先日、9月20日に正法寺において、敬老会が行われた時のことです。今年、90歳を迎えられたご婦人の方が、一枚の紙に次のような詩を綴って持ってこられました。
「御仏の笑顔みつめて有り難く 南無阿弥陀仏で 今日も歩まん」
「今も今見守られてる有り難さ 笑顔でお返す 南無阿弥陀仏」
司会をしてくださっていた総代のお一人が、祝賀会の席で、この詩を紹介されたとき、当のご本人は、一言「私は、つまらない人間です」と言われただけでした。
30年の人生しか歩んでいない私にとっては、90年という人生も、また、老いの苦しみも想像がつきません。しかし、もし90歳まで生かせていただいた時、この方のような味わいを持って生きれたなら、どんなに幸せだろうかと思いました。
お釈迦様が、生・老・病・死の四苦の中にお示しくださっている老いは、時代や状況に関わりなく、すべての人間に訪れる避けようのない苦しみであり、また、人間にとっての根本不安でもあります。しかし、お釈迦様がお示しくださったのは、単に苦しみや不安という事実だけではありません。「老い」が苦しいと感じる心の在り方を超えていく道をお示しくださったのが、仏道というものです。しかし、本来、その道を歩むことは、想像を絶する厳しい道でもあります。私たち人間の心の在り方を超えていくということは、言い換えれば、人間であることを超えていくということでもあります。それ故に、姿形は同じであっても、悟りに到達した人を人間と区別して仏とお呼びするのです。仏道修行というのは、今でも、比叡山等で真剣に取り組んでおられる修行僧の方々がおられますが、本当に私たちの想像を絶する厳しさがあります。親鸞聖人自身もその仏道修行に行き詰まり、山を降りたお一人でした。しかし、それは、「しんどいからやめた」というものではなく、真剣に悟りを求める心から決断されたものだったのです。そして、やがて親鸞聖人は、法然聖人と出遇い、お念仏のみ教えを開いてゆかれます。
南無阿弥陀仏というお念仏は、阿弥陀仏のお慈悲が言葉という姿をとって、私の上に現れ出たものです。慈悲というのは、親心にも喩えられますが、人の痛みや苦しみを自らの上に引き受け、その人の幸せを心から願い、それを実現していく心です。南無阿弥陀仏を通して、阿弥陀仏のお慈悲に本当に触れた人は、それがどんな状況であれ、心は安定してゆきます。母親がどんな場所、どんな状況に移動しようとも、その母親の胸に抱かれている赤ちゃんの心は、その母親の胸に抱かれている限り、安定しているようなものです。
「老い」や「病い」や「死」が襲ってきても、阿弥陀仏の慈悲心に抱かれているならば、それらは単なる苦しみや不安をもたらすものではありません。阿弥陀仏の慈悲心というものは、その人が苦境に立たされるほど、深く響いてくるものです。老いながら、病みながら、死を迎えながら、「有り難い」と自分の人生を味わえる心が恵まれていくのです。まさしく、生・老・病・死という苦しみを超えていく状況がその人に訪れてゆきます。
しかし、阿弥陀仏に抱かれている自分自身は、どこまでもつまらない凡夫でしかありません。つまらない凡夫のまま、聖者のような姿を現していくのが、他にはない念仏者の真髄ともいうべき特徴でしょう。そこのところを法然聖人は、「愚痴にかえりて、極楽に生まる」という言葉で表されています。
みごとに「老い」を克服されている心情を綴りながら、「私はつまらない人間です」と吐露されたのが、私にはとても印象的でした。私どもも、南無阿弥陀仏という深い阿弥陀様のお慈悲に抱かれながら、深い安心の中で、一つずつ歳を重ね、人生を味わってゆきたいものです。
今年のお盆も大変な暑さでした。お盆のお勤めは、僧侶にとって暑さと疲労との戦いです。しかし、その大変なお盆勤めも、やはり、尊い如来様のお仕事です。日頃、怠けがちで煩悩の中へ埋もれていこうとする私を、正しい方向へと導こうとしてくださいます。
ある御門徒宅において、お経を読誦し、お茶を一杯頂いていた時です。奥様が、一冊の聖典を持ち出され、次のようにお話しくださいました。
「一度、ご院家様にこの聖典を見ていただきたいと思っておりました。これは、亡くなった主人が使っていた聖典です。私達が結婚するときに購入したものです。主人は、病院に入院したときも、この聖典を病室に持ち込み、毎日、お正信偈をお勤めしていました。何十年も使い込みましたので、ご覧のとおりボロボロです。主人が亡くなってからも、大切にとっておりましたが、そろそろ処分した方がよろしいでしょうか。」
手にとって、その聖典を拝見させていただきますと、本当に使い込まれ、ボロボロになっておりました。特に、お正信偈のページは、手垢がしっかりとこびりつき、ボロボロに破れておりました。生涯を通じて、繰り返し巻き返しお正信偈を拝読されたことが、ひしひしと伝わってきます。もちろん、そのご主人とは、お会いしたことはありませんが、お仏壇の前に座ってお正信偈を拝読されている、そんな尊いお姿が目の前に浮かんでくるようでした。私は、即座に次のようにお答えしました。
「この聖典は、これからも大切にとっておかれたほうがよいでしょう。できれば、お子さんやお孫さんにも、この聖典をよく見せてあげてください。何か感じてくださるはずです。」
親鸞聖人の『教行信証』の中にある「正信偈」を、日常勤行として制定してくださった蓮如上人は、「聖教は、読み破れ」と言われました。そして、「聖教をすきこしらへもちたる人の子孫には、仏法者いでくるものなり」とも言われています。「すきこしらへもちたる」というのは、「好き好んで所持する」という意味です。お釈迦様がお説きくださったお経や、親鸞聖人や祖師方が示してくださったみ教えを、好き好んで所持する人の縁者には、仏法者が出てくるというのです。
御門徒の前で、阿弥陀様のお心をお取次ぎさせていただくとき、時々、思うことがあります。それは、阿弥陀様のお心を伝えることの難しさです。浄土真宗のご法義は、言葉で言い表すと、様々に言い表すことができます。しかし、どんな言葉を駆使しようとも、一度のご縁では、なかなか伝わらないというのが実感です。私どもには、死ぬとしか思えない事柄をつかまえて、「浄土に生まれるんだと思いなさい」というのですから、伝わらないのも当然でしょう。しかし、何百年もの間、その教えは、人々の心に響き、伝わってきたのです。どのようにして、昔の方々は、それを伝えてきたのでしょうか。その答えは、言葉を駆使し、分かり易く伝えたというところにあるのではなく、何気ない仕草や姿の中にあると思います。親鸞聖人や蓮如上人の言葉が、多くの人々の心に響き渡ったというのも、親鸞聖人や蓮如上人自身が、阿弥陀如来に救われている人達だったからでしょう。阿弥陀様に心が占領された人達の普段の何気ない仕草や姿の中に、本物を感じさせる何かがあったからに違いありません。心が煩悩に染まっている人は、やはり外面にも煩悩臭いものしか出てきません。しかし、心が阿弥陀様に占領された人は、外面にも阿弥陀様のお慈悲の薫りを放つのでしょう。そして、その薫りは、周囲の人々にも影響を及ぼしていくのです。蓮如上人が、「聖教をすきこしらへもちたる人の子孫には、仏法者いでくるものなり」と言われたのも、そのことをお示しくださっているように思います。
手垢の付いたボロボロの聖典からも、故人の温かなお浄土からの薫りが漂っていました。私共も、同じように間もなく臨終を迎えます。子や孫に、このような尊い薫りを残せる命を生き抜きたいものです。
ご法事などにお参りさせて頂いた時、心底、ありがたいご法事だなと味わえるのは、住職のお勤めが上手く出来たときでも、ご法話が分かりやすく話せた時でもありません。それは、住職の後ろからお念仏の声が響いてきた時です。逆に、後ろは静まり返って、ただ住職の念仏の声だけが響いているご法事は、なんとも寂しいものです。
先日、ある御門徒の七日参りのお勤めに、二軒参らせていただくことがありました。一軒は、故人の息子さんが、もう一軒は故人の奥様が後ろについてお参りされました。どちらの方も、これまで、あまりお寺にご縁のなかった方です。しかし、二軒とも、後ろから「ナマンダブツ、ナマンダブツ・・・」と住職のお念仏の声に合わせて、ありがたい声が響いていました。故人が尊いご縁となって、お念仏の響きが有縁の方々の口から流れ出ることは、大変、感動すべきことです。如来様のお慈悲の真っ只中で、この私の命が育まれていることを、改めて、ありがたく味わせていただいたことでした。
浄土真宗の教えを表す特徴的な言葉の一つに「他力」というものがあります。一般的な国語辞典を引きますと次のように説明してあります。
①阿弥陀如来の力により成仏することをねがうこと。
②自分は努力しないで、他人の助力をまつこと。
ほとんどの場合、社会全般では②の意味で使われていることが多いことと思います。しかし、①の意味も親鸞聖人が示された「他力」の意味を充分に説明しているとはいえません。天才が残した言葉には、私どもが考える以上に、深淵な意味がこもっているものです。
浄土真宗をよく理解していない人から、よく聞かされる言葉があります。それは、「浄土真宗は自分で修行もせず、仏様に任せて好きなことができる宗教ですね。」といった類のものです。確かに、浄土真宗では、一人山に籠り厳しい戒律を保つような仏道修行はしません。しかし、浄土真宗でもお念仏を称え、お経を読誦し、仏に礼拝します。修行とは、分かりやすく言えば「行う」ということですが、浄土真宗でも仏に近づく行いをしているのです。ただ、浄土真宗の場合、その行いを、私の上で如来が働いている姿として味わうのです。
本来、私共、人間境涯に身を置くものは、必ず自分を拠り所として生きています。意識をしなくとも、必ず自分の思いはからいを正しいものとして受け止めているはずです。多くの人々は、仏法を受け入れてはいません。それは、お釈迦様の時代でも同じです。お釈迦様に出会った人々全員が、次々に仏弟子に変わったわけではありません。中には、受け入れないばかりか、提婆のように、お釈迦様に憎しみを抱き、命を狙う者もいたのです。本来、私共は、仏の教えを聞き、お念仏を称え礼拝するということを、絶対にするはずのない者なのです。私共は、そんな殊勝なものではありません。如来様に手を合わせないのが、人間としての普通の姿なのです。
しかし、絶対に如来様に手を合わせるはずのない私が、如来のみ名を称え、合掌礼拝しているということは、私をそのような殊勝なものに変える力が、私の上に厳然と働いているという証拠でもあります。阿弥陀如来の救いとは、死んでから私を浄土に連れていくことではありません。絶対に真実に向くはずのないものを真実に向かわせ、絶対に浄土に生まれるはずのないものを、浄土に生まれるにふさわしい身に育てていくのが、阿弥陀如来の他力の救いなのです。一人山に籠って行う仏道修行に比べれば、口にナマンダブツと称えることは、厳しさの上からは劣ったものです。しかし、お念仏は、如来が私の上で行っている、阿弥陀如来の慈悲の働きそのものです。どんな高僧にも行うことの出来ない、清浄無垢な温かい如来の行いなのです。
これまで、お念仏を口にしたことのない人が、大切な方との死の別れをきっかけに、その口からお念仏が流れ出ることは、死が新しい命を吹き込んだとも言えます。それは、亡くなった方が、命がけで阿弥陀様のお慈悲を取り次いでくださったのです。故人の死が無駄にならない、このことを大切に出来る仏事を勤めたいものです。
昨年のことです。ある御門徒の方のお葬式がありました。そのお礼参りでのことです。故人がご往生されるその三日ほど前のことを、義理の妹さんがお話くださいました。
「故人は、生前、お寺様に本当にお世話になりました。晩年は、歳を重ね、体が不自由になりお寺様にお参りできなくなりましたが、元気なときは、ご法座があるごとにお参りをし、お聴聞しておりました。最後は、病院の病室で亡くなりましたが、時々、病室のベッドの上で聖典を開いては、お勤めをしたり、書いてあることを味わったりしていました。ちょうど亡くなる三日ほど前にも、私と二人で、病室のベッドの上にすわり、聖典を開いて『領解文』を声に出して一緒に読んだんですよ。指で字を追いながら、ほとんど私が読んであげるという形でしたが、とても喜んでおりました。」
この故人の方は、九十歳を超える女性の方でしたが、なんとも有り難いお方だなぁと、しみじみとお話を聞かせていただいたことでした。
『領解文(りょうげもん)』というのは、本願寺第八代宗主の蓮如上人が、「浄土真宗の信仰とは、このように理解し、告白することですよ。また、その信仰から営まれる生活態度とは、このようなものですよ」ということを、当時の言葉で分かりやすく遺してくださったものです。ご法座の最後に参詣者全員で口にする「もろもろの雑行雑修、自力の心をふりすてて・・・」という一節ではじまる、あれです。
ここにおいて、すべてを味わい尽くすことはできませんが、はじめの一説に、この『領解文』を総括する、浄土真宗において最も大切な事柄が述べられています。
「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。」
この一説で、その基本となるものは、「われらが今度の一大事の後生」という感性です。死を日常の中から遠ざけている現代人には、この感性が薄らいでいるかも知れません。「後生」というのは、文字通り「人生終えた後」つまり、「死ねばどうなるのか」という問題です。そして、この問題が、私どもにとって一大事であるというのです。なぜならば、私どもは、今即座に死が訪れても何の不思議でもない身でありながら、死に対する本当の落ち着いた安心を得ていないからです。この一大事は、私どもが、自らの心をどのように傾け、どのように行動しようが、決して解決しようのない問題です。そのことを「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて」と述べられているのです。この一大事は、私自身の思いはからいを捨て、阿弥陀如来に「御たすけ候へとたのむ」こと以外に解決の道はないことを端的に示されたのが、この一節の要旨です。
ここでよく誤解されることですが、「御たすけ候へとたのむ」ということは、阿弥陀如来に「助けてくださいとお願いする」という意味ではありません。「助けてくださいとお願いする」ことは、私の思いはからいの何者でもありません。私どもの願いは、ギリギリのところになると、他人を蹴落としてでも自分だけは助かりたいという、どこか手垢のついた薄汚れた思いでしかありません。そのような心が描く世界は、どこまでいっても迷いであり、悟りでは決してないのです。「御たすけ候へとたのむ」というのは、先に阿弥陀如来の「必ず助ける」という誓いがあり、その如来の仰せが心に響いた時、素直に「左様ならばお助け下さいとまかせる」ことを意味しているのです。
何十年生き続けても、如来の仰せが響かない人には、本当の安心はありません。本当の喜びは、如来の仰せが響くところにあるのです。
九十歳を過ぎ、人生の幕がそろそろ閉じようかという時、身近な家族と一緒に如来の仰せを味わい喜んでおられるお姿は、本当の喜びとはどんなものであるのかを私共に示してくださるものです。何十年生きても、喜べる人生でありたいものです。
今月は、ある本の紹介をしたいと思います。
最近、書店に立ち寄ることがあり、そこで一冊の本と出会いました。それは、『遊雲さん 父さん』という題名の本です。山口県周南市にある長久寺という浄土真宗本願寺派のお寺のご住職様が、小児がんによってご往生された十五歳の息子さん「遊雲くん」との三年間を、浄土真宗のお味わいの上から著されたものです。
有国遊雲君のご往生については、昨年十二月に朝日新聞・読売新聞・毎日新聞等において、大きく報じられましたので、ご存知の方もおられるかもしれません。私自身、何となく耳にはしていましたが、これまで、それほど気に留めることはありませんでした。しかし、この本の帯に記されている言葉がたまたま目に留まり、思わず手にとって読ませていただくご縁に恵まれたのでした。それが、以前、耳にした事があるお寺の息子さんの話だと知ったのは、手に取った後のことです。
その帯に記されている言葉は、次のものです。
「母さん、ありがとう。みんなにもありがとうって言ってね。ぼくは、もういきます。」
本文中では、遊雲くんが、この言葉を残したときのことが、次のように記されています。
「二日夜、あいまいになっていた昼と夜のはざまでふと目を覚ました折に、遊雲さんは言い残してくれた。
『もういいよ。母さん、ありがとう。みんなにもありがとうって言ってね。』
そして、
『ぼくはもういきます。』
・・・三日早朝、夜勤の看護師さんが血圧が下がっているのに気づく。そのまま、文字通り眠りの内に、午前三時四十分、静かに心停止。」
十五歳の男の子が、もうろうとした意識の中で、死を目の前に残した人生最後の言葉ですが、この言葉には、死を前にしても、どこか安心しきった穏やかな響きがあります。
親鸞聖人は、『歎異抄』の中で、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とお示しくださっています。少し難しい言葉ですが、簡単に現代風に言い直しますと、「私共、凡夫の世界は、全ての事柄が虚しいものばかりで、本当の意味で頼りとし、当てにできるものは何一つない。しかし、その中にあって、ただ念仏だけが、私の命を本当に支えてくださる唯一のものである」ということです。凡夫の世界は、裏切りと絶望の世界です。経験、家族、財産、地位や名誉、健康など、私どもが普段、当てにし、頼りとしているものは、死というものを前にしたとき、この私をいとも簡単に裏切っていきます。そして、その時、私の目の前に立ち現れてくるのは、救いではなく絶望です。私という不思議としか言いようのない命を、本当の意味で支えることが出来るのは、阿弥陀如来の大悲心から出た真実の言葉、「南無阿弥陀仏」だけなのです。「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀如来の名のりであり、また、喚び声です。「私は、お前を決して虚しく終わらせない命の親だぞ。お前の生も死も私の言葉にまかせ、浄土に向かって生き抜いてこい。何があっても大丈夫だぞ。」
この阿弥陀如来の喚び声を心に響かせながら、阿弥陀如来と共に人生を生き抜き、人生を死んでいく者にとっては、その身に起こる様々な出来事が、浄土へ向かってのありがたいご縁として味わえてくるのです。それは、病や死という私の生にとって絶望と言える出来事も例外ではありません。病や死も、如来様の心に包まれれば、安心できるありがたい事実です。
「ぼくはもういきます」、これは死んでいく者の言葉ではありません。阿弥陀如来の喚び声である念仏を心に響かせながら、仏陀へと命が転じられていく者のみが言うことのできる清らかな言葉です。煩悩に振舞わされて生きてきた、ただの凡夫が言える言葉ではありません。
本当の幸せは、満足するところにあるのではなく、安心できるところにあるのでしょう。いつ、どのような出来事が起ころうとも、安心して生き抜き、安心して死んでいける世界をいただいてゆきたいものです。
先々月の終わり頃のことです。真っ赤な椿の花が地面一面に落ちている道を、二歳になる息子を抱きながら歩いていました。地面一面に広がる真っ赤な椿の花は、とても美しいものでした。その美しさに浸りながら、春の陽気の中、気分をよくして悠々と歩いていた時です。私の胸に抱かれていた二歳の息子が、覚えたての片言の日本語で、次のように私に話しかけたのです。
「お花が痛いよ~」
息子の不意の一言に、はっと胸が詰まりそうになりました。
私の目には、ただ美しい花のジュウタンが映っていました。しかし、花そのものの立場からすれば、無造作に足で踏まれていく無残な光景が広がっているだけであることを、息子の不意の一言によって知らされたのでした。
浄土真宗の第五祖に数えられる中国の善導大師(ぜんどうだいし)は、「学仏大悲心(仏の大悲心を学ぶ)」ということをお示しになっておられます。これは、仏教には数万の経典、そして、それらの経典に基づく数多くの御宗旨が存在するけれども、結局のところ、仏教を学ぶということは、仏の大悲心を学ぶことに尽きるんだということを、端的にお示し下さった言葉です。
「大悲心」とは、正確には「大慈悲心」のことです。「慈」とは、純粋な友愛を表す言葉ですが、これは、純粋に相手の幸せを願い、相手の幸せのためならどんなことでもさせていただきます。そして、それに対して、一切お返しを求めたり、それを期待することはありません。という心です。「悲」というのは、痛みの共感を表す言葉ですが、人の悲しみを共に悲しみ、人の痛みを共に痛む心をいいます。お釈迦様が教えられたのは、念仏であれ、禅であれ、題目であれ、結局のところ、人の痛みや人の悲しみを共感し、そして、その人の幸せを心から願い、人の幸せのためだけに自分の身を差し出せる人になりなさいということなのです。そして、「慈悲心」の上につく「大」という字は、特定の人ではなく、あらゆる命の上に慈悲の心を持って働くことが出来ることを表しています。仏教では、単なる慈悲心ではなく、この大慈悲心を完成されている方を仏とお呼びしているのです。仏とは、決して、亡くなった人の代名詞ではないのです。
「人の痛みが分かる心」というのは、言葉で説明するのは簡単ですが、実際には、なかなか持つことの出来ない心です。せいぜい私どもに分かるのは、親子・夫婦・兄弟・孫など、言葉を交わす身近な人に限定されます。親鸞聖人は、ご自身のことを「小慈、小悲も無き身にて、、、」と述懐されておられますが、身近な人の痛みも共感し尽せないのが、私ども凡夫の姿なのでしょう。まして、人以外の多くの命に対して、慈悲の心でもって接していくことは、まさしく、仏のみが為せる業というべきです。
そもそも「いのち」というものは、この慈悲の心でもって接すること以外に、実感することができないものなのです。頭で理知的に捉えようとしても捉えられないのが「いのち」です。それ故、「いのち」を言葉で説明することはできません。ただ漠然と感じることだけが出来る不思議な言葉が「いのち」です。相手の痛みが自分の痛みとして響いてくるとき、はじめて「いのち」と「いのち」とが、一体感をもって響き合えるのでしょう。慈悲というのは、そのような「いのち」の一体感を表すものなのです。
子どもというのは、まだ、人としての我が、完全に完成していない清らかな時期でもあります。「私が、、、」という強い我の意識がない故に、花の命と一体になって花の痛みを直感することができたのでしょう。私どもにも、そのような清らかな時期があったのかもしれません。しかし、人が感じる「いのち」の直感は、稲妻のように一瞬で消えてしまいます。やがて、「私が、、、」という強い我に振り回され、自他共に傷つけながら、「私が死ぬ」という我に固執する意識の中で虚しく生涯を閉じていくのでしょう。
阿弥陀如来の大悲は、小慈小悲さえも見失いがちな危ない私の足取りを支え、この私に大悲の世界を知らしめていく尊い働きです。息子の一言も、阿弥陀如来の大悲の働きかもしれません。仏の心に常に呼び覚まされながら、はっとする感動と反省の日々を送りたいものです。
先日、ある御門徒のご法事でのことです。お勤めとご法話が終わり、順次、お焼香をしていただいておりました。四十歳代の息子さんが、お焼香された時です。真後ろに座っておられたお母さんが、その息子さんに、一言、お声をかけられました。
「声に出して、お念仏申さないといけませんよ」
その息子さんは、気まずそうに、「はい」と一言返事をされ、小さな声でしたが、声に出してお念仏をされました。
仏教には、「善知識(ぜんちしき)」という言葉があります。具体的には、「この私を正しい仏法の道理に導いてくださる善き師」という意味で使われる言葉です。蓮如上人は、『御文章』の中で、阿弥陀仏の救いに預かるには、五つの絶対条件がそろわなければならないとした上で、この善知識との出会いを、第二番目に挙げておられます。
生涯の中で、人は様々な出会いを繰り返していきます。そして、それらの出会いは、その人の生き方に必ず何かしらの影響を与えていきます。人の心は、様々な縁によって育てられ、変えられていくものです。時には、悪知識に出会ったことで、人を殺めてしまうことも起こりえます。まだ、記憶に新しいオウム真理教の事件などは、その典型的な例でしょう。その様々な形の出会いの中で、仏法の道理に導き、正しく実りある人生の道を示してくださる善知識に出会えることは、本当に幸せなことだというべきでしょう。
しかし、その人が、善知識であるかどうかは、ずっと後になって、この私が仏法の道理に素直に頷けるようになり、素直にそれを慶べるようになってから分かることなのです。
『仏説観無量寿経』には、下品下生という位に位置づけられる極悪最下の凡夫が、臨終の間際に現れた善知識の勧めを、ことごとく断っていく様が説かれています。この下品下生の教説には、様々な深い意味が込められているのですが、一つには、極悪最下の凡夫が、いかに善知識に会いがたい身であるのかを示しているように思います。極悪最下の凡夫とは、自分が最も正しいと思い込み、怒り、腹立ち、嫉みなどの心に命を焼かれ、欲望の心に命を溺れさせていくような虚しい世界に生きる者をいいます。極悪最下の凡夫には、どんな言葉も虚しく聞こえていきます。例えそれが、自分自身を救っていく言葉だとしても、自分自身の強い我が邪魔をして、それに気づかせないのです。そして、私共、浄土真宗のみ教えを頂く者にとって大切なことは、親鸞聖人が、この極悪最下の凡夫を、ご自身のこととして味わっておられるということです。他でもない下品下生の教説は、私自身の姿を示すものなのです。
『仏説観無量寿経』の下品下生の教説では、この極悪最下の凡夫が、最後の最後に善知識の言葉をようやく受け入れていく様が、最後に説かれていきます。それまで、善知識のどんな言葉も受け入れなかった極悪最下の凡夫が、最後に受け入れた善知識の言葉は、次のものでした。
「なんぢ、もし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏を称すべし」
現代語に言い換えると、次のようになります。
「もし、心に仏を思い描くことができないのなら、ただ口に無量寿仏(阿弥陀仏)のみ名を称えなさい。」
つまり、ただ口に南無阿弥陀仏と称えることを善知識は最後に勧めるのです。それを受け入れた極悪最下の凡夫は、口に十回お念仏を称えたところで息を引取っていきます。そして、その後、十二大劫という果てしない時間をかけて、自らの罪を悔い改め、阿弥陀仏のお育てを受ける身に変えられていくことが説かれています。
「声に出して、お念仏申さないといけませんよ」と息子さんに勧めたお母さん。
その勧めに「はい」と小さな声で頷いた息子さん。
その情景を前にして、私は、この『仏説観無量寿経』の教説を思い起こしていました。息子さんにとって、今はまだ、お母さんは、仰ぐべき善知識ではないかもしれません。しかし、そこには、確実に仏様の道が開けています。必ず、お母さんのことを善知識であったと手を合わせる日が来ることでしょう。そして、ご自身も善知識となり、お子さんやお孫さんに、仏法の慶びを伝えていく日が来るのではないでしょうか。二千年の時を経て、仏法のみ教えが私まで伝わってきたことの尊さ、有り難さを改めて感じたご縁でした。
昨年のことです。ある御門徒のお宅へお取り越し報恩講のお勤めにお参りさせて頂いた時、そのお宅のご当主から次のようなお話を頂きました。
「ご院家さん、私は、毎朝、如来さんと問答をするのが一番の楽しみなんです。朝、お仏壇の前に座ってお勤めをした後、如来さんと話しをするんです。如来さんに、わしの口から愚痴は出てないかの?と聞くと、如来さんが、出とるぞ出とるぞと言ってくださる。そのような如来さんとの毎朝の問答が、今、一番楽しみなんです。」
うれしそうにお話されるそのお姿からは、仏の智慧に照らされている明るさと柔らかさを感じました。
「如来さんと話をする」このような言葉は、本来、現代社会の中で育ってきた私共からすると、首を傾げたくなるようなものです。しかし、その一方で、2500年という長い時間の中で、如来という働きによって実に豊かに命を生き抜き、実に豊かな死を死んでいった人々が無数に存在し、その人々が人から人へと、このみ教えを伝え、今なお、如来というものを目の当たりに拝みながら、豊かな命を生きておられる方が実際に存在するということにも眼を向けなければならないでしょう。
「如来」という言葉は、本来、「真如から来るもの」という意味で、真理に目覚めた仏陀が、迷いの中に沈んでいる者を真理に目覚めさせるために働く働きを示す言葉です。つまり、「如来」とは、この私に真理(まことのことわり)というものをまざまざと知らせる働きをいうのです。真実は、偽りを揺り動かし、やがてそれを破っていく働きをします。もし私が、何かによって破られなければならない不安定な偽った在り方をしているなら、私の他に真実な安定した在り方が、厳然として存在しているといわねばなりません。
仏のみ教えを聞かせていただきますと、いかに私というものが不安定な偽った在り方をしているのかに気づかされます。親鸞聖人は、そのことを次のような言葉で告白されています。
「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、、、、」
様々な欲に翻弄されながら、怒り、腹立ち、嫉み、嫉むなどの心を暇なく起こし、自他共に傷つけながら、死の瞬間まで、それを絶え間なく繰り返していく、これが、私共「凡夫」と呼ばれる者の在り方であることを吐露されています。この凡夫のどうしようもない悲しみを我が悲しみとして全身で悲しみ、その存在全てをかけて、この私を慈しみ、真実な安定した世界へと導こうとされる働きが「阿弥陀如来」なのです。
「如来様」ではなく「如来さん」と呼びかけておられる姿に、この方が、真実の如来とお遇いされていることを感じます。自分のことを心から慈しんでくれる本当の母親の心に出会っている子どもは、その母親のことを「お母様」とは呼ばないでしょう。親しみがこもった「お母さん」や「お母ちゃん」という呼び名で呼ぶはずです。本当に親しい関係というは、建て前や遠慮といった二人の間の余計な垣根を崩していくものです。阿弥陀如来という仏様は、高見から私を見下ろしているような仏様ではありません。慈しみ深い母親が、子どもの悲しみや痛みを敏感に感じながら、子どもと同じ目線で子育てをしていくように、私の煩悩まみれの偽った心のど真ん中に、阿弥陀如来という真実の親は、その働きを響かせているのです。
「如来さん」と呼びかけながら、真実の世界と対話できるような方は、正しくお浄土の入り口に立っておられるような方でしょう。このような方々の尊い姿が、今の時代にまでみ教えを伝えてきたのでしょう。このような方の御跡を慕っていく大切さをしみじみと感じたご縁でした。
先日、ある男性の御門徒の方から、次のようなお尋ねがありました。
「ご院家さん、私は、このところ一つ胸に引っかかるものがあるので聞いてください。私は、無農薬で野菜を育て、それを出荷していますが、昨年の夏は、特に暑い日が続きました。暑い日が多いと野菜に付く虫の数も増えます。私は、その虫を、薬を使わず、一匹一匹手にとって指で潰しています。しかし、動いている命ある虫を、指で一匹一匹潰すことに、とても心が痛むのです。御法話の中で、むやみな殺生がどれほど罪深いことであるかはよく聞いています。しかし、これを止めては仕事になりません。浄土真宗の御法義の上から、今の私をどのように味わったらよろしいのでしょうか。」
突然、呼び止められての思慮深い質問に、思わず口ごもってしまいました。しかし、それと同時に、命を奪うことの申し訳なさを敏感に感じておられるその心の豊かさに頭が下がる思いがいたしました。
その時は、突然の真剣なお尋ねに、何とか答えなければならないと思い、次のようにだけお答えしました。
「阿弥陀様は、私どもが罪深い故に、浄土に生まれさせたいという願いを起こされたのですから、そのままでいいと思います。」
このようにお答えしながら、私の胸には何かすっきりしないものが残っていました。答えた方がそのようなことですから、おそらく、答えを聞かれた方も、すっきりうなづけなかったであろうと申し訳なく思っています。
私の胸に残ったどこかすっきりしないもの、それは、「そのままでいい」という言葉がもつ響きです。この言葉には、どこか、人間の開き直りとも受け取れる都合の良さをその中に含んでいるような気がするのです。親鸞聖人は、ご自身のことを『歎異抄』の中で、「とても地獄は一定すみかぞかし」と述べられています。「どこまでいっても、地獄を住処としかできない罪深い身である」という述懐です。しかし、次のようにも述べられています。
「それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
本願のかたじけなさを、自らの罪深さを通して味わっておられることが分かります。
私達は、普段、自分が罪深いということは、微塵も思わずに日々を過ごしています。しかし、そんな私にも自らの罪深さを知らされる時があります。それは、他の命と感応したときです。自分の指で無惨に潰されていく虫達の痛みや悲しみに心が震えたとき、はじめて、自らの罪深さが知らされていくのだと思います。そして、その悲しみや痛みを敏感に感じていく豊かな心は、お聴聞を通して、如来様に育てられていくものなのです。
如来様とは、大悲者です。悲しみや痛みを感じない者に如来様のお心を感じれるはずがありません。親鸞聖人が、自らの罪深さを通して、如来様のお心をありがたく味わっておられることは、言い換えれば、自らの心を震わせる深い悲しみ、深い痛みを通して、純粋な大悲の心に出会われているということでしょう。
普段、自分が善人であるかのような錯覚をして平然と地獄へ向かって命をすり減らしているのが私の真実の姿です。しかし、そんな私に自らの罪深さを知らせると同時に、それを包み込むような大悲の心でもって、私を浄土へ生まれるにふさわしい者に育てあげることが、仏陀としての命をかけた誓いなのです。
私自身がこれまで無数に与えてきた深い悲しみや痛みに心震わされる時、「そのままでいい」という言葉が出てくるはずがありません。この身に深い悲しみを刻みながら、申し訳なさの中に如来の大悲を慶んでいく姿こそ、念仏者の尊い姿というべきでしょう。
あけまして南無阿弥陀仏。
昨年は、多くの御門徒の皆様方にお育てをいただきましたこと、厚く御礼申し上げます。今年も、娑婆に縁ある限り、御門徒の皆様方と一緒にお念仏に導かれ、お育てをいただく日々を送らせていただきたいと存じます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
先日、ある御門徒の一周忌のご法事にお参りさせていただいた時のことです。お斎の場において、隣に座られたご親戚の方が、静かに私に語りかけてこられました。
「ご院家さん、私は、五十年以上もの間、日本で戦争がなかったことが不思議でなりません。平和を保つことは、戦争を始めることよりも随分難しいことです。誰の言葉かは知りませんが、私は、《汝の敵を愛せ》というあの言葉が一番好きです。」
八十歳は超えておられるであろう男性の方でしたが、穏やかな空気を身にまとった実に落ち着いた話し方をされる方でした。
戦後生まれの私にとって、戦争というものは、テレビの中の出来事でしかありません。それ故に、この方の言葉には、胸を打つものがありました。「汝の敵を愛せ」という言葉は、キリスト教の表現だと思いますが、仏教にも同じ意味を表す言葉がいくつかあります。その中でも有名なのが、聖徳太子の『十七条憲法』でしょう。
聖徳太子は、親鸞聖人が観音菩薩の化身と仰ぎ、人生の節目節目で、そのお導きを仰いでおられる日本で初めての本格的な仏教者といえるお方です。その『十七条憲法』の第一条は、「和をもって貴しとなす。忤う(さからう)ことなきをもって宗となせ」というものです。そして、次の第二条に、「和」を保つための一番の根源が何であるかが示されています。その第二条には、次のようにあります。
「篤く(あつく)三宝を敬え(うやまえ)。三宝とは、仏・法・僧これなり」
「和」が成立するその根源は、仏・法・僧の三つの宝を心の拠り所とすることであると示されています。
仏とは、真理に目覚め、また、私達を真理に目覚めさせてくださるお方を意味します。法とは、その仏が、私達を真理に目覚めさせるためにお説きくださったみ教えを意味します。そして、僧とは、僧侶のことではなく、この仏のみ教えによって生きていく人々の和やかな集いを意味します。この三つが、人の世にあって、「和」を成立させる最も尊い宝であることを聖徳太子はお示しくださっているのです。
聖徳太子は、用明天皇の第一皇子でありましたが、王位は継承されずに、推古天皇の摂政としてご活躍されました。事実上は、天皇と同じ立場で仕事をされたわけです。千四百年も昔に、日本の国を治めていた方が、仏・法・僧の三つを最も尊い宝として示していることは、日本人として忘れてはならないことだと思います。
昨年も、日本ではたくさんの痛ましい事件が起こりました。国自体が戦争をしなくても、国の中のあちらこちらで、怒り、腹立ち、嫉みなどの心から、親しい方々の命を奪う事件が起こっています。しかし、これは、決して人事ではありません。私自身の中にも、怒り、腹立ち、嫉む心は必ずあるのです。ただ、人を殺すだけの縁に触れずに過ごしてきただけのことです。凡夫というものは、恐ろしい存在なのです。「戦争が起こらなかったことが不思議でなりません」と言われたあの言葉通り、私自身においても、深い罪を犯さずに生きてこれたことが、不思議でならないことだといえます。
その凡夫同士が、相手のことを思いあいながら、互いに傷つけることなく、心豊かに生きてゆける道は、財産や名誉を宝とする生き方からは、決して生まれてきません。浄土真宗においては、お念仏が最上の宝です。今年も、お念仏に導かれ、お互いに心豊かに生きてゆける年にしたいものです。