先日、ある御門徒宅のご法事でのことでした。お勤めが終わり、順番にお焼香をしていただいていたときでした。小学生の男の子が、お仏壇の前に行く時、聖典を跨いだのです。すぐさま、男の子のおばあちゃんが、「聖典を跨いじゃいけん!」と注意されました。お焼香が終わり、戻ってくるときも、男の子は、また聖典を跨ぎました。また、おばあちゃんが、「聖典を跨いじゃいけん!何回言うたら分かるの!」と注意をされていました。何気ない光景かもしれませんが、昔に比べて、このような光景が次第に減ってきているように思います。本来、仏事という場は、学校現場では教えられることのない人としての大切な価値観を伝えていく大切な場であったように思います。

 私たちは、目まぐるしく変わっていく社会の中で、本当に大切にすべきものを見失いがちです。人間社会は、それぞれの都合のぶつかり合いです。国際問題から小さな地域の問題に至るまで、根本的には、それぞれの都合のぶつかり合いから生まれているものです。人は、自分の都合を大切にします。そして、その都合を支えるものを大切なものと考えていきます。逆に、自分の都合を邪魔するもの、自分の都合と無関係なものは、大切にはしません。都合を邪魔するものに対しては、怒りと攻撃の対象になっていきます。自分の都合を中心にした貪りと怒りが、その人を苦しめていくことを仏教は教えてきました。本当に大切にすべきものが、この世界にあるなら、それは、それぞれの都合を超えて、あらゆる人々の上に伝わってきているものでしょう。

 足で跨いではいけないと教えられてきた聖典も、その一つなのです。聖典は、価格にすると三百円~四百円程度の小さな本です。しかし、そこには、決してお金には変えることのできない仏様の清らかな言葉と、数知れない人々の壮大な思いが込められているのです。

この世界でお悟りを開かれ仏と成られたお釈迦様は、インド人でした。当然、お釈迦様は、インドの地において、インドの言葉で、そのみ教えを語られました。後に仏弟子達によって経典が編纂されていきますが、それもサンスクリット語やパーリー語といったインドの言葉で記されていきます。時を経て、インドの言葉を理解できた中国人が、お釈迦様の言葉に触れ感動したのでしょう。この教えの言葉を、多くの人に届けたいと思ったのです。この時点で、その思いは、その人の都合を超えています。なぜなら、インドの言葉を中国に伝えることは、命がけだからです。この教えの言葉に多くの人々が触れることができるなら、自分は死んでもいいと思われたのです。実際、多くの三蔵法師と呼ばれた方々が、インドへと経典を持ち帰るために旅立ちますが、ほとんど人々は、途中のゴビ砂漠で息絶えたと言われています。砂漠は死の大地です。見えるのは、自分の影だけで、時折、白骨化した人の遺体に出会うだけだといいます。三蔵法師達は、その白骨を目印にインドを目指したのです。

 そのように、命がけで中国に伝えられたお釈迦様の言葉を、今度は、命がけで中国から日本に伝えようとされた人々がいるのです。今度は、砂漠ではなく、大海原です。手漕ぎボートのような船に乗って命がけの旅をしたと言います。台風に遭うと、沈没から経典を守るために、一人を船に残して、その他の人々は、海に飛び込んだとも言われます。また、経典が、日本に伝わった後も、命がけだったのです。蓮如上人の時代、吉崎御坊が火災に遭った際、蓮如上人の弟子の本光坊了顕が、親鸞聖人の教行信証を、自らの腹を切り内臓の奥深くに収め、うつ伏せで焼け死ぬことによって、教行信証を火災から守った話は有名です。

 二五〇〇年もの時を経て、一人のインド人が語った言葉が、現在の人々の上に伝わっているのは、その言葉のために命を懸けた人々が無数におられたからなのです。聖典の言葉には、誰の都合も混じっていません。ただただ、仏様の慈しみの心が響いているだけです。その言葉は、私たちが頭を下げ聞いていかなければならない言葉であり、私たちの命を預けることのできる言葉なのです。

 世間に溢れている言葉とは、まったく質が異なる言葉があること、この命を預けることのできる清らかな言葉があることを、先人の方々は知っておられたのでしょう。この世界に生まれた人として、本当に大切にすべきものを、子や孫に伝えていけるような日々を大切にさせていただきましょう。