子や孫に、時代に左右されない輝きを残してゆける、立派な先人になってゆきたいものです。

先日、6月5日に浄土真宗本願寺派第24代即如門主が御退任され、翌6月6日に第25代専如門主が、新たに浄土真宗本願寺派門主及び本願寺住職に御就任されました。御門主の代替わりは、教団として一つの時代が終わり、新しい時代をお迎えしたことになります。専如新門主とは、龍谷大学の大学院時代、机を並べて共に学問に励んだ学友でもあり、住職にとっても、特別に感慨深いものがあります。

正法寺が所属する山口南組では、6月5日の退任式と6月6日の法灯継承式に、僧侶による団体参拝を計画し、住職も、山口南組の各寺院の御住職方と一緒に参拝させていただきました。先日、国宝に指定された御本尊阿弥陀如来が御安置されている阿弥陀堂と宗祖親鸞聖人が御安置されている御影堂共に、溢れんばかりの参拝者で埋め尽くされていました。二日間とも、八千人以上の方々が、参拝されたそうです。

私達のご本山本願寺は、親鸞聖人の曾孫にあたる覚如上人によって創建されたのが始まりです。覚如上人は、親鸞聖人が御往生されてから八年後にお生まれになりました。本願寺を創建されたのは、四十一歳の時です。当時、まだ多くの親鸞聖人の直弟子の方々が健在であり、また、その直弟子の方々を中心とした浄土真宗の教団が栄えていました。そんな中、親鸞聖人の子孫に任されていたのは、親鸞聖人のお墓を護持することでした。覚如上人は、このお墓を寺院化することによって、浄土真宗のみ教えを喜ぶ人々を束ねていくような、浄土真宗教団の中枢を担おうとされたのでした。そして、親鸞聖人、孫の如信上人、曾孫の覚如上人と三代に亘る親鸞聖人の正統な血統者を通じて、正しい法義が相続されてきたことを宣言されたのでした。

それから、約150年後、第八代御門主に就任された蓮如上人の伝道活動によって、本願寺教団は、飛躍的に発展を遂げていきます。一説には、日本の仏教徒の三分の二が、浄土真宗門徒に変わったとも言われています。しかし、それは、必然的に時の政治権力との衝突を生んでいくことにもなりました。第十一代顕如上人の時代には、織田信長との十年に亘る石山合戦を経験することになります。武術の心得も何もない御門徒の老若男女が、お念仏のみ教えを守るために、織田方の並み居る武将たちと命がけで戦った戦争でした。この戦争により何十万人という御門徒が命を失い、本願寺は、西本願寺と東本願寺の二つに分裂していきます。

750年もの歴史を重ねる中で、お念仏のみ教えを正しく伝え遺していくという営みは、決して平坦なものではありませんでした。時代ごとに、人々の価値観も変わり、それに伴って、社会の様子もかなり変化していきます。昭和の初めと今現在の人々の価値観とを比べてみても、かなりの隔たりがあることが分かります。一世代、ニ世代、遡るだけでも、人々の社会的価値観は大きく変化しているのです。そんな中にあって、750年もの間、絶え間なく伝えられてきたことは、それだけで、私達に大きな意味を投げかけているように思います。どんなに時代が変わり、人の価値観が変化しても、人が抱えねばならない苦悩には変わりはありません。仏様がお示しされる道は、人間存在の根本的苦悩を超えていく道です。

仏様のみ教えが説かれた「お経」という言葉には、縦糸という意味が込められています。織物というのは、縦糸がしっかり通っていれば、横糸が、どんなに乱れたとしても、秩序を失うような乱れ方は決してしませんし、乱れたとしても、その乱れを正していくことが出来ます。仏様のみ教えは、人間社会において、縦糸の役割を担うものなのです。

様々な時代を通じて、現在に至るまで、お念仏のみ教えが伝えられてきたということは、時代の価値観に左右されることのない輝きが、そのみ教えの言葉の中に満ちているからでしょう。 今年、住職と同じ三十七歳を迎える専如新門主は、門主就任に際して、「現代という時代において、どのようにしてご法義を伝えていくのか、宗門の英知を結集する必要があります」とのお言葉を述べられました。現代社会に生きる人々に、お念仏の輝きをどのように伝えていくのか、若い新門主を中心とした新しい教団の姿に期待が集まっています。私達も、子や孫に、時代に左右されない輝きを残してゆける、立派な先人になってゆきたいものです。

2014年7月1日