今年も残すところ、後一ヶ月となりました。一年があっという間に過ぎていきます。人生というのは、夢幻のような、あっという間に過ぎる時間の積み重ねです。誰もが、後百年も生きることは出来ません。まもなく、この世界を去っていかなければならないのです。しかし、仏様は、儚い人生の中にこそ、尊い意味があることを教えてくださいます。
先日、NHKスペシャルで「百歳の世界」というドキュメンタリー番組が放映されていました。世界には、百歳を超えてもなお、現役で元気に働き続け、若い方々と何ら変わらない生活スタイルを維持したまま元気に過ごし続ける方々がいらっしゃいます。そういう方々を、学術用語で「センテナリアン」というそうです。そして、今、世界中でこのセンテナリアンの研究が、目覚ましく進んでいるそうです。NHKスペシャルでは、世界中のセンテナリアンの方々の日常生活が紹介されていましたが、驚くべき様子のものばかりでした。例えば、イタリアの106歳の男性は、今でも、現役の理容師さんです。毎日、真っ赤なスポーツカーを運転して仕事場まで出勤されます。106歳とは、とても思えないハサミさばきで、見事にお客さんの髪の毛を切っていきます。手が震えるということはありません。しかも、一日中、立ち仕事なのです。インタビュアーが、男性に対して、「老眼鏡をかけなくても大丈夫なんですか?」と尋ねると「あんなのは、年寄りがするもんだよ」と答えておられたのが、とても印象的でした。
NHKスペシャルでは、センテナリアンと一般の人との違いが、どこにあるのかを、最新の研究を元に検証を進めていました。これまで、人の寿命は、遺伝によるところが大きいと考えられていたそうですが、最新の研究によると、寿命と遺伝との関係は、ほとんどないに等しいということが分かってきているそうです。センテナリアンの方々と一般の方々との決定的な違いは、慢性炎症と呼ばれる数値が、極端に低いことだそうです。体というのは、慢性的に炎症を起こすことによって、老化が進んでいきます。食生活をはじめとした様々なライフスタイルによって、この慢性炎症が、極端に低く抑えられているのが、センテナリアンの特徴だそうです。
その中でも、特に興味深かったのが、心の問題です。ストレスは、もちろん慢性炎症を増進させる要因ですが、それよりも興味深かったのは、欲望を満たすことで満足感を得ようとする心の状態が、慢性炎症を増進させるとされていることでした。センテナリアンの方々は、一概に、自分が楽しむことよりも、他人を楽しませることを常に求め、他人が喜ぶことで満足感を得ている人達だそうです。また、100歳以上のセンテナリアンの方々に「100年以上生きてこられて、今までで一番幸せだった瞬間は、いつでしたか?」と質問を投げかけると、どの方々も「今が一番幸せ」と答えるのだそうです。センテナリアンの方々も、永遠に生き続けることはできません。そう遠くない先に命終えていかれることでしょう。長生きすることだけが、人生を豊かにするわけではありませんが、どれほど長くても百数十年の儚い人生を、どのように生きていくべきであるのかを、改めて考えさせられるものでした。
センテナリアンと呼ばれる方々は、結果的に、誰よりも、自分に恵まれた掛け替えのない人生を大切に生きることができています。長生きして楽しみたいという方ではなく、今の一瞬を心から喜び、人の喜びを満足感に変えていく人が、自分を大切に出来ているという結果は、まるで仏教の教えそのもののように聞こえました。自分の楽しみばかりを貪る生き方が、自分自身を苦しめる結果を招くというのは、2500年前にすでにお釈迦様が、お説きくださっていることです。また、無常の中で、今を喜べることの大切さを教えてくださっているのも、仏教です。結局、仏様が教えてくださっていることは、当たり前に正しいことなのではないでしょうか。
今年が残り少ないように、私の人生も、それほど多くは残っていません。今一度、楽しみを貪ろうとする自分の生き方を見つめ直していくことの大切さ、そして、仏様のみ教えを聞く場所であるお寺にお参りすることの大切さを考えてみましょう。