春のお彼岸会も無事勤まり、いよいよ本格的な春が訪れました。お彼岸というと、お墓参りの印象が非常に強いものです。関西では、お彼岸の時期になると、本願寺の大谷本廟の映像が、夕方のニュースで必ず流れています。それだけ、日本人にとって、お彼岸とは、今でもご先祖を偲ぶ日として大切にされているということでしょう。
しかし、ただお墓にお参りすることが、本当にご先祖を大切にしていることになるのかどうかは、浄土真宗門徒の立場から、よくよく考えていかなければなりません。
先日、ある御門徒の納骨に立ち会わせていただいたことがありました。その昔、毛利家からいただいたという墓地は、代々のご先祖の墓石が数多く並ぶ、個人の墓地とは思えない広大なものでした。この墓地を管理維持される御苦労は、想像に難くありません。この度の納骨に関しても、御当主と奥様が、二日間に亘ってお掃除されたということでした。先祖代々の数多くのお墓を、御夫婦二人で、一生懸命守っておられるお姿には、本当に頭が下がる思いがいたしました。
さて、浄土真宗において、お墓とは、どのように味わうべきなのでしょうか。親鸞聖人が、晩年、お弟子の方に語ったとされるお言葉に「某[親鸞]閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」というものが、伝えられています。「私が命終わったならば、京都の鴨川に遺体を流して、魚の餌にしてください」ということです。つまり、親鸞聖人ご自身は、自分のお墓はいらないと考えておられたということです。この親鸞聖人のお言葉を伝えられた本願寺第三代門主の覚如上人は、このお言葉の真意を次のように解説していらっしゃいます。
「これすなはちこの肉身を軽んじて仏法の信心を本とすべきよしをあらはしましますゆゑなり。これをもつておもふに、いよいよ喪葬を一大事とすべきにあらず、もつとも停止すべし。」(『改邪鈔』第十六条)
親鸞聖人のこのお言葉は、煩悩具足の肉体に執着する心ではなく、必ずお浄土に生まれさせると誓ってくださった阿弥陀如来のお心を根本とすべきことをお示しくださっているというのです。滅びゆく肉体は、私の命の拠り所とはなりません。拠り所とすべきは、如来の真実のお心なのです。
しかし、親鸞聖人の御往生の後、親鸞聖人のお子様方とお弟子の方々によって親鸞聖人のお墓が建てられていきます。このお墓を管理する役目は、留守職(るすしき)と名づけられ、初代は、親鸞聖人の末娘でいらっしゃる覚信尼(かくしんに)様という方が当たられました。その後、覚信尼様の御長男で、親鸞聖人のお孫様でいらっしゃる覚恵(かくえ)様が、このお役目をお継ぎになり、その後、覚恵様の御長男である覚如上人へとこのお役目は、受け継がれていきます。そして、覚如上人は、この親鸞聖人のお墓を、寺院化されます。そして、その寺院化されたお墓を「本願寺」と名づけ、親鸞聖人を開祖と仰ぐ浄土真宗門徒のご本山と位置付けたのです。私どものご本山、本願寺は、元は、親鸞聖人のお墓が出発点だったのです。現在でも、本願寺の御影堂に安置されている親鸞聖人の御木像の中には、親鸞聖人の歯のお骨が埋められているそうです。
親鸞聖人のお墓が、寺院化されたのは、覚如上人の英断も、もちろんあったでしょうが、親鸞聖人のみ教えの上からも必然的なことだったのではないでしょうか。浄土真宗のお寺というのは、一言でいえば、阿弥陀如来のお心に出遇っていく場です。親鸞聖人の御往生の後、親鸞聖人のお墓に全国からお参りされた御門徒の方々は、親鸞聖人を偲ばせていただく中で、阿弥陀如来のお心に触れていったのではないでしょうか。親鸞聖人のお墓は、阿弥陀如来に出遇っていく場でもあったはずです。
単なるお墓に留まらず、本願寺という大寺院に変化していった中に、浄土真宗の上で味わうお墓の大切な意味が込められているように思います。お墓というのは、故人を偲ばせていただく中で、阿弥陀如来のお心を聞かせていただく場でなければなりません。故人は、石の下にいらっしゃるのではありません。お浄土から私に働いてくださっているのです。手を合わせていくものを見失わないよう、如来様中心の日暮しを心がけて参りましょう。