今月は、あるお寺のご住職様からお聞かせいただいたお話をご紹介いたします。御往生されて、もう七回忌を迎えられた男性の方のお話です。
その方は、生前、とにかくよくお寺にお参りし、真剣に仏法をお聴聞されておられたそうです。ご住職が、お盆やお取越し報恩講などで、その方のお家にお参りされるときも、必ずご夫婦そろって後に付かれ、ご住職と一緒にお勤めをされ、いつも、その方の口からは「なまんだぶ、なまんだぶ・・・・」とお念仏がこぼれておられたそうです。
しかし、その方もお歳を重ねるにつれ、だんだんと体が弱られ、御往生されるまでの数年間は、いわゆる認知症の状態が続き、自宅での療養が難しく、ある施設ですごされました。そうなってからは、お寺にも参れなくなり、そのご住職も大変寂しい思いをされておられたそうです。
そんな時、その方のお父様に当たられる方の五十回忌のご法事が当家において勤められました。その頃の病状は、さらに認知症が進行し、ご自分の娘さんの顔も誰だか分からない、奥様の顔も誰だか分からないという状況で、もうご自分の足で歩くこともままならないという病状だったそうです。しかし、せっかくのお父さんのご法事です。お焼香だけでもさせてあげたいというご家族の強い思いの中、二人の娘さんに両脇を抱えられながら、ご法事のご縁に遇われたそうです。
読経とご法話が終わり、お焼香の順番が回ってきました。ご自分の二人の娘さんに両脇を抱えられながら、お仏壇の前へと少しずつ進み出られます。自分の両脇を抱えてくれている自分の娘すら誰だか分からない状況です。おそらく、自分の父親のご法事であることも分かっておられない、自分が今からお焼香をするということも分かっておられないでしょう。そのような状況の中、ゆっくりと、娘さん達に抱えられ、なんとかお仏壇の前に座られました。なにも分かっていないお父さんに代わって娘さんがお香を摘もうとした時です。何もわかっていないはずのその方の手が、お仏壇の前に座った途端、自然と合わさり、そして、朗々とした声で「なまんだぶ、なまんだぶ・・・・」とお念仏をされたのです。そのお念仏の声は、お元気だった時と何一つ変わらないものだったそうです。
このお話は、改めてお念仏というものが、どういうものであるのかを教えてくださるものです。「念仏」という思想は、長い仏教の歴史の中で様々に解釈されてきました。一般的には、おまじないや呪文のように考えておられる方も多いかと思います。しかし、親鸞聖人というお方は、比叡山における二十年にわたる苦行と苦悩、そして、法然上人との出会いの中で、念仏というものが、阿弥陀如来の名告り(なのり)であることに気づいていかれました。つまり、「南無阿弥陀仏」という言葉は、阿弥陀如来自身が、自分の存在とその働きとを私に告げる言葉なのです。
「ここにお前の命の本当の親がおるぞ。お前がどのような状況に陥ろうとも私だけは、決してお前を見捨てないぞ。必ずお前を仏にする親がここにおるぞ。」
と阿弥陀如来自身が、私の口を使って私自身に、自らの存在を知らせ、その働きを告げてくださっているのです。私はただ、口からこぼれる念仏の声を聞き安心し、その親心に従ってこの命の意味と生きる方向とを開いてもらえばよいわけです。念仏を称えているということは、私の命の上に阿弥陀如来という仏が生き生きと躍動している姿ともいえます。
私というものは、本当にいい加減なものです。平生はしっかりしていても、歳を取り認知症になれば、愛しい家族や友人のことすら忘れてしまい、自分自身すら亡くしてしまうことがあります。しかし、私が全てを忘れてしまっても、阿弥陀如来という命の親は、決して私を忘れることはありません。壊れていこうとする私をしっかりと抱きとめ、変わらぬ親心で本当の安心を与えてくださいます。重度の認知症の中でのお念仏の声は、そのことを如実に表しています。
しかし、これは、平生に真剣に法を求めた者だけが到達できる仏道の境地ともいえるものです。ただ自分の煩悩にまみれた心に身をゆだね、仏法を求めようともせず、いたづらに命をすり減らしていくような人は、そのままただ壊れていくだけです。しかし、煩悩にまみれながらも真剣に仏法を求める者は、必ず阿弥陀如来という本当の安心に出会わせていただけるのです。
お互い、まもなく、それぞれの形で壊れていく身です。ボケて狂って壊れていくだけの人生ほど惨めなものはありません。例えどのような状態に陥ろうとも、自然と手を合わせられるような深い安心の中で、この命を生かさせていただきたいものです。
先日、ある御門徒さんの三十三回忌のご法事にお参りさせて頂いた時のことです。お仏間に上がらせていただくと、奥の部屋からご家族の方々の慌てふためく物音や話声が聞こえてきます。
「時間を間違えたかな?」
心の中でそう思いながら不安な気持ちをどうにか落ち着かせようとしていた時です。奥様が、「お待たせして、申し訳ございません」と慌てて出てこられました。しかし、その姿はエプロンをしておられます。そして、仏間の下のお部屋に並べてある容器に、慌てながらお料理を詰め始めたのです。その直後にご当主が出てこられ、一言、次のようにお話されました。
「今日は、手作りでお斎をご用意させていただこうと思いまして、昨日の夜から準備を始めて、今までかかってしまいました。バタバタして申し訳ございません。」
その後、お勤めとご法話をさせていただき、心のこもった手作りのお斎を頂戴しながら、今日のご法事について色々とお話を聞かせていただきました。
ご当主に聞かせていただいたお話を簡単にまとめますと、おおよそ次のようなことでした。
「実は、三十三年前に亡くなった故人は、若い頃、あることが原因で当時の当主から当家との縁を切られたようです。私達も、一度もお会いしたことはありません。最後は、神戸の方で亡くなったのですが、最後まで天涯孤独の身だったようで、どこにも身寄りがなく、神戸の市役所の方からお骨を引き取ってもらえないかということで連絡があり、その時、はじめて故人のことを知った次第です。それから、節目節目の年回忌のご法事は、前住職にお参りしていただき、私達夫婦だけで、お斎も用意せずに勤めて参りました。しかし、この度、三十三回忌を迎えるにあたり、自分達の年齢を考えると、これが最後のご法事になるかも知れないと思い、故人と血縁関係にある親族をお招きして、故人を偲ばせていただこうと思ったのです。」
手作りのお斎については、「仕出し屋の料理には飽きたので」ということでしたが、このお話を聞かせていただくと、ただそれだけではないような気がいたしました。ただでさえ大変なご法事の準備、それを、夜通しかかってお斎を用意するというのは本当に大変なことです。しかし、大変な思いをしてお迎えしたご法事の場は、他のものには変えがたい、温かな心がこもった大変ありがたいご縁でした。
お斎というのは、本来、インドにおいて、八戒斎といわれる在家信者が守るべき戒律に由来する言葉ですが、一般的には、仏事に出す食事のことを言います。仏事・法事とは、「仏法の仕事」を略した言葉ですが、お斎も如来様が
働いてくださっている場として味わってこそのお斎です。ただ、久しぶりにお会いした親戚の方々と食事を楽しむだけで終わったら、それは、凡夫の働きです。故人を偲び、仏法を味わってこそお斎の意味があるのです。
この度のご法事で、お斎を囲んでいる方の中に、生前の故人を知っている方は一人もおられませんでした。しかし、そこには、手作りのお斎を囲み、実に和やかに故人を偲ぶ場が与えられていました。煩悩が渦巻く凡夫の心に和やかな心が訪れ、故人を偲ぼうとするそうとする心が起こる、それも、如来様の働きでしょう。ご法事という場は、如来様が故人という形をとって、私達を、お浄土へ導こうと働いてくださっている場であることを、よくよく味わせていただいたご縁でした。
五十歳以上の御門徒の方々から、よく聞かせていただくお話の一つが、お寺を遊び場にしていた子ども時代のお話です。
昔は、お寺で野球、かくれんぼ、鬼ごっこなど、お寺が子供達の遊び場だったというお話をよく聞きます。中には、お寺の台所に上がって、冷蔵庫の中のジュースを当たり前のように飲んでいたというお話もあります。テレビゲームもなく、塾や習い事も少なかった時代、学校から帰ると、大勢の友達とお寺に行って、日が暮れるまで遊ぶということが、子供達にとって、何よりも楽しいことだったのでしょう。
このようなお話を御門徒の方々から聞かせて頂く時、お寺の風景の急激な変化に寂しさを感じずにはおれません。本来、誰もが遠慮せずに、安心して訪れることのできる癒しの場がお寺であるはずです。そして、それを象徴する姿が、お寺で遠慮せずに、安心して日暮れまで遊ぶ子供達の姿だったのではないでしょうか。お寺から子どもの声が消えていくということは、大変寂しいことです。
しかし、ここ最近、そのような住職の寂しさを癒すような出来事が、お寺で起こっています。小学三年生の女の子達数人が、毎日、お寺に遊びに来るようになったのです。その中の一人は、正法寺の日曜学校生です。初めは遠慮がちにしていた他の子供達も、この日曜学校生につられて、今では、安心してお寺で遊んで帰っていきます。お寺の猫と遊んだり、鬼ごっこをしたり、時には、新発意も交えてままごと(新発意がお父さん役)をしたりと、実に子どもらしく微笑ましい姿をみせてくれます。
そんなある日のことです。子供達が、お寺で遊び終えて帰るとき、山門を出たところで、日曜学校生が、本堂に向かい合掌・礼拝をしていました。その尊い姿に感動した住職は、喜びいっぱいにそのまま庫裡に戻ろうとしました。その時です。後から日曜学校生の声が聞こえてきました。
「お寺から出るときは、み仏様にお礼せんといけんよ!」
なんとその日曜学校生は、自分だけでなく、他の子供達にも、合掌・礼拝をするように勧めていたのです。その姿には、ただただ頭が下がる思いがしました。
お寺の山門は、俗なる世界と聖なる世界の境界として置かれています。普段、自己中心的に欲望・煩悩にまみれ、我を張って一生懸命生活している私でも、山門をくぐれば、そこは、如来様を中心とする世界です。大きな温かい親心で、私を包んでくださいます。山門をくぐれば、なにか胸がスーっとするのは、如来様の大きな親心が、私の小さな我をほぐしてくださるからでしょう。山門での一礼は、聖なる世界に対する敬いと如来様に対するお礼の心を表すものなのです。
小学三年生の子供は、このような難しいことは理解していないでしょう。しかし、毎月の日曜学校や如来様を大切にされておられる家族の姿を通じて、如来様のお心と、お寺という場の持つ意味を体全体で感じているに違いありません。お寺で遊び終え、山門を出る時、如来様に対して頭が下がらないその姿に、何かただならぬ違和感を覚えたのでしょう。
浄土真宗の念仏者の方々は、頭が下がる自分自身を大変喜ばれてきました。それは、頭を下げずにはおれない尊いものに、遇い難くして、今、遇うことが出来ているからです。人生には、様々な出会いがあります。出会うものすべてが、頭を下げようとも思わないつまらないものばかりなら、その人の人生もつまらないものでしょう。しかし、人生の出会いの中で、頭が下がるものに出会わせていただいたということは、大変ありがたいことであり、幸せなことなのです。頭が下がる人に尊さを感じるのは、その姿が、今まさに、かけがえのない尊いものに出会っていることを表すからでしょう。
わずか十年の人生で、頭が下がるものに出会っている姿は、本当に尊いものです。その姿に出会わせていただいた私も幸せなことでした。
に如来様が働いている証拠だともいえます。お寺にお参りすることすら心のままにならない私たちですが、その心の上には、確実に阿弥陀如来様が働いてくださっています。そして、その働きは、同時に私をお浄土へ導く働きでもあります。南無阿弥陀仏とお念仏申す中に、そのことをよくよく味わせていただきましょう。
お盆も過ぎ、子ども達の夏休みも終わろうとしています。世間では、「お盆休み」という言葉がありますが、お寺では、一番忙しくなるのがこのお盆です。およそ、一週間の間に猛暑の中、何十軒と御門徒のお宅にお参りするのは、若い住職であっても一苦労です。
お盆の仏事は、世間一般、または、浄土真宗以外の他の御宗旨では、先祖供養の意味でお勤めするのが通例となっています。しかし、浄土真宗のご法義は、どこまでも如来様が先に働いてくださっていることを聞かせていただくばかりです。お盆の仏事も、ご先祖をご縁にして、私自身が、お経を聞かせていただくところに意味があります。
しかし、住職自身、先祖供養の意味でお勤めしている意識はありませんが、かといって、浄土真宗のお盆の意義を一軒一軒、時間をかけて説明している暇もありません。また、説明したところで、それですぐに浄土真宗のご法義が味わえるようになるとも思えません。人の心は粘土細工ではありません。様々なご縁が働く中で、少しずつ変えられていくのです。猛暑の中のお盆参りも、そのような仏縁の一つとなってくださればと思いながらお参りしています。
しかしながら、お盆参りは、参る住職自身が、一番多くのご縁をいただいている気がいたします。その中でも、私の心に響いた最も多かった言葉が、「お寺にお参りしたいのですが、事情があってなかなかお参りできません」というものです。事情は、人によって様々ですが、お寺にお参りしたいという強い気持ちを持ちながら、どうしてもお参りできないという方が、御門徒の中にたくさんおられることに、私自身、様々なことを考えさせられました。
親鸞聖人の有名なお言葉の一つに、次のようなものがあります。
「なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」(『歎異抄』第十三条)
何事も自分の心のままになることは一つとしてないといわれます。人殺しをしない私でいられるのも、私の心が善いからではなく、人殺しをするだけの業縁が働いていないからであり、もし、人殺しをするだけの業縁が私の上に働けば、殺したくないと思っても、千人・百人の人を殺してしまうこともあるというのです。
厳しい言葉ですが、これは事実を的確に示してくださっています。戦争などは、そのよい例でしょう。戦争という環境は、多くの優しい人までを人殺しに変えていきます。また、逆に、無残な殺人を犯した死刑囚であっても、中には、その後に様々な縁に触れることにより、死刑囚とは思えないような美しい詩を書いたり、優しい眼差しをみせる人もいます。
すべては、無数の縁によって、この私は動かされているのだというのが、親鸞聖人の人生に対する味わいです。その無数の縁の中、この私に仏法を聞く心を起こさせ、仏様の心をありがたいと味わえる身に育ててくださった御縁のことを、親鸞聖人は「本願他力」と呼んでいます。そして、その御縁は、偶然、私に働いたのではなく、如来の誓いによって働いた必然的な御縁だというのです。
お寺にお参りしたいという心が起こったことは、その人の上に如来様が働いている証拠だともいえます。お寺にお参りすることすら心のままにならない私たちですが、その心の上には、確実に阿弥陀如来様が働いてくださっています。そして、その働きは、同時に私をお浄土へ導く働きでもあります。南無阿弥陀仏とお念仏申す中に、そのことをよくよく味わせていただきましょう。
先日、ある御門徒の五十回忌のご法事で、大変ありがたい一言をいただきましたので、ご紹介します。
それは、お勤めとご法話が済み、ご親戚の方々が、順にお焼香をされている時でした。
「ご院家さん、今日は、ありがとうございました。私は、故人の孫になりますが、お婆ちゃんには本当にお世話になりました。私は、外孫でしたが、お婆ちゃんのことが大好きで、よくこの家に遊びに来ていました。本当にやさしくて仏様のようなお婆ちゃんでした。私が、遊びに来ると、最初にお仏壇にお参りさせられて、仏様のお話を色々聞かせてくれました。」
等々、子ども時代、故人に大変お世話になったことや、故人との温かい思い出話を色々とお話してくださいました。
そして、最後に一言、次のようにお話されたのです。
「お婆ちゃんには、本当にお世話になりましたが、今日も、お婆ちゃんのお陰で、本当にありがたいご縁に遇わせて頂けました。」
私は、この一言を頂いたとき、お会いしたこともない五十回忌を迎える故人の方に、思わず手を合わさずにはおれない気持ちになりました。
五十年前にこの世との縁が尽きたその人の命は、お浄土の風となって、そのお孫さんの命の上に生き生きと働き続けておられることが、はっきりと味わうことができます。
私達は、ご法事を勤める場合、ほとんどが「故人のために勤める法事」と考えがちです。ご法事のご挨拶で、一番多いのが、「故人のためにありがたいお勤めをしていただき、ありがとうございます。」というものでしょう。しかし、よく考えてみると、これはおかしなことです。お経というのは、簡単に言えば、お釈迦様のお説教をまとめたものです。お釈迦様は、死者に対して教えを説かれたのでしょうか。そんなはずはありません。お釈迦様は、今ここに生きて、道を求める者に対して、教えを説かれたのです。死者に対してだけ説かれたものであるならば、二千五百年間も仏教のみ教えが、多くの人々の心と命を支えてきた事実をどのように考えればよいのでしょうか。お経というのは、私のためにお釈迦様が説いてくださり、私のために多くの先人の方々が伝え遺してくださったものでしょう。お経は、誰かのためにあげるものではなく、私自身が聞かせていただくものなのです。
しかし、現代に生きる我々にとって、二千五百年前に説かれたお経は、一般的には非常に難解でただの呪文のようにしか聞こえません。それ故に、難解なお経の心を取り次ぐ僧侶とそれを聞かせていただく場としてのお寺があるのです。
「お婆ちゃんのお陰で、、、、」と申されたお孫さんは、おそらく、そのお婆ちゃんを通じて、仏様の心に出会い、生涯を通じて、お寺に参り、お取次ぎを聞いてこられたのでしょう。五十回忌に至るまでの節目節目のご法事で、「お婆ちゃんのお陰で、今日もありがたいご縁に遇わせて頂けた」とお婆ちゃんに手を合わし続けてこられたに違いありません。
私達も、やがてこの娑婆世界の縁が尽きていく時が必ずやってきます。その時、子どもや孫が、私をご縁にして仏法に遇えたことを慶び、お浄土という同じお悟りの世界に向かって生きてきてくれれば、これほどの安心はありません。地位や名誉や財産を残せば、争いが起こります。仏法を残せば、豊かな命が生まれます。
五十年過ぎても、仏事と共に偲ばれ、手を合わしたくなるような方は、きっとお浄土に往生され、仏様となった方でしょう。
先日、お寺での出来事です。何人かの御門徒の皆さんが集まって雑談をしておられました。しかし、さすが正法寺の御門徒です。雑談といいましても、井戸端会議のような世俗の話ではありません。何人かが集まって、仏法についての雑談をしておられたのです。そこに私もいつの間にか加わって、一緒にその話を楽しんでおりました。それは、次のようなことでした。実際は、山口弁でしたが、標準語に訳させていただきます。
Bさん 「それにしても、Aさんは、よくお聴聞されますね。なかなかAさんのようにはなれません。」
Cさん 「私も本当に感心します。Aさんは、正法寺のご法座だけでなく、近くのお寺さんのご法座にもお参りされて、お聴聞されているそうですね。」
住職 「それだけでは、ありませんよ。Aさんは、山口別院の毎月の常例法座にも必ずお参りされているんですよ。しかも、車の免許をお持ちでありませんから、電車を使ってですよ。正法寺にお参りされる時も、電車を使って、嘉川駅から歩いて来られていますよ。雨の日は、傘をさして、暑い日は、汗をかきながら、必ずお参りされる姿には本当に頭が下がります。」
Dさん 「正法寺に月に一回お参りすることでも、大変なことななのに、別院にまで毎月お参りされておられるなんて、、、、いつになったら私も、そういった境地に辿り着けるんでしょうか。」
その時、この話を恥ずかしそうに聞いておられたAさんが、一言次のようにお話されました。
Aさん 「そんなこたぁ、大したことじゃないぃね。ちっともお浄土の足しにはならんのじゃから。」
最後のAさんの一言は、山口弁そのままに私の耳に残っています。それだけ、この一言には、如来様に摂め取られた人にしか言えない有り難く尊い響きがあります。
私達が形作っている世俗の価値観で考えると、Aさんの最後の言葉は理解しがたいものでしょう。なぜなら、私達の行う努力には、必ず見返りを求める心が伴うからです。この世俗の価値観からいえば、お寺に一生懸命お参りすることも、その先にある見返りがなければ意味がないように思います。「お寺にお参りして何の得があるのか」と思っている人は、まずお寺にはお参りしませんし、お参りしている人の中にも、「お寺に普段から一生懸命尽くしていれば、悪いことにはならない」「お寺でお聴聞することは、私の人生を生きる上で足しになる」などと下心をお持ちの方もおられて当然でしょう。
私達の心は、どんなに取り繕っても、やはり自分自身の利益追求を第一に働くものです。しかし、本当の純粋な心に触れた人は、私達が当たり前にもっているこの心が、どこか薄汚れた貧しいものであることに気づきます。そして、こんな貧しい薄汚れた心をいくら働かせても、この純粋で広大な心には全く近づけないことも。
「お浄土の足しにはならない」ということに気づいたということは、私の心とは全く異なる純粋で広大な心に出遇ったということでもあるのです。ですから、Aさんが最後に話された言葉は、純粋で広大な如来様の心に抱かれている深い安心感から出た言葉だともいえます。「私は、つまらない、申し訳ない存在だ」という気持ちが、単なる卑屈ではなく、深い安心感と共にもたらされるのが浄土真宗の信心の在り方でしょう。
自分自身さえ信じることができない、そんな絶望的な状況でも、そのままで深い安心感に包まれている。これほどの豊かな人生は、他にはないのではないでしょうか。
先日、百ヶ日のお勤めにお参りさせていただいた時のことです。普段、百ヶ日のお勤めは、ご家族だけで、時間もわずかということもあり、院代が一人でお参りさせていただくことが多いのですが、その日は、たまたま私が一人お参りさせていただきました。もう満中陰から一月以上経ち、ご家族の方々も幾分落ち着いておられる頃だろうという心持ちで参らせていただいたのです。
ところが、お仏間に上がらせていただき、お勤め前にお茶をいただこうとしたとき、故人の娘さんから思いがけない質問をいただきました。
「母はもう阿弥陀如来様やお釈迦様のところに無事辿り着いて、お弟子になっているんでしょうか?」
私は、眼に涙をいっぱいに溜めた突然の質問に思わず口ごもってしまいました。そして、さらに涙を溜めて次のように質問されたのです。
「亡くなった人の霊は、私達の周りに留まっているのでしょうか?」
娘として、母の幸せをどこまでも切実に願い、また、いつまでも自分の側に母を感じていたいという強い想いが痛切に私の胸に響いてきました。
浄土真宗は、阿弥陀如来の働きによりお浄土に往生し、お釈迦様や阿弥陀如来様と同じ悟りの世界をこの身にいただくみ教えです。ここで、「お母さんはお浄土に往生され、仏様となっていつもお側におられますよ」と答えれば、娘さんの心も幾分癒されたのかも分かりません。しかし、私の返した答えは、
「亡くなった方が、どのような形になられたのかは、私には分かりません。それを確かめる術を私は持っていません。ただ、死は他人事ではありません。故人の死を尊い仏縁にさせていただくことで、死に対する味わいが変わってくると思います」
というものでした。僧侶として、どのように答えるのが正しいのか、戸惑いを感じながらも、正直に自分の味わいを述べました。
世間の人々は、死や死後の世界について様々な話をします。霊といったものもその一つでしょう。しかし、死んだことのない人が、死や死後の世界について、なぜはっきりしたことが分かるのでしょうか。それらは皆、根拠のない推測としか言いようのないものです。確かめようのないものに執着し、あれこれ惑うよりも、今、自分の身に確かに起こっていることに眼を向けるべきではないでしょうか。
今、自分の身に確かに起こっていること、それは他でもない、私が、今、ここに在るということの不思議です。なぜ、私は、人としてここに存在し、仏様の言葉を味わう身になっているのでしょうか。私は、気づけばここに在ったのです。自分の意思で人となり、自分の意思だけで僧侶になったのではありません。もし、両親のご縁がなければ、もし、正法寺が建立されていなかったら、もし、親鸞聖人、蓮如上人がお出ましにならなかったら、もし、四十六億年前に地球が誕生しなかったら・・・少し考えただけでも、手のつけようのない膨大な無数の縁が働き、宇宙に二つとない私というものをここに在らしめ、仏法を聞かせているのです。
私には、生死に関する深い道理を知る術はありません。しかし、私の上に起こっている不思議に想いを致すとき、私に深い悲しみを与えたあの出来事も、喜びを与えてくれたあの出来事も、すべては、私を仏法という安らかなる真実の世界へと導くためのものであったと味わうことができます。
誰もが経験する大切な方との死のお別れ、筆舌に尽くし難いその深い悲しみに対してまで、慶びと共に手を合わすことのできる世界が仏法でしょう。
本当に有り難い働きの中にいる私であることを深く味わいながら、一つ一つのご縁を大切にしていきたいものです。
先日、ある御門徒の七回忌のご法事にお参りさせて頂いた時、御当主のご挨拶にハッとさせられたことがありました。
「父が亡くなったのは、阿知須できらら博が開催された年でした。」
この一言にエッという思いがしたのです。きらら博から、もう七年・・・
あの頃、私は、龍谷大学の大学院で真宗学という学問を学んでいましたが、周りが将来のことも心配し始めた頃でもあり、「山口へ養子に」という話も具体的になりつつある時期でした。前住職・前坊守から「山口県民になるなら、きらら博には、ぜひ行ってみてください」という勧めもあり、現坊守と二人で遊びに行ったことを思い出します。それまで、根っからの関西人だった私が、山口県という関西とは異なる雰囲気に初めて触れたのが、あのきらら博でした。まだ山口に対する新鮮さが消えやらぬ私に、七年という数字が、一瞬、私の心をざわつかせたのです。
今年は、私に、きらら博に行くことを勧めてくださった前住職・前坊守の三回忌を迎えます。そして、前住職・前坊守の往生と同じ年に誕生した新発意は、今年、二歳になります。ご法事の準備をしながら、横で動き回る新発意をみて、七回忌で小学一年生、十三回忌で中学一年生という風にたびたび坊守と二人で思いを馳せることがあります。
つい最近、歩き始めた新発意が小学一年生になる七回忌は、私にとって、遠い未来のような感覚でいました。しかし、三十歳を前にした今、年々、加速する時間の中に身を置いている気がします。時間は、頭が計算するものではなく、心が感じるものです。時間が早く過ぎていくように心が感じるというのは、一瞬一瞬の中に感動できるものが少なくなってきているということでしょう。歳を重ねるにつれ、当たり前のものが増え、感じる心が鈍くなってきているのです。
同じ七年でも、十歳から十七歳までの頃を振り返ると、今でも、果てしなく長くぎっしり中身がつまったものとして、私の心に刻まれています。老化というと、体のことばかりが注目されますが、心も確実に老化し、鈍ってきているのです。体も心も次第に鈍ってゆき、やがて滅びるように死んでいくのが我々凡夫の結末でしょう。
そのあたりのことを親鸞聖人は、次のように語っておられます。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」
「火宅無常の世界」とは、火に包まれた家が、見る見るうちに滅びていくような無常の世界という意味です。まさしく、今、私が身を置いている世界です。そして、その世界には、真実と呼べるものはなく、すべてのものが、空言、戯言であり、ただお念仏だけが真実であるというのです。
真実なものと偽りのものとの違いは、安定しているかどうかにあります。火宅無常の世界で、空言、戯言に振り回され、やがて滅びるように死んでいくことに不安を覚えない人はいないでしょう。心に不安があるということは、不安定な在り方、つまり、真実でない偽りの在り方をしているということです。偽りの在り方をしているということは、逆に言えば、他に安定した真実な在り方があるということでもあります。教えの言葉となって私に届き、念仏という形で、常に私を真実な在り方へ呼び覚まそうとするのが、阿弥陀如来の働きなのです。
安定した真実の心に触れた不安定な心は、自ずから感動せざるをえません。お念仏を響かせながら一瞬一瞬を過ごす人は、いつまでも感動に溢れる実り豊かな時間を過ごしていくのでしょう。
空言、戯言に振り回されてばかりの私であったことを、あっという間に過ぎた七年が教えてくれました。虚しい十年を生きるよりも、実り豊かな一瞬を過ごしていきたいものです。
お寺の住職の呼び名で最も親しまれているものの一つに「お寺の和尚(おしょう)さん」というものがあります。この「和尚」という言葉、元々は、サンスクリット語の「upadheyaya」という言葉を漢訳したものですが、これは、「師」とか「先生」を意味するものです。一般仏教では、僧侶が師、檀家が弟子という立場を取り、修行をした僧侶が檀家を導きます。しかし、我が浄土真宗では、このような一般仏教の立場を取りません。僧侶も、僧侶でない者も同じ阿弥陀如来という命の親から願われている仏の子です。「門徒」とは「同門の徒弟」を意味し、僧侶と門徒は同じ親を持つ兄弟という立場を取ります。しかも、僧侶は門徒と呼び捨てにはせずに、御門徒と敬語をつけて一般信者に接します。これは、僧侶も御門徒から教えられ、導かれるという立場を取るからです。僧侶と御門徒、お互いに阿弥陀如来という同じ親を持つ兄弟として敬いながら、教えられ、導かれ、お念仏の道を歩んでいくのが浄土真宗の立場だといえます。
このコーナーは、浄土真宗の僧侶として日々、御門徒の方々と接し、教えられ、導かれてばかりの住職が、その心の内を素直に書き綴ろうとするものです。第一回目の今月は、ある御法事での出来事を紹介したいと思います。
ある御法事でご親戚の方と次のようなやり取りがありました。
ご親戚 「お坊さん、私も浄土真宗ですが、今までお寺に参ったことがありません。」
住職 「そうですか。・・・・」
ご親戚 「先日、私のところの住職が、正月に神社ばかりに参らないで、正月はお寺にお参りくださいと言われたのですが、正月にお寺に参るなど初めて聞きました。」
住職 「お寺でもお正月には、元旦会といって、元旦をお祝いしながら仏縁に遇う御法座があるんですよ。お酒も出ます。」
ご親戚 「お酒がでるんですか?一度、参ってみようかな。」
その時、ご親戚の方の隣に座っておられた九十歳を超えるご婦人の方が、聞き返してこられました。
ご婦人 「何の話ですか?」
ご親戚 「お婆ちゃん、私は、今まで一度もお寺に参ったことがないのです。(笑)」
ご婦人 「地獄に落ちるぞ!」
最後のご婦人の言葉で、その場が一瞬凍りついたような感覚に襲われました。それほど、ご婦人の言葉は、真実に裏づけされた自信と力強さに満ちておりました。七十年以上、浄土真宗門徒として聞法を続けてこられたそうですが、さすが、二十代の住職とは、迫力もありがたさも違います。
しかし、皆さんはこのご婦人の言葉を聞いてどのように思うでしょうか。誰もが死ねば仏に成るという意識は、日本人の多くが持っているものです。しかし、このご婦人は、人間、そのまま死ねば地獄に堕ちるしかない身であることを、長年の聞法生活の中で確認しておられるのだと思います。人間、お寺に参らないから地獄に堕ちるのではなく、生まれたときから地獄まっしぐらな日々を送ってきているのです。
そのような私をそのままにしないで、お浄土に生まれるにふさわしい念仏の行者に育てようと誓いを起こされたのが阿弥陀如来です。しかし、育てようにも教えの言葉が届かない者には、育てようがありません。親の言葉を聞こうとしない不良息子のようなものです。お寺とは、親の言葉を聞き、地獄へ向かって歩んでいる私が、親に導かれ、お浄土への歩みを運ばせていただくところなのです。
それにしても、臆することなく「地獄に堕ちるぞ!」と言い切っていける心には、頭が下がるばかりです。