この「御報謝」という言葉ですが、基本的には、如来様や親鸞聖人に対してお礼の気持ちを表していくことを意味する言葉です。一般的には、お寺に懇志を上げたり、御法座のお手伝いをしたりと、ご法義を守り伝えていくお寺に対して、その運営を助けていくことを、「御報謝させていただく」という具合に使われています。

しかし、蓮如上人は、当時の報恩講の際に書かれた『御俗抄』と呼ばれるお手紙の中で、御報謝の最たるものは、ご信心をその身にいただくことだとお示しされています。浄土真宗の上において、「信心」というのは、一般的に考えられているような「固く信じる心」を意味しているのではありません。蓮如上人は、信心のことを「安心(あんじん)」とも表現されていますが、浄土真宗の信心とは、如来様の仰せを聞かせていただき、素直に安心させていただくことをいいます。

先日、十ヶ月になる娘と二人っきりで車の後部座席に座ったことがありました。夜で車の中は真っ暗、おまけに、いつも一緒にいてくれるお母さんはいません。案の定、しばらくすると泣き出しました。そして、私の腕の中で、体全体を使って暴れだしました。不安だったのでしょう。私は、無意識のうちに何度も次のような言葉を娘に聞かせていました。

「大丈夫、大丈夫、お父さんがいるから大丈夫。」

いっこうに泣き止まない娘に、何度も何度も、そんな言葉をかけている時に、ふと味わえたことがありました。

  「お寺に生まれて小さい頃から、何度も耳に南無阿弥陀仏を聞きながら、自分の都合で落ち込んだり、悲しんだりし、時には、自分を見捨てようともし、それでいて、いつも死の影に怯えている。そんな私の姿は、如来様からすれば、私の腕の中で泣き叫び暴れるこの娘の姿だったのではないだろうか。」

「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀という命の親様が、私に対して「大丈夫、大丈夫、私がいるから大丈夫。全部私にまかせなさい。お願いだから、私の心を聞き取って安心しなさい。」と耳元で呼びかけている親の呼び声なのです。その親の呼び声を聞き取って、ほっと安心し、親の胸に体全体を預けていく姿が信心と表現されるのです。

不安だらけで泣き叫ぶ娘を腕の中に抱きながら、親の悲しみの一端を味わえたような気がします。親にとって、腕の中にありながら、不安だらけで怯えている子どもの心を感じ続けることは、何よりも悲しいことでしょう。子どもが、親の呼び声を聞き取り安心し、親の胸に体全体を預けてくれたとき、親もまた、ほっと安心できるのではないでしょうか。蓮如上人が、信心をこの身にいただくことが、なによりもの御報謝だとお示しくださった意味はここにあるのです。

安心させていただける如来様の腕の中にありながら、自分の都合に振り回され地獄に堕ちていく姿は、親子共に救われない、なんとも悲しい姿でしょう。安心させていただけるまで、何度も何度も、如来様のお心を聞かせていただくのが、お聴聞です。共々に、本当の御報謝をさせていただける日暮しでありたいものです。

2009年2月1日

底が見えないからこそ、お経は、有り難いのです。

あけまして、南無阿弥陀仏。今年も、阿弥陀様のお慈悲の中で、お浄土への歩みを御門徒の皆様と一緒に味わって参りたいと思います。今年も、宜しくお導きいただきますよう、お願い申し上げます。
先日、ある御門徒のご法事で、ご親戚の方と次のようなやり取りをいたしました。

男性A 「ご住職、私は、今年還暦を迎えます。私の家も浄土真宗ですが、子どもの頃は、おばあちゃんに手を引かれて御法座によく参らされたものです。しかし、お寺に参っていたのは、その頃だけで、この歳になって、何にも分からない自分が恥ずかしく思います。お寺に参って、お聴聞していてもさっぱり分かりません。」

男性B 「私も浄土真宗ですが、お経というのは、本当に訳が分かりません。漢字ばかり並べられても意味が通じるはずがありません。お経の現代語訳とかは、ないんですか?」

住職 「ご本山から、お経の現代語訳は出版されていますが、現代語訳を読んでも、お経の意味は分かりませんよ。」

男性B 「現代語訳なら、私にも理解できると思いますが・・・」

住職 「字面は理解できましても、その言葉に込められた深い意味は分からないでしょう。しかし、分からないのが当たり前です。仏様が説かれたものが、すんなり分かったら、それは仏様です。私どもに分からないのは当たり前です。しかし、分からないままで、ご法座に座り続けることが何よりも大切ですよ。その内、阿弥陀様の声が響いてくるときが、必ずやってきます。」

男性A 「うん、そうなんでしょうね。また、お寺に参ります。」

男性B 「う~ん、響いてくる、ですか・・・」

 こういった質問やご意見は、これまで何度かありました。お経は、分かりにくいというのが、一般的な正直な意見でしょう。確かに、全文が漢文で、読み方も、すべて日本語を無視した音読みですから、分かれというほうが無理でしょう。しかし、私は、これが有り難いと思うのです。お経というのは、お釈迦様が、その悟りの内容を、私共、迷える者に伝えるために苦心惨憺され紡ぎだした至極の言葉です。言葉にできない真理の世界を、凡夫に公開するために、あえて言葉にされたのです。それは、凡夫に伝えるための言葉ですが、誰もが理解できるものではありませんでした。インドの龍樹菩薩から始まり、日本の親鸞聖人に至るまでの約千五百年という浄土真宗の歴史は、お経に込められた深い意味を、土に埋まった宝物を大切に掘り出すように、大切に傷つけないように掘り出してきた歴史でもあるのです。お経の言葉を本当に解釈できるのは、何百年に一人の天才だけができる離れ技です。二千五百年という果てしない時をかけて、天才達によって読み続けられてきても、まだ、底が見えないからこそ、お経は、有り難いのです。誰にでも分かるものなら、それはつまらないものです。

妙好人として有名な讃岐の庄松(しょうま)さんは、文字一つ読めなかったと言われています。しかし、お経の中でも一番読みづらいといわれる『大無量寿経』下巻の「五悪段」を開いて、「庄松をたすけるぞよと書いてある」と言われたそうです。まことにみごとな経典の拝読です。蓮如上人の言葉にも次のようなものがあります。

「聖教よみの聖教よまずあり、聖教よまずの聖教よみあり」

知識として文字を解釈できても、仏法が自身の救いとなっていないならば、本当にお経を読んだことにはならないということです。また、逆に、お経の文字を読む力をもたない者であっても、私を抱きとってくださる命の親様がましますと信知し、浄土という帰るべき落ち着き場所がましますと聞いてよろこぶものは、仏様が伝えようとされる真意をその身にいただいているものですから、お経の真髄を読み取っているといえます。大切なのは、お経を頭で理解し、自分のものにしようとすることではなく、阿弥陀様のお慈悲の心をその身に響かせることです。お経に私共、愚者の手垢をつけて汚してはいけません。分からなければ分からないままで、ただ頂き、聞いてゆけばよいのです。そうすれば、必ず阿弥陀様の声が響いてくるときがやってきます。お経が分からないと心配しなくとも、真剣に聞くものは、必ず阿弥陀様に遇わせていただけるのです。阿弥陀様は、ただの木偶の坊ではありません。常に、私共の上に躍動しておられます。私には、何にも分からなくとも、向こうから響いてくるのです。浄土真宗でお聴聞させていただくことが、何よりも大切だといわれるのは、ここに理由があるのです。

今年も、たくさんのご参詣をお待ちしております。ご一緒にお聴聞させていただきましょう。

2009年1月1日

お婆ちゃんから、新婚夫婦に贈られた小さなお仏壇

先日、正法寺の本堂において、ある御門徒の仏前結婚式が営まれました。正法寺で結婚式が営まれるのは、住職夫婦以来、四年ぶりのことです。お寺と聞くと、どうしてもお葬式やご法事など、悲しみを伴う儀式を連想するため、結婚式などのお祝い事の儀式を営むことは避けられがちです。しかし、初参式に始まり、七五三、成人式、結婚式、お葬式など、人生における通過儀礼の一つ一つを、阿弥陀様のお慈悲の中で味わっていくことは、大切なことです。本来、人生に筋を通していくものは、一つでないといけません。喜びや悲しみなど、浮き沈みの繰り返しであるこの人生に、一本の筋を通し、見事にその人生を荘厳していこうとするのが、阿弥陀様の救いなのです。

この度の結婚式において、特にご紹介したいのが、新郎のお婆ちゃんから、新婚夫婦に小さなお仏壇が贈られたことです。最近は、ご長男であっても、結婚し新しい家庭をもたれると、実家を離れて住まいを構えることが多くなりました。当然、新しい住まいには、お仏壇がないことがほとんどです。仏様不在の生活というのは、言わば煩悩が主役の生活です。親鸞聖人が、ご自身のことを『歎異抄』の中で「地獄は一定住処ぞかし」とご述懐されておられますが、煩悩が主役となるような生活は、正しく地獄を住処とするようなものです。

お釈迦様は、人生は苦であるとお示しくださいましたが、普段、何事もなく調子のいいときは、苦ということは、全く実感されません。しかし、一つ歯車が狂いだすと、何が出てくるのか分からないのが、煩悩に支配された姿です。自分だけは、人を殺すような人間ではないと、多くの人は思っています。しかし、残虐な殺人を犯し、死刑の判決を受けた死刑囚であっても、生まれたときから殺人を犯そうという目的を持っていたわけではありません。

浄土真宗の僧侶の中には、死刑囚に阿弥陀様のお慈悲を取り次ぎ、これから死刑が執行されていく人の心の緩和を促す教誨師という仕事に携わっている方々が多くおられます。教誨師の方々のお話をお聞きしますと、死刑囚であっても、その人を悪人だと言い切れないところがあります。自分が犯した罪の恐ろしさに気がつき、その罪を心から償おうとし、死刑を受け入れ、そして、阿弥陀様のお慈悲に触れていくような人は、とても尊い姿を表していくのです。

ある強盗殺人を犯した二十七歳の死刑囚は、死刑執行が言い渡された時、蓮如上人の「白骨の御文章」を拝読し、一句一句味わいながら頷いていたそうです。そして、他の死刑囚一人一人と握手し、「みなさん、いずれお会いできますが、あなた達はなるべくゆっくり来てください。今までご迷惑をおかけしました。」と挨拶し、最後に、お念珠を手にかけ、もう二度と使わない自分の居室を掃き清め、「布団さまも雑巾さまもさようなら」と深々と頭を下げて刑場に向かったそうです。なぜ、この人が、強盗殺人という恐ろしい犯罪を犯したのかと、誰もが首を傾げたくなると思います。しかし、これが、煩悩に支配された人間の在りのままの姿なのです。善人とも悪人とも言い切れない、善い行いもするが、縁が催せば地獄の鬼と化していく、そんな恐ろしさを誰もが内に秘めているのです。阿弥陀様が、善人も悪人も分け隔てなく救うと誓われているのは、悪いことをした人も関係なく許すと言われているのではありません。煩悩に支配され、善悪が翻りながら、苦しみもがく哀れな衆生を見捨てることは出来ないと言われているのです。

阿弥陀様のお慈悲というのは、そんな煩悩に支配された哀れな人間を仏の命へと育てていく親の働きです。お仏壇が、普段の生活の場である各家庭に安置されているのは、煩悩を主とするのではなく、阿弥陀様を主とした生活を送るためです。決して、亡くなった人のためにあるのではありません。

お孫さんのために贈ったお仏壇、それは、煩悩に支配された地獄が潜む生活ではなく、二人でお慈悲の心を味わいながら、浄土に包まれた温かく明るい家庭を築いて欲しいという、お孫さんの本当の幸せを心から願う尊い心の表れです。本当にありがたい結婚式のご縁でございました。

2008年12月1日

「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」

先々月、お盆参りでのことです。ある御門徒宅にお参りさせて頂いた時、ご主人から、次のようなお話を頂きました。

 「ご院家さん、私は、この『御文章』をよく拝読させていただいておりますが、その中でも「信心獲得章」が一番ありがたく感じます。特に「されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を・・・」のくだりを聞かせていただきますと、胸が熱くなります。」

現代において、『御文章』をこのように深く味わい拝読されている御門徒がおられることに、深い感動を覚えたことでした。
『御文章』というのは、本願寺第八代御門主であり、浄土真宗中興の祖と讃えられる蓮如上人が、御門徒のご教化のためにお書きくださったお手紙のことです。五百年が経過した今では、『御文章』の言葉も大変難しく分かり難いものになってしまいましたが、蓮如上人の御在世当時は、この『御文章』は、人々に大変な影響力を与えたものだったのです。親鸞聖人という方は、千年に一人出るかどうかの独創的な天才です。二千年の仏教の歴史の中において、燦然と輝く歴史的功績を残されました。しかし、それほどの天才であるが故に、その言葉は、非常に独創的で難解なものです。親鸞聖人がお書きになった書物は、一流の仏教学者であっても、一度読んで分かるという類のものではありません。まして、一般庶民においては、手のつけようのないものでしょう。それを、誰にでも分かる平易な言葉を使い、親鸞聖人のお心を万人の心に響かせたのが蓮如上人の大きな功績です。今回、「胸が熱くなります」とお話くださった「信心獲得章」のくだりは、次のものです。

 「されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩をのこるところもなく、願力不思議をもって消滅するいわれあるがゆえに、正定聚不退の位に住すとなり。これによりて煩悩を断ぜずして涅槃を得といえるはこのこころなり。」

「無始以来」というのは、始まりのない過去以来ということです。私共は、「自分」というものは、母親から生まれた時に始まり、死ぬときに終わると考えています。しかし、はたして本当にそうでしょうか。誰もが、生まれたときのことは覚えていませんし、自分が自分を作り出したわけではありません。そして、その自分は、まだ死んだことがないのです。死が終わりであるかどうかは、自分が死んでみないことには分かりようがありません。生まれて死んでいくと思っている自分は、実のところ、本当の自分を知る術を持ち合わせてはいないのです。
如来様は、今ここに不安を抱えて凡夫として迷っているということは、始まりのない遠い過去世から罪ばかりを作ってきている姿であることを教えてくださいます。そして、これからも反省もせずにそれを永劫に亘って続けていくのです。私共は、どんな報いを受けても仕方のない命を今生きているということでしょう。
しかし、如来様の願いの働きは、作り重ね続けてきた私共の悪業煩悩を障りとせず、仏の命へと導くというのです。消滅するというのは、無くなるということではなく、障りとしないということです。私共が重ねてきた罪は、決して許されるものではありません。如来であっても、それを許すことはできません。しかし、如来は、罪ばかりを作り、人を傷つけ自らをも傷つけ、どうしようもなく苦しみ続ける私共の深い悲しみを共に悲しみ、共に苦しみながら、この苦難の道を一緒に歩んでくださるのです。私共の悲しみや苦しみは、そのまま如来の悲しみであり苦しみです。人は、誰にも共感してもらえない深い悲しみを知るとき、それに共感する如来の純粋な心に出会っていくのでしょう。
「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」ということは、本来、仏教ではあり得ない道理です。阿弥陀如来の願いの働きだけが成しえる不思議です。この不思議に出会っていくことが、人にとっての幸せなのです。不思議に感動できる人は、自分を超えた尊いものに出会っている人です。頭の下がる尊いものに出会える人生でありたいものです。

2008年11月1日