自分の命よりも大切なもの
住職の日記先日、御門徒の皆様と共に、鹿児島の隠れ念仏の遺跡を巡る一泊二日の研修旅行に行って参りました。江戸時代、薩摩藩と人吉藩では、約三〇〇年間にわたり、浄土真宗のみ教えを拠り所にすることも聞くことも禁止されていました。三〇〇年の間、規制が緩んだ時期もあったようですが、規制が厳しかった時期には、浄土真宗の門徒であることが分かると、厳しい拷問にかけられ、浄土真宗の信仰を捨てさせられたのです。薩摩藩や人吉藩では、三〇〇年の間に、何千人、何万人という浄土真宗門徒の方々が、拷問にかけられ、死罪になっています。
そのような状況の中でも、三〇〇年間、薩摩の地から浄土真宗のお念仏の灯は消えることはありませんでした。御門徒の方々は、文字通り、命がけでお念仏を口にし、お念仏を聞いていかれたのでした。
この度、研修旅行で最初に訪れたのは、立山念仏洞という遺跡です。人が一人やっと通れるような小さな洞穴です。人里から少し離れた山の中に、その洞穴はあります。洞穴の中まで行くと、四人か五人がやっと入ることのできる少し広い空間があります。その奥に、小さな阿弥陀如来様がご安置されていました。この狭い洞穴の中で、夜な夜な人々が集まり、身を寄せ合いながら、命の危険を感じる中で、隠れてお念仏を申し、お聴聞をされておられたのです。
薩摩藩や人吉藩には、京都の本願寺から布教使も派遣されていました。派遣される僧侶も命がけでした。本願寺の僧侶と分かった時点で、拷問と死罪が待っています。派遣された僧侶たちは、商人や薬売りなどの姿に身を隠して潜入したといいます。僧侶たちも、夜な夜な人々が密かに集まる洞穴に命がけで辿り着き、命がけのお取次ぎをされたのです。
明治九年に鹿児島では、浄土真宗の禁制が解除されます。研修旅行では、本願寺鹿児島別院にもお参りさせていただきました。本願寺の別院が、鹿児島に建立されるのは、浄土真宗の禁制が解除されてからのことです。この地がかつて、三〇〇年もの長きにわたり浄土真宗が禁制されていた土地とは思えない、大きく荘厳な本堂でした。現在、鹿児島県内においては、浄土真宗の御門徒が最も多く、鹿児島別院も、浄土真宗本願寺派の中での三大別院の一つに数えられています。親鸞聖人がそのご生涯の中で示していかれた浄土真宗という教法の真実性を、目の当たりにさせていただいた研修旅行でした。
宗教弾圧は、世界中で繰り返されてきた人類の歴史です。時の権力者や社会にとって害となる宗教は、容赦なく弾圧されてきました。今も宗教弾圧は、世界の各地で、現在進行形で繰り返されています。そんな中で、仏教徒のみならず、キリスト教徒もイスラム教徒も、弾圧されても、その信仰を捨てない人々が数多くおられます。言葉を換えれば、命を捨ててでも信仰を捨てない人々が数多くおられるということです。これは、現代の無宗教化した日本人には、到底理解できない価値観かもしれません。
私たちは、自分の命よりも大切なものに出遇ったことがあるでしょうか。死んでも守りたいと思えるもの、その尊さに頭が下がるものに出遇えているかどうかということです。
以前、ある先生から、こんな言葉を聞かせていただいたことがありました。
「頭が下がらない人生は、つまらない人生だと思います。なぜなら、これまで出会ってきたあらゆるものが、頭を下げようとも思わない、つまらないものばかりに出会ってきたということでしょう。思わず頭が下がる尊いものに出遇わせていただくというのは、人生において、最も幸せなことだと思います。」
本当の宗教を持つというのは、自分というものを超えた尊いものに出遇わせていただくということではないでしょうか。単に大切なものではなく、頭が下がっていく尊いものに出遇っていくということです。
人間は、本来、煩悩の塊です。自分にとって損か得かで物事を判断していく浅ましい存在です。宗教を持たない人は、命の危険を冒してでも信仰を捨てない人を見て「そんなことをして、なんの得があるのか?」と言うでしょう。しかし、命を懸ける価値というのは、損得の世界からは、けっして生まれてこないものなのです。その尊さの前では、自分の損得が崩れていく世界があるのです。
頭が下がる本当の幸せを、この身にいただいていく日々を大切にしましょう。
