先月の十六日に、新発意(しんぼっち)の法響(かずなり)が、ご本山本願寺において得度式を受け、浄土真宗本願寺派の正式な僧侶にさせていただきました。御門主様から賜った法名は、釋法響(しゃく ほうきょう)です。新発意というのは、本来、仏教では、年少にして新たに仏門に入った人を指す言葉です。発意とは、菩提心という悟りを求める心を起こすことを言います。しかし、浄土真宗では、仏門に入ることや菩提心を起こすこととは関係なく、お寺に生まれた子どもを、そのまま新発意と呼んで育てていく習慣があります。呼び名というのは、人を育てていきます。これは、他力のお念仏をいただく浄土真宗ならではの有り難い習慣なのです。

 本来、僧侶になるというのは、お釈迦様のような悟りを求める心を起こし、仏・法・僧の三宝に帰依し、師匠から戒律を授けられ、出家をし、一生を仏道に捧げていくことを言います。親鸞聖人も、数えの九歳でお得度をされ、出家をし、戒律を保ちながら、一生を仏道に捧げる日々を送られました。年少にして仏門に入られた親鸞聖人は、まさしく新発意と呼ばれた人なのです。しかし、親鸞聖人は、二九歳の時、そんな僧侶としての日々に行き詰まりを感じ、深い悩みを抱え、比叡山から下りて行かれます。その親鸞聖人を救っていったのは、法然聖人から教えられたお念仏の世界でした。

 親鸞聖人のお弟子であった唯円が書いたとされる有名な『歎異抄』には、唯円の悩みに親鸞聖人が共感していかれる様子が記されています。

 「またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。」

お浄土へ生まれたいという心が起こらないことについて、唯円は深く悩んでいました。これは、悟りを求める心が起こらないということです。仏様が尊い存在であることは分かります。しかし、自分が、何を差し置いても悟りを求めているかと問われれば、正直なところ、自信を持って求めているとは言えないというのです。本来は、悟りを求める心を起こした人を僧侶と言います。真面目な僧侶に対して、こんな悩みを打ち明ければ、普通は、激しく叱られることでしょう。唯円も、恐る恐るこの悩みを打ち明けたのです。しかし、親鸞聖人のお答えは、唯円の想像していたものとはまったく異なるものでした。「私も同じ悩みを抱えていたけれども、唯円あなたも同じように悩まれていたんですね」こんなふうに、親鸞聖人は、唯円の悩みに共感してくださったのです。九歳で仏門に入り、かつて新発意と呼ばれた親鸞聖人の悩みは、悟りを求める心が徹底できないことでした。

 悟りというのは、他の命の安らぎのために、自らが苦しみを引き受けていける世界です。仏様というのは、あなたの幸せのために、自分は毒の海の中に沈んでも後悔はしないと言い切れる存在なのです。しかし、人間は、弱く臆病な存在です。ギリギリのところでは、自分が助かりたいという思いが心を占領してしまうのです。本来、そんな人間には、僧侶と呼ばれる資格はないのです。しかし、親鸞聖人は、そんな愚かでどうしようもない私だからこそ、阿弥陀如来は、私をけっして見捨ててくださらないことを、唯円に優しく説いていかれます。如来の大悲は、弱いどうしようもない私のために起こされたというのです。そして、その大悲の働きは、お念仏となって私に寄り添い、どうしようもない私を必ず仏に育ててくださるというのです。

 浄土真宗という仏道は、お念仏を申す人生をいただく中に、少しずつ如来様のお慈悲に育てられていく道です。それは、渋柿が、太陽の光に当たり続けるうちに、少しずつ熟されていき、いつの間にか甘い干し柿に変わっていくようなものです。悟りを求める心などなく、お寺の子として生まれただけで、新発意と呼ばれ育てられていくのも、如来様の大きなお育てなのでしょう。

浄土真宗では、僧侶以外の人々を檀家とは言わず、御門徒と言います。これは、同じ如来様のお育てをいただき、同じお念仏の道を歩む同門の徒弟だからです。浄土真宗の僧侶は、御門徒から育てられる身なのです。お得度をすれば、もう年少ではありませんので、新発意ではなく、若院(じゃくいん)という呼び名に変わります。この呼び名がまた、彼を住職へと育ててくれることでしょう。

 お念仏を喜んでくださる同朋が、一人でも増えていくことが、浄土真宗のお寺の繁盛です。どうぞ、ご一緒にお念仏の尊さを味わいに、お寺にお参りください。