今年も、親鸞聖人の御遺徳をしのぶ御正忌報恩講が、三日間にわたって無事勤まりました。年間、正法寺では、様々な行事が勤まっていますが、浄土真宗のお寺が、必ず勤めなければならないのが、報恩講です。親鸞聖人の御生涯を偲び、親鸞聖人の御跡をしたい、親鸞聖人と同じお念仏をいただいていくのが、浄土真宗門徒の姿であり、それを聞き確認する場所が、浄土真宗寺院です。ですから、報恩講が勤まらないお寺は、浄土真宗のお寺とは言えませんし、報恩講のご縁に遇わない方は、浄土真宗門徒とは言えません。しかしながら、昨今は、時代も変わり、遇いたくてもご縁に遇えない方も多くなりました。また、一度もお参りされたことのない方にとっては、なかなか最初の第一歩を踏み出すことは、想像以上に難しいことだと思います。
今年は、大阪府より山本摂叡先生をお招きし、三日間、七法座に亘って、ご法話をいただきました。山本先生は、浄土真宗の僧侶を育てる行信教校という学校の先生でもあり、仏教学者でもあります。七法座の中では、専門的で一般の方には難しいお話しもありましたが、その中でも、住職が、ありがたく味わせていただいたお話しを、一つご紹介いたします。
親鸞聖人の御生涯の中で有名な「まは、さてあらん」という、つぶやきについてのお話です。このお話は、親鸞聖人の奥様であられた恵信尼(えしんに)様という方が書かれたお手紙の中に記されています。こんなお話です。
親鸞聖人が五十八歳の時です。おそらくインフルエンザだと思われますが、親鸞聖人は、高熱にうなされ、一週間程度、寝込まれたことがありました。その時、看病に当たられたのが、奥様の恵信尼様です。高熱にうなされている親鸞聖人が、突然、うわ言のように「まは、さてあらん」とつぶやかれたというのです。恵信尼様が、「どうされましたか?」とお尋ねになると、親鸞聖人は、「夢を見ていた」とお答えになりました。その夢というのが、親鸞聖人が四十二歳の時に経験された、実際の記憶を思い出されたものだったのです。四十二歳の時、親鸞聖人は、常陸に向かわれる途中、佐貫というところで、『浄土三部経』を千回読むことを決意されます。それは、人々の幸せを願い、実現するためのものでした。しかし、その行を始められて四、五日経った時、その行は、法然聖人から頂いたお念仏のみ教えに反する行いだと気づかれて、やめられたのです。その時のことを、十六年経った今、高熱にうなされる中で、夢で見ていたというのです。
その夢から覚められて、「まは、さてあらん」とつぶやかれた、そのお姿を、恵信尼様は、生涯忘れることがありませんでした。そして、親鸞聖人の御跡を慕おうとする後世の人々に、どうしても伝えたかったお姿として、お手紙に遺されたのです。そこに、どんな大切な意味があるのでしょうか。山本先生は、「まは、さてあらん」という言葉の意味は、「今は、そうあろう」と説明されました。人は、自分自身の慢心に惑わされ、仏様のまことの働きを見失っていきます。四十二歳の親鸞聖人は、その時、自分の力に慢心し、自分が努力すれば、苦しむ人々を救えると思ったのです。しかし、私には、人を救う力などありません。人を本当の意味で救えるのは、仏様だけです。私は、その仏様に救われなければならない愚かな凡夫なのです。自らのはからいを捨て、身も心も仏様にまかせていく道がお念仏の仏道です。そのことに気づいた親鸞聖人でしたが、五十八歳の時にも、同じように、仏様に背を向けて、仏様を見失っていこうとする自分自身を丁寧に見つめておられたということです。「今は、自ら余計なはからいをすることなく、素直に仏様のお心に叶う自分であろう」ということを、改めて口にされたということです。
それは、親鸞聖人が歩まれた浄土真宗という仏道は、決して簡単なものではないということを教えています。人は、簡単には変われないのです。教育には、長い時間が必要です。親鸞聖人のような尊いお方でも、仏様のお慈悲に背こうとする自分自身を常に問題にされ、どこまでも謙虚に仏法を聞き続けようとされたのです。私が、抱えている命の問題は、一度二度聞いて、それで事済むような軽いものではありません。 分かっても分からなくても、悩みながら、素直にみ教えを聞き続けることが、親鸞聖人の御跡を慕う、浄土真宗門徒の歩みといえるでしょう。
今年も、様々なご法座が、正法寺では用意されています。お互いに、それほどもう時間は残されていません。何度も何度も、進んでご縁を重ねていく毎日を、大切にさせていただきましょう。
先日、あるご法事の席で、九〇歳を超えられた男性の御門徒の方が、住職に次のような話を聞かせてくださいました。
「御院家さん、正法寺は、昔から他のお寺とは違いましたよ。まだ、私が三〇歳になるかならないかの頃、正法寺の客殿を新しく作るということで、御門徒各戸に若い男性に手伝いのお願いが来たんです。私も手伝いに参加したんですがね、集まってきたのは、みんな二〇代三〇代ばかりで、歳がいってても四〇歳にいくかどうかの人達でした。その大勢の若い衆が、お寺にあった大きな松の木を切り倒して、製材して、二間続きの客殿を建てたんです。それが、まもなくして、例の火災で、本堂と一緒に全部燃えてなくなってしまったんですよ。でもね、御院家さんも聞いていると思いますが、火災で正法寺が全部なくなってからは、女性は、朝から晩まで子どもを背負いながら、寒い中、山口県内中を本堂再建のための募財を募るために、托鉢行脚でしょ。男衆は、女性が托鉢に出かけている間、今の興進小学校の周りに団地ができている所から、真砂土を掘り出して、人力で正法寺まで運んでね、焼け跡の境内をきれいに地ならしをして、本堂を建てる準備をしとったんですよ。ええ時代でしたね。御門徒以外の方々も、みんな募財に協力してくれましてね、今の正法寺が再建できたんです。正法寺の御門徒はね、昔から御報謝させていただくことが、身に沁みついておりましたよ。」
昭和三十二年に正法寺が大火災に遭い焼失したことは、正法寺に関わる者にとって、決して忘れてはならない出来事です。昭和三十二年といえば、今からちょうど六〇年前になります。この年の年末にカラーテレビの実験放送が開始されていますから、今からすると、相当昔の時代という感じがします。当時、小学生だった方から、「興進小学校からお寺が燃えているのがよく見えた」等のお話しを聞かせていただくことは、今でもよくあります。しかし、当時、御門徒の一人として、火災後の正法寺の復興に直接関わった方のお話というのは、なかなか聞くことができない状況になってきました。今回、火災前に、客殿を新しく建て替えていたことも、初めて聞かせていただいたお話でした。時の経過とともに、色んな事が忘れられていくことは寂しいことですが、お寺というのは、これまでの先人方のご苦労が、そのまま徳として残っていくものであることを感じます。
「御報謝(ごほうしゃ)」という言葉は、浄土真宗の特徴が表れている言葉です。他の御宗旨の檀家さんが、お寺のお手伝いをすることを「御報謝」とは言わないでしょう。「御報謝」という心をもって、お寺と関わっていくところに、浄土真宗門徒の仏教徒としての尊さがあります。報謝というのは、「恩に報い、徳に感謝する」という意味をもっています。その報謝に「御」をつけて、「御報謝」というのは、「する」ことではなく「させていただく」ことだからです。
この「する」という心の持ちようを「自力」といいます。そして、逆に「させていただく」という心の持ちようを「他力」というのです。「他力」というと、「人に任せて自分は何もしない」という意味を連想しますが、本来、「他力」というのは、「おかげさま」と頂いていく心の有り様を支えていく働きをいうのです。たとえば、お寺の為に手伝いをすることを「私がする」と味わうと、当然のことですが、それは「私の力をそこに働かせた」という慢心を生んでいきます。しかし、浄土真宗の御門徒方は、「私はさせていただいた」と味わってきたのです。それは、「本来、私にはできないことをさせていただいた」という喜びとおかげさまという感謝の心を生んでいきます。その背景には、私のことを深く慈しみ悲しんでくださる阿弥陀如来の願いがあります。阿弥陀如来に深く願われて、私はさせていただいているのです。自分が得をするために一生懸命になる人は、この世に五万といます。しかし、自分の得にもならないことを一生懸命に行ない、一つのお寺を建てていくことは、稀有な方々です。しかも、それを自分がした功績として慢心するのでははく、あくまで「させていただいた御報謝」として喜んでいく姿は、只人を超えた妙好人と讃えられる本物の念仏者のお姿というべきでしょう。
先人の方々が一生懸命に御報謝された正法寺を中心に、今年もお念仏の日暮らしを大切にさせていただきましょう。
先日、あるご法事の席で、故人について、次のようなお話を聞かせていただきました。
「亡くなった父は、本当によくお寺にお参りしていました。最後は、ほとんどを病院で過ごしていましたが、報恩講には、勝手に病院を抜け出して、お参りをするほどでした。病院からいなくなって、みんなが慌てて探しに行くと、本堂の一番前に座ってお聴聞しているんです。本堂でお聴聞している父の姿は、懐かしいですね。」
「仏法を聞く」ということについて、改めて、その意味を教えられた気がいたしました。「仏法を聞く」ことについて、本願寺中興の祖と讃えられる蓮如上人が、次のようにお示しです。
「仏法には世間のひまを闕きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきやうに思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ。」
「世間のひまを闕きてきくべし」というのは、世間の様々な仕事、例えば、勤め先の仕事、家庭の仕事、地域の仕事など、私達が、人並みの社会生活を営む上で欠かすことのできない仕事を差し置いて、仏法は聞くべきものだということです。次の「世間の隙をあけて法をきくべきやうに思ふこと、あさましきことなり。」というのは、それら世間の様々な仕事を工夫し、時間を作って仏法を聞くことは、あってはならない浅ましい姿だということです。いかがでしょうか?かなり厳しいお言葉だと思います。毎日の忙しい仕事の中、工夫をし時間を作って、お寺にお参りしようとする人を、お褒めになられるのではなく、お叱りになっておられるのです。普通の価値観の中で当たり前のように過ごしている私達には、非常に分かりにくいお言葉だと思います。
私達は、自分が生きるために、また、家族を養うために、また、社会が円滑に営めるように、様々な責任を果たしていかなければなりません。そのために自分に課せられた仕事を責任を持って果たさなければなりません。そして、その仕事を果たしていくことが、人間社会における自分の価値を確立していくことになるのです。もし、無責任に仕事を放棄し、社会的な役割を果たさないのであれば、その人は、当然、社会的には認められません。社会からは、価値のない人とみなされます。誰からも認められない人生ほど、惨めなものはありません。世間的な仕事を責任を持って果たしていくということは、自分の社会的な価値を高め、社会的な自分の居場所を確立していくことにおいて、非常に重要なことでしょう。私達は、このことを当然の前提として、社会生活を営み、人の価値を判断していきます。仕事ができ、社会的な貢献度の高い人は、価値の高い立派な人です。仕事ができず、社会的な貢献度の低い、例えば、ホームレス生活をしているような人は、価値の低いダメな人です。これが、私達の疑いようのない普通の価値観です。
しかし、仏教というのは、この疑いようのない価値観を破り、人として目覚めさせていくところに大きな意味を持つものなのです。そもそも、社会的な貢献度というのは、平たく言えば、社会にとって役に立つか立たないかということです。宗教を判断する時も、その宗教が、社会的に役に立つものかどうかで判断される方が多いですが、本来の宗教の本質は、そんなところにはありません。役に立つか立たないかで見ていく目に見えるものは、命ではありません。道具です。どんな命も、社会の道具ではないのです。役に立つか立たない以前に、命というのは、そのままで、どんなものとも比べようのない尊厳さを放っているものです。自分が、どれほどの尊さを持つものであるのかに目覚め、他の命一つ一つの輝きを知り、本当の喜びと慈しみに目覚めていく道が、本来の仏教なのです。
いくら社会的に立派な人であっても、自分自身と他の命が持つ、本来の尊厳さに目覚めることなく死んでいくなら、不幸としか言いようがありません。役に立つか立たないかで見ていく限り、生老病死を抱える人間は、どんな人も、最後には、必ず役に立たない道具として終わっていくのではないでしょうか。そして、それは、今日かもしれないのです。蓮如上人がおっしゃるように、本当のところ、明日は保証されていないのです。
仏法を聞くことが、世間事の二の次になってはいけません。一つひとつのご縁が、人生最後のご縁です。何を差し置いても、仏法を聞かせていただく、そんな先人のお姿を大切にさせていただきましょう。
先日、あるご法事のお斎の席で、隣に座られたご親戚の方から、次のようなお話しを聞かせていただきました。
「御住職さん、私は、今年八十八歳になります。元気そうに見えると思いますが、私はね、一応、被爆者なんですよ。」
「被爆者というと、広島で原爆に遇われたんですか?」
「そうです。十六歳の時に原爆におうたんです。私は、生まれも育ちも宇部市なんですが、宇部の学校を卒業した後、広島の学校に進んだんです。私は、一人っ子でしてね、そこの学生になれば、卒業までは兵役が免除されるという理由で、母が強く勧めたんです。ところが、進学した一年目の夏に原爆が落ちました。その日は、学生全員が、市内の軍需工場に手伝いに行くことになっておりまして、私も、広島駅から電車に乗っていったんです。工場は、比治山という山を越えたところにあったんですが、駅に到着して、工場に向かって歩いている時に原爆が落ちたんです。ところが、比治山を超えていたおかげで、山が爆風を遮るような形になって、一、二メートルは飛ばされましたが、私は、その程度で済んだんです。しかし、一本後の電車に乗る予定だった友人たちは、広島駅で原爆に遇い、全員亡くなりました。生きてるというのはね、本当に不思議な事ですよ。たまたまが、偶然重なっているだけです。ここまで生かさせていただいて、最近、つくづくそう思うんです。」
ご法事の席で、戦争体験を聞かせていただくことはありましたが、被爆体験を聞かせていただいたのは、この度が、初めてのことでした。原爆投下直後の広島市の惨状なども、言葉を選びながら、少しお尋ねをさせていただきましたが、その辺りのことは言葉を濁されました。おそらく、軽々に言葉にはできないものだったのでしょう。平和な時代しか知らない者にとっては、想像を絶する世界があるのだと思います。
戦争後の日本社会は、人の死が身近に感じられなくなった社会とも言われます。ほとんどの方が、病院や施設で息を引き取り、その後、葬儀社によって、ご遺体は、まるで眠っているかのように美しく整えられます。毎年、多くの葬儀のご縁をいただきますが、親の死に目に会えなかったという人は、今は珍しくありません。人が死んでいくのを目にすることは、日常生活の中では、ほとんどなくなってしまいました。現代は、人の死は、非日常なのです。しかし、一方で、現代においても、人が死んでいくことは特別なことではありません。むしろ当たり前のことなのです。当たり前のことが、隠されているのです。
親鸞聖人が、八十八歳の時に書かれた、生涯最後のお手紙が現存しています。そこには、次のようなお言葉が記されています。
「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。」
このお手紙が書かれた二年前に、関東で大地震が起こっています。この地震と大津波によって、関東一帯は、壊滅的な被害を受けます。さらに、その翌年からは、全国的に大飢饉と疫病が流行し、無数の餓死者が溢れかえったことが、『吾妻鏡』などの文献によって知ることができるようです。このお手紙は、乗信房というお弟子が、関東でのその悲惨な状況を、お手紙で親鸞聖人に訴えたことに対する親鸞聖人の返信なのです。ここで親鸞聖人は、「老いも若きも男も女も無数に人々が死んでいく有様は、驚くべきことではない」とおっしゃいます。お釈迦様が、生死無常のことわりをすでにお説きくださっているように、死なない者が死んだのではなく、本来死すべきものが死んだのだとおっしゃるのです。
八十八歳の親鸞聖人にとって、驚くべきことは、なんだったのでしょうか?おそらく死すべきものが死んでいくことではなく、死すべきものが、こうやって生きていることだったのではないでしょうか。
仏教では、生死(しょうじ)というように、生と死は、切り離すことのできない一つのものです。人は、死と向き合うことによって生の尊さに出会い、生と向き合うことによって死の意味を尋ねていくのでしょう。
どんな人も死を抱えた生を生きているのです。生死を超え、本当の命に目覚めていくような、尊いお念仏の日暮らしをさせていただきましょう。
今年の九月は、厳しい残暑もなく、秋が素直にやってきた感じがします。秋の季節は、仏教でいうところの「無常」を感じさせるものです。強く照り付けていた日差しが緩み、木々が紅葉し、寂しい気分を運んできます。また、秋のお彼岸は、西に沈んでゆく夕日を見ながら、西方浄土に往生された故人の方々を、自然と偲ばせていただける季節でもあります。日本には四季があり、古来より日本人は、無常を肌で感じてきたようです。様々な有名な和歌にも、それが表れています。
しかし、日本古来の和歌などで歌われている日本人の無常と仏教で説くところの無常は、根本的に異なります。日本古来の和歌などに表れる無常は、外から移り変わっていく様子を眺めているものです。移り変わっていく景色や盛者必衰の人間社会の有様は、私達に、無常の現実を教えてくれます。その儚い様に胸を打たれない人はいないでしょう。それらは、お釈迦様が教えられたことを、正しく証明してくれています。あらゆるものは、例外なく移り変わり留まることがないのです。
しかし、仏教の教えは、客観的に教えの正しさを証明することに意味を求めません。時々、お釈迦様の教えの正しさが証明されれば、仏教を聞く気になるというようなことをおっしゃる方がおられます。阿弥陀如来やそのお浄土が、客観的にあることが、人によって証明されれば信じることができるということなのでしょう。しかし、それが人によって客観的に証明されたところで、仏教の教えは意味をなさないのです。教えというのは、その人の人生の拠り所となるものです。教えに従って人生の意味を味わい、教えに従って様々な事象の意味を見極めていくのです。単なる知識としての仏教は、成仏道にはなりえません。物知りになったところで、煩悩まみれの凡夫は、煩悩まみれの凡夫のままだからです。
無常ということも、お釈迦様は、外から眺める知識として教えられたのではありません。私の命の意味を問うていく現実として教えられているのです。私そのものの上に無常の現実を味わっていくのが、仏教の無常です。移り変わり留まることのない私は、いったいどこへ向かっていくのかということです。
浄土真宗の歴史の中で、この無常の教えを最も強調された方は、本願寺第八代御門主であり、本願寺中興の祖とも讃えられる蓮如上人です。葬儀の時に拝読される「白骨の御文章」をはじめ、いたるところで、無常ということを強調されています。蓮如上人の八十五年の御生涯は、無常の現実を感じざるを得ない波乱に満ちたものでした。二十七歳の時にご結婚された蓮如上人は、四十一歳の時に、奥様と死別をされます。翌年、四十二歳の時に、死別された奥様の妹さんと再婚されますが、五十六歳の時、再婚された奥様とも死別されるのです。それだけではありません。同じ五十六歳の時には、二十八歳のお嬢様と十二歳のお嬢様とも死別されています。さらに、翌年の五十七歳の時には、二十五歳のお嬢様と六歳のお嬢様とも死別されるのです。その後、六十歳前後の時、三人目の奥様と再婚されますが、この奥様とも六十四歳の時に死別されています。さらに、六十九歳の時には、頼りにしていたご長男の順如上人が、四十二歳で突然ご往生されます。そして、六十七歳頃に、四人目の奥様と再婚されますが、七十二歳の時に、この奥様とも死別されます。さらにその後、七十六歳の時には、二十八歳のお嬢様、七十八歳の時には、三十一歳のお嬢様とも死別されます。生涯で、結婚するたびに、四度も奥様を見送られ、ご長男をはじめ、七人ものお子様方との今生の別れを経験されるのです。実際に経験された方でないと、その痛みは分かりませんが、親を残して子どもが先立っていく逆縁ほど、悲惨な別れはありません。人の命の無常な有様を、誰よりも痛感しておられるのが、蓮如上人なのです。そして、その無常な有様は、他人事ではなく私事なのです。悲しみに明け暮れる私もまた、同じように移り変わり留まることはないのです。無常であり続ける私は、この先、どうなっていくのでしょうか?誰もが、この言葉にできない大きな命の不安を抱えています。そして、この根本不安の解決が、他ならない仏道を歩むということの本来の意味なのです。
過ごしやすい秋の季節ですが、移ろいゆく季節の中で、無常なる私の命を見つめてみてはいかがでしょうか。大切な方を悲しみの中で見送っておいて、しょうがないでは済まされません。大切な方の無常な有様は、私に対する無言のお説教です。今一度、仏法を聞かなければならないことの大切な意味を、お互いに見つめなおしましょう。
今年のお盆も大変暑い中でのお勤めでした。しかし、毎年、暑い中にも、住職自身、ありがたいご縁をたくさんいただいています。今年も、あるお宅で、次のようなお話しを聞かせていただきました。
「御院家さん、私は、もう90歳を超えましたが、何とかお寺参りはさせていただけています。耳は遠くなりましたが、なんとか御講師の声は聞こえます。お聴聞させていただくと、『如来様がいらっしゃった、もうすでに抱かれておるなぁ』と、いつも気づかされます。何歳になっても、気づかされるというのは、ありがたいことですなぁ。」
浄土真宗は、「聞く」ということが何よりも大切だと言われますが、改めて、聞くことの大切な姿勢を教えられた気がいたしました。
親鸞聖人が歩まれたお念仏の日暮らしは、必ず阿弥陀如来様のお心を聞かせていただく「お聴聞」がセットでなければなりません。ただ口に南無阿弥陀仏と称えさえすれば良いというものではないのです。「聴聞(ちょうもん)」という言葉は、どちらも「きく」という漢字です。しかし、この二つの漢字には、それぞれ異なった意味が含まれています。「聴く」という漢字は、能動的な意味を持っています。「自分から求めて聴く」ということです。仏様のみ教えというのは、聴く気がないと聴くことができません。自分の中に教えを求める心がないと、聴いても響いてはこないのです。鐘のように、仏法というのは、打てば響きます。逆に、打たなければ響きません。その人その人の悩みや不安に応じて、教えの言葉は導きとなり、響いていくのです。
次に「聞く」という漢字は、受動的な意味を持っています。「聞こえてくる」ということです。人は、自分の都合というものを必ず持っています。仏様の言葉を聴く時、自分の都合の良い形に、その言葉の意味を変容してしまうということがあります。仏様というのは、悟りの世界を言葉に変えることができる方です。その言葉は、人間境涯に身を置く者からは、紡ぎだすことのできない清らかな領域から紡ぎだされてきます。仏様の言葉は、聞こえてくるまま頂いていくことが大切です。悟りの世界から紡ぎだされた言葉に、人間境涯の浅はかな料簡を交えてはならないのです。そのことを、親鸞聖人は、「兎角のはからいあるべからず」とお示しくださっています。ウサギにツノはありませんが、ウサギのツノは長いのか、短いのか、また青いのではないか、など、ありもしないものに固執し、あれこれ無駄な惑いを引き起こしていく、これが、人間境涯の危うい料簡だというのです。私達が、仏様やお浄土に対して、頭の中で勝手に描いていく世界は、全部、ウサギのツノのようなものなのです。私達には、本当の仏様やお浄土を頭の中で思い描くことは出来ません。出来ないから迷いの凡夫であり、阿弥陀如来の願いが起こされたのです。出来ない私に、如来様は、言葉の導きとなって響いてくださるのです。私の浅はかな料簡を交えず、聞こえてくるまんま、その響きに包まれていくのです。これが、「聞く」ということです。
この「聴」と「聞」が合わさった時、初めて、本当の如来様に出遇えていくのです。本当の如来様に出遇われた方は、その時から、その如来様に抱かれ、教えられ、導かれる人生がスタートします。お浄土へ生まれていく道が、スタートしたということです。この道は、如来様がいつも一緒に歩んでくださる道です。それまでの人生は、自分一人が、我を張って歩んできた道です。これまで歩んできた自分の経験一つを頼りに、様々な困難に立ち向かっていく道です。最大の困難は、生老病死という人間の根本苦です。生まれたということ、老いていくということ、病に罹るということ、そして、死んでいくということ、これらを自分の経験を頼りに乗り越えていかなければなりません。それは、孤独な道です。死んだことのない者に、死が何であるかは分かりません。分からないものに立ち向かっていくのです。多くの者は、その前に無残に散っていくのではないでしょうか。
如来様が一緒に歩んでくださる人生は、常に気づかされる人生です。言葉の仏様が、色んなことを教えてくださいます。重い病の中で、涙溢れるような感動に包まれていくこともあります。90歳を超えても、「ああ、そうだったのか」と、新しい気づきに胸が震えていきます。死を前にしても、穏やかに合掌してゆける世界に出遇うことができます。お聴聞し続けていく人生は、いつまでも気づかされ、感動に包まれていく人生なのです。お寺でのお聴聞を大切に、豊かな人生を歩ませていただきましょう。
先日、ある御門徒のご法事でのことです。御当主のご挨拶が、おおよそ次のようなものでした。
「御院家様、本日は、まことにありがとうございました。尊いご縁を賜りました。親鸞聖人のお言葉ですが、『弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと。』このお言葉の通りの毎日を、心がけて過ごしたいと思っておりますが、なかなかお言葉の通りには、過ごせておれません。この度、父から頂いたご縁を大切に受け止め、できるだけお念仏を口に称える毎日を、心がけて過ごしたいと思う次第です。」
御当主が紹介された、この親鸞聖人のお言葉は、『歎異抄』第一条のお言葉でした。この長いお言葉を、何も見ずにそらんじておっしゃったことに、深く感動させていただいたことでした。これまでの日暮らし、親鸞聖人のお言葉を、何度も大切に繰り返し味わってこられたということでしょう。
『歎異抄(たんにしょう)』という書物は、浄土真宗関係の本の中で、世界中で最も読まれているものです。親鸞聖人の主著である『教行信証』を知らない方でも、『歎異抄』は、名前だけでも、よくご存知の方が多いことでしょう。この『歎異抄』は、親鸞聖人が書かれたものではありません。いまだに確定はされていませんが、親鸞聖人の直弟子であった唯円(ゆいえん)という方が書かれたものと推定されています。親鸞聖人と弟子の唯円との年齢差は、約四〇歳です。親鸞聖人が、ご往生されて、約二十年以上経って書かれたものです。『歎異抄』という書物名は、「異なることを歎く」という意味です。つまり、親鸞聖人がご往生されて約二十年、親鸞聖人が教えられたことと異なる教えを、さも親鸞聖人から聞いたように言いふらす輩が、たくさん出てきたということです。そのことを憂い歎いて、「故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところ、いささかこれをしるす」として、筆をとられたのが、この『歎異抄』です。つまり、二十年以上経っても、耳の底に残り、心の中で響き続けている、直接親鸞聖人にお会いをし、直接言葉を交わした人間にしか記すことのできない、感動的な法語が散りばめられてあるのが、この『歎異抄』なのです。
その第一条に「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」と記されています。ここに親鸞聖人の出遇われたお念仏の救いの尊さが表れています。教えを聞き、お念仏を称えようという殊勝な心を起こした人が、救われるという単純な話ではありません。「心を起こす時」ではなく、「心の起こる時」です。微妙な表現の違いが、大きな意味の違いを表わしているのです。お念仏を称えようという心は、私の意志の力で起こせるものではありません。如来様を特別尊いものとも有り難いものとも全く思っていないのが私です。私は、出世間的な仏の尊さにではなく、世間的なお金や地位や名誉に目がくらむのです。如来様の御名を口にする、そんな思いは、私の中には元々微塵もありません。そんな私の口が「南無阿弥陀仏」と称えることがあるなら、それは、不思議なことなのです。私の計らいでは、計りきれない不思議な事が、私の上に起こったのです。その不思議な事を私の上に起こした力こそ、阿弥陀如来の願いの力なのです。もし、お念仏を素直に口にできるなら、それは、私が、如来様に深く愛され、すでに深く抱かれていることだったのです。
親鸞聖人から紡ぎだされるお言葉は、それを聞いたものを、ことごとく安心させていきます。唯円様の中で二十年以上響き続けたお言葉は、七五〇年以上経った今も、多くの人々の中で響き続けています。この世界は、汚い言葉だけではありません。いつまでも人々の上で響き続ける珠玉の言葉というものがあるのです。その言葉を聞かせていただく場所がお寺です。お寺で仏法を聞くご縁を大切にさせていただきましょう。
先日、ある御門徒宅に七回忌のご法事の案内をいただき、お参りさせていただいた時のことです。仏間に上らせていただき、はじめて気が付きました。そのお家には、お仏壇がなかったのです。亡くなられた故人には、お子様がいらっしゃいませんでした。亡くなられた時、故人からすると本家を継がれている甥にあたる方が、喪主となり、葬儀が勤められたのです。それ以後、一周忌も三回忌も、お仏壇のある本家で故人のご法事が勤められてきました。しかし、この度は、故人その人の思い出が残る故人のご自宅でご法事をお勤めしたいというご案内だったのです。
そういう事情もあり、住職もうっかりしていたのです。ご案内をいただいた時、そのお家にお仏壇がご安置されているかどうか確認しておくべきでした。仏間には、故人の位牌と遺影がご安置され、仏花とお灯明がお供えされているだけでした。小さなご本尊(阿弥陀如来様)をお寺まで取りに帰ろうかと考えた時、ふと、床の間に蓮如上人が書かれた「南無阿弥陀仏」の複製のお軸が掛けられてあるのが目に入ったのです。その瞬間、ご本尊がいらっしゃったことに、ほっと安心させていただいたことでした。蓮如上人の字で「南無阿弥陀仏」と書かれたそのお軸の前に、仏花とお灯明をお供えしていただき、そのお軸をご本尊として、無事にご法事をお勤めさせていただきました。
後で奥様からお聞きすると、そのお軸は、ご近所の御門徒さんからお借りしたものだったそうです。故人のご自宅で一度、ご法事をお勤めできないかと考えた時、やはり、お仏壇のないお家でご法事が勤められるのかどうかが心配だったそうです。そこで、よくお寺にお参りしているご近所の御門徒さんに相談したところ、そのお軸を貸してくださったということでした。「南無阿弥陀仏」のお軸が、お仏壇の代わりになることを御存じの御門徒さんがいらっしゃったことに、うれしい感動を覚えたことでした。
「ご本尊」というのは、「根本的に尊いもの」という意味です。根本的に尊いものですから、私の生と死の本当の拠り所となっていくものです。浄土真宗のみ教えを仰ぐものにとって、そのご本尊は、阿弥陀如来様です。どんな小さな命をも深く慈しみ、生きとし生けるものの輝きを受け止め、命を懸けて、どんな深い悲しみをも引き受けていこうとする、そんな大きく深い慈悲の働きを最も尊いものとするのが、浄土真宗のみ教えです。一方、世間一般では、自分の都合を叶えてくれる経済力や社会的な地位や名誉をご本尊としています。ですから、大切な経済力や地位や名誉を根こそぎ奪っていく死が、何よりも恐ろしく不気味なものとなるのです。そんな拠り所を失った死者もまた、不気味で哀れなものとして映るのでしょう。故人に手を合わせるというのも、そんな哀れみと不気味さの中で手を合わせている人が、案外多いのかもしれません。
浄土真宗の法事は、故人に手を合わせるためのものではありません。悲しみや苦しみを抱えて生きる娑婆世界に残された私たちが、改めて、何が尊いものであるのか、何を大切にして生き死んでいくべきであるのかを、仏様のみ教えの中に聞かせていただき、確認をさせていただくのが、法事なのです。その法事のご縁を、故人が命がけで私たちのために結んでくださったのです。ですから、故人の遺影や位牌があっても、手を合わせ頭を下げ、仰ぎ尊んでいく阿弥陀如来様がいなければ、法事や仏事は成り立たないのです。
阿弥陀如来様の絵像は、形でもって、私達に尊ぶべき慈悲の働きを示してくださっているものです。しかし、実際には、あのお姿が、私の目の前に現れて、私を導いてくれるのではありません。実際に私の前に現れ、私の生と死を導いてくれるのは、南無阿弥陀仏という私の声となり寄り添ってくれる言葉の仏様なのです。南無阿弥陀仏は、この言葉の響きの中に、無限の慈しみの心が込められています。「お母さん」と口にすると、お母さんの面影や温かい雰囲気が、心の中に満ちていくように、「南無阿弥陀仏」と口にすると、お寺でのご法座の温かい雰囲気や仏様を大切にしていた父や母、祖父母の柔らかい雰囲気が心の中に満ちていきます。お念仏の日暮らしは、お寺でのお聴聞がセットでなければなりません。教えを聞く中で、お念仏の日暮らしを送らせていただくと、何でもない毎日の中で、様々な気づきをさせていただきます。お念仏に教えられ、育てられるということが、実際にあるのです。
「南無阿弥陀仏」という文字が、ご本尊になるというのは、まさしく、それが、迷える私を導いてくれる阿弥陀如来様の実際のお姿だからです。法事を勤めるときは、床の間には、「南無阿弥陀仏」のお軸を掛けるように、先人から教えられた方も多いのではないでしょうか。それは、先人の方々が、お念仏の響きの中でお勤めするご法事を、大切にされていたということでしょう。今に生きる私達も、お念仏の響きを尊ぶ、有り難いご法事をお勤めさせていただきましょう。
先日、5月21日は、宗祖親鸞聖人のお誕生日でした。正法寺でも降誕会の法要をお勤めし、たくさんの方々にお参りいただきました。お釈迦様も親鸞聖人も、人としてこの世に生を受けたことは、大変有り難いことだとおっしゃっています。この世界には、草や花、小さな虫や大きな動物に至るまで、無数の命の形が存在しています。その命が持つ掛け替えのない尊さは、どの形の命も同じ重みを持っています。仏様の眼から見れば、つまらない命など一つもありません。それぞれが、それぞれのまんま、掛け替えのない輝きを放っているのです。しかし、そのことを聞いて、感動できるのは人だけです。本当の意味で、他の命の尊さを感受できるのは、人だけなのです。
先日、そのことを目の当たりに感じた出来事がありました。五月は、外に出て目を凝らすと、様々な命に出会うことができます。そんな命溢れる世界に目を輝かすのが、子ども達です。保育園で年長組の子ども達が、トカゲを見つけて、追いかけて遊んでいました。一人の男の子が、素早く動き回るトカゲを素手で捕まえたかと思うと、そのトカゲを優しく両手で包み込みました。すると、別の男の子が、砂場から縁が深めのお皿を持ってきました。そのお皿にトカゲを入れると、他の子ども達が、そのお皿に草をちぎって入れたり、土を入れたりと、お皿の中が、自然の草むらのようになりました。そのお皿を持って、嬉しそうに色んな先生や子どもに見せて歩くのです。とても子どもらしい純粋で素敵な姿に、心を温かくさせてもらいました。
しかし、その数日後のことです。今度は、お寺で飼っている猫が、お寺の境内でトカゲを追いかけて遊んでいました。前足でトカゲを抑えつけたかと思うと、パッと前足の力を緩めて、わざとトカゲを逃がすのです。そして、逃げたトカゲをまた追いかけて、同じことを繰り返して楽しんでいました。しかし、それを何度か続けた後、突然、前足で抑えつけたトカゲの頭にかぶりつき、トカゲを真っ二つに食いちぎったのです。食いちぎったトカゲを咥えている猫の姿は、背筋をゾッとさせるものでした。いつも、部屋の中で気持ちよさそうに寝ている猫の姿は、それは可愛いものです。時には、私達人間よりも穏やかで安心した世界に生きているように思わせます。しかし、猫には、人間のように他の命を慈しむ心はないのです。命の掛け替えのない輝きを感受する心がないのでしょう。やはり、どれほど可愛く見えても、獣の世界に住んでいるのです。同じトカゲという命に触れながら、一方は、優しく包み込み、一方は、無残に食いちぎっていく、この二つの姿を目の当たりにした時、改めて、人として命恵まれたことは、本当に有り難いことだと思いました。
しかし、その人よりも、さらに深く豊かな心を持つ者がいます。それを仏様といいます。お釈迦様は、人として生を受けられましたが、三十五歳の時に、仏様に成られました。これは、人と猫が住んでいる世界が違うように、人が持つ命に対する豊かな感受性を、さらに超えていかれ、人とは異なる世界に住むようになったということです。仏様に成られたお釈迦様の前に開かれた命の世界は、怨親平等の世界と言われます。人は、命に親しむことはできますが、それは、自分の都合に合うものに限られていきます。いくら純粋な心を持った子どもでも、人を嚙み殺す毒蛇を、トカゲと同じように親しむことは出来ないでしょう。自分の都合を基準にして、怨みと親しみでもって、命を感受していくのが人の住む世界なのです。それに対して、仏様は、怨みも親しみもない、あらゆる命を平等に慈しみ深く愛することのできる世界に住んでおられます。それぞれの都合が破られ、あらゆる命が、あらゆる命のまんま、掛け替えのなさをもって輝いている世界こそ、真実の世界です。
たまたま人として生を受けたことは本当に有り難いことですが、さらに、その人の中で、仏様の真実の世界に出遇えたことは、本当に稀なことであり、ものすごく幸せなことだと言わねばなりません。人というのは、自分の都合によいものを求めて、決して思い通りにならない人生に悩んでいきます。様々な命も様々な出来事も、自分の都合を邪魔するものは、決して輝いて見えないのが人の世界です。そして、人として生まれながら、その世界を愚痴と後悔で終わらしてしまう人が多いのです。
人として命恵まれたからには、聞くべきものを聞き、遇うべきものに遇わせていただき、掛け替えのない私だけに恵まれた生と死を、深く喜びたいものです。本当の命の輝きと喜びを感受した仏様のお言葉を、大切に聞かせていただきましょう。
先日、ある御門徒の葬儀の後、ご遺族の方々から、故人の晩年のご様子について、大変味わい深いお話しを聞かせていただきました。
「母は、晩年、とても穏やかでした。『もったいない』『ありがとうございます』ばかりを口にしていたように思います。病院の治療で痛みや辛さがある時には、看護師さんに腹を立てたりもしていましたが、必ず、落ち着いてから『ありがとうございます』とお礼を申していたようです。病院でも、よく手を合わせて、小さな声でお念仏を申しておりました。母自身の姿が、仏様のようでした。」
仏教という言葉は、本来、「仏様の教え」という意味と「仏様に成る教え」という意味とがあります。この「仏様に成る」ということが、仏教の大きな特徴です。仏様というのは、私が教えられ、救われる働きであるのと同時に、私が成っていかなければならない目標でもあるのです。仏教徒というのは、本来、仏様の教えに従い、その仏様に成ることを目指して生きる者のことをいいます。
仏様とは、どんな存在なのでしょうか?『仏説観無量寿経』には、「仏心とは、大慈悲これなり」と説かれています。大慈悲という心を持っている存在が、仏様と呼ばれるものだということです。慈悲というのは、相手の幸せを純粋に願い、相手の痛みに共感していく心です。相手の幸せを純粋に願うというのは、お返しを一切求めないということです。ただただ自分を殺して相手の幸せだけを求めていく心です。そして、相手の痛みに共感していくというのは、子どもの悩みが、親の悩みになっていくように、命と命とが溶け合っていくような一体感を表す心です。私達は、自分の子どもや孫に対しては、この慈悲の心を起こしていくこともあります。子どもや孫が、死に関わる病気になった時、この子が助かるなら自分は死んでも構わない、と本気で思うことがあるのではないでしょうか。また、その子の痛みが、自分の痛みとなって、一緒に深く苦悩していくのではないでしょうか。このような私たちが起こしていく慈悲を小慈悲といいます。小というのは、私たちは、自分にとって大切な者に対してしか、この慈悲の心が起こせないことを表しています。
しかし、親鸞聖人は、「小慈小悲もなき身にて」と、この身内に対して起こしていく小慈悲さえも全うできない私だと言われます。考えてみますと、私たちは、自分の都合が邪魔されると、愛すべきものに対してさえ、腹を立てていくのではないでしょうか。そして、愛する者を失ってから、そのすえ通らない自分の不完全な愛情の前に絶望しなければならないのです。私たちの起こす慈悲は、一瞬で消えてしまい、すえ通らないのです。愛する者を幸せにしたくても、断念せざるを得ないことが、この娑婆世界は多すぎます。大切な方を苦しめてしまった、愛する者を何もできずに死なせてしまった、そんな悲しみを、誰もが人生の中で背負っていくのではないでしょうか。
親鸞聖人が、お浄土に生まれていくことを喜ばれたのは、楽ができる世界に生まれていくことを喜ばれたのではありません。仏様に成れることを喜ばれたのです。この世では、愛する者をどうしてやることもできなかった、そして、自分のことばかり考えて愛する者を苦しめてしまった、そんな小慈悲さえも全うすることのできなかった私が、今度は、大慈悲と呼ばれる、すえ通る本物の慈悲をもった仏様にさせていただけるのです。悲しむ人がいれば、必ずそこに私がいる、悩む人がいれば、そこに必ず私が寄り添っている、いつでもどこでも、私のいない時も場所もなくなるのです。たとえ、あなたが、どこにいようと、どんな状況にあろうとも、今度は、確実に私が、あなたを救ってやることができる、そんな仏様と呼ばれる身にさせていただけることを、親鸞聖人は喜ばれたのです。
人生というのは、そんな仏様になっていくためのお念仏の道場です。お念仏となって阿弥陀如来は、私を導き育ててくださいます。人生で味わう悲しみや喜びは、どれも私にとって、仏様に成るために必要な尊い糧なのです。お念仏申す中に、様々なことが起こる人生を、学びの道場として生きる方は、まさしく仏様のような人になっていくのではないでしょうか。「ありがとうございます」「もったいない」、これは、本当の喜びを味わっている人にしか言えない言葉です。決して私の思い通りにはならない人生ですが、愚痴や後悔ではなく、感謝と慚愧の中で、仏様に育てられる喜びに満ちた毎日を送らせていただきましょう。