先日、結婚式の媒酌人のご縁をいただきました。お寺様同士のご縁でしたので、結婚の儀式は、本堂での仏前結婚式でした。また、結婚式後のホテルでの披露宴も、お寺関係の方が多く、所々でお念仏の声が漏れ聞こえるような、大変尊い結婚式のご縁をいただいたことでした。

 現在の日本仏教では、どのご宗旨の住職も、当たり前のように結婚という形をとって家庭生活を営んでおられます。しかし、宗祖の教えの上で公に結婚が認められているのは、浄土真宗だけです。その他のご宗旨は、明治五年に明治政府によって、僧侶の妻帯が許可されたことが始まりです。それは、そのご宗旨の教えの上で許可されたのではなく、教えには基づかない明治政府の都合で許可されたにすぎません。もし、天台宗の開祖である伝教大師最澄や曹洞宗の開祖である道元禅師が、現在の妻帯する僧侶を見ることがあるなら、その姿をお許しになることは、絶対にないでしょう。おそらく、世界中の仏教指導者の中で、公に僧侶の結婚を仏教の教えの中で肯定していかれたのは、親鸞聖人ただお一人だけだと思います。

 親鸞聖人のご師匠であります法然聖人のお言葉に「現世を過すぐべき様は、念仏の申もうされん方によりて過ぐべし。念仏の障りになりぬべからん事ことをば厭い捨つべし。・・・聖にて申されずば、在家になりて申すべし。在家にて申されずば、遁世して申すべし。」というものがあります。お念仏を申せる環境の中で生活しなさいというお言葉です。出家をし修行僧の身の方が、お念仏申しやすいのなら、そうしなさい、家族を持ち、家庭生活を営む方がお念仏申しやすいのなら、そうしなさい、とにかく、自分にとってお念仏を申せる環境を整えることが大切だと言われるのです。法然聖人ご自身は、一生涯、厳しく戒律を守り続け、結婚されることなく、修行僧の形を大切にされました。

 しかし、親鸞聖人は、結婚をされます。恵信尼様という伴侶と共に七人の子どもに恵まれ、悲喜こもごもの家庭生活を歩まれました。家庭生活を営むということは、山の中で一人修行生活を送ることとは異なり、様々な悩みや煩悩が渦巻いていきます。親鸞聖人と恵信尼様ご夫婦にも、子育ての悩みや経済的な悩みがあったことでしょう。肉親ゆえに、思わずムカッと腹を立ててしまう瞬間もあったことと思います。本来、家庭生活を営むというのは、煩悩と苦悩の真っただ中に身を置くということでもあるのです。煩悩と苦悩からの解放を目指す僧侶が、出家を大前提としてきたのは、当然のことなのです。家庭生活に身を置くことは、仏教僧にとっては、堕落を意味していました。

 親鸞聖人が歩まれた浄土真宗という仏道は、煩悩と苦悩の真っただ中に身を投じながら、決して堕落することなく、仏様の真実を確かめていく前人未踏の境地だったのです。

 親鸞聖人の奥様である恵信尼様が、晩年、親鸞聖人のご往生の報を受けて、末娘の覚信尼様に送られたお手紙があります。そこには、若かりし頃の親鸞聖人との思い出が記されています。ある時、法然聖人と親鸞聖人が夢の中に出てこられたというのです。法然聖人は勢至菩薩の化身として、親鸞聖人は観音菩薩の化身として、夢の中に出てこられました。その夢の話を、その日の朝、恵信尼様は、親鸞聖人にお話になられます。しかし、その時、恵信尼様は、親鸞聖人のお話はされず、法然聖人が夢に出てきたことだけを話されたのです。すると、その話を聞かれた親鸞聖人が、それは、とても尊い夢を見られたとお喜びになり、その夢が正夢であるとお話されたというのです。その会話以来、恵信尼様は、夫である親鸞聖人のことを、ひそかに観音菩薩の化身として敬ってきたというのです。一方で、親鸞聖人も、恵信尼様にお話しされていない夢の話がありました。それは、二十九歳の時、絶望の真っただ中で六角堂に籠っていた時に見た観音菩薩の夢でした。その夢の中で観音菩薩は、苦悩する親鸞聖人に向かって、私がお前の妻となって、お前の一生を荘厳すると告げたのです。親鸞聖人もまた、ひそかに奥様の恵信尼様を観音菩薩の化身として敬っておられたのです。

 悲喜こもごもを共に経験し、苦悩と煩悩を共有していく夫婦が、ひそかにお互いを観音菩薩の化身として敬い拝みあっていくような家庭生活は、まさしく夫婦二人三脚で歩む仏道に他ならなかったのです。浄土真宗は、仏道が世俗化した教えではなく、世俗が仏道化されていくみ教えだったのです。悲喜こもごもの日常生活を尊い仏縁としながら、共々にお念仏の大道を大切に歩ませていただきましょう。