先日、ある御門徒の方から次のようなお尋ねをいただきました。
「御住職さん、母の七回忌が、おそらく三年後ぐらいになると思うのですが、それぐらいまでは、私もなんとか元気に過ごせるものと思っています。でも、その後の十三回忌は、元気でいられるかどうか心配なんです。その頃、私も九十歳前になります。生きていても、母の法事を責任もって勤められるかどうか不安です。それで、十三回忌のご法事を五年くらい早めて勤めてもらうのは、いけませんか?私がいなくなったら、私以外に当家の法事を勤める人はいません。これから、母の法事をはじめ、当家の法事はどのようにしていったらいいのでしょうか?」
最近、正法寺門徒の方々の中でも、こういった後継者に関する切実な悩みが増えていることを感じます。時代が変わり、社会の価値観が変わり、家を継ぐという意識は確実に希薄になっています。江戸時代から続く、いわゆる伝統的な檀家制度の中で営まれてきた仏教寺院の活動の在り方も、問われていく時代になりました。
現在も残っている檀家制度は、西暦一六一二年に江戸幕府がキリスト教禁止令を出したことに始まります。江戸幕府は、国民一人一人にキリシタンではないことの証明として、どこかの仏教寺院に所属することを義務付けたのです。そして、仏教寺院に対しては、所属し檀家となった国民に対して、寺請証文という証書を発行することを義務付けました。この寺請証文は、旅行や引っ越しの際にも必要とされ、いわゆる現在のパスポートのような役割もありました。どこの仏教寺院にも所属せず、寺請証文を持たない人は、非人とされ、社会生活から除外されなければならなかったのです。江戸幕府は、仏教寺院に宗教統制を行う機能だけでなく、国民の戸籍を管理する役所の機能も持たせたのです。当然、仏教寺院は、社会的に大きな力を持つようになり、人々は、仏教寺院を中心に生活を送るようになります。所属する寺院の住職に法事を勤めてもらうというのも、社会生活を送る上で、絶対に欠かしてはいけないことでした。もし、寺院との関係が希薄になれば、社会から除外される危険が常に国民の上にはあったのです。
こういった江戸時代から続く仏教寺院に対する怖れの意識は、現在においても根強く残っているように思います。檀家制度というのは、これまで仏教寺院を支えてきた反面、その繋がりは、必ずしも宗教的な心情で繋がってきたものとはいえないところがあるのです。また、この制度は、お寺と仏事を形骸化させてしまった面もあります。
元々、檀家という言葉は、檀波羅蜜(ダンパラミツ)という仏教用語からきています。檀波羅蜜というのは、他人に財を施す布施を意味する言葉です。檀家というのは、寺院に対して布施をして経済的に支援する家という意味です。しかし、浄土真宗の寺院では、寺請制度があった江戸時代においても檀家ではなく、御門徒と呼んでいました。門徒というのは、同じ道を歩む仲間という意味です。それは、国民を管理する側の僧侶も、管理される側の門徒も、同じ阿弥陀如来から願われている仏の子であり、お念仏という同じ尊い道を共に歩んでくださる大切な仲間だからです。そこには、たとえ社会がどのように変化しても、決して変わることのない仏教精神が流れていました。そして、浄土真宗の御門徒は、寺請制度が息づく社会にあっても、お寺と仏事の意味を見失うことなく、大切に仏法を伝えてきた面が大きいのです。
阿弥陀如来は、私一人を大悲してくださっています。仏法は、本来、私が聞かせていただく教えであり、私が歩ませていただく道です。決して、人のために利用するものではありません。お寺も法事も、私のために用意されてあるのです。お寺や法事という形そのものにこだわるのではなく、私の生死に深く関わる問題として、お寺も法事も味わっていくべきでしょう。
電気が流れていない電線は、いくら最新の高機能のものであっても、存在価値はありません。常に電気が流れていてこそ、電線の存在価値はあるのです。お寺や法事も同じです。形式だけ残っても存在価値はないのです。お寺や法事という形式の中に、ビビッと痺れるような超世俗的な仏教の心が流れていなければなりません。時代が変わっても、生老病死という人の抱える根本苦悩は変わらないのです。どのような時代になろうとも、人として大切にすべきものが何であるのかを見失うことなく、大切に仏法に関わっていきたいものです。